エピローグ・澄郷町にて(なしくず死、蘇るゾンビたち)⑤

 僕はかつての澄郷など知らない。古びた写真(右下に日付が入ったような)だけが証拠になっている。「Y県の原宿」なんて呼ばれていた、その頃。

 僕の目には不自然な熱狂にしか映らない。

 今となって考えると、あれはなんだったんだろう?

 夢中になって押し掛けた人々も、そんなのあったね、と冷めた調子で言うのだろう。

 過去の賑わいが激しければ激しいほど、死んだ街の哀愁は深い。

 栄えていた澄郷が、本来の姿だとは思えなかった。開発されるより前は、山中にあるどこにでもある田舎町だった。それで十分だったはずなのに、何かを間違えたのだ。

 父が知る熱狂はただの泡沫のような夢でしかないし、引きずる様はあまりに格好悪く、滑稽だ。

 でも、僕は親父のことを馬鹿にする権利はない。

 ――昔のことに拘るのはやめろよ。現実を見ろ。

 父にかけたい言葉は、僕自身が受け入れなくてはいけないことだった。血は色濃く受け継がれている。

 何が嫌かって……親父の姿は、僕の格好悪さそのものだった。

「ゾンビに噛まれるとゾンビになる。ですよね、センパイ?」

 僕がしばらく黙りこみ、思い出したくもない記憶に浸っていると、ルダは確かめるように言った。

 興味津々に、商品や什器が取っ払われた店内をガラス越しに眺めていた。

「え、まぁな」

 一体何の確認だよ。

「なんでゾンビは人を襲うんですかね?」

 ゾンビはなぜ、人を襲うのか?

 それは蚊が、人間に痒くなる唾液を入れる理由と同じなのかもしれない。


 ――ねぇ、センパイ。蚊に刺されるとなんで痒くなるのか知ってます?


 彼女が僕に尋ねたときから、ここにルダと来ることは決まってしまったのだ。

 ルダは僕を狂わせる。

 ファム・ファタルだ。


 ――それはですね――。


 はき違えた愛情。虫と大差ないレベルの好意が僕の中にある。目の前にいる僕よりも一〇歳も年下の女の子を、疼くような痒みの渦に閉じ込めたいのだろう。

「ゾンビだって、人肌恋しいんだろうよ」

 僕はどうにか笑顔を作る。ルダは僕に近づく。体温がギリギリ伝わらないくらいの距離。

「タクシー呼ぶからさ、ゾンビに襲われないように待ってろよ」

 僕は携帯を取り出し、タクシー会社に電話をかける。現在、父親が所属する会社。事前にこのくらいの時間に到着と連絡を入れてあるから、すぐに来るはず。

 親父に会うのが憂鬱で仕方がない。

 「脚本家をしているというのは嘘だった」と告げるのをイメージするだけでも、鼓動が止まらなかった。

 失望するだろう。落胆するだろう。

 本当のことを突きつけるのは、相手にとって幸せだろうか?

 ……来るべきじゃなかったのだろうか?

 いや、後悔している場合じゃない。ルダのおかげで、前に進もうって思えたんじゃないか。

 彼女との、虫よけスプレーから始まった恋を思い出す。それだけが僕を奮い立たせた。

 いや、それはたかが、昨日の話なんだけども。

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