2・想定からのプロポーズ

「木崎姉がお礼にディナークルーズ? ずいぶん太っ腹だね」

 ランチタイムにいつもの定食屋。日替わり定食の豚肉のしょうが焼きをもりもり食べながら、佐原係長が言う。

「断りましたよ」

「うん。それが正解。どんなに今優しくても、いつ何が変わるか分からない。それが義両親、義姉妹」

「言葉の重みが恐ろしすぎます……」

 どうだろう。ご飯をもぐもぐしながら考える。紗英子さんにもそれは当てはまるのだろうか。いや、そんなことはない。


「ディナークルーズの理由、その一」と佐原係長。「単純に嬉しかった。宮本は木崎のカノジョではあるけど、それでしかない。なのに、ひとりで子供たちを預かると言った。それなりに木崎姉や甥っ子に好意がないとできない」

 キュウリの漬物に箸をのばしながら、ふむふむと聞く。

「その二。高価なお礼品で宮本を釣る。次回のお預けのためかもしれないし、『カレシの姉』の印象を良くするためかもしれない」

「彼女の場合は『その一』な気がします」

「でもね、宮本。もっと大事なことがある」

 佐原係長が箸を止めて私を見た。

「自分の子供を他人に預けるのは、ものすごく怖い」真剣な目が私を射抜く。「私だったら弟のカノジョになんて預けられない。なにをされるか、なにが起こるか、分からないもの」


 予想だにしなかった言葉に、力が抜ける。


「……そんなこと、考えもしなかったです」

「子持ちじゃないんだから、そんなものでしょ」

「もしかして私、失礼な申し出をしましたか」

「そんなことはないよ。私が言いたいのは、木崎姉は宮本を信頼しているってこと」

「……なるほど」

「ま、私はその人に会ったことはないから、『使えるものは何でも使え』っていう豪胆なタイプかもしれないけどね。でもこれまで聞いてきた話から考えると、信頼されている、気に入られているってほうが妥当」


 紗英子さんに言われた『莉音ちゃんに爽真と結婚してほしいと思ってる』との言葉を思い出す。彼女に気に入られているのは嬉しい。彼女が素敵な人だから? それともカレシの姉だから?

 どちらもちがう。木崎の姉だからだ。


 結婚の二文字が頭に浮かぶ。


「……佐原係長が結婚を決めたのって、どんなタイミングですか」

「お?」にやりとする佐原係長。「わくわくの質問が来たよ」

 彼女はお椀を持つ手を下げた。今日のお味噌汁はワカメと豆腐だ。

「ええと。後学のために」

 ああやっぱり、この質問は恥ずかしい。私の相手が木崎でなければこんな気持ちにならなかったのだろうけど。ほんの半年前までは犬猿の仲だったのだ。佐原係長にもあいつの悪口を散々聞かせていた。


「きいてくれたのは嬉しいけど、参考にはならないよ。私は相方の半年に及ぶ執拗な説得に根負けしただけだから」

「なにそれ! 気になります!」

「そのまんまだよ。それより宮本の場合は――」

 固唾をのんで続きを待つ。

「その質問が頭に浮かんだ今が、タイミング」

 今!

「『三十を越した』とか『出産が』とかの理由づけはいくらでもできるけど、そうじゃない」と佐原係長。「仕事一筋だった宮本が、それを意識したってことが全て。木崎となら仕事も結婚生活もうまくやれると思っているんだよ」

「そうか……」


 すとんと、納得できた。佐原係長の言うとおりだ。


「結婚式、お呼ばれされたいなあ」ニヤニヤする佐原係長。「スピーチしたい」

「あ、それは第一と第二の部長で取り合っています」

「なんだ、結婚確定しているじゃない」

 ケタケタと笑う佐原係長を見ながら、『今』かと考えた。



 ◇◇



 帰宅して玄関の鍵を掛けていると、ダイニングからガタガタと慌てたような音が聞こえてきた。すぐに木崎が顔を出す。

「お帰り。早くね?」

「うん」 定時を過ぎて、まだ三十分ほど。「キリが良かったから」

「悪い、まだ夕飯作ってない」

「いいよ。私もこんなに早く帰れると思わなかった」

 嘘だ。全力で仕事を終えてきた。木崎は午後だけ休日出勤の振休だ。昨日のぶんじゃない。木崎も私も振休がすぐにたまってしまう。


 キッチンに入ると、ダイニングテーブルの上に閉じられたノートパソコンがあるのが見えた。休みだろうが顧客は容赦なく連絡をしてくる。木崎も結局仕事をしていたのだろう。

 手を洗いながら

「夕飯、なんの予定だった? 作るよ」

 と声をかける。

「回鍋肉」

 タオルで手を拭く。後ろに気配を感じたと思ったら、抱きしめられていた。

「土曜は休みで変わってないか?」

「私? うん、変わってないけど?」

 首筋にちゅっちゅっとキスが繰り返される。

「それならデートをするぞ」

「いいね。久しぶり。そうだ、バッティングセンターに行こうよ」

「おう。でも夜はディナーの予約したから、そこに決定な」

 木崎はそう言って五ツ星ホテルの名前を上げた。


「そんなところの予約が取れたの!?」

「ちょうどキャンセルが出たらしい」

「豪華すぎない?」

「俺へのご褒美」


 木崎は去年度の年間売上が過去最高だったらしい。というかここ数年は毎年、前年を上回っているようだ。さすがとしか言い様がない。もちろん、部内トップ。営業三部合わせてもトップ。


 でも。木崎は美食家じゃない。そういうものも食べるけど、普段はガマンしているこってりラーメンのほうがずっと好き。予約したディナーは自分へのご褒美なんかじゃない。『ちゃんとしたデート』の提供だ。私への。


「ありがと。楽しみ」

「ん」

 ちゅっちゅと繰り返されるキス。手が不埒な動きをし始める。

「木崎」

 その手に私の手を重ねて止める。

「『木崎』は仕事のときだけにしろって言ってるだろ」

「爽真」

 言い直し、木崎の腕の中で半回転して向き合う。


「あのね爽真」

「うん?」

「私は爽真と結婚したい。どうかな?」


 木崎が呆けた顔でフリーズしている。


「今の生活に満足しきっていたけど、きのう翔太に『いつ結婚するの』と訊かれて考えたの。そうしたら私には『木崎と結婚しない』という選択肢がなかったんだよね」鼓動が早まる。「ダメ?」

「……ダメな訳がねえだろ」


 なぜかかすれた声でそう言うと、木崎は私を強く抱きしめ顔を肩にうずめた。私は背中に手を回す。密着した体が心地よい。


「宮本にそう言ってもらえてめちゃくちゃ嬉しい。でもまた先に言われて、死ぬほど悔しい」

「また?」

「告白もお前からだったじゃん!」

「そっか」

 私、どれだけ木崎が好きなんだ!

「莉音」顔をあげた木崎が私を見る。「俺も莉音と結婚したい」

「うん。ありがとう」

 体の奥底から嬉しい気持ちが湧き上がる。嬉しすぎて、涙が出そう。自分で思っていた以上に木崎は大切な人らしい。


 と、なぜかにやりと悪い笑みを浮かべる木崎。

「言い出したほうの責任。全力で俺を幸せにしろよ」

「え? それはもちろん。木崎こそ、私を好きにさせた責任をとってよね」

「全力で取るさ」

 唇が重ねられる。さっそく全力を出してくる木崎。



 夕飯はデリバリーでいいや、と頭の隅で考える。

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