第13話 愛人生活の終わり

 宴があって数日後。ヘルミーネ様がお帰りになることになった。お別れの宴が開かれることになり、私はブレンディアス様と一緒に出席した。今度はブレンディアス様の厳命で髪は上げて、大人っぽい装いをすることになった。身体のラインが出るドレスで、宝飾品も豪奢だがシックな物を使う。


 二人で王宮に入ると、どこと無くいつもと雰囲気が違う気がした。周囲の人たちが私たちを見る目が少し緊張しているような感じがする。なんだろう?私が首を傾げていると侍女長がそっと私に耳打ちした。


「殿下が『ヘルミーネではなくカムライールを妃にする』と公式に発表なさったのですよ」


 何ですって?何時の間に。私が思わずブレンディアス様を見上げると、彼は涼しい顔をして言った。


「君も了承したではないか」


「それはそうですが・・・」


 何もヘルミーネ様がまだいらっしゃる内に発表しなくても。


「ヘルミーネとの縁談を断るには理由が必要だったし、君を妃にすると発表するタイミングとしても良かったのだ。父母の了承も得て公式に発表したからにはもう覆らない」


 つまり私が王太子妃になることはもう確定したということですか。公的な愛人というだけで荷が重かったのに、王妃だなんて。私は恐れ慄いたのだが、ブレンディアス様は笑って言った。


「愛人と大した違いはないよ。今までも私は君を妻として扱ってきていたからね。少し人前に出る事が多くなって、王族として謁見の時は階の上に居る事になって、パレードなどで国民の前で手を振らなきゃならなくなるだけだ」


 それが大した違いではないと言い切れるブレンディアス様はやはり生粋の王族なのですね。おそらく同じく王族のヘルミーネ様なら何という事も無いのだろう。


 この間と同じように謁見室でヘルミーネ様は国王様と王妃様とブレンディアス様にお別れの挨拶をした。その態度は堂々としていて、私はこれからはあんな風にならなければならないのかと思って少し凹んだ。


 宴の間の控え室に向かう。今回は最初から大控え室へと向かった。ブレンディアス様はヘルミーネ様をエスコートしなければならないからだ。正式に結婚すればこのような場合でも妃の方が優先されることになるらしい。


 控え室で知り合いと談笑していると、ブレンディアス様がやって来た。前回のように慌てた様子も無くゆったりと歩いてやってきて、座っている私の前に跪いて私の手を取った。


「すぐ迎えに行くから他の男に誘惑されないで待っているのだよ?私のかわいいカムライール」


 そして私の手の甲にキスをして去って行かれた。芝居掛かった態度で、実際貴族達に仲睦まじさを見せつけるための芝居なのだろう。ヘルミーネ様との縁談を断って私を妃にするためにブレンディアス様が色々と配慮している事が分かる。


 これは後から知った事だがヘルミーネ様との縁談を断るのはかなり大変だったらしい。ヘルミーネ様のご意向もそうだが、国内の貴族にもヘルミーネ様との縁談を推す者も本当に多くて、ブレンディアス様と国王様は難しい対応を迫られたのだそうだ。


 ブレンディアス様が兎に角、私と以外は結婚しないと頑張ったことと、やはりイーデルシアの存在が最終的には大きかったようだ。歴史上、王妃に子供が出来ずに愛人の子を養子にすると、その子が王太子なり王様になった時にやはり王妃様と実の母の一族で揉める事が多いらしい。


 私は平民だが私の父母が貴族復帰してから頑張ってお金をばらまいたおかげで、貴族内で派閥が形成され始めているらしく、その派閥は私が王太子妃になることを歓迎しているらしい。そうなるとヘルミーネ様がお妃になると派閥の対立が起こることは確定で、イーデルシアの後継問題が絡むとより面倒になる。それを防ぐには私を妃にした方が良い。


 他国の王族であるヘルミーネ様を妃にするデメリットの一つに、フロルン王国が我が国の内政に干渉する口実になるというのがあるが、派閥対立があればよりその危険性が高くなる。


 そういう事を加味して色々国王様の側近や有力な貴族の方々で話し合われた結果、ヘルミーネ様との縁談をお断りする事と、私が妃になることが認められたのだという。


 父母曰く、かなり前からブレンディアス様から私を妃にすると言われていたらしく、そのためには私に味方する貴族の派閥が必要だと考えてお金をばら撒いていたらしい。道理で私の親らしくない金遣いだとは思っていたのだが。


 というか、そんなに前からブレンディアス様や父母が私を妃にすべく動いていたなど何にも知らなかった。いや、言われたら「とんでもない!」と断っただろうが。


 兎に角ブレンディアス様と父母の暗躍のおかげでかなり以前から私が妃になる事は国王様公認で内定していたので、ヘルミーネ様との縁談が再燃してもどうにか覆らなかったというわけだった。


 夜会ではブレンディアス様とヘルミーネ様は踊ったがワルツではなく離れて手先だけを触れる儀礼的な踊りしかぜず、前回とは明確な差を出していた、その代わりに私と踊る時には時折キスまで交えて過剰なまでに仲良しを演出した。流石に恥ずかしい。


 国王様を交えての談笑も非常に堅苦しい感じで、ヘルミーネ様が特にブレンディアス様と話したがるそぶりも見せなかった。


 夜会もそろそろ終わりかな?というタイミングで、若い貴族に囲まれてお話に花を咲かせていたヘルミーネ様が、ツイっと立ち上がり私の方に優雅な足取りで近づいて来た。


「ねぇ、カムライール様、少し二人でお話をしませんか?」


 侍女長とコルメリアが緊張も露わに私の前に出てヘルミーネ様の視線から私を隠したが、私は二人を制した。


「喜んで。ヘルミーネ様」


 ブレンディアス様は止めたそうだったが、私は微笑んで彼の動きも制した。


 私たちはホール横の談話室に入った。窓も無い、ごく狭い談話室で向かい合ってソファーに座る。


 私をピッタリと守るように侍女長とコルメリアが付き、護衛騎士が三人もその周囲を固めている。ヘルミーネ様も侍女二人と護衛騎士が一人が厳しい顔をして守っている。しかし私たちはそんな事には気が付いていないかのように微笑んで向かい合い、お茶を口にした。


「一度、貴方と話をしてみたく思っておりましたのよ。カムライール様」


「名誉な事でございます」


 私はニッコリと微笑んだ。


「私は明日帰国しますから、これが最後の機会になるでしょう。あまり時間もありません。ですから前置きは無しで貴方に伺いたいのです。貴方は本当にブレンディアスの妃になるつもりなのですか?」


「はい」


 私は即答した。その事でヘルミーネ様は意表を突かれたようだった。思わず微笑みを消して目を丸くしている。


「・・・王の妃になるというのは簡単な事ではございませんよ?貴方は知らないでしょうが、それはそれは妬み嫉み、悪意が降り掛かる地位なのです。それでも笑って人前に出て毅然とした態度を見せなければなりません」


「そうなのですね」


「ええ。王女として妃である母を間近で見ていた私には分かります。生半可な覚悟で出来る事ではありませんよ?」


 ヘルミーネ様の表情は微笑みながらも真剣だった。王妃の困難さは嘘では無いのだろう。


「失礼ながら平民育ちの貴方にこなせる地位だとは思えません。お止めなさい」


 ヘルミーネ様が言い切ると私の横でコルメリアが身じろぎするのが感じられた。私は手を伸ばしてコルメリアの手に触れる。


「・・・カムライール様?」


「大丈夫です。コルメリア」


 私のために怒ってくれる事は嬉しいが、隣国の王女を怒鳴りつけでもしたらコルメリアに罰が下ってしまう。


「つまり、ヘルミーネ様にお妃の座を譲れとおっしゃるのですか?」


「そうです。私がブレンディアスの妃になれば貴方の事は最大限尊重します。お子の事も養子として取り上げる事も致しません。外向きのことは全て私が引き受けます。貴方は内からブレンディアスを支えなさい。それが一番です」


 なるほど。確かに私の負担や国の事、ブレンディアス様の事を考えるならそれが最善なのかもしれない。というか、先日までは私もそう思っていた。しかし、もうその選択肢は取れない。


「お断りいたします」


「何故ですか?」


「私が嫌だからです」


 私がキッパリと言い切ると、ヘルミーネ様は面白そうに目を細めた。


「貴方の我がままで王国やブレンディアスに迷惑を掛けるのですか?」


「そうです」


 そう。私の我がままだ。ブレンディアス様の何一つも他に渡したく無いという我がまま。私が心から欲しいと思った唯一のモノを手に入れるには、私がお妃になるしかない。そのためにはどんな苦労も甘受するし、他に盛大な迷惑を掛けることも辞さない。


「貴方がそんなに物分かりが悪い方だとは思わなかったわ。王妃のことを何もわかっていないくせに」


「そうですね。ですが、私はヘルミーネ様よりも一つだけ王妃について分かっていることがあるのですよ」


 ヘルミーネ様が本気で怒ったように目付を鋭くした。平民風情が何を言うかと思ったのだろう。


「何を知っているというの?」


 私は微笑んで言った。


「私は既にブレンディアス様の次の王、イーデルシアの母です。私はあの子を産んだ時に、王統を継ぐ事の重みを感じました。子を国王の重責に送り出しておきながら、私が王妃の重責から逃げるわけにはまいりません。私は次期王の母として王妃になり、息子を国王の地位に導きます」


 ヘルミーネ様が息を呑むのが分かった。そう。私は王女にも王妃にはなった事は無いが、王の母にはもうなったのだ。王族になることの重みはもう十分に知っている。


 しばらく私達は向かい合って睨むように視線を合わせた。しかしやがてヘルミーネ様はふっと表情を緩め、私はふふっと笑った。


「流石にブレンディアスが惚れるだけの事はあるようね。あの朴念仁の女嫌いをどうやって落としたのか後学のために伺いたいわ」


「ブレンディアス様は別に女心が分からない方では無いと思いますけど」


「嘘よ。この私が十年以上もモーションを掛け続けてもついに一度も色気のある反応が無かったのよ?何かあるでしょ?」


 ヘルミーネ様と私は笑い合った。


「私はね、カムライール様、帰国したらトールズ王国の王子のところに嫁入りが決まっているの」


 トールズ王国といえば我が国からはフロルン王国を挟んだ反対側にある小国だ。


「三つ年下でね。悪くはない相手よ。でも私はどうしてもブレンディアスと結婚したくて、父に無理を言ってここに来たの『これで断られたら諦めるから』って」


 私は胸を突かれるような思いがした。ヘルミーネ様の、これは本音だろう。この人は本当にブレンディアス様が好きで、幼少の頃より本当に愛していて、私が妃に内定している事もブレンディアス様が私を妃にしたがっている事も承知の上で、一縷の望みを賭けてこの来訪に踏み切ったのだ。


 私はブレンディアス様と出会う前は恋愛の経験は無く、誰かに恋焦がれてその恋が叶わなかった経験も無い。だが、私はブレンディアス様を愛して、その愛が失われるかも知れないという恐怖は知っている。だからヘルミーネ様が今どれほどの喪失感を覚えているかは分かる。


「本当に好きだったのよ。初めて出会った時から。あの時のブレンディアスは本当に天使みたいだったのよ?」


 それからヘルミーネ様はぽつぽつとブレンディアス様との思い出話をして下さった。私はそれを黙って聞いていた。おそらく、他に嫁入りする事になるヘルミーネ様はこうしてブレンディアス様の思い出を話すことは許されなくなるのだろうと、私にも分かった。


「ブレンディアスの妻になるためなら厳しい教育にも耐えられたわ。でもね。私が人から褒められる淑女になればなるほどブレンディアスの態度は冷たくなった。貴方を見れば分かるわ。典型的な淑女はブレンディアスの趣味じゃなかったのね」


 そうですね。私は全然淑女じゃないですもの。ブレンディアス様が私を見初めたのは一生懸命お部屋の掃除に励んでいるところだったし。


「それでも、父が何かとエイマー王国にちょっかいを出して関係が悪化しなければ、とっくに結婚している筈だったのよ。まぁ、あの人は愛してくれなかったでしょうけど」


「ブレンディアス様は誠実な方ですから、結婚したら誠実に愛してくださったと思いますよ」


「そうかも知れないわね」


 ヘルミーネ様はふーっと長いため息を吐いた。それで何か自分の中に残ったモノを吐き出したようだった。


「最後に聞いていい?カムライール様」


「何でしょう」


「この間、私とブレンディアスが夜通し話をした時、少しは私とブレンディアスが寝たのでは無いかと疑いまして?」


 私は正直に答えた。


「疑いました」


「そう疑わせて貴方を疑心暗鬼にさせて、二人の関係を裂こうと思ったのですよ。だから必死に話を繋いでブレンディアスを帰さなかったのに」


 私は微笑んで言った。


「私はブレンディアス様が私の所に帰って来てくださると信じていますから」


 ヘルミーネ様の表情に諦観が浮かび、遠い所を見るような目をして、彼女は呟くように言った。


「私も、ブレンディアスは結局私と結婚する事になると、信じていたのですよ」



 ヘルミーネ様は帰国され、いつも通りの日常が戻ってきた。


 ただし、王妃になる事が公式に発表された私の身辺は慌ただしくなった。結婚式の準備が始まったからだ。


 結婚式は半年後。今から日程を決めて各国に案内を出し、儀式と宴の準備を始めなければならない。私は結婚衣装を作る打ち合わせや。儀式の作法や手順の勉強を始めた。儀式関係は当たり前だが王妃様がお詳しい。私は頻繁に内宮に上がり、王妃様から色々とお話を伺って勉強するようになった。


 王妃様はすっかり私を次期王妃として扱い、今までのどこまでもお優しかった態度から、少し厳しい所も見せるようになった。ヘルミーネ様の言った通り王妃というのは厳しい地位であり職務であるので、甘い態度は命取りになるとおっしゃるのだ。特に私が優柔不断な態度や弱気な事を言うと厳しく叱責なさった。


 もっとも、厳しいのは教育の場面だけで、普通にお茶している時などは以前と同じように、いや、以前よりもリラックスしてお優しく接して下さった。イーデルシアを連れて参内した時には本当に嬉しそうなお婆ちゃん(というには若くて美し過ぎるが)と化していた。


 ある日、私は王妃様とお茶をしていて、ヘルミーネ様のお話になった。伺った通り、ヘルミーネ様は帰国してすぐにトールズ王国への嫁入りが発表されたそうだ。


「あの子も、悪い子では無かったけど・・・。相手が貴方だったのはつくづく運が悪かったわね」


 王妃様は苦笑してそうおっしゃった。私は首を傾げた。私がヘルミーネ様に優っている部分など無いと思うけど。私が不思議に思っていると、王妃様はちょっと悪戯でもするかのような表情で私に言った。


「そうね。私には娘がいないし、貴方に教えて上げても良いでしょう。貴方も娘が生まれたら教えて上げなさい」


 そして少し声を顰めておっしゃった。もっとも、このお部屋には私と王妃様以外にも侍女が数人いるのだから内緒話も何も無いのだけど。


「男はね、愛されるより愛したいのよ」


 私は意味が分からなくて目を瞬いた。その様子が面白かったのか王妃様はクククっと笑って更にこう続けた。


「特に私の夫や、ブレンディアスのように愛される事に慣れている男はね、愛されるよりも愛し甲斐のある女を愛したいのよ」


 これは後で知ったが王妃様が国王様と結婚する時もブレンディアス様と同等の求婚合戦が繰り広げられたらしい。その隣国の王女を含めて三桁に達しようかというお妃候補の中から勝ち抜いてお妃の座を射止めたのが当時侯爵家の次女だった王妃様なのだそうだ。


 けして最有力候補では無かった王妃様だが、国王様が熱烈に気に入ってしまい、国内派閥のすったもんだも熱愛の力で乗り越えて結婚し、愛人も持たずに現在までおしどり夫婦なのだという。なんというか、血は争えないなぁ。


 その求婚戦争を勝ち抜いた秘訣がつまり今のお言葉だということらしい。


「要するに、ブレンディアスみたいな男は『愛している』という言葉は聞き飽きているのよ。だからそんな事言っても届きはしないの。大事なのはこちらから愛を訴えるのではなく、あちらから『愛している』と言わせるように仕向けることよ」


「それは・・・、すごく難しいのでは?」


「あら、でも、カムライールはブレンディアスに告白していないのに愛されたでしょう?貴方もなかなかの魔性の女だと思うわよ?」


 それは確かにその通りだが、私は別に何もしていない。私はよく分からずに愛人になっていつの間にか愛されてしまった、という感想しかない。愛人になった当初はブレンディアス様に特に愛は持っていなかったし、更にぶっちゃけていえば、女好きの王子の気まぐれに付き合わされているくらいに思っていた。ブレンディアス様の事が好きになったと自覚したのは愛人になって随分経ってからだった。


「男は愛したら愛した甲斐のある女を愛したがるのよ。最初から自分にベタ惚れの女なんて愛し甲斐が無くて嫌だなんて言う面倒な生き物なのよ」


 故に、恋愛テクニックとすれば相手から愛されたら愛された分だけを返す。すると男は嬉しいからもっと愛してくれる。そうしたらまた愛を返してあげる。そういうギブアンドテイクがうまく成立するように誘導すれば、男は愛し甲斐を覚え充足感を得て、その女性無しではいられなくなるのだそうだ。


「貴方はまぁ、無自覚だったのでしょうけど、貴方が適度に愛を返してくれるから、ブレンディアスがどんどん貴方を愛する事の深みにはまって行くのはよく分かったわ。あれでは貴方から離れられないわね。ほんと、愛をぶつけるしか知らないヘルミーネは相手が悪かったのよ」


 自覚して国王様の愛情を翻弄して王妃の座を手に入れたのだとしたら王妃様こそ魔性の女の名に相応しい気がしますが。もっとも、どこまで本当か分からないし、王妃様が国王様をむちゃくちゃ愛しているのは見れば分かるから、話半分に聞いておきましょうかね。


 でも、もしも娘が生まれて競争率の高い相手に恋をしていたなら、この王妃様のテクニックを教えてあげようと私は思ったのだった。



 半年後に私達は結婚式をあげる予定だったのだが、それは延期を余儀なくされた。私が妊娠してしまったからである。


 結婚式予定の日はまだまだ妊娠初期だったので出来なくは無いという意見もあったのだが、イーデルシアを産んだ時のつわりのキツさからして無理だろうと判断され、出産後に延期される事になった。


 それにしても子供が出来にくいと思われていたブレンディアス様に二人目のお子が出来るというのは誰にとっても想定外だった。もちろん私にも。私はとりあえず結婚式のことは放り出して出産に専念した。


 幸い、二人目の子供はイーデルシアの時ほどつわりがキツくなく、最初からガチョウの卵は食べられたので激痩せに苦しむ事もなく、非常に順調だった。


 それでもブレンディアス様は前回のトラウマから出産まで物凄く心配してくれた。私も前回の出産では意識を失った事が出血多量の原因だったとの事だったから、絶対に意識は失うまいと決意して出産に臨んだ。


 お産は前回より少し短い時間で済み、痛いことは痛かったが二回目だったので何とか耐え切り意識を保つ事が出来た。出血も普通で済み、特に問題は起こらなかったようで一安心だ。生まれた子をすぐに抱く事も出来た。


 生まれたのは女の子で名前は今度はちゃんとブレンディアス様が考えてエルセリュアとなった。愛称はエル。綺麗な金髪と青い瞳で顔立ちが私に似ている。


 そういう出産の大騒ぎを終え、私の産後の状態を見て、改めて仕切り直して半年後、私とブレンディアス様の結婚式は執り行われた。


 正直、純潔を表す純白の花嫁衣装は、二児の母には相応しくないのでは?と思ったのだが、そんな事は些細な事だとブレンディア様に押し切られた。


 純白のスーツを纏ったブレンディアス様は金髪も含めてまさに輝いていて、頭がくらくらするくらい素敵だった。すごいわ私の旦那様。私は随分衣装も派手にしたのだけどそれでも全然負けているわね。それでも精一杯胸を張って優雅に見えるように歩く。


「綺麗だよ。カムライール」


 麗しく微笑むブレンディアス様に手を差し出し、結婚式は始まった。


 王宮付属の教会には他国からも招いた来賓が数百人集まっていた。それが厳かに頭を下げる中を私はブレンディアス様に手を引かれて歩いた。ひー!足が震えるが。ここでひっくり返りでもしたら大陸中の噂になってしまう。懸命に足を動かす、


 祭壇の階を上がり、神父様の立つ神像の前に進み出る、そこで私達は跪いた。


「大いなる神の御名においてこの結婚は祝福される」


 神父様がゆっくりと言う。


「愛し合う二人の前途に神のご加護あれ。病める時も健やかなる時も、幸せな時も不幸に見舞われた時も。いついかなる時にも手を携え、共に歩み進み、神の元に召されるその時まで共に生きると誓いますか?」


「「誓います」」


 私とブレンディアス様は声を揃えて誓った。


「その誓いがある限り神は貴方たちをお守り下さるでしょう」


 神父様が手に持ったベルをカーンカーンカーンと三回鳴らすと、来賓の人々が一斉に立ち上がり拍手をする、口々に「おめでとう!」と祝福の言葉が投げかけられた。私とブレンディアス様は立ち上がり、歓声に手を上げて応えた。


 この時より私は正式にブレンディアス様の妃となり、王太子妃カムライールになった。


 ブレンディアス様は私を抱き寄せ、唇にキスをする。歓声が大きくなった。


「やっと君と結婚出来た。こんなに幸せな事はない。君はどうだ?カムライール」


 私は無言で伸び上がってブレンディアス様の首にしがみつくと、顔を精一杯伸ばしてブレンディアス様の唇にキスをした。


「私はずっと幸せです、今ももちろん幸せです。多分、これからもずっと」


 ブレンディアス様は私をグッと抱きしめるとフワッと横抱きにした。


「それじゃあ、私も負けずに幸せになろうかな」


「もちろんです。一緒に。もちろんシアとエルも一緒に幸せになるんですよ」


 私はブレンディアス様にお姫様抱っこにされた状態でブレンディアス様の頬にキスをした。ブレンディアス様もお返しとばかりに私の額にキスをしながら笑う。


 ブレンディアス様は私を抱き上げたまま来賓の祝福に応えながら、パレードの馬車へと向かって歩いて行った。



 国民に向けてのパレードをしたり王宮のベランダから群衆に手を振ったり、大広間での披露宴がなんと三晩連続で行われたり、いらっしゃった来賓の方々と一人一人面会したりと大忙しの結婚式後の行事も終え、挙句に王国中を顔見せ兼新婚旅行に行ったりして、ようやく静かな生活が戻ってくるまでに二ヶ月以上掛かった。


 私の部屋はそもそも王太子妃用のお部屋だったので引っ越しの必要は無かった。ブレンディアス様が即位される時には王宮に引っ越すのだろうけど。


 もう慣れ親しんだそのお部屋で私はまったりとお茶を飲んでいた。対面には侍女長とコルメリアが座っている。この二人には言葉にし切れないくらいお世話になっているので、私は使用人ではなく姉二人だと思っていた。


 ただ、侍女長には家庭もあるし、コルメリアも王太子妃の専属侍女として評価が上がり、王妃様の紹介で良い結婚の話も来ているらしい。いつまでいてもらえるか分からないのだ。


 だから私はこの機会に二人にお礼を言う事にした。


「ハーマウェイ、コルメリア。ありがとう。何もかも二人のおかげ。私が王太子妃になれたのも、二人の子供に恵まれたのも。二人がいてくれなければ私は何も出来なかったわ。本当にありがとう」


 私が頭を下げるとハーマウェイが涙を拭った。


「お妃様を王太子殿下にご紹介出来た事は私の一生の誇りになりましょう。あの時はまさかお二人がこの様になるとは思っていませんでしたけど」


「ふふ、どういうつもりで私をブレンディアス様の寝室に送り込んだのですか?ブレンディアス様の命令では無かったのですよね?」


「殿下がカムライール様に興味をお持ちだったのは本当ですよ。でもあの頃は殿下が女性に興味をお持ちになる事自体が大変稀な事だったのです。殿下にまともな女性観を持ってもらうために、少しでも興味をお持ちになったカムライール様に近付けたのですよ」


 それでブレンディアス様がずいぶんおっかなびっくりだったのね。


「でも、殿下は最初からカムライール様にはお優しかったですわ。私との時とは大違いでした。何しろ私は終わったらベッドを追い出されましたからね」


 コルメリアが冗談めかして言ったが、これは半ば本音だろう。実はブレンディアス様は私との結婚後、かつて関係を結んだ令嬢の一人一人の所を回って謝罪をしたのだという。誠心誠意頭を下げ、要求されれば金銭も支払い、激昂した女性の殴打も甘んじて受けたという。


 もちろんコルメリアにも謝罪して、更に私への忠誠と献身への感謝もしたのだとか。一応コルメリアも許してはくれたらしい。それでも思い出せば腹は立つのだろう。


「私は、殿下とシタ後すぐに寝てしまいましたから。そうしたら、気が付いたら殿下が抱き着いて寝ていたのですよ」


「そうなのですか?私は殿下にもう一回シテ欲しいとせがんだのです」


「あの頃の殿下は同じ女性は二度抱きませんでしたし、女性にしつこくされるのが事の他お嫌いでしたからね」


「それを知っていればねぇ」


 私達はクスクスと笑った。


「でも、やっぱりカムライール様があの殿下のお妃になってくれて良かったと皆思っていますよ。しつこく求婚していた貴族令嬢もみんな言っています。実は」


「そうなのですか?」


 それは意外な事を聞いた。私はてっきりブレンディアス様へ求婚していた令嬢からは恨まれていると思っていたのに。


「ええ。殿下がカムライール様にベタベタと粘着質にくっついて、しつこく執着しているのを見て、皆『あんな愛され方はうざったくて耐えられない。よくカムライール様は我慢している』と言っています」


 私はびっくりした。


「え?そうなのですか?私は他の男性は知りませんが、男性は皆ああいう風に女性を愛するものなのではないのですか?」


「普通の男性はあんなに人前でベタベタと妻に引っ付きませんし、妻が他の男性に近づくのを許さないとか踊るのを許さないとか、出来るだけ人前に出したくないとか公言したりしませんよ。恋人か婚約中なら兎も角。カムライール様だって聞いた事ないでしょう?」


 コルメリアの言葉に私は絶句する。そういえば、そんな話聞いた事無いわ。それに確かに夜会で妻からほとんど離れなかったり、事ある毎に抱き締めたりキスをしたりする男性なんていないかも。


 なんて事だ。私はてっきり普通だと思っていたし、ベタベタされて愛されて幸せ、とか思っていたから気が付かなかったけど、実は私達夫婦の仲良し具合は普通じゃなかったらしい。


 私は愕然としたが、ハーマウェイは苦笑して言った。


「まぁ、夫婦の愛情は人それぞれですよ。お二人が幸せならそれで良いではありませんか。周囲がドン引きしてくれるくらい仲が良いおかげで、殿下の女癖についての噂は無くなったのですから」


 ドン引きされていたんですか!私は頭を抱えてしまったが。二人は「今更ですよ」と苦笑するだけだった。


「ずいぶん面白そうな話をしているではないか」


 意外な声に私は驚いて顔を上げた。ブレンディアス様が麗しいお顔になんだか青筋を浮かべながら部屋の入り口でこちらを睨んでいた。


「で、殿下!いつの間に!」


 ハーマウェイとコルメリアが流石に青い顔をして飛び上がった。ブレンディアス様がいないのを良い事に好き放題言っていたのだから無理もない。どこから聞かれたかは分からないけど。


 と、それは兎も角、ブレンディアス様のお怒りから二人を守らねば。私は立ち上がり、慌ててブレンディアス様の元へ向かった。


「おかえりなさいませ。ブレンディアス様。今日はお早いのですね」


「視察の予定が急遽中止になったのだ。驚かそうと思ってそっと帰ってきてみれば。一体何の話なのだ。周囲が何にドン引きしていると?」


 あ、良かった。最後のところしか聞いていないみたい。私はブレンディアス様を落ち着かせるように彼の胸に手を当てながら答えた。


「私たちが仲が良過ぎて皆が引いているそうですよ。ブレンディアス様」


「なんだそれは。それで?君は嫌なのか?カムライール」


 ブレンディアス様は私の手を掴んで引き寄せ、腰に手を回して抱き寄せる。


「嫌なわけありませんよ。大歓迎です。仲良し大歓迎」


「そうだろう?何の問題がある?」


「ありませんね」


 私はちゅっとブレンディアス様の頬にキスをする。そして横目でハーマウェイとコルメリアに逃げるように伝えた。


 だが、その必要は無かった。


「じゃぁ、仲良くしようかカムライール。ハーマウェイ、コルメリア。カーテンを閉めろ。夕食は後で良い」


 ブレンディアス様は私をヒョイと抱き上げると、ベッドに向かって歩き始める。ハーマウェイとコルメリアが電光石火の速さでカーテンを閉め、ベッドを整える。


「・・・まだ日は高いですよ?」


「何か問題でも?」


「ありませんね」


 ベッドにそっと横たえられる。ブレンディアス様は上着だけ脱ぐと、私の上にのし掛かり。首筋に強めのキスをした。完全にやる気だわ。これ。仕方が無い。お怒りを沈めるために頑張りましょうか。仕方無いと言いながら頬がニマニマと緩んでしまうのはどうした事かしら。私は両手でブレンディアス様の頭を抱きしめた。


 ハーマウェイたちが何食わぬ顔をして扉の前で頭を下げ、扉を閉めた。


「おやすみなさいませ。殿下。お妃様」

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