叛逆の公女騎士

蒼原悠

本編




「くっ……殺せ!」


 吹きすさぶ砂嵐に女の叫び声が混じる。

 鈍色の鎧に埋もれながら、女騎士シュネーヴァイスは口を歪めていた。「そうはいかない」と俺はかたわらにかしずいた。むろん恭順の意思表示のためではない。


「大帝陛下から生け捕りにせよと仰せつかっているんだ。くびを落としてしまえば陛下への土産も用意できない」

「そうまでして貴様は……かの悪逆大帝に取り入りたいのか」

「取り入る? とんでもない、ただの契約だ」


 口元だけでいなして、詠唱を済ませる。この者を縛り上げよFesseln Sie diese Person──。左手で掴んだままの杖に熱がこもり、ほとばしった光が倒れ伏す女騎士にまとわりつく。縄の収束に合わせて「うくッ」と彼女は呻き声をあげた。


「殺せ。魔導師ベーゼヴィヒト」

「聞けない相談だな」

「貴様とて先は読めているのだろう。私を生け捕りにしたところで、どのみち捕虜にする意味合いなど残ってはおらぬ。我が公国軍はすでに敗走している。おおかた、征服の証として処刑し、見せしめに晒すのが関の山であろう」

「生憎だが俺は貴方の事情を斟酌する立場にはない。女騎士シュネーヴァイス──いや、次期大公殿下」


 彼女は苦悶に顔を歪めた。革のグローブを嵌めた手のひらには、まだ長剣のつかが握り込まれている。一本、一本、指を剥がすようにして長剣を取り出し、投げ捨てる。乾いた岩音が虚しく反響する。かたわらにかしずいて淡々と武装解除を進める俺の脳裏を、長く続いた戦役の経緯が幻灯のように流れ出す。

 大陸最大の覇権国家、アロガント大帝国が周辺国の征服に乗り出してから、間もなく一年になる。その最大の攻略目標は、豊富な鉱物資源や技術革新によって思いがけず繁栄の一端を築こうとしていた、辺境の公国シュトルツだった。かの国のもたらす科学技術は、魔術文明に基づくアロガント帝国の支配体制を揺るがしかねない──。かくして大帝の命は下り、重武装の大軍が周辺国を薙ぎ払いながらシュトルツ公国国境を目指した。大帝国と公国のはざまに位置していた俺の故郷など、揉み潰されるのに一日とかからなかった。

 みずから陣頭指揮を取っていた公女殿下が捕まったと知れば、公国の戦意は著しく削がれるはずだ。公国は大帝国の前に平伏し、戦役は終わる。我が故郷を焼いた憎き戦火に、いっときの終焉がもたらされる。今、この手の中で、たったひとつの希望が着実に花開きつつある実感を、俺はひしひしと噛み締めていた。


「……魔導師よ」


 女騎士が嗄れ果てた声を発した。


「貴様の出どころには想像がつく。東の都市国家シックザールだろう。詠唱の文句に垣間見える微細ななまりが、あのあたりの方言と一致している」

「さすがは公女殿下。他国の文化にも造詣が深いんだな」

「貴様の故郷くにも我らと同じく、帝国の圧力をのらくらとかわして生きる辺境諸国のひとつであったはずだ。昨日までの友に反旗を翻し、大帝の名を語り、侵略の手助けをしてまで、貴様らはいったい何を望むのだ。辺境国家の誇りは消え失せたのか」

「契約と言ったはずだ」


 俺は縛り上げたシュネーヴァイスを横たえた。もとより手荒に扱うつもりもなかった。杖を掲げ、すばやく詠唱する。我が位置を知らしめよTeilen Sie mir meine Position──。轟音とともに杖先から弾けた金色の光が、砂煙を蹴散らしながら高く昇ってゆく。「友軍でも呼ぶのか」とシュネーヴァイスが掠れ声で失笑した。


「貴方との一騎打ちでこちらも相応に消耗したのでね。悪いが、帝都までは馬の背中に乗ってもらう」


 俺は額の汗を拭った。疲労困憊のあまり今すぐにでも座り込みたい気分だったが、気迫で女騎士に負けないためには虚勢を張るしかなかった。

 国境の砂丘で勃発した両国軍の衝突は、帝国軍の圧倒的な勝利に終わった。敗軍を率いて前線から離脱中だった公女・シュネーヴァイスの姿を、搦め手に控えていた俺が見つけた。好機としか思わなかった。わずかな敗残兵たちは爆裂魔術の前に跡形もなく消し飛び、彼女だけが戦場に残された。厄介だったのは、彼女自身も飛び道具の使い手だったことだ。公国の開発した銃とかいう新兵器と、ご自慢の美しい長剣ロングソードは、長距離魔術攻撃によるアウトレンジ戦法に特化した俺の戦術をおおいに狂わせてくれた。

 二度と手合わせしたくはない。

 大帝のもとへ連れてゆけば、手合わせはおろか、生きた顔を見ることもなくなるだろう。


「悪く思うなよ、シュネーヴァイス殿下。俺も貴方も立場は同じだ」

「立場だと……?」


 シュネーヴァイスがわずかに身を起こした。


「俺も一族の誇りと存亡を背負っているんだ。この戦役で俺が活躍を収めれば、我が故郷は属国として存続を許される。もしも叶わなければ……分かるだろう?」

「それが契約だと?」

「ああ。この口で大帝とちぎった。俺も貴方と同じように捕らえられて、大帝の前へ引き出された身だ」


 俺は目を細め、肩をローブに包んだ。いまも長いローブと鎖帷子を脱げば、生々しい尋問の痕跡が姿を現す。けれども祖国の存続と引き換えに背負った痛みと思えば、こんなものも苦にはならない。


「はは……」


 シュネーヴァイスは引きつった顔で笑った。


「笑わせる。そんなものが契約だと?」

「なにが可笑しい」

「何の影響力もない、ただの辺境諸国に過ぎん貴様の祖国を、あの大帝が本心から認めると思うか? 貴様はまんまと騙されたのだ。貴様たちは下らん約束と引き換えに帝国軍の鉄砲玉として消費され……そして最後にはふたたび揉み潰される」


 シュネーヴァイスの頬には嘲りの色が浮かんでいる。俺は目を剝いた。


「なんの根拠があってそんなことを──」

「その口ぶりからして、帝国と我が公国のあいだに不可侵条約が交わされていたことも知らないようだな。帝国は我らを裏切ったのだ。武力に物を言わせてな」


 うすら笑いのまま、シュネーヴァイスは唾を吐き捨てた。血の混じった唾が沙漠に潤いをもたらす。腐敗の進んだ血よりも昏い、おぞましいほど深い色の瞳で、彼女はおれの顔を覗き込んでいる。


「今に見ていろ。貴様たちのようなくだらん小国など、帝国のエゴイズムの前では木っ端にも等しい。きっと後悔することになる」

「黙れ!」


 俺はシュネーヴァイスの首元を掴み上げた。

 俺自身のことは如何様いかようにもけなしてくれていい。だが、故郷に対する侮辱だけは捨て置けない。なんとしても今の一言を撤回させなければ気が済まなかった。喉元へ杖を突き付け、目を見開く。女騎士の皮肉な笑みが歪んでぼやける。


との約束だ。腕の一本や二本を引き千切っても大帝は俺を咎めん。痛めつけられたくなければ今すぐに取り消せ。二度とその口で、俺の大事な故郷を……!」

「……懐にれたくば懐にはいれ」

「なんだと?」


 反射的に問い返した俺の視界を、その瞬間、緊縛の解けた縄が飛び散ってよぎった。

 シュネーヴァイスの手には短剣が握られている。

 縄を解かれた。いや、断ち切られた。

 不覚だった、隠し持っていたのか──。飛び退いた俺の胸元へ、超人的な勢いで身を翻したシュネーヴァイスが突っ込んでくる。詠唱のタイミングも与えられない。とっさに杖をかざして刺突を防いだ俺は、肉薄するシュネーヴァイスの爛々とした眼差しに息を呑んだ。

 彼女は打ち倒されてなどいなかった。

 ただ、倒されたふりをして、俺が隙を見せるのを待っていただけだったのだ。


薙ぎ払えWegblasen!」


 無我夢中の詠唱とともに空気が揺れた。足元から膨れ上がった爆発が、シュネーヴァイスを吹き飛ばす。──いや、彼女は器用にジャンプして爆風を避けただけだった。至近距離の自分を巻き込まないように俺が威力調整したことを、彼女は見抜いていた。


「──そうとも」


 宙返りよろしく着地し、振り向きざまにシュネーヴァイスは短剣を投げた。ひらり、銀色の光が俺の首元に狙いを澄ませる。思わず杖をかざして払い除けた俺は、鎧武者とも思えぬ身軽さで後退した彼女が、岩場の影に捨てた銃や長剣を拾い上げるのを目にした。すかさず彼女は腰を下げ、照星の先に俺を捉えた。


「私も貴様と同じだ」


 轟音、閃光。銃が火を噴いた。引き裂かれた左肩に激痛が走る。防御結界を張る暇はない。体勢を崩しながら、俺は死に物狂いで反撃の詠唱を叫んだ。


石礫の雨を降らせよLass den Kies regnen!」


 あたり一面の小石が浮き上がり、シュネーヴァイス目掛けて飛び掛かる。シュネーヴァイスの細い手が、しなやかに長剣を振り回す。横一閃。激しい金属音とともに、弾かれた小石の残骸が粉塵をまきながら散らばる。畳み掛けるすべを思案する間もないまま、砂煙の向こうでふたたび轟音が断続的に炸裂した。小指ほどの大きさの滑腔弾が空気を切り裂き、俺の耳元を掠めてうなりを上げる。


「くっ……!」


 俺は呻いた。

 砂煙で視界が狭まる。

 周囲が見えない。

 戦いようがない。いったん退いて、立て直さねば。

 息を詰めて杖を構えた俺は、足元で不審な金属音が響いたことに気づいた。

 瞬く間に視界を炎が埋め尽くした。突き抜けるような爆発音が頭蓋骨を揺さぶった。まさか手投げ弾まで持っているとは──。もんどり打って地べたに叩きつけられ、衝撃で真っ白になった俺の脳裏には、ただ後悔だけが残った。何もかも油断していた。地べたに組み伏せて捕縛し、武装解除したことで、すべての抵抗力を奪ったと思い込んだ自分の浅はかさを呪った。


「……魔導師クラスの用いる高火力、範囲攻撃の魔術は、およそ近接戦闘には向かない。支援攻撃に徹するのが定石だ。うかうかと前線に出てきて手柄を挙げようとしたのが間違いだったな」


 砂煙の奥から現れた長い白刃が、倒れ伏した俺の首元にこそばゆく触れ合う。

 俺はぐったりと状況を理解した。


「私たちの国は魔術では帝国に敵わぬ。しかし資源があり、勇敢で勤勉な民がいる。だから、科学という名の知恵を身に着けた。喉元を掻き切るための武器を整え、懐に飛び込む機を見計らった。ゆえに


 煙がわずかに晴れた。傷だらけの女騎士シュネーヴァイスは、銃を携え、剣の切っ先を喉に突き付けたまま、爛々と燃える眼光を俺に注いでいた。


「帝国軍は国境を越え、我らの前に懐を広げつつある。その意味は分かるな? 魔導師ベーゼヴィヒト」

「……反攻に転じる隙を狙っていると?」

「前線の敗走ごときで我らの闘志は揺るがない。たとえ最後の一兵卒、最後の一国民になろうとも、我らは叛逆を諦めない。どんな脅し文句や安い約束事を突きつけられようが、暴虐な大帝のもとへ馳せ参じるつもりはない。我らの誇りは数の暴力に屈したりはしない」


 俺は唇を噛んだ。当てつけのつもりだ。威圧に屈して帝国にくみすることを決めた無様な俺や、俺の故郷くにに、シュネーヴァイスは命懸けで覚悟を問うているのだ。


「今いちど考えろ。祖国の滅亡を免れるために、貴様が今、取るべき道はどちらだ。このまま私の手で命を落とすか、不利を承知で私に再戦を挑むか、それとも?」


 くゆる硝煙の向こうからシュネーヴァイスが畳み掛ける。

 物静かな、落ち着き払った彼女の態度に、俺はかぶりを振るしかない。抵抗を挑むだけ無駄であることは、さきの戦闘で想像がついた。帝国との約束を信ずる気分にもなれなかった。ならば、俺の選びうる選択肢は一つしか残されていないではないか。すべては国を守るため。俺の愛した人々の暮らしを、笑顔を、滅亡の運命から救うため──。


「……が来るぞ」


 呼びかけると、シュネーヴァイスは不敵に口を歪めた。


「腹は決まったようだな」


 彼女の突きつけた白刃が、俺の首元を離れてゆく。俺は立ち上がり、杖を構えた。煙る岩場の彼方に騎馬隊の足音が轟き始めている。距離、五百。爆裂魔術の威力が最も高まる有効射程圏内へ、俺の呼んだ敵兵たちは足を踏み入れつつある。


「私と貴様とで前線を押し戻すぞ。今、この場所から、我らの叛逆は始まるのだ」


 俺は目を細め、息をひそめた。

 静まり返った丘を、世界を、シュネーヴァイスの堂々たる声が揺さぶった。


「──改めて申し遣わす。魔導師ベーゼヴィヒトよ、我が軍門に降れ」



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