第八話「コンウェル伯」
翌朝、朝食を食べ終わってボーッとしていると、セーラが声をかけてきた。
「ニコラ様、コンウェル伯が来られました」
「あ、もうそんな時間かー」
今日はヴィクターじゃない方の帝室教師による勉強の時間だ。
コンウェルは古くからある土地の名前だ。
したがってコンウェル伯はかなり由緒ある家となっている。
だが、今代のコンウェル伯がどういう地位にあるのかは知らなかった。
「ニコラ殿下、初めまして。コンウェル伯爵ジェフリーと申します。普段は枢密院顧問官を務めております」
枢密院顧問官とは、簡単に言ってしまえば帝の相談役だ。
帝が命令を行うに当たって、憲法上問題無い方法を相談する相手が枢密院顧問官である。
立憲君主制を採用しているヴィクテン帝国において、帝といえど憲法を無視することはできない。
軽々しく命令をしてしまっては立憲君主制をないがしろにしていると議会につけ入れられる隙となってしまうのだ。
それを未然に防ぐ役目を果たすのが枢密院顧問官だった。
「帝室教師として、私からは帝学を指導させていただきます」
ジェフリーはまだ30ほどに見え、枢密院顧問官としてはかなり若い方であるように思えた。
ただ、その分いかにも厳格そうな物腰であり、これからの勉強がしんどくなりそうな予感がする。
ほんとは魔法だけやっていたいんだけどな……。
まあ、それは置いておくとして、分からない言葉が出てきた。
「帝学?」
「帝になるため、もしくは帝に連なる者として必要な知識や思考を身に着けるための学問です。内容は多岐にわたりますが、しばらくは主に哲学、神学、史学、法・政治学、地学、経済学、軍学、それと審美術を指導させていただきます」
ヒエッ、かなり多いな。
聞く限り帝王学のようなものと考えたらいいんだろうけど、それにしてもやるべきことが多すぎる。
戦慄している僕の表情を見るも、ジェフリーは何事もないと言わんばかりの態度で口を開いた。
「少々多いと思われるかもしれませんが、問題ありません。哲学と神学や地学と経済学はまとめて指導致しますので、週末に殿下がなさるのは礼儀・作法や審美術の練習のみです」
なるほど、それなら5科目と週末に審美術か……いや、それでも多くないか?
魔法を研究する時間はそんなに取れなさそうだ。
いっそ、これもさっさと前世の知識を使って終わらせる……?
正直そんなに自信はない。
哲学はこの世界でも一緒か分からないし、神学なんて前世でもやったことない。
地学は中学でやって以来だし、経済学は本を少し読んだことがあるくらい。
軍学って孫子とか答えたらいいのかな、そんなわけないよな。
というか前世の知識を持っていて簡単になるとは言えないということはヴィクターの授業で理解したことだ。
つまり、やっぱり魔法の研究はそんなに多くできないということになる。
自由に生きたいって決めたばっかなのになあ。
どうもこの帝学というのは帝を継がなくても帝位継承権を持っているならやらないといけないものらしい。
いっそ継承権なんて破棄できないだろうか?
できないんだろうなあ。
「では、さっそく始めましょう」
こっちの悩みもいざ知らず、無慈悲なジェフリーの声によって授業が開始された。
「この時間は哲学と神学について勉強する時間と致しますが、今日はその前にまずお聞きしたいことがあります」
「聞きたいこと?」
「はい。君主とは何かということです」
「民を束ねる存在じゃないの?」
「その通りです。ですが、他の国では革命で次々と君主を持たない国家が誕生しています。それらの国では、選挙で選ばれた大統領や議会に選ばれた首相がその役目を果たしていますが、我が国では首相はいても、最終的に民を束ねるのは帝です。では、なぜ我が国は君主を持ち続けるのでしょうか?」
いきなり難しい質問をしてくるものだ。
君主制。
前世の日本でも象徴という実質的な政治的権力を持たない存在になってしまっているが、天皇という君主が存在していた。
馴染みのある制度とも言えるものではあるが、今までちゃんと考えたことは無かった。
そして、もう一つ有名な君主制が生きていた国と言えば、イギリスだった。
薄々思っていたことだが、産業革命が起こったことと言い、このヴィクテン帝国はイギリスに似ている気がする。
イギリスも議会と首相を抱え、君主制を持つ国だった。
だが、イギリスでも君主は象徴であって権力者ではなかった。
自分の中で、君主はスキャンダルに悩まされる自由が無い人くらいのイメージしかない。
でもここで求められている答えは君主が象徴となってからの存在意義じゃないだろう。
周りの国が共和制となり、議会の声が強くなっているとはいえ、依然として政治を行っているのは帝だ。
政治を行う主体が内閣や大統領じゃなくて帝だと何が良いのか。
まず、帝にだけある特徴といえば──
「世襲制だと安定するから?」
まあ安牌な回答だろう。
4年に一回政治の方針が変わって、中途半端になってしまうなんてことはない。
その君主が生きている限り一貫した政治が行われるのだ。
安定するのは分かり切っていることだった。
「そうですね。確かに安定します」
ジェフリーも頷く。
だがこれだけでは終わらせてくれないようだ。
「ですが、それだと共和制国家が次々と誕生していることが説明できません。君主制にはどんなデメリットがあって、我が国はそのデメリットをどのように無くしているのでしょうか?」
また突っ込んだ質問をしてくるものだ。
君主制のデメリット、つまりそれは共和制のメリットに置き換えられる。
合議制による政治、国民の政治参加、それらが意味するところはというと──
「共和制のメリットは、より確実でみんなが納得しやすい政策を実行できること、国民に投票権がある場合は自分たちも政治に参加できているという実感を与えることができること」
「ほう?」
「ただこの国では議会の存在によって、それらのメリットを得られる可能性を高めているという感じかな」
立憲君主制の君主の権限が強いというのはそういうことだろう。
安定させる政治体制を基本にしつつ、説得力のある政治を行えるというのが立憲君主制だ。
君主の権限が強いことで臨機応変にも動きやすい。
「概ねその通りです。お若いのによく知っていらっしゃる。では、さらに質問させていただきます。現在の帝の権威はどこにあるのでしょうか? また現在議会が発言力を増していますが、そこにはどういった理由があるでしょうか? そして、これからどういう政治の在り方が理想的だとお考えでしょうか?」
さらに質問しすぎだろ……。
12歳の子供に聞く内容か?
でもなんとなく世界史で習ったような覚えがある質問だ。
この国の状況もそこで習ったものと似ているところが多くある。
まずは帝の権威だが……。
「王権神授説によって通常の王権は保証されているけど、ヴィクテン帝国は少しだけ王権神授説の意味合いが違うよね?」
「その通りです。ではどこが違うのでしょうか?」
「ロエグランド魔法教会は、魔法の存在は神によって与えられた能力だということが神の権威に繋がっていて、強大な魔法を使えるウェレクス=マギスター家の血筋はそのまま神によって祝福されているから帝につく権利があるという論理だっけ」
この国はその魔法の力で発展をしてきた国だ。
だからこそ一番強力な魔法を使える血筋の者が帝として君臨するのが正しいという単純明快な理屈によって権威が保証されているのだ。
だが、現在はその権威が揺らぎかけているわけで……。
「素晴らしい。完璧な回答です。では、そのような理屈で権威が保証されている帝に対して、どうして議会は政治における権力を得つつあるのでしょうか?」
「一つはこの論理は帝の権威は保証するけど、政治の能力を絶対的に保証するものではないということだよね」
そう、一見完璧に見える論理だったが、大きな穴があったのだ。
素晴らしい血筋で国として守るべきものだという主張はできても、だから政治を完璧に行える人物だという主張にはつながらない。
議会政治を推し進めようとする者たちにとっては良い攻撃材料となったのだ。
そして理由はそれだけでは無かった。
「もう一つは産業革命で科学が発展したことによって魔法の価値が下がったこと」
この国の誇りとも言えるのが産業革命であり、そのおかげでこの国は周辺の国に比べ科学技術の発展で一歩リードしている。
しかし、科学が民衆に与えた恩恵は魔法よりもはるかに大きいものだった。
軍事的にも科学は魔法よりも有用性を示すようになり、その結果が魔法への畏怖の減衰、それがそのまま帝の権威の減衰にも繋がった。
国の発展は喜ばしいが政治が行いにくくなった。
帝にとってなんとも歯がゆい状況となってしまったのだ。
「またしても完璧な回答です。本当に12歳か疑わしくなってきますね」
実のところ精神年齢は12歳じゃないから、そういう反応に困ることを言うのはやめてほしい。
「では最後の質問です。このような状況を踏まえて、どういう政治の体制を作っていくことが望ましいと考えられますか?」
これは前2つの質問と比べ、かなり難しいものだ。
なぜなら正解が無いから。
いや、もしかしたらあるのかもしれないが、少なくとも絶対的な正解はありえない。
誰もこれから起こることを完璧に把握することは無理だからだ。
それこそ魔法を使わない限りは。
「一つは流れに任せ、このまま議会の発言力を大きくして民意を得ようとする政治体制。もう一つは君主制の良い部分である安定性や臨機応変に動ける性質を重視してこれ以上議会の発言力を大きくさせない政治体制。現実的なところではこの2つが大まかに考えられます」
ジェフリーの言う通り、他の選択肢はあまりない。
絶対王政に今から持っていくことは無理だし、いきなり完全な民主制にするのも貴族がいる以上反発が起こるのは目に見えているので無理だ。
となると立憲君主制のバランスをどう考えるかという議論に落ち着いてくる。
問題はどちらが良いと思うかだが、これは世界史の知識が役立ってくる。
「臨機応変に動けるような帝の権威は残しつつ、議会の存在意義を誰もが納得できるほどの政治能力は持たせるべきかな」
「ほう? その心はいかに?」
「今はどの国も植民地を増やす方向に心血を注いでいるから必ずどこかでぶつかり合って戦争が起きる。そんな状況を上手く乗り越えるには素早く動ける政治体制じゃないとダメだ。でも、今の共和制国家が乱立して国民にも政治を行える権利があるという流れが抑え込むことはできないし、実際自分たちも政治に参加していると思わせる方が国民たちにも責任が発生するしやりやすい部分もある」
前世の植民地獲得競争を行っている時代は、後の第一次世界大戦の火種に繋がった。
第一次世界大戦の結果、ヨーロッパは疲弊し、戦勝国であってもそれは例外でなく、イギリスの覇権は終わり、アメリカの覇権と第二次世界大戦に繋がっていった。
もちろん疲弊の原因はヨーロッパ全体が戦場になったことだったが、この場合考えるべきは第一次世界大戦を行った立憲君主制の国家の内、君主の権限が強かったドイツや帝政ロシアでは革命が起き、君主の権限がほぼ無いに等しかったイギリスは国内の意見をまとめきれず、フランスと共にドイツに莫大な賠償金を課したことによってナチスの台頭の原因を作ったということだ。
つまり両方とも国内政治が上手くいかなかったということである。
もちろん結果論だし、ヨーロッパ全土が疲弊した上に共和制のフランスだって上手くいかなかったじゃないかということも言えると思うが、ここでふと思うのは、イギリスの君主の権威がもう少し強かったらどうだったかということだ。
多くの植民地を持ち、直接の戦場にならなかったイギリスがもし外交を含めた政治を臨機応変に動かせていた場合、イギリスの覇権はもう少し続いたのではと思うのだ。
そして、ヴィクテンはそのときのイギリスにとても似ている。
であれば、いつか来る大規模な戦争に備えた政治体制を作るのは得策だろう。
ただしそこには絶対王政に近づけすぎると革命が起きるというリスクを避けなければいけないという条件も付いているが。
大事なのは、自分たちも国政に参加していると思わせるということだ。
しかし、議会政治はそれを思わせてくれる可能性も持ちつつ、逆に自分たちが参加できていないと思わせてしまうという可能性も持ち合わせている。
汚職、政治を行う者にとって都合の良い政策ばかりが採用されるといったことはまさにその参加できていないと思わせてしまう要因だ。
だが、立憲君主制はこの心配を排除させられる可能性がある。
「議会に一つの政策に関わる法案を複数立案させて、君主が議会の討論を基にどの政策を採用するか決めるというやり方はかなり信頼を得られると思う」
よくある議会政治の限界は与党がそのまま政策を押し切ってしまうということで発生する問題だ。
逆に野党がひたすら反対することで決議を遅らせ、議会の期日をやり過ごして廃案にさせるなんてことで起こる問題もある。
つまり大抵の問題が起こるのは、政策の決定の部分なのだ。
「君主は、魔法以外で中立な政治判断を行える者としての権威を得て、議会も君主に一方的に有利な法を決められなくて済むという安心感を得ることができるのはかなり良いことだと思うんだけど」
君主であれば、政策の立案にあたって利権の問題はほとんど中立の立場に立てるし、仮に帝室予算など利権が絡むものであっても、極端な政策を議会は立案しないというほど良いバランス感を保つことができる。
かなり理想的な政治が行えるのではないかと思う。
期待を持った目でジェフリーを見る。
「ほう?」
はたして、ジェフリーは少しにやけてそう呟くのみだった。
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