1・2 想定外の時間

 打った球が真っ直ぐに飛んでゆく。

「……お前、上手くね? 」


 オレンジ色の空の下。ビル屋上のバッティングセンター。

 となりのブースに入っている木崎が私のバッティングに目を見張っている。


「小学校のとき、少年野球の強豪チームに入っていたから。卒業してからもバッティングセンターはよく行ってたし」

 ドヤってやる。

 久しぶりだしパンツスーツはやや動きにくいけど、シューズと軍手はちゃんとレンタルした。これで上手く打てないはずがない。

「さすが宮本。習い事に性格が出てる」


 ふんと鼻を鳴らして次のボールを出す。

 バットを振ればカキンといい音がして、ボールが飛んでゆく。


 うん。ストレス解消にいい。木崎にしてはいい提案をしてくれた。面白くないのは、木崎もかなり上手いということ。悔しい。けど、落ち着け私。木崎に勝つため、ホームランを狙うのだ。


 カキンカキンと、競い合うように球を打つ……。





 ◇◇





 ビルの外に出ると人出がかなり増えていた。はぐれないようになのか、木崎の距離が近い。

「だいぶ汗をかいた」

「私も」

 お互い上着は着ずに手にかけている。木崎も私も一回ずつホームランを打った。よって引き分け。

「勝敗は持ち越しだな」

「そうね」


 大きくうなずいてから、はたと気づく。またバッティング勝負をするの?

 いや、そうとは限らないか。木崎とはこの八年、様々なことを張り合ってきた。


「まさか宮本があんなに上手いとは」と木崎。

「もっと褒めていいよ?」

「俺のことも褒めたら?」

「……木崎も野球をやってたの?」

「やってない。俺は何でも一流なの。てか、褒めろ」

「ウマイウマイ」

「棒読みやめろ。奢らないぞ」

「お礼なんじゃないの? そもそもどこに向かってるの?」

「飯屋」

 いや、それは分かってるって。


「何を食べたいか聞かれていないけど?」

「え」木崎が顔をしかめる。「なんで宮本を気遣わなくちゃいけないんだよ。俺が払うんだから俺が食べたいものに決まってるだろ」

「おかしくない? なんでこんな自己チューがモテる訳?」

「決まってる。いい男だからだ」

「どこが?」

「全部」


 反論をしようとして、突如気づいた。足を止めると木崎も止まる。


「木崎」

「何?」

「やっぱり、ご飯はいらない。別の機会になんか返して」

「何でだよ」

「今日は土曜だよ。いくら仕事帰りとはいえ、彼女さんは木崎が他の女子とふたりでご飯を食べに行くのは、面白くないんじゃない? 早く会いに行ってあげたほうがいいよ」

「いねえけど」

「何が?」

「彼女。今、フリー」

「え! 彼女を途切らせないんじゃないの?」

「俺だって多少のタイムラグくらいあるわ。でも来週末には、いる予定。合コンがあるから」

「何、その自信。禿げろ!」

「ひでえ暴言」



 ――結局。予定通りにご飯を奢られることになった。

 連れていかれたのは超有名なこってり系ラーメン店。女子はあまり行かないような店だ。


「食ったことある?」と木崎が訊く。

「学生のころに何度か」

 修斗と一緒に。せっかく忘れていたのに、イヤなことを思い出してしまった。

「宮本は並んでろ。俺は食券を買ってくる。全のせでいいんだろ? 一番高いメニューだもんな」

「いいよ。のせられたものは味玉以外全部、木崎の器に移すから」

「味玉」


 そう言って木崎は券売機に向かった。私は列に並ぶ。すごい、女子ひとりは私の他にいない。しかもスーツだし目立つ。

 こんな機会がなかったら、この店には二度と来なかっただろうなと思う。ラーメンはそれなりに好きだけど、ひとりでわざわざ食べに行くというほどでもない。

 女子をお礼に連れていくお店ではないけど、悪いチョイスではないな。


 ……修斗との思い出を上書きするのが木崎というのは腹が立つけど。


 木崎が戻ってきて食券を渡してきた。ラーメンと味玉。

「ありがと。木崎は?」

「ん」

 ヤツの手のひらに乗っているのはラーメンとWチャーシュー。

 ああ、やっぱり。木崎はお肉をガツガツ食べているイメージだ。


「他の店にしろと言われるかと思った」と木崎が言う。

「木崎が『俺が支払うんだから俺が食べたいもの!』って言ったんじゃない」

「そうだが、宮本だぞ? 文句をつけないとは思わないじゃん」

「失礼だね」

「お互い様。今回の件、担当が俺だと分かったとたんに降りるって騒ぎだしたんだろ」

「だってイヤじゃない。木崎もそうでしょ」

「俺は必要なら宮本でも使う」

「私は使われるつもりはないけど?」

「そうか、残念だったな。近いうちに上司になってアゴで使ってやる予定だ」

「そのまんまお返しする」


 木崎と言い合いをしながら行列を進む。

 ただ、実を言えば今日の仕事は悪くなかった。正直なところ、やりやすかったと言って過言ではない。やはり伊達にトップだとかエースだとか称されているわけではないのだ。顧客の前では性格の悪さをきちんと隠して爽やか営業マンを装っていたし。文句をつけられる点はひとつもなかった。


 順番が回ってきて、カウンターに並んで座る。別々で構わなかったのに、ちょうどふたり組が席を立ったのだ。なんというバッドタイミング。



「宮本、水」

 注文を終えた木崎が不遜な顔を向ける。

「は?」

「ご馳走してやるんだから、水」

「いや、お礼だよね?」

 と言いつつ、自分も欲しいのでふたつのコップに水を注ぐ。

「ほら、感謝しなさい」

「あのクソ野郎とはいつ頃付き合ってたんだ?」


 口元に運んでいたコップを止める。良かった、水を飲んでいる最中じゃなくて。


「そんなこと、木崎に関係ないでしょ」

「俺には関係ねえけどな」

「その通り」

「でもお前、喪女で有名じゃん」

「セクハラ! コンプライアンス室に言いつけるよ」

「宮本だってさっき、俺の交際関係の質問をした」


 うっ。確かに。


「あれは彼女さんのことが気になったから。土曜だし。一般的にはデートしたいんじゃないかと思って心配したの」

「『一般的』」

 木崎がバカにしたように笑う。


 ドン、と目の前にラーメンが置かれる。なんというベストタイミング。割りばしを二膳取り、片方を木崎に渡す。

「いただきます」


 レンゲにスープをとり、飲んでみる。

「美味しい!」

「旨いな」

 木崎がズルズルと音を立ててラーメンをすする。


 山盛りのもやしを攻略しながら、『でも……』と思った。まさか木崎が礼をしてくれるとは思わなかった。バッティングセンターは楽しかったし、やっている間はイヤな気分を忘れられた。しかもいつの間にかペットボトルのお茶が買ってあって、くれたし。

 もし木崎にとって、本当にイヤな質問だったのなら、謝るべきかもしれない。


「……まあ、気にさわったのなら。立ち入った質問をしてごめん」

「しおらしい宮本なんて天変地異の前触れか」

「謝り損だった!」

 木崎を真面目にとりあうだけ、バカを見るのだ。分かっていることじゃないか。

 もういい、ラーメンに集中だ。


 麺を箸で取り、レンゲの上にはみ出ないようのせる。ちょっともやしもプラス。それからパクリ。

 うん、麺も美味しい。


 うちの家族はみんなこの食べ方だ。スープが服にはねるのがイヤで。だけど修斗はこれが大嫌いだったから、彼とラーメンを食べるときはすするようにしていた。……またイヤなことを思い出してしまった。


「宮本」と木崎。

「何?」

 食べ方を注意されるのかな。

「水とって」

「ああ、うん」

 私側に置きっぱなしだったウォーターピッチャーを取り、ついでだからコップに注いであげる。

「どうも」


 ……木崎、礼を言うことができたんだ。

 え、もしかして初めてじゃない?

 記憶にある限り、私は言われたことがないはずだ。


 木崎こそ、天変地異の前触れ?

 恐ろしい。

 とにかくラーメンに集中しておこう。





 ◇◇




 食べ終えて店を出ると辺りはすっかり暗くなり、順番待ちの行列は更に長くなっていた。


「あぁ、旨かった!」

 そう言う木崎は満足そうな顔だ。

「ごちそうさまでした」

 一応素直に礼を言って頭をわずかに下げた。私も美味しくて大満足だ。

  駅方面に向かって並んで歩く。ますます人出は多く、自然と歩みが遅くなる。


「ラーメン食べるのは四ヶ月ぶり」と木崎。

「そうなの? 毎日食べていそうなのに」

「俺への偏見、ひどすぎじゃね?」

「そっちこそ」

 やいやい言い合っているうちに、あっという間に駅についた。


「宮本、何線? 俺は地下鉄」

「JR」


 すぐそこが改札。これで、解散だ。

 長い一日だった。

 というか地下鉄なら、ここに来るまでに幾つも入り口があったじゃないか。


「じゃ」と木崎。

「また」と私。


 パスケースをバッグから取り出し、改札をくぐる。少し進んだところで振り返ると、木崎がちょうど踵を返したところだった。


 まさか見送ってくれたのだろうか。


 まさか!







 だけど今日は。わりと……いや、ほんのちょこっとだけ、楽しかったような気がする。

 ほんと、ほんの少しだけ。


 木崎と一緒にいて楽しいなんて、おかしい。きっと気のせいなのだろう。

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