第5話 私の小さな愛人について(下) 王太子視点

 カムライールは贅沢に対する満足度が物凄く低かった。どういう事かと言うと、お腹いっぱい食べられれば幸せ。ちゃんと寝られれば幸せ。ドレスが着られたら大満足。そんな感じで、元商人のお嬢様の癖に贅沢に対する欲求がまるで無かったのである。贅沢だけでなく愛情的にもそうで、私が週に一度しか来ない頃から私の事を物凄く歓迎してくれるのだが、私を束縛したりもっと来るように要求したりはしなかったのだ。


 毎日を楽しく過ごしている事は本人の様子からも明らかで、私としてはこんな不自由な生活をさせて申し訳ないくらいに思っているのに、そんな事は全く感じさせないのである。


 人間、人生を楽しんでいる人の側にいるのが一番癒される。通うたびに日々の生活を楽しく話してくれるカムライールの側にいるのはいつの間にか仕事で疲れている私にとって何よりの癒しになっていた。気が付けば彼女といるだけで、彼女の事を考えるだけで落ち着き、イライラする事も無くなり、不眠症はどこかへ消え去った。


 私は数十人の令嬢を抱き、自分は経験豊富なつもりでいたが、実は抱いた令嬢は未経験か経験の浅い者たちばかりだった。そのため、カムライールのところに通い、彼女と何回も房事を繰り返す事で、私は初めて女性を悦ばせる喜びを知ったのだった。彼女が切ない声で私の事を呼び、小さな身体を震わせて達する度に私は満足感を得た。愛しさと一体感はそれまでに経験した房事とは比べものにならず、私は女性を抱く喜びを初めて理解した。


 彼女が楽しそうなら、喜んでいれば、それが私の幸せになるようになった。私にとってそれは初めての経験で、信じられないほどの満足感を私に齎した。私は次第にカムライールに依存し始めていた。通いは3日に一度では我慢出来ず、2日に一度に増えた。毎日でも通いたかったが、この時私はまだ、カムライールは愛人であって妻では無いし、あまり彼女の所に通い詰めるのはどうなのか、などと思っていたのである。


 そんなある時、ハーマウェイが私に言った。


「カムライール様が、このペースでは身体が保たないと零しておりましたよ。無理をさせすぎでは無いですか?」


 私は言われてちょっとばつが悪い気分がした。最近はあまりにカムライールが愛し過ぎて、彼女が何度も達するまで追い詰めてしまい、彼女は終わった頃にはクタクタになっていたからだ。確かに調子に乗りすぎたかもしれない。


 私は残念な気分を覚えながらもハーマウェイに言った。


「分かった。通うのを3日に一度にしよう」


「別に通うペースは落とさなくても、房事のペースだけ落とせば良いのではありませんか?」


 私は驚いた。愛人の所に通って彼女を抱かないなど、失礼と取られないのだろうか。


「そんな事をして良いのか?」


「世の中の夫婦は毎夜房事に励んでいるわけではございませんよ。普通に横に寝るだけならカムライール様の負担にはなりますまい」


「愛人は妻とは違うのだろう?」


「同じでございますよ。特に今はカムライール様しかご愛人様がいらっしゃらないですし、お妃さまもいらっしゃらないのです。このお屋敷の事実上の奥様はカムライール様ですから」


 カムライールを妻扱いしてもよいのか。私はパーッと視界が晴れるような気分がした。ハーマウェイ曰わく、カムライールを単なる愛人では無く、爵位を与えるご愛人様として扱うならそれは妻の一人と言って良いのだという。


 その日カムライールに確認すると、房事は別に必須では無く、横に寝るだけでも良いとの事だった。それなら毎日彼女の元に通っても、いや、帰っても彼女に負担を掛ける事は無いだろう。


 私はハーマウェイにこれからは毎日カムライールの所に帰ると告げ、日用品は彼女の部屋に置くようにさせた。ハーマウェイはなんだか物凄く喜んで了承した。


 カムライールは私の妻なのだ、と考えると私は物凄く楽になった。妻ならば誰憚る事無く思い切り愛しても何の問題も無い。私は彼女を愛称の「イール」と呼ぶことにし、事あるごとに抱きしめてキスをした。それだけで私は癒され、充足感を得た。カムライールが屋敷で待っているのだと思うと日々の生活には驚くほど張りが出て、仕事はどんどん片付いた。


 毎日私が帰るようになると、カムライールは直ぐに私のいる生活に馴染み、私の帰りを楽しみに待っていてくれるようになった。一度、視察に入ったせいで帰りが夜中になってしまった事があるのだが、それなのに彼女は目をしょぼしょぼさせながらも起きて待っていてくれた。私は次から遅くなる時は必ず連絡を入れて先に寝させるようにした。


 彼女は自分が私の為に出来る事は何か、と常に考えくれていて色々してくれた。彼女は外国の品物や情報に詳しく、疲れを抜く食材を買って料理させたり、目に優しい観葉植物を買って部屋に置いたり、良く寝られるようにと枕を変えたりしてくれた。私をベッドでマッサージしたり、目の疲れを取るためだと顔を蒸しタオルで覆ったりもした。礼を言うと彼女は「王太子様にして頂いている事に比べれば些細な事です」と笑うのだった。


 彼女の心遣いが嬉しく、私は何かを返したかったのだが、カムライールは兎に角物質的欲求に乏しく、何も欲しがらない。出掛ける事も求めず、庭園を軽く散歩するくらいで満足し、部屋の中で侍女とお茶をするだけで平然と一日を楽しく過ごすのだ。私が欲しい物を聞いても「十分です。満足です」としか言わない。食事は好きらしいが、贅沢な料理を出しても反応は薄い。侍女に聞くと、最近の一番の楽しみは私が帰って来る事だと言われた。遅くなるとあからさまにがっかりするし、早く帰った日は次の日一日機嫌が良いらしい。言われるまでもなく、私は最近は夜会があっても挨拶だけで終えて早々に引き上げ、カムライールとの時間を最優先にしていた。


 そんな幸せな生活を過ごして3ヶ月。ある日ハーマウェイが言った。


「そろそろカムライール様を御披露目しても良いのではありませんか?」


 御披露目?私は意味が掴め無かった。ハーマウェイが説明してくれる。


「国王陛下に頼んでカムライール様に爵位を与えてもらい、社交界に御披露目するのです。そうすれば彼女を社交の場にも伴えます」


 なる程。爵位を与えればカムライールは完全に私の公的な愛人、事実上の妻として王国に認められる。そうすれば私はどこへ行くにもカムライールを伴えるし、彼女も屋敷から出てお茶会などに出られるだろう。


 私は頷き。父に頼もう、と言おうとした。


 が、私はそこで考えた。


「ハーマウェイ。彼女を、カムライールを、妃にする訳にはいかないのか?」


 私には妃がいない。特に婚約者も居ない。私はカムライールの事が既に誰よりも大事だし、彼女以外を愛せる気もしない。そのカムライールを何も愛人にする事は無いではないか?


 彼女が妃になってくれれば、私は父のように妃である彼女だけを愛する自信がある。彼女も私を愛して、尽くしてくれるだろう。私の無理な願いを聞き入れてくれて、あれほど私に尽くしてくれて、私に女性の素晴らしさを教えてくれた彼女に報いるには、カムライールを王太子妃として国民から崇められる存在にするしかないと思う。


 私の言葉にハーマウェイは目を丸くして驚いた。


「・・・それ程、カムライール様を気に入ったのですか!?」


「ああ、私の妃は彼女以外に考えられない。彼女が相応しい」


 私が言うと、ハーマウェイは真剣な顔で考え込んだ。しかし、大変言い難そうに言った。


「難しゅうございます。カムライール様は血筋は悪く無いのですが、いかんせんお家が没落して貴族身分を返上しております。親が平民の状態では流石にカムライール様を王太子妃には出来ません」


「何とか出来ないのか?あれほど私に尽くしてくれる彼女を愛人に留めておきたく無い」


 ハーマウェイはう~んと考え込み、言った。


「やはりまず、カムライール様に爵位をいただき、その上で親にもカムライール様の親だからという事で先祖身分への復帰を認め、その状態で、そうですね。二年ほど経ってカムライール様への王太子様の寵愛が揺るぎないものと知れ渡ってから、王太子妃に格上げなさいませ。それなら貴族達からの反発は最小限になるでしょう」


 面倒な。しかし方法が無い訳では無さそうだ。二年ならすぐだし、私のカムライールへの寵愛が揺るぐ筈がない。


「一番良いのはカムライール様が殿下の御子を産む事ですが・・・」


 ハーマウェイもそれは難しいと分かっているのだろう。歯切れ悪く言った。確かにカムライールと私の子供が出来れば、誰も彼女を王太子妃にするのに文句は言うまいが。


 私は父王と面会を頼み、父にカムライールを公的な愛人とする事を告げ、彼女に爵位を与えてくれるよう頼んだ。


 父はあまり良い顔をしなかった。わざわざ母まで面会に現れたのは最初から二人して私を説教するつもりだったのだろう。


「愛人に熱を上げる前に妃を探すべきだろう。ブレンディアス」


「そうですよ。漁色が止んだのは良い傾向ですが、愛人を迎えるよりまず結婚をしなさい」


 まったくだ。私もそう思う。なので私は言った。


「その事ですが、父上母上。私は本当は彼女と結婚したいのです」


「何!?」


 父母はあからさまに驚愕の表情を見せた。王族ならではの鉄皮面を身に付けている二人がここまで明確な驚きを見せるのは本当に珍しい。


「ですが、彼女は血筋は良いのですが身分が低いのです。いきなりは妃に出来ません。なのでまず愛人として爵位を与え、時間を置いてそれから妃にするつもりです」


 父は声も出ない様子で目を丸くしている。母も口元を手で覆って硬直している。いくらなんでも驚き過ぎでは無いだろうか。


「・・・そなたが自分から結婚を言い出すとは・・・」


 父は呆然としたように言った。そこに驚いたのか。


「本当に、あなたが女性を愛せるなんて・・・」


 母上。それはあまりに酷い言い様ではありませんか?父母は暫く呆然としていたが、気を取り直すと聞いてきた。


「どんな女性なのだ?そなたを更正させたのは?」


 更正とは大袈裟なと思ったのは私だけだったようで、母も涙を浮かべて喜んでいる。


「是非一度会いたいわ。お披露目の前に是非連れて来なさい」


 それは無理だ。屋敷の外に公認で連れ出せるようにするために爵位が必要なのだから。私がそう言うと父上は少し不安そうな表情を見せたが、爵位については了承してくれた。


 心配になった父はハーマウェイを呼んだり自分で調べるなりしてカムライールの事を詳細に調査したようだ。三日ほど後、私は再び父母に呼び出された。私はカムライールを愛人に迎える事を反対されるかと思ったのだが、全く逆だった。父はほっとしたような表情で言った。


「そなたにしてはマシな判断だ。もっと酷い令嬢かと思っていた」


 ひどい言われようだ。

 

「確かに平民だが、五代前に王女が降嫁しているなら傍系王族だと言えなくも無い。調べさせたら遥か下の順位だが王位継承権すらある。この辺を強調すれば爵位を与えるのに反対は無いだろうし、彼女の領地を管理させるためという名目で親を貴族身分に戻す事は出来る」


母も嬉しそうに言った。


「ハーマウェイの話ですと、気性も性根も良いお嬢さんだというではありませんか。其方にしては上出来です」


 今更だが父母の私の評価はどういうことになっているのだろう。酷過ぎでは無いか。


「ではカムライールを愛人にして、将来的に妃にする事を御許し頂けるのですか?」


「ああ、問題無い。愛人にして数年経って、その存在が貴族界に馴染めば反対意見も無くなるだろう。それにはそなたが彼女を愛し続けるという事が前提になるぞ」


 それこそが大問題だという顔で父が言うが、そんなの全く問題無い。私にとってカムライールは既に私にとって必要不可欠な存在なのだ。


「出来れば、早く子供を作ってしまうが良い。そうすればお前たちの結婚に反対するものなどいなくなるだろう」


 やはり言われたか。しかしこればかりは望んでどうなるというものでも無いからな。


 父と母は単純にカムライールとの面会を楽しみにしているらしい。私はほっとして、次の日の朝食の時にカムライールに御披露目の事を言った。


 カムライールは目に見えて狼狽した。私の愛人になったのだから遅かれ早かれ社交の場に出るのは分かっていたと思ったのだがそうでも無かったらしい。しかし、彼女と過ごす中で分かった事なのだが、彼女は責任感が強く真面目な性質だ。いい加減な事はしたがらない。彼女は御披露目に備えるために慌ててダンスの教師を招き、作法を上級侍女に教わり復習し始めたらしい。


「王様と王妃様にご挨拶なんて荷が重いです」


 と零しながら私にまで王宮での振る舞い方を習い、何度も復習している。そこまでしなくても、と言うと、カムライールは言った。


「私が恥をかけば、それは王太子様のお恥になってしまいます」


「そのような事は気にしなくて良いのに」


「ダメです。王太子様にご迷惑をお掛けしたら私は私が許せません」


 愛人にするための爵位なら内々の授与式と定期的に開催されている夜会へ顔を出すだけで良かろうと思っていたものが「将来的に妃にするなら」と大謁見室での授与式と大広間の夜会での御披露目が決まり、カムライールにそれを告げると、彼女は私を涙目で睨んだ。私は彼女が何を案じているのか良く分かっていなかった。私の見る限り彼女の作法や振る舞いにおかしな所は無かったからだ。


 ちなみに私は父母の許可を得た時点でカムライールの両親を王宮の私の執務室に呼び出して、事情の説明と彼らの貴族復帰とカムライールに与える領地の管理の依頼をした。カムライールにそっくりなこげ茶の髪の40代の父親フェバラード・ルステンとカムライールと顔立ちと身長がよく似た赤毛髪の30代の母親コーラリア・ルステンは、まず有り得ない王太子の呼び出しに焦り、私の説明を聞いて驚愕し、娘の爵位授与と自分たちの貴族復帰に仰天した。彼らは破産したものの商売を再建しつつあり、調べさせた限りではまず堅実に商売を行い、財産もかなり戻しているらしい。その手腕があればローデレーヨ伯爵領の管理には問題あるまい。


 彼らは「とんでもない事だ!」と辞退を申し出たが、私が譲らないと諦めて、受け入れた。そして何度も何度も「カムライールをよろしくお願い致します」と頭を下げてきた。正式に結婚すれば彼らは私の義理の父母になる。私は彼らに「カムライールは絶対に幸せにするから」と誓った。



 当日、準備を終えて現れたカムライールは、何というか、フワフワヒラヒラしたピンク色の衣装を着て現れた。焦げ茶色の紙は結い上げ、幾つもの宝石を身に付けているその姿は格調高く、王宮に出るには相応しくはあるのだが・・・。


「子供のようでは無いか?」


 あまりにも可愛らしい。確かに彼女は背が低く、童顔気味なのでこういう可愛らしい格好は似合う。しかし、今回は私の愛人としてのお披露目だ。もう少し大人の女性を感じさせてくれるドレスにしてくれれば良かったのに。私がハーマウェイに言うと、ハーマウェイは苦笑して言った。


「カムライール様にはこちらの方がお似合いなのと、ご令嬢方の嫉妬を避ける為です」


 ?どういう事か?


「カムライール様は丁重なお方です。令嬢方に難癖を付けられた時にも丁重な態度をするに違いありません。子供が丁重な態度をしているのに居丈高な態度を取れば大人気無いと見做されますでしょう?」


 なる程。確かにこのように無邪気に可愛らしいカムライールに対して苛めるような態度で対すれば、その者の印象は良く無かろうが。


「そんなに上手く行くか?」


「何も対策しないよりはマシかと」


 ハーマウェイはカムライールが令嬢達に苛められると思っているようだ。私が側にいる限りそのような事は許さないが、居ない隙が無いとも限らないか。


 馬車の中でカムライールはガチガチに緊張していた。私は普通にしていれば良いと言ったのだが、カムライールは唇を震わせて言った。


「・・・私、王宮に立ち入るのも、謁見に望むのも、王様に会うのも、夜会に出るのも初めてなんです。初めて尽くしなんですよ?普通の意味すら分かりません」


 言われて初めて気が付いた。そういえば平民は普通、王宮には立ち入れ無いし、夜会にも出ない。カムライールは作法も所作も貴族と変わらないからつい平民である事を忘れてしまうのだが、平民なら緊張して当たり前ななのだろう。


 私はカムライールが父母や貴族達に受け入れられるかどうかばかり考えていたが、カムライールの方が貴族の世界に馴染めるかどうかは考えていなかったのである。彼女が違う世界で生きて来た事を真面目に考えて来なかったのだ。つまり彼女の身になって物事を考えていなかったという事だ。私はそれに気が付いて愕然とした。私は彼女の事を思いやっているつもりで、結局は自分の都合しか考えていなかったのではないか。


 カムライールは私の都合をしっかり考えてくれて、青い顔をしながらも王宮へと向かってくれている。それに比べて私はどうなのか。やはりどこか、自分は主人で彼女は愛人だという傲慢さがあったのではないか。


 王宮に到着し、大謁見室までカムライールをエスコートして歩く。彼女の手は震えており、表情も硬い。私は安心させたくて彼女の手を撫で、彼女のペースに合わせてゆっくり歩いた。途中、何人もの貴族が私達を見てヒソヒソ噂話をしているのが目についた。無理も無い事だが非礼な事で、不快ではある。だが、私が面と向かってそれを注意したり、不快を表すことは出来ない。私は笑顔を張り付けたまま歩いていた。


 すると、ポンポンと腕を叩かれた。見るとカムライールが苦笑したような表情で私を見上げている。


「なんだ?」


「私も緊張していますが、王太子様も緊張しているように見えますよ?」


 なんと。カムライールは自分も緊張に包まれて震えているような状況で私をちゃんと見ていたのだった。そして私のこわばりを解こうとしてくれている。


 私に欠けているものが何なのか私は痛切に思い知った。思いやりだ。常に相手の事を気に掛ける心持ちだ。相手の事を愛するのなら、彼女の立場に立って考え、常に思いやることが必要なのだ。私はこれまで自分が女性と上手く行かないのは相手が悪いのだと思っていたが、おそらくは私にも思いやりが足りなかったのだろう。見返りを全く求めずにひたすら私を思いやってくれるカムライールを相手に選んだからこそ気が付けたのだが、もしも私がこのままならカムライールも私に愛想を尽かすかもしれない。カムライールを失いたくないのなら、私は変わらなければならない。


 私はそんな気付きと恐怖心を抱きながらカムライールの手を引いて歩いた。


 大謁見室での爵位の授与は特に大きな問題も無かった。思った通りカムライールの作法は十分に貴族レベルで、態度も堂々としており、あまりに格好が可愛らしいので「子供なのか?」と首を傾げている貴族がいたくらいで滞りなく進んだ。父も母もカムライールの立派な態度に「まだ若いのにしっかりしている」と満足げだった。夜会での会話を楽しみにしていると言われ、私はホッとしてカムライールが待つ控室に急いだ。


 カムライールはソファーに仰向けになって伸びていた。私が驚いて傍らに跪いても元気無く笑うだけだ。私はまたしても彼女の身になっての思いやりが足りなかった事を思い知らされた。どんなにしっかりして見えても、生まれて初めての体験であれほど緊張して、見事にやり切ったのに平気な筈が無いでは無いか。私の前ではいつも元気なカムライールが座る事も出来ずに消耗しているのだ。


 先ほどの気付きで自分改めるなら今では無いか。何事よりもカムライールを優先すべきだ。私にとってカムライールが一番大事なのだから。私はカムライールに言った。


「分かった。帰ろう」


 カムライールと、その横に立っているハーマウェイと侍女が驚いた顔をした。特にハーマウェイが本気で驚いている。それを見れば私の発言が今までの私にはあり得ないものであった事が分かる。


「イールの健康の方が大事だ。君は先に帰っていなさい。私が残って父と皆に詫びよう」


 しかしカムライールは頷かなかった。ぐっと目を一度閉じるとむっくり起き上がったのだ。そして無理しているのが明らかに分かる笑顔で言った。


「大丈夫です。回復しました」


「しかし・・・」


「大丈夫です。御心配をお掛け致しました」


 私の役に立ちたいのだ。その決意を込めた視線を向けられると私には何も言えなかった。彼女の思いやりに比べれば私のにわかな思いやりなどなんと薄っぺらい事か。私は敗北感すら覚えながら彼女の手を取るしかなかった。



 大広間に入るとカムライールの表情が輝いた。内装や調度品をいちいち見て楽しそうに笑っている。どうやら彼女は部屋の飾り付けなどに興味があるようだ。そう言えば自分の部屋の飾り付けも庭師から花を貰って来たり、自分で刺繍をしたりして色々やっていたな。それに夜会の雰囲気自体は気に入ったらしく、楽し気にキョロキョロと見まわしている。私は言ってみた。


「一応、ここよりは小さいけど広間は屋敷にもあるよ。長らく使っていないけど、君が夜会を開きたいなら開けようか?」


 流石にいきなり夜会を開くのは無茶振りだったらしく、カムライールは困惑していたが、彼女のセンスで広間を装飾してもらい、夜会を開いたら面白いし、彼女を貴族界で認知させる事にも繋がるだろう。彼女次第だが考えておいても良いかも知れない。


 席に座り、早速並んだ貴族たちから挨拶を受ける。カムライールは目に見えて顔を引き攣らせた。それはそうだろう。これまでの彼女の身分を考えれば雲の上の存在なのだろうから。私は少しでも彼女の心を勇気づけたくて彼女の手をずっと握っていた。もっとも、貴族たちの反応はほとんどが好反応だった。王太子の愛人になり果せた平民の娘がどんなものかと伺っているようだったのだが、カムライールが緊張しながらもしっかり受け答えして、しかも全然自己主張しないので拍子抜けしたようだった。何人かは自分の娘を選ばずどうしてこの娘なのか?という態度だったものが、カムライールと話してどうやら自分の娘と全然違う存在だという事に納得したようだった。


 父と母が入場し、挨拶を終えると早速カムライールに話し掛けた。カムライールは緊張して私の手を強く握っていた。


「カムライールと申します。この度は、その・・・」


「ああ、良いのよ、挨拶なんて。分かってます。この子が無茶な事をしたのでしょう?ごめんなさいね」


 母は最初からカムライールに好意的だった。恐らく既に彼女の事を調べ上げていたのと、私を愛してくれていればなんでも良いと考えているのだろう。


「とんでもございません!王太子様には良くして頂いています!」


「そうなの?無理やり手籠めにしてお屋敷に閉じ込めているのではない?」


 とんでもない事を言わないでください母上!そう思ったがカムライールが即座に否定してくれた。


「全然!そんな事はございません。その、けして無理やりとか、そういう事はございません」


 そうとも。流石に私は一度として無理やり女性に関係を迫った事など無い。一体母上の私に対する評価はどうなっているのか。


「そう。良かったわ。そう言ってくれて。この子は女癖が悪くて。どうしてくれようかと思っていたところだったのですよ」


「母上」


「事実ではありませんか。ブレンディアス。あなたの尻拭いに私がどれほど苦労したと思っているのですか」


 うむむむ。兎に角母上が酷い。少しはカムライールに良い所を言って欲しい物なのだが。


 カムライールと母上は色々と話を始めた。母上の優しい態度にカムライールの緊張も大分ほぐれたようだ。私の手を握る強さが弱くなってきた。


「ところで、カムライール。あなたはこの馬鹿息子のどこが気に入ったのですか?」


 馬鹿息子扱いは止めてもらいたいが、私も興味がある質問だったので黙っていた。カムライールは可愛らしく首を傾げたが、さして悩んだ様子も無く言った。


「王太子様は誠実な方ですから、そこが素敵だと思いました」


 カムライールの言葉に母上、父上、ハーマウェイ、カムライールの侍女、そして聞き耳を立てていた連中が全員目を丸くして驚いていた。・・・なぜ驚く。


「・・・この子が誠実・・・ですか?あなたにはそうなのですか?どのあたりが誠実だと思えたのですか?」


 カムライールの感性まで疑っているような口調で母上が言った。一体私の事を母上は何だと思っているのか。


 カムライールはそんな母上の顔を不思議そうに見ながら答えた。


「王太子様は最初から私が平民だからと言う理由で蔑ずむような事はなさいませんでしたし、今も愛人だからとぞんざいに扱うような事もなさいません。一人の女性として丁重に扱って下さいます。凄く誠実な方です」


 カムライールが言い切ると、母上は感動したような面持ちで私とカムライールの顔を交互に見た。どうもこれは私がカムライールのお陰で変わった事を感謝しているのだと思われる。私は複雑な気分だった。いや、違うのだ。カムライールの意見には心当たりがある。


 私はカムライールを深く知るまでは女性全員を押しなべて同じに見ていたのだ。つまり、私を王太子妃競争の商品のように見ている連中。私の事を碌に知ろうともせずただ誘惑してくる連中。私に一方的に愛を求めてくる連中。抱いてしまえばみな同じな連中。だからカムライールが平民だろうが何だろうが関係無かったのだ。貴族令嬢に対するのと同じ失礼にならない程度の態度で応対したに過ぎない。


 私は猛烈に自己嫌悪に陥った。カムライールが私を愛してくれる理由が誤解だという事に強烈な後悔の念が沸き起こった。確かに自分は母上に酷い扱いを受ける程度には女性に対して酷い男だったのだろう。私はいつかカムライールに謝ろうと心に誓った。


 父母はカムライールの事が非常に気に入ったらしく、そこはとても安心した。カムライールも最後の方は父母とリラックスして会話が出来ているようだった。



 父母との会話が終わると私はカムライールをホールの中央に連れ出した。カムライールが消耗しているのは分かっていたが、全く踊らないのは無理だし、主役である彼女が真っ先に踊らないと夜会が本格的に始まらない。私は楽団に合図を出して、なるべくテンポの遅いワルツをリクエストした。


 私はこれまでべったりとくっついて踊るワルツは嫌いで踊った事はほぼ無かった。しかしカムライールとなら話は別だ。彼女との親密さをアピールするにもフラフラの彼女を支える意味でもワルツが最適だ。


 曲が始まり私は彼女を抱き寄せて踊り始めた。・・・正直、ワルツが恋人同士の踊りと言われる意味が分かった。カムライールの細い腰に手を回し、彼女の息が掛かるほど抱き寄せて踊るのは物凄く煽情的で官能的だった。間近で見る彼女の疲れた笑顔がまた庇護欲を誘い、私は彼女を抱き締めないようにするのに苦労をした。・・・私は今後一切カムライール以外とワルツは踊らないし、彼女にも他の男とワルツを踊らないように言い聞かせようと思った。


 最低限として三曲踊り、私達は引き上げた。本当は彼女の御披露目なのだから彼女を主要な貴族と躍らせた方が良いのだが、もうカムライールがフラフラなので私から穏便に断った。私が彼女を独占したいのだと言えば、皆苦笑して引き下がってくれた。


「お腹が空きました」


 とカムライールがなかなか豪胆な事を言った。だが彼女の表情は結構切実だったため、私は彼女を二階にいざなった。カムライールは本当に限界のようで、私は彼女の腰を支えて階段を上らせなければならなかった。


 テーブルに座るとカムライールは目に見えて安心したようだった。近くに座る者たちはこちらの方をチラチラと見ているが、食事の最中に挨拶をしてくるのは失礼の部類に入る。彼女は侍女に取って来させた軽食を見て顔をほころばせた。彼女は食べる事が好きなのだ。


 しかし、彼女が料理に口を付ける前に、無礼を承知で三人の令嬢が私に声を掛けて来た。厳密に言えば私は食事をしていないのでギリギリでセーフではあるが、どうやら無礼でも構わないという態度に見えた。ローイデン侯爵令嬢、イルセリア伯爵令嬢、カルファン侯爵令嬢はしつこく私に付きまとっていた令嬢で、私がとっとと手を付けて追い払った令嬢でもある。そのカムライールを睨む目つきは厳しく、私はカムライールを守ろうと腰を浮かせかけた。


 しかしカムライールはさっと腰を上げると、深々と頭を下げた。


「カムライール・ルステン・ローデレーヨでございます」


 カムライールは伯爵夫人だと名乗らなかった。明らかに三人を刺激しないようにとの配慮だ。礼の仕方といい非常に丁重な態度だった。


「伯爵夫人。あなたの方が上位です。頭を下げてはなりません」


 ハーマウェイが顔を顰める。貴族なら当たり前の意見である。貴族の関係は上下関係だからだ。しかしカムライールは笑顔で首を横に振った。


「にわか伯爵夫人ですもの。私は皆さまに社交界での振る舞いを教わる立場ですわ。先生に頭を下げるのは当然です」


 彼女は自分が下になる事を何とも思っていないようだった。私にはいまいちその感覚は分かりかねたが、彼女がそうした理由は分かる。恐らくは私のためだ。彼女が傲慢な態度をすればそれは彼女たちの私への敵意と変わる。それを避けたいのだ。私への彼女たちの敵意など既に臨界点だろうから気にする必要は無いのに。


「どうか仲良くして下さいませ」


 カムライールが微笑むと令嬢達が何故か狼狽した。ごにょごにょと何か言って誤魔化して去って行く。ハーマウェイとカムライールの侍女が言うには、カムライールの容姿と態度に戸惑ったのと、私を幼女趣味だと誤解したからだという事だが、恐らくそれだけではあるまい。


 カムライールが陰り無く私を愛し、尽くそうという態度に戸惑ったのだと思う。そういう姿勢は貴族令嬢の誰にも見られなかったものだからだ。ましてや悪名高い私を平民の彼女が真っ直ぐに愛し尽くすというのは、ある意味異常な事ではあると思う。そう考えるとカムライールはやはり只者では無い。不思議な女性だ。


 もっとも、ハーマウェイと侍女が仕掛けた「カムライール幼女作戦」が奏功しているのも事実らしく、その後もカムライールがどんな女性かを観察に来た令嬢の内の相当な連中に「処女好みかと思ったら幼女趣味だったのかこの変態野郎」という酷い目で睨まれた。解せぬ。私は断じて幼女趣味では無いし、カムライールは断じて幼女では無い。脱いだら結構凄いのだ。


 私がそう嘆いていたらカムライールに怒られた。まぁ、確かに食卓で言う事では無かったかもしれない。まぁ、私の悪評なぞ既に無数に広まっているのだから、一つ付け加えられるだけなら我慢しよう。反動でカムライールが同情されて貴族界に受け入れられるなら安い物だ。


 私はそんな事を考えながら幸せそうに食事を始めたカムライールを眺めるのだった。


 




 



 


 


 


 

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