8-3 命令

     ◆


 歩兵同士は数も練度も同じ程度のはずだった。

 しかしイムカ伯爵領軍は明らかに歩兵の気迫で劣っていた。

 歩兵同士の押し合いの最中に、唐突にルニスタル伯爵領軍が空間を作ると、そこへルニスタル伯爵領軍の騎馬隊が突っ込み、イムカ伯爵領軍の歩兵が分断される。この分断に乗じて、ルニスタル伯爵領軍の歩兵が一気呵成に押し寄せ、イムカ伯爵領の歩兵の一部は多勢に無勢、殲滅されてしまう。

 こんなことを繰り返すと不利になるのは自明であり、イムカ伯爵領軍は敵の騎馬隊をなんとか受け止めようとする。その突撃力を削いで、歩兵の中で動きを止めてしまうことさえできれば、歩兵でも騎馬隊にも抵抗できるのだ。

 しかしルニスタル軍の騎馬隊も愚かではなく、包囲される前、勢いを失う前に歩兵の中から飛び出していく。

「彼らももう少し銭があればねぇ」

 私は思わずぼやいたが、周りにいるものは苦笑いといったところだ。

 フーティ騎馬隊は再三にわたって、イムカ伯爵領軍の騎馬隊をまとめる指揮官から「敵の騎馬隊を可能なら撃滅し、それが不可能なら歩兵に突っ込ませるのを防げ」と伝令が来ている。

 私が見ていることなど無視して、セラは、不可能だ、と返答していた。

「あなた、私の存在、忘れてる?」

 ある時、思わずセラに確認したが、彼女は案の定、表情を一つも変えなかった。

 フーティ騎馬隊は脱落者を出しながら、ユニコーン騎馬隊との激戦を継続していた。

 兵の数ではユニコーン騎馬隊の方が倍はいたのが、やはり減っているものの、フーティ騎馬隊よりもまだ十分な数を残している。

 セラは馬の疲労を巧妙にごまかし、五十人もいない部下を二つや時には三つに分け、地形を利用し、奇襲、埋伏など、様々な手段を展開していた。ついでに敵の馬を狙った罠さえも作らせた。フーティ騎馬隊のものは休む間もない。

 私だって、見ているだけでは済まないので、参加している。

 私が到着して十日が過ぎ、大局の勝敗は決しようとしていた。

 イムカ伯爵領軍は歩兵の数の三割を失い、また疲れ切っている。疲労の面ではルニスタル伯爵領軍の歩兵も同じだろうが、士気には歴然とした差があった。勝勢と敗勢は、兵士の間の空気さえも変えてしまうものなのだ。

 久しぶりの休息を取っているところへ、イムカ伯爵領軍からの使者がやって来た。

 と言うより、偶然にたどり着いたのだ。

 セラは敵に居場所を察知されるのを徹底的に嫌い、味方との意思疎通には幾つかの決めてある地点を利用し、普段は不規則に野営地を選んでいる。つまりイムカ伯爵領軍からすれば、セラたちとはしようと思っても伝達も情報交換も容易にはできなかったのである。

 セラは伝令の携えた書状を見て、珍しく天を仰いだ。

「乗馬」

 休んでいた傭兵たちが一斉に動き出し、すぐに全員が馬上にある。ここまで来ても緊張感のある、訓練された動きだった。

 伝令を追いかけているだろう敵軍がいれば、この時、フーティ騎馬隊の居場所が図らずも知られてしまったということになる。休息を中断しての離脱は自然だ。

 大きく戦場を迂回しながら馬を並み足で走らせるセラが、珍しく私を呼んだ。

「どう思う」

 いきなり差し出されたのは伝令が持ってきた書状だった。

 受け取って文面を見て、なるほど、セラが天を仰ぐのも無理はない、と同情するような気持ちになった。

 書状には、フーティ騎馬隊でルニスタル伯爵領軍の本隊を奇襲し、本陣の指揮官を討て、とあった。

 簡単に書いているが、歩兵の厚い壁を突破し、それに守られた指揮官を仮に討てたとして、ではその後にフーティ騎馬隊のどれくらいが生きて脱出できるかは、考えなくてもわかる。

 おそらく全滅する。

 ルニスタル伯爵領軍はフーティ騎馬隊を捨て駒にしようとしているのだと見えた。

 傭兵は傭兵であり、契約によって様々な制約がある。依頼主の命令には服従し、また糧食や武具を自分たちで手配したりもする。

 一方で、拒否できる命令なども決まっている。

 死に兵になれ、というのはもちろん拒否できるのだ。契約書にはそのような指令があった場合、一方的に契約を破棄できる、という文言もある。信頼関係がなくなったと判断した、ということだ。

 傭兵とは、信頼関係こそが大きな意味を持つ。

「でもあなた、この道筋は」

 私は周囲を確認した。木立の一つを迂回している道で、周囲の地図をさすがに私ももう覚えている。

 イムカ伯爵領軍の後方にあたり、針路は北に向いている。

 さらに北へ向かって、どうする?

 セラは何も言わない。

 やがて夜になり、休息の後、深夜、フーティ騎馬隊は兵士たちは馬の足にわらじを履かせ、口には板を噛ませ、自分たちも板を噛んだ。

 そうして全く無言、無音のうちにルニスタル伯爵領軍が展開する東方向へ、移動していった。

 このままいけば、ルニスタル伯爵領軍の右翼の北を通過するだろう。

 でも通過して、どうする?

 夜は静かだった。兵士たちも馬も、ほとんど音を立てない。踏みしめられる地面だけがかすかに規則的な音を発している。

 夜明け前にセラは隊を停止させた。

 指示に従って馬のわらじと噛んでいた板が外される。兵士も噛み締めていた板を取っている。

 どこか遠くで鳥が鳴いた。

 周囲は薄明かりに包まれていき、朝が来ようとしていた。

 浮かび上がるように目の前に見えてきたのは、歩兵の一群だった。

 旗が数本、立っている。

 それはルニスタル伯爵の紋章が刺繍されている旗だった。

 本陣のようだ。

 まさか、セラはこのまま指令通りに、本陣への突撃を実行する気か。

 死ぬ気、ってこと?

 私はセラの表情を確認しようとしたが、まだ周囲が暗すぎて判然としない。そもそも彼女の顔は、いつも何を考えているか、判然しないということもあるが。

 遠くの稜線が光を放ち始める。

 夜明けだ。 

 ゆっくりとセラが剣を抜いて、切っ先を空に向けた。

 声もなく、剣が振り下ろされた。





(続く)

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