2・2 悪口の想定外

 路面店のカフェに藤野と入る。注文の列に並んですぐに『宮本』という言葉が耳に入ってきた。

 近くの客席からだ。並んでいる観葉植物のために見通しは悪く、顔は見えない。だけど声はよく聞こえてきた。


「あの女、調子に乗りすぎだよな」

「また部内の売り上げトップなんだろ?」

「第二の男どもは何をやってんだよ。あんな小娘にトップを取られるって」


 どうやら私の悪口らしい。ふたりの男が侮蔑口調で楽しそうに話している。

 眉を寄せた藤野が、

「文句を言ってくる」

 とそちらに向かおうとする。慌ててその袖をつかみ、

「いいよ、相手にするほどのヤツらじゃないから」

 と小声で制す。よくあることだ。いちいち気にしていたら、キリがない。幸いなことにうちの部長は完全なる能力主義者で、性別による差別はしない。高橋みたいに慕ってくれる後輩もいる。


 と、奥からこちらに歩いて来ていたスーツ姿の男が、ヤツらのそばで足を止めた。

「で? そう言うあんたたちはアイツに何か勝ててるのはあるのか? 新規契約数は? 売り上げは?」

 木崎の声だった。

「って、聞くまでもないか。『第三のお荷物コンビ』。二年目のヤツより成績が下なんだろ? 勝っているのは年の数だけだな」


 なるほど。彼らは第三営業部の人間か。私を嘲るヤツには心当たりがある。


「調子に乗んなよ!」

 ガタリと椅子が動く音。

「あんたたちもな。そろそろ飛ばされるんじゃね? 他人の悪口を言うなら相手以上に仕事ができるようになってからにしろよ。じゃねえとただの負け犬の遠吠えだろ。ま、あんたたちの小物具合じゃ永遠にアイツに追い付かないだろうけどな。じゃあな、センパイ方」


 ひらひらと手を振って木崎が観葉植物の陰から出てきた。

 目が合う。

 ここはお礼を言うべきなのだろうか?


「俺は能無しが嫌いなだけだぞ?」と木崎が先に口を開く。

「知ってる」

「なら、よし」

「でも先輩への態度ではないよね」

 さすがにまずくないかな、と藤野に尋ねる。平気だろ、と藤野。


「あいつらは上司への態度じゃねえけどな」と木崎。「部は違っても同じ営業で役職は俺たちが上。無能なヤツに限って他人にマウントを取りたがるのは、何でなんだろうな」

「それしかできないからだろ」とすかさず藤野が答える。


「藤野」

 囁いて、その袖を引っ張る。観葉植物の陰からふたりの男がこちらを見ている。やはり心当たりのヤツらだった。

「木崎化しないで。わざわざ敵を作る必要はないよ」

「あ? こいつも本性は毒舌だぞ? 」と木崎が言う。

「藤野は誰かさんとは雲泥の差の、本物の爽やか営業マンですけど?」


 ふんっと鼻をならす木崎。その片手には鞄とともに紙袋がある。どうやら外回り帰りのテイクアウトらしい。


「先に戻る。お前らはゆっくりして来いよ」

「この状況で?」思わずツッコむ。

「図太い神経のお前なら平気だろ?」

「そっちと違って繊細なんだけど?」

「営業マンは言葉を正しく使え。――足を引っ張るなよ、しっかりな」

 そうして木崎はすれ違いざまに藤野の肩を叩き、店を出て行った。

『足を引っ張る』って何のことだろう。

 というか、第三の彼らが私に追い付くことは永遠にないなんて木崎は思っているんだ。いがみ合ってばかりで仕事ぶりを評価されたことなんてない。なんだかちょっと、むず痒いような。


「どうする?」と藤野。

「何が?」

「店内? テイクアウト?」

「テイクアウト。高橋が待ってるから」

「だよな」

 藤野はふうと吐息した。


 『第三のお荷物』が席を立つのが見えた。食器を片付け、店内で口論したことがさすがに恥ずかしくなったのか、そそくさと帰って行った。私たちのほうを見ることもなく。


「あの人たち、『お荷物』なんて言われているんだ」

 彼らはどちらも十年近く営業にいるはずだ。そりゃ『そろそろ……』と言われても仕方ない。

「鬱憤を私で晴らしてる、ってとこか」

「それと綾瀬。部長に隠れて嫌がらせを繰り返してる」

「綾瀬?」

「そ。彼に負けているから」と小声の藤野。

 さっき木崎が言っていた『二年目のヤツ』は綾瀬のことか。

「綾瀬は大丈夫なの?」

「本人が気にしてない」

「さすが大物」


 第三営業部の綾瀬は有名だ。変な方向で。どういう訳だか木崎に心酔し、『木崎先輩の弟分』を自称している。声高に木崎を褒め称え、第一への転属を願い、やたらと私たちのエリアに出没する。第三は階が違うにも関わらず、だ。つい先月も、ちょっとばかりインパクトのあるエピソードを作ったばかり。


 そんな綾瀬。だいぶ個性が強いけど細身で顔が可愛い系のせいか、年上女性社員からのウケはいい。私が尊敬する佐原係長も、『ワンコみたいで、いいじゃない』と気に入っている。

 ちなみに私は綾瀬に毛嫌いをされていて、その理由は『木崎先輩のライバルだから』だ。


「年上女性社員たちが綾瀬を慰めまくってるんだよ。おかげで綾瀬はゴキゲン、あいつらは余計に女性蔑視」

「なるほどねえ」

 そんなことをすればするほど、自分の立場を悪くするのに。


 注文を終え、商品受け取りコーナーに異動する。と、客の中に第二営業部の男性社員がいるのをみつけた。取引先らしき男性と向かい合って話している。

 そうか。『お荷物』たちは私を使って彼をも嘲っていたのだ。

 うちの社の評判が悪くなるだけなのに。それが分からないほど彼らは落ちぶれてしまったようだ。


 藤野も気がついたようで、私を見て僅かに肩をすくめた。

 他愛もない話――同期会の日程や世間の流行りについて――をして間を潰し、コーヒーを受け取ると、私たちも速やかに店を出た。


 ほっと一息つく。

「イヤな思いをさせたね。ごめん」

 歩道を並んで歩きながら社に向かう。

「別に。どちらかと言えば消化不良。俺があいつらにガツンと言ってやりたかった」

「あはは、ありがとね」

「本気だぞ?」

「うん、ありがと」

 藤野はまた、ため息をついた。

 彼だって、社内の煩わしい人間関係に巻き込まれたら疲れるだろう。


「しかし宮本って、他部署のことを知らないよな。永井にしても『お荷物』にしても」

「個人情報は興味ないかな」

「普通、営業成績くらいは目に止まる」

「そう? あんまり気にならないよ。私は木崎に勝てれば、それでいいから」

「……ライバルだもんな」

「あいつにだけは負けたくない!」

「はははっ。同期会、木崎無しがいいか?」


 藤野を見る。笑っている。冗談なのかな?


「……私はそのほうが嬉しいけど。藤野は淋しいんじゃない?」

「無しを望むなら、全額宮本の負担にしようと思うんだ。タダ飯となったら参加率も上がりそうだろ?」

「え、悩む」

「悩むのかよ! だが高確率で木崎が突撃してきて宮本に地団駄を踏ませる」

「だね。その未来しか見えない。木崎に出張の予定はないの?」

「被せたら俺がシメられる」

「分かった、合コンに被せればいいんだ。本人が自ら不参加にするようにするの。今週末にあるって言ってた」

「……木崎がそんなことを言ったのか?」

「うん。あ、もしかして藤野も参加?」

 藤野はここ一年以上、彼女がいないと聞いている。もちろん被せるなんて冗談だけど。

「いや、俺は行かない。もう三十だし。そういうのは卒業。落ち着いた恋愛をしたい」

「そうなんだ。がんばれ、応援するよ」

「……さんきゅ」


 落ち着いた恋愛か。私はノーサンキューだ。

 恋愛はゲームの中だけで十分。苦しい失恋なんて、もうしたくない。


「……それとな」と藤野。「木崎は合コンより同期会を選ぶはず」

「そう? 『今週末には彼女をゲット!』ってドヤ顔で言ってたよ」

「……アホなんだ」

「同意しかない」

 何故か藤野は深いため息をついて、「俺には都合がいいけど」と呟いた。

「木崎とケンカでもしたの?」

「いいや。――まだ」

「『まだ』?」

「多分、そのうち」

「何それ?」

「ヒミツ」

 ニッと笑みを私に向けた藤野は、話題を変えた。



 ◇◇



 フラペチーノを机に置く。と、パソコンに向かってキーボードを鬼のように打っていたいた高橋が振り向いた。

「あ、お帰りなさい。フラペチーノ、どうもです」

「進んでいる?」

「ぼちぼち。できたら見てくれますか?」

 その言葉にフロアを見る。高橋の直の上司は私じゃない。だけど当の本人は外に出ているようだ。それに彼からは、高橋があまりに私に懐いているから、面倒を見てやってくれと頼まれている。


「分かった、いいよ」

「あざすっ! あとこれ、コーヒーのお伴にどうぞ」

 高橋がチョコをくれる。

「サンキュ」

「疲れた頭には糖分が必要ですからね」

 笑顔の高橋。が、一瞬、どこかを見て真顔になった。視線をたどって振り返ると、藤野が隣の第一エリアからこちらを見ていた。

 手を振る。

 藤野が振り返す。


「あと」と高橋。「部長から、『戻ったら話がある』との伝言です」

「何だろう?」

「悪い予感しかしませんね」

「やめてよ」


 部長の席を見るが空だ。

「喫煙室ですよ。タバコを持ってましたから」と高橋が言う。「そろそろ戻るんじゃないかな」


 そのそばから部長が戻って来るのが見えた。

「お、宮本、帰ったか」

 はいと答える私の傍らで高橋が、

「無事に済むことを祈ります」

 と囁く。

「喜べ」

 笑顔で近づいてくる部長。

 だが私はこれを素直に受け取るような新人ではない。

「何でしょう」

「水族館の後任は宮本になった」

「え?」

「マジで!」高橋が小さく叫ぶ。「部署が違うのに。木崎係長の希望ですか?」

「先方。永井が外れるならぜひ宮本でと言われたそうだ。さすが宮本」

 部長が私の肩を叩く。

「あの木崎が、宮本で構わないと折れたらしい」

「でも第一の売り上げになるんですよね。何もうちのエースを貸し出さなくても」

 高橋は不満げだ。

「もちろん、この貸しは大きいぞ」

 部長は悪役俳優のような悪い笑みを浮かべた。


 そうか。カフェで木崎が言った『足を引っ張るな』は私に向けての言葉だったんだ。もう知っていると思ったのだろう。


 そうか。水族館のあの仕事を私ができるのか。

 担当が木崎だということを除けば、すごく嬉しい。


 ふと、誰かに見られている気がして、そちらに目を向ける。

 木崎と藤野だった。第一エリアで並んで座りこっちを見ている。藤野が手を振ったので振り返す。

 木崎は不遜な表情のまま、動かなかった。

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