2-4 惨劇から始まる

      ◆


 稽古の日々。

 しかしそれは唐突に終わりを迎えた。

 最初に悲鳴を上げたのは誰だったか。

 盗賊が集落に乱入してきていた。夜だ。火の手が上がり、その闇は部分的に払拭された。

 しかし惨劇は光の届かないところで起こった。

 絶叫。

 命が消える声が重なり合う中で、私は剣を手に家を出ようとした。

 その私を、建物の奥で震えていた母がいつになく素早い動きで抱きしめていた。

「行ってはダメ、行ってはダメよ。見てはいけない。あなたは何も見ていない」

 強く強く抱きしめながら、母はそう繰り返していた。

 でも私には無理だった。

 何のために剣を学んだか、この時、初めてわかった。

 戦うためだ。

 守るためだ。

 母を振りほどいて、私は外へ出た。

 目の前で剣を振っている男がいる。知らない顔。粗末な着物。こちらを見る酷薄な顔。

 敵。

 倒すべき敵。

 剣を抜くのに躊躇いはなかった。

 切りつけるのにも。

 気づくと目の前に男がおり、何かを考える前に、鈍い手応えに構わず、剣を押し付けた。

 次には生ぬるいベトベトした液体がぶちまけられて、私をずぶ濡れにした。

 相手は人間だ。

 切れば死ぬ。

 私も人間だ。

 切られれば死ぬ。

 この夜は生と死が混じり合う夜だった。

 遠くにナロフが見えた。彼も剣を抜いて戦っている。一人を切り、二人を切り、ますます老人は躍動していく。

 鮮やかだ。美しいと言ってもいい。踊るように体が舞い、刃は風になり、雷になる。

 終わりが来ることがないと思えるような、永遠に続く殺戮という悪夢。

 パッと血が散った。

 他の血と同じ血のはずだ。しかし違って見えた。

 がくりとナロフが膝をつく。

 今や彼は四人の盗賊に取り囲まれていた。

 背中から入った刃が胸から飛び出す。胸から入った刃はやはり背中から切っ先を覗かせる。

 叫んだのは私か、それとも盗賊か。

 ナロフの体から刃が引き抜かれ、血が吹き上がり、ついに体が力を失う。

 それから何が起こったかは、私にはわからなかった。

 気づいた時には「戦え! 剣を取れ! 戦え!」と叫ぶ私がいた。

 周囲には盗賊の男たちが倒れており、私は血臭の只中に折れた剣を手に立っている。

「戦え!」

 叫んだ私は背後の気配に振り返り、剣を繰り出した。

 しかし剣は折れている。届かない。

 もっとも、そこにいるのは敵ではなく、サリーンだった。彼女は普段は見せない素早い動きで、私の剣の柄を掴んで離さない手を制した。そしてぐっと私を抱きしめた。

「敵はもういないんだ、セラ。あんたが追い払った」

 敵はいない?

 サリーンに抱きすくめられたまま、私は周囲を見た。

 家という家が燃えている。周囲の闇をその業火が駆逐して、無数の死体を浮かび上がらせていた。立っているものは、集落のものだった。少し離れたところに、弓を手に下げたランサも見えた。

「セラ、剣を置いて。戦いは終わった」

 指は力を込めていないつもりなのに、どうしても剣を手放せなかった。

 それに気づいたサリーンが、無理矢理に指を引き剥がす。私の指はぶるぶると震え続けていた。

 サリーンと一緒に、倒れているナロフの元へ歩み寄った。

 老人は穏やかな表情で死んでいた。満足したのだろうか。剣を振るい、倒れること。それは彼の最期にふさわしい気もしたけれど、彼は敗北によってこの世を去ることを、肯んじたのだろうか。

 集落にある遺体が集められていく。生き残っているのは老人か子どもばかりだった。若い者は大半が倒れていた。私と年が大して変わらない少年少女が、泣きながら家族の遺体に取りすがるのを見て、私は自分の母のことをやっと思い出した。

 家へ向かう。足は最初はゆっくりと、徐々に早くなり、最後には駆け出した。

 家が見える。燃えていない。

 しかし、血の匂いがした。

 中に入る。血が床に広がり、戸棚が荒らされていた。

 部屋の奥にうずくまっているのは、誰だ?

 誰も彼もない。

 母以外にありえなかった。

 私は言葉を失い、ゆっくりと歩み寄り、膝をついた。母は少しも身動きしない。

 鼓動も呼吸も、止まっていると理解できた。

 涙がこぼれる。

 何も考えないままに母に手を伸ばして、不意に自分の手がまだ血に塗れているのが目に入った。

 こんな汚れた手で、母に触ることはできなかった。

 でも私の手からこの汚れが落ちることがあるとは、思えなかった。

 やがて他の生き残った人々が来て、私の母を運んでいった。

 夜が明けると、生き残っているものは三十名ほどしかいないとわかった。そのうちの十人ほどが私と同じ十代である。大半が親を亡くしていた。

「お前が叫んだんだ」

 老人たちの手で遺体が焼かれていくのを見ている私のそばにやってきたのは、ランサだった。五人の少年を従えている。全員が憔悴し、目は落ち窪み、しかしその目は獣のように血走って変な光り方をしていた。

 私のそばにはサリーンがいて、何かを言い返そうとしたが、それを私が遮った。

「私が何を叫んだ?」

 自分の声に驚いた。ひび割れ、一晩の間に低い声に変わっていた。ランサも気づいたはずだが、彼は無視した。

「お前が、戦えと叫んだ。剣を取れと叫んだ」

「だから?」

「お前が責任を取れ」

 さすがにこれにはサリーンがランサに掴みかかった。上背はサリーンの方があったが、力ではランサに分があっただろう。二人が組み合うのを前に、私は声を発した。

「責任は取る」

 サリーンとランサが動きを止め、こちらを見た。サリーンは気遣うように、ランサは憎悪に近い目で。他の少年たちも、鋭い眼光を私に集中させた。

「責任は取る」

 私は目の前で燃やされていく人間だったものが発する耐え難い異臭漂いを前にして、言葉にした。

「ここは終わりだ。私たちは、私たちで生きていく」

「どうやって」

 ランサの言葉に私は一度、目を閉じた。

 ここから始まる。

 惨劇から始まるのだ。

 私は歩き出し、生き残った老人の一人の前に立った。その老人が最長老である。

 彼も私の決意、覚悟、もしくはこの部族の終わりを悟っていたのだろう。手元にあったナロフの剣が私に差し出された。

 そっと受け取ると、想像よりも重い。

 しかしこれは、まだ切れる剣だ。

 折れていない剣だ。

 少年たちに向き直り、私は宣言した。

「私たちは刃となる。敵と定めたものを切るだけの、ただの刃となる。そう決めた。それが私の責任だ」

 沈黙。

 いいだろう、と真っ先に口にしたのは、意外にもランサではなく、サリーンだった。

「いいだろう、セラ。私たちはあなたについていくよ」

 頷き返し、私は最長老を振り返った。

「好きなようになさい、セラ。あなたたちは若い」

 私はやはり、頷くしかできなかった。

 その日のうちに旅に必要なものがかき集められ、銭などもなんとか用意した。武具はほとんどなく、しかし馬はあった。集落が消滅したため、もう馬はあっても必要ないと、老人たちが私たちに自由にさせてくれた。

 生き残ったものたちに残すものは残し、私やサリーン、ランサ、少年たちは馬に乗り、今や見る影もない故郷を後にした。

 これより三年後、私たちは仲間を受け入れながら、一つの傭兵部隊として生計を立てることになるが、この悲劇を知っているものは少なくなった。

 いずれ忘れ去られるだろう。

 私たちの始まりの国がなくなり、始まりの集落がなくなったように。



(第二部 了)

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