第4話 私の小さな愛人について(上) 王太子視点

 私の名前はブレンディアス。エイマー王国の王太子だ。年齢は23歳で、もう良い歳だ。いい加減に結婚しろと周囲がうるさい。


 そんな事言うなら少しは仕事を減らして貰いたいものだ。よその王族の事は知らないが、エイマー王国では国王の仕事は大変忙しい。従って王太子に振り分けられる仕事も大変多い。私は毎日毎日書類の山に埋もれて仕事をしている。いつ恋愛をする暇があるというのか。


 夜会には出るだろって?王族にとって夜会も仕事の内である。書類仕事で疲れた身体を引きずって夜会に出なければならない。出れば出たで貴族諸卿の挨拶を受け、ご婦人方に笑顔を振りまき、踊らなければならない。大変なのだ。楽しんでいる場合では無い。


 それでも、最近はご令嬢方が群がって来なくなっただけまだマシだ。私の女癖についてあること無いこと噂が広まったせいだ。何でも処女を好んで抱きまくる処女喰い王子だとか。何だそれは。私は独角馬か何かか。女漁りしている暇などどこにあるというのか。


 私がやったのは、私のお妃候補として貴族連中に送りこまれた令嬢でしつこく付きまとう者達を仕方無く抱いただけだ。そうでもしないと収拾がつかなかったからだ。


 何しろ屋敷に押し掛ける程度なら可愛いもので、夜会に招かれた貴族の屋敷に監禁されかかったり、王宮で歩いていたら廊下の陰に連れ込まれて襲われそうになったり、侍女として潜り込んだ令嬢が四六時中モーションを掛けてきたり、私の執務室に乗り込んできて泣き喚いたり、夜会で令嬢同士が殴り合いひっかき合いの大げんかを始めたり、馬車の中で令嬢が裸で待っているなどということさえあったのだ。


 私は当初、彼女達を丁重に避け、問題が起こらないように平等に接していた。しかしながら、そうすると彼女達は自分が如何に私に近いかをアピールするためにより激しく私を誘惑し始め、手に触った触らないくらいの差で優劣を競い始めたのだ。私は段々面倒くさくなってきた。


 私はもう一人を選んでしまおうか、そうすれば止むだろう、と一人の令嬢と付き合い始め、一回だけ寝た。すると彼女は「もう王太子妃は私で決定」と驕り始め、私とのベッドでの出来事を誇らしげに言いふらし始めたのだ。私は心底ウンザリした。


 そんなに抱いて欲しければ抱いてやろう。私は投げやりな気分で、私を誘惑してくる令嬢たちと片っ端から寝はじめた。一回ずつ。平等に。抱いた後は見向きもしなかった。関係を結べば将来が約束されると思い込んでいたらしい令嬢たちは愕然としていたが、そんな事は知った事ではない。


 関係した令嬢たちが数十人に及ぶと、私の悪評は隠れもしないものとなり、流石に寄ってくる令嬢も居なくなっていった。関係を結べば王太子妃になれるなら兎も角、一回やったら捨てられるのでは割には合うまい。目論見通りだ。代わりに好き者と噂される夫人が寄って来たが、そういうのは容赦なく追い返した。私は別に房事をしたい訳ではない。すると「王太子様は処女しか抱かない」という噂が流れ始めたのだ。


 エイマー王国の処女喰い王子の出来上がりである。その悪名は近隣国にまで鳴り響き、姫君の輿入れの打診があった隣国からは「そんな悪名高い王子の所に娘はやれない!」と縁談断りの書状が届いた。酷い話である。私は無理やり関係を迫った事など一度も無いし、ベッドでいよいよの場面で嫌がった令嬢は以降の絶縁を言い渡して追い出したし、そもそも令嬢の三分の一くらいは処女では無かった。濡れ衣も良い所だと思う。


 私としては仕方なくした事であるのだが、国王である父は何故か激怒した。令嬢を傷物にされた貴族諸卿から父母に相当苦情が来たらしいから無理も無いが。


「そんなに女遊びする暇があるならもっと仕事をさせてやる!」


 と怒鳴られて回される仕事が増えた。解せぬ。私は別に遊んでいるつもりはない。遊びと言うのは楽しい事の筈では無いか。しかし悪名のせいで私の周りからは令嬢の姿が消えた。こればかりは良かった。せいせいとした。私はもう女にはうんざりを通り越して絶望的な気分を抱いていたから、もう当分結婚する気など無かった。


 子孫を残し、王国を継承させるのは義務だというが、私は何十人もと肉体関係を結んでも一回も子供が出来なかった。父も私一人しか子供が出来なかったが、私もなかなか子供が出来ない体質なのではないかと思う。結婚しても子供は出来まい。それなら誰か遠縁の子供を私の養子にして継がせれば良いだけだ。結婚を急ぐことはあるまい。私はそんな事を考えながら悪名とは反対に女っ気の無い忙しい日々を過ごしていた。


 カムライールと出会ったのはそんなある日の事だった。



 私は不眠症気味だった。どう考えても激務のストレスのせいだと思う。その日も、なかなか寝られず、うとうとしたと思ったらもう朝だった。頭痛が酷く、起こしに来た侍女にもう少し眠ると告げ、王宮に遅刻を連絡させた。たまには良いだろう。どうせ仕事が溜まって苦労するのは私自身なんだし。


 私はベッドの上で浅い眠りとぼんやりした覚醒を繰り返していた。すると、窓のカーテンを開ける音がした。見ると、何だか小さい侍女が勢い良くカーテンを開けたところだった。


 まだ眠い。カーテンを開けないでくれ、と言い掛けたのだが、彼女は全てのカーテンをちょこまかと開けると、ぴゅーっと走って廊下に出てしまった。早業で声を掛ける暇もない。私は布団を頭から被り、光を遮断した。なんだあの侍女は。私がいるのに気が付かないのか。私は少し腹を立てた。


 小さい侍女は箒やらモップやら雑巾やらを持ってパタパタ足音を立てて戻って来た。完全に私の事は眼中にない。ベッドを見もしない。これは本気で気が付いていないんだな。そしてちょこまかと掃除を始めた。箒を使って丁寧に床を履き、塵取りでゴミを取ると、モップで床を隅から隅まで吹いて行く。毎日掃除しているのだろうし、私がこの部屋にいる時間などほとんど無いのだからもう少し適当でも良いのに、と思うくらい丁寧に掃除をしている。


 彼女は小さいので動きがちょこまかとしていてコミカルだ。何というか見ているだけで面白い。それに私は下級侍女の仕事をしみじみ見るなどこれまで無かったから、意外と掃除の様子が面白くてついジーっと観察してしまった。なので雑巾で調度品を丁寧に磨いて近付いてきた彼女が私に気が付いたその時までベッドで芋虫のように転がったままだったのだ。


 彼女は布団の塊に気が付いて不審げに寄って来た。あ、しまった。私はバツが悪い気分で顔を出した。侍女は驚いた様子で私の顔を見つめている。


 こげ茶色の髪と、やはりこげ茶色の瞳の女性だった。童顔で背が低く、細いので一瞬子供かと思う程だが、良く見れば身体付きはちゃんと大人の女性である。彼女は可愛らしい顔を傾げて私を見ていたが、私がこの屋敷の主人だと気が付いて流石に驚いたようだった。


「申し訳ございません。王太子様。お騒がせいたしました」


 慌てたようにぺこりと頭を下げる。頭の上で縛っていた髪が尻尾のように跳ねたのが滑稽で私は苦笑した。


「構わない。ちょっと寝坊のつもりがもうすぐ昼だからな。無理もない。起きるから支度を手伝ってくれ」


「あ、では上級侍女を呼んできます」


 主人の身の回りの事をするのは上級侍女の役目だ。だが、わざわざ上級侍女を呼ぶのも面倒だ。


「構わない君が手伝ってくれ。ただ着替えるだけだ」


 彼女は、はぁ、と頷いて私の指示に従って衣服を出してくれた。シャツを着せかけようとするので断ったら、その後は一切何も手伝わなかった。私は着替えを手伝われるのがあまり好きでは無い(私狙いの上級侍女がこれぞ機会とベタベタ触って来てから苦手になった)ので助かった。


「ありがとう」


 と言うと彼女は戸惑ったような笑顔で頭を下げて私を送り出した。無駄な事は言わず、これを機会に私と関係を深めようという気配は微塵も見られなかった。下級侍女の中にも家から私と関係する様に命じられていてアプローチしてくる者もいたし、それだけでなく単に出世狙いで私に媚を売って来る者も非常に多かったから、逆に珍しく印象に残った。


 その事を出がけに侍女長であるハーマウェイに言ったら「殿下がいるのに気が付かないとは!」と怒っていた。そんな事で怒らないであげて欲しいのだが。


 そんな事があった次の日かそのくらいに、私は一人で私室で晩餐を取っていた。外はもう暗く、カーテンは閉められ、灯りには火が入っている。ふと、部屋の中を見回して、ちょっと思い出したのだった。


「そういえば、この間私がいるのに気が付かずに掃除していた侍女の事は叱ったのか?」


 ハーマウェイはああ、と頷いた。


「叱っておきました」


「あの程度の事で叱らずとも良いのに。なかなか面白かったぞ。こう、鼠のようにちょろちょろと走り回って掃除をするのだ。可愛らしくて面白くて、つい出そびれた。彼女は悪くないのだ」


 ハーマウェイが意外そうな顔をした。


「御気に入られたのですか?」


 言われて、私は考える。気に入った、という訳では無いが、私に対する態度の距離感が好ましい侍女だったな。あれが身の回りを世話してくれれば色々と気を使わなくて済むかもしれない。


「そうだな」


「では手配しておきます」


 ハーマウェイが言った。?上級侍女にして私付きにするという意味かな?ずいぶん察しが良いが、ハーマウェイとは幼少の頃よりの付き合いだから私の意図の先を読んでくれる事があるからな。と、私は軽い気分で頷いたのだった。


 ・・・よく確認するべきだった。


 その次の日、私が屋敷に帰宅するとハーマウェイが言ったのだった。


「今日、召し出しておきました」


「?何の話だ?」


「この間の侍女、カムライールをお部屋に召し出しておきました」


 私は一瞬意味が分からず問い返した。


「なぜ?」


「彼女をお召しだったのですよね?」


 は?私は愕然とした。その意味が分からない訳ではない。私はこれまで私にしつこくアプローチしてくる下級侍女を召し出して抱いた事があるからだ。しかしながら私にはあの小さい侍女を召し出した覚えが無い。無いが・・・。


「そういう意味だったのか」


「何がでしょう?」


 ハーマウェイが不思議そうな顔をするが後の祭りだ。私は仕方無く自分の部屋に戻った。


 彼女、カムライールは私を出迎えて頭を下げた。


「お、お帰りなさいませ」

 

 緊張感が全体に表れている。表情は硬く、僅かに震えてさえいるようだ。私は今までの女性を全然違う態度に少し驚いた。今まで抱いてきた女性はこの段階で、如何に私を篭絡するかを考えていたのかやる気満々だったからだ。少なくともこのように私に対する警戒心と言うか緊張感を露わにしていた女性はいなかった。


 私は罪悪感にかられた。これは、食事をしたらそのまま帰した方が良さそうだ。この娘は私を誘惑してきたわけでも、私に迷惑を掛けた訳でも無いのだ。別に抱く必要は無い。誤解を詫びて戻らせよう。


 そう思い、食事を始める。カムライールは正面に座り、緊張した表情でいた。しかし、食事を始めるとちゃんとした所作で意外にもりもりと食べ始めた。小さいのに良く食べる。そういうと彼女は照れたように笑った。


「良く言われます。でも、美味しい料理ですね」


 その笑顔は緊張も抜けて、しかも作り笑顔で無い無邪気な笑顔で、私は目を奪われた。それから私達は少し会話を楽しんだ。何でも元貴族の商家だったのだが、破産してしまい、それでこの屋敷の下級侍女として雇われたのだとか。この屋敷で雇っている侍女は上級だけでなく下級にも貴族令嬢が多い。私に取り入るために「下級でもいいから」と押し付けられたからで、そういう侍女は仕事が不満で真面目に仕事をしないとハーマウェイが嘆いていた。しかしカムライールは楽しく仕事をしているらしい。


 貴族らしい作り笑顔では無い、コロコロと表情の変わる彼女と向かい合って話すのは楽しく、私も久しぶりにリラックスして笑った。そのせいで、風呂に行く前に彼女を帰らせるのをすっかり忘れてしまった。ベッドに近付いて、小さい彼女が横になっているのを見て「しまった」と思ったがもう遅い。この段階で彼女を帰らせたら彼女に恥をかかせてしまう事になる。


 薄い夜着に身を包んでいるカムライールは私を見てさっと後ろを向いてしまった。怖がらせるのは本意では無いし、私は嫌がる女を抱く趣味も無い。彼女が嫌なのならこのまま何もせずに寝て、明日の朝そっと帰らせれば良いだろう。私は彼女を安心させたくて言った。


「それほど怖がらなくても良い。無理な事をさせるつもりはない」


 すると、カムライールはくるっと振り向いて私を見上げて来た。その視線は意外に大人びていて、静かで、意志の強さを感じさせるものだった。怯えも緊張も無く私を見ている。私に覚悟を促すような、そんな視線だった。私は息を呑んだ。止めておこう。そう思う私の意思とは裏腹に、つい手が伸びてしまった。


「良いか?」


 私の言葉にカムライールは決意を込めた視線でしっかりと頷いたのだった。




 彼女は背は小さいが身体はちゃんと大人の女性で、胸などは身体の割には大きい方だろう。躰の方も私を全部受け入れられて、行為自体には全く問題が無かった。カムライールは嫌がる事も逆にあからさまに私を誘う事も無く、普通に初々しい反応で、房事自体はごく普通に終わった。


 初体験を済ませた女性の反応は様々で、私を関係が持てた事を喜んだり、逆に突然泣き始めたり、私に責任を取るように迫ってきたり、もう一度してくれるように懇願してくる者もいた。私はカムライールはどうなのか?と反応を伺った。


 カムライールは既に寝ていた。気絶したという感じではない。くうくうと静かな寝息を立てて既に寝ているのである。流石に行為が終わるなり寝てしまった女性は初めてだった。変な女性だ。裸のままにしておくのもどうなのか、と思ったが、私が女性の服を着せられるわけが無い。私は彼女と自分に布団を被せた。カムライールは爆睡しており全く起きない。


 そんな気持ちよさそうに寝ている彼女の顔を見ていると、私も急速に眠くなってきた。不眠気味の私には珍しい事だった。特に房事の後はあまり寝られない事が多いのに。私はごそごそと布団に潜り込み、カムライールのすぐ傍で目を閉じる。直ぐに一気に意識は沈んで行った。


 起きたらカーテンの越しにさんさんと太陽光が降り注いでいた。あれ?と思うくらいだった。目を閉じて直ぐに開けたくらいの感じだったのに。物凄く良く寝てしまったらしい。どう考えてももう朝では無い。昼だ。


 そして気が付けば私はカムライールを抱き抱えて寝ていたようだ。彼女のお腹にがっしり手を回して拘束して、私の胸に彼女の背中がぴったりとついている。なんだこれは。私は目を瞬いた。


「お、王太子様。起きたのですか?」


 カムライールのか細い声が聞こえた。私の顎の下でカムライールが真っ赤な顔をしていた。どうやらとっくに彼女は起きていたものの、私を起こさないように気遣ってじっとしていてくれたらしい。彼女の体温は私よりやや低い感じで、程よくひんやりとして気持ちが良かった。これが良く寝られた理由かもしれない。


 私達は起きて、服を着た。この間で私が過度の手伝いを嫌う事を覚えていた彼女は最小限の手伝いをしてくれた。私は出仕のために部屋を出て、カムライールはそれを見送り、二人は分かれた。


 私は同じ女性を二度は抱かないと決めている。抱いた下級侍女を上級侍女に抜擢した事もこれまでなかったから、カムライールを上級侍女にする事ももう出来ない。特別扱いになってしまう。彼女が傍で世話してくれたら気が休まるのにな、と思うと残念ではあったが、これまでの方針を覆すほどのこだわりは無かった。


 もしも私と関係を持った事でカムライールが増長していたり、私に積極的に絡んで来るようなら興ざめだったが、どうやらそんな事も無いようで、侍女長によれば相変わらず元気に真面目に働いているらしい。私はほっとして、それからしばらくはカムライールの事をほとんど思い出しもしなかった。多くの関係を持った女性の中の一人でしかなかったのだ。この時までは。


 それから三ヶ月ほど経った頃、王宮では税制改革が検討され、直轄地に課されている多過ぎる種類の税金を絞って分かり易くする事になった。その検討のために膨大な調査と資料作りが始まり、私もその仕事に巻き込まれた。

 

 毎日毎日書類の山の中で数字と格闘し、閣僚や官僚と何度も何度も打ち合わせをして、場合によっては王都の商業組合や運送組合と会合して資料を集め、それを持ち帰ってまた検討して書類にして父である国王に奏上した。


 忙しいなんてものでは無く、夜会に出た訳でも無いのに屋敷に帰るのは完全に日が暮れてからになっていた。疲れ果てて寝ようとするのだが、疲労とストレスのせいだろう。ほとんど眠る事が出来ない。しかし朝になれば仕事が待っているので出仕しなければならない。出仕して、仕事して仕事して、帰って来ても疲れているのに眠る事が出来ない。


 私は精神的に参ってしまった。頭痛も酷く、このままでは身体の方も本格的に病気になってしまうだろう。私は眠れないながらもベッドに横になり、唸っていた。と、そこで唐突にカムライールの事を思い出したのだった。


 あの娘と寝た時は物凄く良く眠れたのだった。彼女を抱き締めてひんやりした身体を感じれば、眠れるかもしれない。


 そう思ったのだが、しかし流石にそんな理由でカムライールを召し出すわけにもいかない、とその時は思った。女性を抱き枕扱いしてはまずいだろう。同じ女性を二度抱かないというポリシーにも反するし、カムライールを二度抱いた瞬間に彼女が「特別」になってしまう。


 しかしながら私の状態は深刻だった。そのせいか日が経つにつれてカムライールと寝た日の事を思い出してしまうようになった。彼女話していたらリラックス出来たし、横にいても緊張せず気楽だった。房事は兎も角、その後も私を煩わせず、抱き締めて寝たら兎に角良く寝られた。


 彼女がいてくれたら、この忙しさも辛さも乗り切れるかもしれない。私は散々迷った末に晩餐の時にハーマウェイに言った。


「カムライールをまた呼んでくれないか」


 ハーマウェイがこの上なく驚いた表情を見せた。貴族らしい貴族である彼女がそんな表情をするのは大変珍しい。


「・・・二度目のお召しになりますが?」


「ああ、承知している。構わないから呼んでくれ」


 私の後ろに立つ上級侍女たちがざわっとした。彼女たちこそ私が二度目に女性を召すという事の意味を一番知っているだろうから無理もない。私はハーマウェイに説明した。不眠が酷く、このままでは倒れてしまう。最近ではカムライールと寝た時だけ良く寝られたので、試しに彼女と寝てみたいのだと。特に他意は無いのだと。


 するとハーマウェイは顎に手をやって考え込んで、それから言った。


「殿下。彼女は下級侍女です。その彼女を理由は兎も角特別扱いしてお召しになるのは、彼女のこれからのためにも良くありません」


 なるほど。既に私の後ろの上級侍女たちから穏やかでないオーラが漂っている事からして、この時点でカムライール凄まじい嫉妬心を向けられてしまう事は間違い無いだろうな。下級侍女のカムライールが上級侍女にいじめられるような結果になるのは本意ではない。だが、私の状態も深刻なのだ。どうにか方法は無い物か。


 するとハーマウェイはこちらを伺うようにしながら言った。


「では、カムライールを愛人になさいませ」


 愛人?私は意味が分からなくて目を瞬いた。


「カムライールを正式に愛人としてしまえば、彼女はこのお屋敷で王太子様に次ぐ最上位になります。そうすれば彼女が上級侍女に虐げられるような事は無くなるでしょう」


 ・・・それはそうだろうが・・・。


「愛人にすると言うが、それほど簡単な事では無いだろう?」


「そうですね。正式に爵位を与えてご愛人様にしてしまいますと、なかなか色々と難しいですが、幸い、カムライールはこのお屋敷に住んでおります。ですからこのお屋敷の中でだけのご愛人様になさいませ」


「屋敷の中でだけ?」


「外部には秘密でという事です。そして、飽きたら侍女に戻すなり、暇をやるなりなさいませ。もしも気に入ったのであれば、そのまま正式に爵位を与えてご愛人様にすればよろしい」


 公的な愛人にするにはちょっと、という平民の女を王族が囲う時に良く使う手段だという。カムライールは血筋は良いらしく、公式の愛人にしても問題は無いらしいが。


 それにしても女性を囲うという事自体に抵抗があるのだが。私が迷っていると、ハーマウェイが言った。


「難しく考える事はございません。試しにやってみれば良いのです。ダメならすぐに戻せます。その際には彼女は上級侍女に戻しますから、元愛人の上級侍女として上位になりますから、いじめられる事は無いでしょう」


 それならば、良いか。実はこの時、ハーマウェイは嘘を吐いていたのだが、私は愛人について知識も無かったし、寝不足と頭痛で切羽詰まっていたので気が付かなかった。そういう平民の愛人をこっそり囲う場合はもっと本当に秘密でやる事であり、自分の屋敷に囲っていたら当然貴族界全体に知れ渡ってしまう。そうなればその愛人は既にして公的な愛人と見做される。簡単には別れられない存在となるのだ。


 そうとは知らない私は決心して頷いた。


「分かった。カムライールを愛人にしよう」


 そう言うとハーマウェイと上級侍女たちが心底驚いたような表情をした。なんだ?お前が愛人にする事を勧めたんじゃないか。


「わ、分かりました。お部屋を整えるのと、カムライール様の身の回りの品を用意するので三日ほどお待ちください」


 三日か。本当はもう限界なのだが、我慢しよう。それと。


「カムライールの同意は得るようにな。無理やり愛人になどしたくない」


「分かりました」



 三日後、無事に同意も得られたらしく、カムライールには部屋が与えられたという。私は帰宅するとカムライールの部屋に行った。?この部屋は本来は王太子妃が使う部屋の筈だが・・・。愛人を囲う部屋として使っても良いのだろうか。


「お帰りなさいませ」


 カムライールが桃色のドレスで出迎えてくれた。釈然としないような顔をしていたが、特に緊張感は無い。私は嫌がっているとか負の感情が浮かんでいない様子にホッとした。


 食事をしながら会話をするが、自分の状況に戸惑っている様子はあるものの、特に驕ったり、舞い上がったりする様子は無い。給仕の侍女たちに恐縮している様子がありありと分かる。愛人となって上位になったのだから堂々としていれば良いのに。


 面白い事に彼女はこの間より全然リラックスしていた。前の時は流石に私に、そして初体験に緊張していたのだろう。私と普通に会話し、相変わらず良く食べ、良く笑い、コロコロ表情を変えた。彼女と話していると自分もリラックスして、少しいつもよりも酒が進んだ。


 食事を終え、風呂に入り、ベッドに入る。あっという間に行為を終えて、私はカムライールを抱き締めた。カムライールが慌てて何か言っているが無視だ。私は正直、カムライールを抱き締めて眠るために彼女を愛人にしたと言っても過言ではない。彼女に失礼だから言わないが。不思議な事に彼女の体温と香りに包まれるとあれほど遠かった眠りが直ぐに訪れた。私は何日ぶりかで物凄くぐっすり眠った。


 翌朝、驚くくらい頭がスッキリしていた。やはり人間寝なければ駄目だ。起きてカムライールと共に朝食を摂り、私はカムライールの見送りを受けて出仕した。物凄い満足感だった。私はすっかりストレスが抜けたおかげでどんどん仕事を片付ける事が出来た。



 この頃、私は仕事が本当に忙しく、帰りが遅かった。あまりに遅くに行ったらカムライールに迷惑だろうか、と考えて、最初の内は彼女の所に行くのを遠慮していた。後から考えると、私はまだカムライールとどのように付き合って行くのか決めかねており、あまり通って親密になるのもおかしいのか?とおかしなことを考えていたのだ。愛人と仲良くなって悪い事は無いのだが。そんなわけで、私は不眠が我慢出来なくなった頃、大体週に一度、私はカムライールの所に通った。


 カムライールはどんどん状況に慣れて、ドレスも仕立てられたちゃんとしたものを着て、肌も髪も十分に手入れされ、化粧も軽くするようになった。そうすると花が開くようにその魅力が出始めた。可憐だが、時折妖艶な表情も見せるようになり、それでいて無邪気な所もある。そういう彼女の魅力に私は次第に気が付き始めていた。


 そして彼女は私が疲れているのを見抜いてしきりに心配してくれるようになった。


「大丈夫ですか?お顔の色が優れませんが」


「仕事が忙しくてね。大した事は無い」


 食後にお茶を飲みながら私が言うと、カムライールはう~んと考え込み、立ち上がると私の後ろに回り込んだ。


「なんだ?」


「お肩を叩いてさし上げます。昔、父にやって上げて褒められた事があるんですよ」


 肩を叩く?私が不思議に思っていると、カムライールが小さい手でトントンと私の肩を叩き始めた。私はそんな事をされた事が無かったので驚いた。しかし、凝っている肩にカムライールの弱弱しい叩き方はなるほど、気持ちが良い。


「どうですか?」


「ああ、気持ちがいい」


 私の言葉にカムライールは嬉しそうにニッコリと笑みを浮かべた。


 数日後、私が自室に帰って来ると爽やかな香りが部屋に漂っていた。


「なんだ、この香りは?」


「疲労回復に良いアロマだそうです。カムライール様が取りよせてくれというので取り寄せました。殿下のお部屋にも焚いて欲しいとの事でしたから焚いてみました」


 ハーマウェイが微笑を浮かべながら言った。疲労回復?


「カムライール様の実家は昔、貿易を営んでいたそうで、外国の商品に詳しいのですよ。それで、殿下のお疲れが取れそうな品を幾つか取り寄せてくれと頼まれました」


 私は驚いた。なんでまたそんな事を。


「殿下がお疲れなのが心配だとしきりに言われまして。他にもハーブティや入浴剤を買っておられました。是非、殿下のお部屋でも使うようにと」


 ・・・なんでそんな事までしてくれるのだろうか。私は不審にすら思った。彼女には何の得にもならぬ事では無いか。


「殿下の御身を大切に思っておられるという事ですよ」


 そう言われて私は顔が赤くなるような心地がした。私は他人にそんな風に心配をされた経験が無い。父母ですら私が成人してからは心配よりも叱咤激励する方が多く、単に疲れたレベルの事など私自身ですら気合で何とかするものだと思っていたのだ。それを私が一方的に愛人にした彼女が心配してくれるというのは、凄く心が温まる事だったのだ。


「カムライールは楽しくやっているのか?」


「元気にしておりますよ。専属侍女と仲良くなって、色々楽しくしているようです」


「そうか。何か高価なものを買ったりはしていないか?」


 これはこの間、友人が恋人に高価な宝石を強請られて頭を抱えていたのを見て思い付いた事だった。まぁ、カムライールになら相当高い宝飾品を買われても仕方が無いとは思っているが。


「全く。むしろドレスや宝飾品を買う時に安物を買ったので叱っておきました」


 意味が分からず私はハーマウェイを見た。ハーマウェイは苦笑して言った。


「遠慮したのでしょう。あまり高い物買うと怒られるかと思ったと言っておりましたね」


 意味が分からない。愛人なのだから存分に私の財力を当てにして使えばいいのに。それでわざわざ取り寄せてまで買うのが私のための疲労回復グッズなのだから、おかしな女性だ。私が苦笑していると、ハーマウェイが私を伺うように見ながら言った。


「それよりも、あまりにお通いが無いので、直ぐにも愛人をクビになるのでは、と不安がっておりましたよ」


 ?なんだそれは。私には全くそんな気は無いぞ?


「なら、もう少しお通いになっては如何ですか?」


 カムライールを不安がらせるのは本意ではない。彼女が不快に思わないのなら、と、私は週に一回だったカムライールの部屋への通いを三日に一度くらいに増やした。その頃には忙しさは変わらないにも関わらず、カムライールと寝ない日にもすっかり不眠は解消されていた。私はその原因について深く考えてはいなかった。


 この頃には既に私はカムライールとの生活を楽しみ始めていたのである。


 

 

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