第15話 役者誕生

「宮川さん。頭を上げて下さい」


 それでも宮川は頭を下げ続けて何も言わない。


 どれくらい時間が経っただろうか。中島はどうするか考えていた。自分より遥かに年上の男が、ただひたすらに目の前で頭を下げている。それほど窮地に立たされていることは理解できる。しかしどう考えても、言わばドッキリの脚本を書いて、それ通りにプロの役者が演じたとしても、期待通りの結果になるとは思えなかった。


 この状況をどうにか打破しようと、諦めずに閃いた宮川のプラン。それは今日、このホテルにたまたま居合わせた自分だからこそのプラン。そんな、何か運命めいた展開に、エンタメ業界で生きている中島の心は、不安以上に、ワクワクしていた。


 『面白い』


 現実的な判断ではなく、脚本家という、エンターテイナーとしての挑戦。期待。それらの感情が、脳より先に動いた。


「分かりました。協力します」


 冷静に、落ち着いて中島はそう答えた。


「ありがとうございますっ!」


 宮川はロビー全体に響き渡るほどの、ありったけの声量でお礼を言った。


「ただし、成功の保証は出来ません。いくら良い物語を書いても、所詮は作り物です。しかし、実際に起こることは、誰にもその展開を予想することは出来ませんし、複雑です。事実は小説よりも奇なりですから」

「……構いません! 当たって砕けろです!」


 宮川の最初の間は、確実に中島が放った【事実は小説よりも奇なり】という言葉を、一瞬考えたが全く分からなかったという間であろう。この場にいる全員がそう思った。


「政治家、間宮敬一郎に衝撃的な体験。それを皆さんで仕掛ける。考えてみます。少し時間を下さい。そうだなぁ。現在夕方の6時過ぎ。10時にこのロビーで集合出来ますか?」

「かしこまりました! 宜しくお願い致します。みんなもいいね?」


 なんとなく分かっていたが、やはりいつの間にか全員巻き込まれていた。仕事にやる気は無いが、今ここで職を失うのは確かに困る。岸本と矢吹は渋々返事をした。しかし赤木は別の理由で断った。


「支配人。自分明日休みなんすよ。だからすいません」

「それは分かってる。別の日に変えてくれないかね」

「いやぁ無理っす。だって明日久しぶりに彼女と会うんすもん」

「……久しぶりって、どのくらい?」

「二週間ぶりくらいですかね」

「二週間か。そんなに久しぶりではないよね? 明日さえ乗り越えられればそれでいいんだ! だから頼むよ赤木君!」

「……」

「君の力が必要なんだ!」


 しばらく考えた赤木は、一流の売れっ子俳優のようなことを言い出した。


「脚本が面白ければその仕事受けます」

「……脚本が面白ければって……え、どういうこと?」

「俺実は、将来役者になりたくて。だから、俺が出演する価値があるのか、脚本読んで決めさせて下さい」

「出演って赤木君。ちょっと捉え方が独特だなぁ。それに、将来なりたいってだけだよね? なのにどうしてそんな上からなの?」

「これくらい自分持ってないと、一流の俳優にはなれないっしょ」


 自分の胸の前で親指を立てる赤木の表情は、とてつもなく、うっとおしかった。


「あの、中島様」

「はいなんでしょう」

「この一流の役者が納得する脚本、お願い出来ますでしょうか」


 中島は少し笑ってしまった。それは何も赤木を馬鹿にしたからではない。この赤木の様に、何も成しえていないのに、ここまで条件を提示出来る厚かましさ。世間知らずなところが、夢を追う若者特有の【根拠なき自信】。そんな人間を久しぶりに見て、嬉しくなったのだった。


「赤木君。僕君に気に入ってもらえる脚本、頑張って書くよ」


 中島は笑顔で答えた。



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