鳥と灰 カナリア ファーストエピソード改定版

サイノメ

第1話 鳥と灰 ~カナリアとアッシュの場合~

 いかに大きな街とは言え夜は暗い。まして大通りから1歩奥へ踏み入れた路地裏であればなおさらである。

 その路地裏に大通りから漏れる光を写し閃光が走る。よく見れば、それは強い光とくすんだ光がある。

 やがてくすんだ光の勢いが弱くなるタイミングを見計らったかのように、強い光が迫る。

 一瞬の接触と強い閃光。弾けた光の中に見えたのは、鏡のような表面を持つ長剣と、どこにでもあるような剣であった。

 剣を弾かれた人物はバランスを崩し光がさす場所へと転がり出る。弾かれた剣の持ち主は恰幅の良い体型を良い身なりの服装で包んだ男であった。

 男は体格に似合わない素早さで体勢を立て直すと暗闇に向かい剣を構える。かすかに揺れる剣先の先にある闇からもう1振りの剣が現れる。

 その剣は刀身の美しさに劣らない程に豪華だが丈夫な作りの柄が有あり、その持ち主は自らの剣とは真逆のボロボロな衣服を幾重にも重ねて着込んだ少女。無造作に伸びるに任せた髪。大通りからさす光を受けてなお何も写していないようなくすんだ瞳。無表情につぐまれた口。

 一つ間違えれば無気力な浮浪者とも見える出立ちだが、彼女はその出で立ちでなおある種の美しさが有った。

 男は少女の事を知っていた。彼女は男の子飼いの手下の一人である。

 そのため、男は彼女の剣の腕は知っている。男が立ち向かっても少女はかなうような相手でない。

 しかし、なぜ彼女が男を裏切ったのか分からなかった。少女は男が拾った時から生きる意義や希望などを持ち合わせていなかった。

 少女はただ己の天性の才能に従い剣を振るい、その日の糧を得ていた。そこを男は彼女の提示する金額と同等の報酬を示し配下に加えたのだった。

「かっ金か?あいつからいくら貰った!」

 男は月並みな言葉を叫ぶ。普段であれば切れ者とも言われた人物ではあるが、状況が故に思考が巡らなくなっているのだろう。

「あなたから貰う額より少し多めの金額。それに……」

 少女は何の感情も無い声で答えながらゆっくりと長剣を構える。

「ヒッ」男の喉から声が漏れる。

「……それに、あなた以上に人として扱ったってとこでしょ」

 別の方向から声が男に投げかけられる。

 男が声の方に顔を向けると、いつの間にか大通りの方向に別の少女が立っていた。

 剣を持つ少女とは対照的に上等なマントを身につけていた。

 強い意思を感じる瞳と不敵に微笑む姿。

 それは夜の暗がりに有りながら彼女だけ日が当たっているかのような錯覚を受ける。

 陰と陽。正反対の雰囲気を持つ二人の少女に挟まれ、男は狼狽しながら陽の少女から距離を取ろうとする。しかし後ろには陰の少女。

「わたしを狙ったのは、に依頼されたからでしょうね。その件については二度とわたしに手を出さなければ水に流すけど……。」

 陽の少女が一拍おくとそれまで浮かべていた微笑みが消える。

 男を射抜くように見つめると、手にした杖を男に突きつけ声高に宣誓する。

「これまでの所業、万死に値します!」


 時は遡る。


 大陸西部に『連合王国』と呼ばれる国がある。近隣の大国に対抗するため複数の国家が一人の王のもとに集い作られた国である。

 故に国ごとの連携はゆるく、連合王国内での領地争いなどは日常茶飯事である。

そのため、口さがない者たちには「連合王国の王の仕事は国内の領地間の調停」などと揶揄される程である。

 そして最近も連合王国の外縁部に位置する領国の間で戦が起きたのだ。その結果、当事国の一つが攻め滅ぼされる事態が起きているのだが、他の領国は対岸の火事の様な対応であった。

 それは街道沿いの宿場を要するこの街でも同じである。今日も宿場に併設されている市場では街道を伝って運ばれてきた商品が並び活気に溢れており、それは国内の争いは無関係である様であった。

 そして街の中心部へとつながる大通りを一人の少女が歩いている。手には身の丈よりやや短い杖を持ち肩にかけたマントは小鳥をあしらったピンで止められている。

 魔術や学術について知る者が見れば、彼女が王都に存在する王立学術院の学生である事が分かるだろう。

 彼女は小脇に厳重に封をされた小包を抱えとある館へ向かう。その入口には『学術院分院』と書かれた表札がかかっている。

 学術院分院はその名のとおり、学術院が大規模な街に開校している分校である。分院には学術院から必要な人材や資料などを取り寄せる事ができ、その貸し出し依頼が出されていた書物を届けるために彼女はこの街へ来たのだった。

「王立魔術学院、魔術学科及び錬金学科所属学生カナリア・エレスティア。学院へ貸与要請の有りました書物をお持ちいたしました。」

 彼女カナリアは分校の受付係に持参した小包を渡す。受付係は学生が届けに来た事に驚きの表情を見せながら包を受け取った。

 通常、学院の使いか貴重性が低い品物の場合は学院が信用する商人に運送を依頼する事がほとんどである。学生が届けに来る事は非常に稀であり、その様な場合は何か別に目的があるのが普通だ。

 しかしカナリアは包を係に渡すとそのまま学舎から出ていってしまったのだった。

 確かに彼女には別に目的が有るのだが、それはこの分校ではなかった。この街へ来たのは目的地に比較的近く荷物も少ないため引き受けたからだった。

 1つの要件が済み少し気が緩んだカナリアは、大きく伸びをしながら分校の敷地から出ようとした。

 その時、右足に何かがぶつかる衝撃が走った。痛みを感じる程では無いが、同時に道に倒れる音がしたため、カナリアは慌ててそちらを見る。

 そこにはボロボロな衣服を着た少女が左足に手を当てうずくまっていた。

「す、すみません!大丈夫ですか?」

 慌てて謝り、右手を差し出すカナリア。しかし、倒れている少女は目の前に出された手に反応を示さなかった。不思議に思ったカナリアはその場に片膝をつき少女の顔を見た。

 少女のくすんだ瞳を見たカナリアは、もしやと思い右手を彼女の目の先に出しもう一度少女に話しかけた。

「立てますか?良ければお手伝いいたしますので、わたしの右手を取って下さい。」

 その言葉を聞いた少女は「ありがとう」と小さく呟き、おずおずとカナリアの手を握った。その手は冷たくスリ傷だらけだった。

「立ちますよ。」と声をかけたカナリアはゆっくり立ち上がり少女を引っ張り上げる。それにつられて少女も立ち上がった。

 少女はカナリアよりやや背が高いが、年齢は同じくらいに感じられた。そして、無造作に伸びるに任せた髪はところどころちぢれており手入れもしていないようだった。

(ちゃんと髪を手入れすればいいのに……。)

 立ち上がった彼女を見ながらカナリアはそう思ったが、まずは相手の怪我の有無を確認する必要がある。

「あの足は大丈夫ですか?ちゃんと歩けますか?」

「あっ、だっ大丈夫です……。少し痛みますが気にするほどではないので。」

 少女は消え去りそうな声で答えるが、カナリアは握っていた右手に更に左手を添える。

「わたし、王立学術院所属の錬金魔術師のカナリアって言います。まだ学生の身分ですが治療の心得が有りますので、あなたの手当をさせてもらえませんか?見たところお目もよく見えていないようですので、そのまま歩かれると危険ですし。」

 勢いよくまくしたてるカナリアに、少女は気圧されたのか戸惑いながらもうなずく。

「ありがとう!!さっそく治療するから分校に入りましょう!大丈夫。許可は取ってないけど人助けだって言えば納得してくれるよ!」

 聞かれてもいない事を言い訳しながら、カナリアは少女の手を引きながら分校の敷地に再び入っていく。

 始めは引っ張られるように歩く少女だったが、学舎に着く頃にはカナリアに歩調をあわせて歩いていた。

「そうだ、あなたの名前教えてくれないかな?」

 学舎の扉を開きながら、振り返りカナリアが聞く。

「わたしは生まれた頃から決まった名前は無いの。でも周りの人には灰被アッシュ・グレイって呼ばれています……。」

「そうかぁ。ならアッシュって呼ばせてもらうね。」

 満面の笑みで答えるカナリアにアッシュは分校の中へ引き入れられるのだった。



 -何故、あの人は私に手を差し伸べたのだろう……?-

 灰被アッシュ・グレイと呼ばれる少女にとってそれは想像できない出来事だった。

 出会ったのは恐らく大通りにある魔術師の学校前。仕事がなく気を抜いて散策をしていた。その時、飛び出してきた人物の足に自分の左足をすくわれ転倒してしまったのだ。

 最近は人に足を払われることなど無かった灰被は完全に不意をつかれてしまった。

 そして、これまでなら転倒させた相手はそさくさと逃げ出すか、彼女に罵声を浴びせるばかりであった。しかし、その人物は自ら膝をつき灰被の手を取り、引き起こしてくれた。

 さらには治療のためと魔術師の学校へと連れこみ左足だけではなく、今回とは関係ないで負った手の傷まで治療を施したのであった。

 憐憫や同情かと思ったが、軟膏を塗る時の手の暖かさと包帯を巻く時の真剣さを感じる。それらは別の今まで感じたことの無いものだった。

 治療が終わると、相手は自分の荷物から何かを探しているようだったが、「えへへ」と小さいがいたずらっぽい笑い声を出す。

「ちょっとごめんね。アッシュの髪もお手入れさせて♪」と陽気に言いう。

 すると頭に幾つか細い針のような物が突きつけられる。警戒に身をこわばらせるが、相手から殺気は無い。突きつけられた針も頭皮に当たるが突き刺せるほど鋭い物ではないようだった。

「アッシュの髪ってキレイな白髪だから、こうやって髪をとかした方がいいよ。」

 そう言いながらくしで頭髪にあわせて動かしていく。たまに頭髪が絡んでいるところがあり、櫛が動かなくなるがその度、絡む頭髪を優しくほぐしていく。

 数回かその動作を繰り返すと相手は「よしっ!」と何やら満足そうにつぶやいた。

 そして灰被の手をとると、灰被の頭髪を触らせた。確かにこれまで仕事や家事をする際に頭髪をまとめようとした時に感じた硬い感触がない。むしろサラサラとした心地よい手触りを感じる。ただ櫛で撫でただけのはずなのにここまで感触が変わることに思わず小さな声が出た。

 その女性(たしかカナリアと言った)は、クスリと笑うと「お茶入れてくるから待っててね」とその場から出ていった。

 程なくして戻ってきたカナリアは灰被をテーブルの前にある椅子へいざない座らせた。そして自分は灰被の右側に座ると、ポットからカップへハーブティーを移し灰被の前へ差し出す。

 灰被がカップを取ろうと手を出すと、すかさずカナリアはその手を優しく掴みカップへ誘う。

「あっ……、あの私は完全に見えない訳ではないので……。」

 と灰被は気恥ずかしくなり声を出す。確かに彼女の視力は非常に悪いが全く見えないのではない。この距離のカップなら問題なく取ることができた。

「ごっごめんなさい。余計な事をして迷惑だったよね。」

 カナリアが非常に申し訳無さそうに答える。

「いえ、他人ひとからここまでして貰うことが無かったので……。」

 灰被も慌てて言い訳をするが、お互いどこか気まずい沈黙が訪れた。

 無言でカップの中身を飲む二人だったが、沈黙を破ったのはカナリアだった。おもむろに先程使った櫛を灰被の前に差し出す。

「この櫛、アッシュにあげるよ。高い物じゃないけど、わたしたちが出会えた記念としてね。」

 灰被はまた驚かされた。見知らぬ相手とぶつかったので治療することは分かる。しかし記念として物を贈るのは完全に想定外の出来事だ。

「なっ…なんで、私に?」灰被が上ずった声でカナリアに問いかける。

「わたし、アッシュと友達になりたいんだ。」

 間近で微笑むカナリアに灰被はさらにドキリとした。

 嬉しくもあると同時に心が苦しい。私がこんな女性と友達になっていいのだろうか?

 魔術師の学校に通うならそれなりの家柄の女性のはず。そんな彼女が私のような人間と友達として見てもらえるなんて……。

「すっ、少し考えさせて下さい。」

 灰被はやっとの思いでそれだけ答える。

「そうだよね。いきなりだから驚くよね。わたしは2、3日この街に滞在するわ。その後も一週間後くらいにまたこの街を通るから、いずれかの時に返事を聞かせてくれたらいいよ。」

 ほがらかに答えるカナリアを見つめると灰被はやはり気恥ずかしかった。

 お茶を飲み終わると、カナリアはまた分院の敷地外まで灰被をいざない、その場で別れることになった。

 別れ際にカナリアは宿場にある"白熊の”ハンスが経営する宿に滞在していることを伝えた。

 ハンスの宿と言えばそこそこ大きく設備も整った宿である。やはりそれなりの家柄なのだろうと思いながらその場を後にする灰被の手には先程の櫛が握られていた。


 その夜。灰被は雇い主であるクラヴィスの屋敷へ裏口から入っていく。

 夕刻にクラヴィスの使いから連絡があり、新たな仕事が下されるとの事だった。

 クラヴィスはこの街に代々伝わる宝石商の次男だった。長男が実家の家業を継いだため、クラヴィスは自らの力で一から宝石商として店を起こした彼は、現在では既に実家を抜き街一番の宝石商となっている。これはクラヴィスが宝石商として一流であったこともあるが、取引を通じて街の役人や裏社会の顔役と繋がりを持った彼は賄賂や汚れ仕事を引き受けた見返りとして庇護を受けていたからだった。

 その為に手駒を何人も従えており、要件がある時は決行日の当日にメンバーを呼びつけている。その為、灰被たち配下の者はいつ招集がかかってもよい様にしていた。

 灰被が部屋に入ると中には既に10人程度の人間がいた。普段消臭されるのはは2、3人程なので大きな仕事になるのではないかと灰被は考える。

 しばらくするとクラヴィスが部屋に入ってきた。恰幅の良い体格に高価な衣服を身に着けている。彼は常々、宝石商たるもの自身の身を飾ることにも気を使わなければならないと周囲に語っている。その出立ちは正にそれを表している。そして彼自身もこれまで相当の修羅場をくぐっている。その体格から油断して殺害されたゴロツキは何人もいる程に手慣れている。

「今回の仕事は、ある魔術師を我が家へお招きすることだ。」

 クラヴィスは通る声で仕事内容の説明を始める。

 カナリアの事と言い、今日は魔術師と縁のある日だと灰被は思った。

 その時、一瞬カナリアとの約束が脳裏をかすめるが仕事に集中するために慌ててその思いを振り払う。

「お招きする以上、原則として生きている事が条件だが相手は手練の魔術師だ慎重に事を進めろ。そしてその相手だが……」

 そう言いながらクラヴィスは相手の似顔絵が描かれた羊皮紙を広げる。

 その瞬間、灰被は何かの見間違えかと思った。暗がりだから自分の悪い目ではちゃんと見えていないだけだと。

「名前は『カナリア・エレスティア』。学術院所属の錬金魔術師で、現在"白熊の”ハンスの宿に滞在している。」

 もとより明るくない灰被の視界だが、完全な暗闇に閉ざされたような気がした。何故カナリアが狙われているのか?何故、自分は友達になってほしいと言われた人に刃を向けなくてはならないのか?

 そして、何故自分は今日あったばかりの相手のことでこんなにも動揺しているのか。自分にとって分からない事だらけで混乱する。

「生きている事が条件とのことですが、良いって事ですよねぇ?」

 同席していた一人の男が下卑た笑いを浮かべながら問いかけていた。

 その問いに対しクラヴィスは何も答えず目を閉じる。それを肯定と受け止めたのか数人の男たちから小さな歓喜の声が上がる。

 その声に灰被の思考が現実に引き戻される。自分は命令に逆らえない。しかし、カナリアの身をここにいる男たちに任せるぐらいなら、自分がクラヴィスにわたしたほうがまだマシだと。

 心が決まった彼女は冷静になり、襲撃方法を検討する段階へと入っていった。



 宿屋へ戻ったカナリアは広い個室に改めて霹靂していた。

 学術院が用意した宿だが、一人で数日泊まるには広すぎる程の部屋に大きなベッド。さらには個別の浴室まで付いている。

 正直なところ昼は街へ出かける予定だったカナリアはベッドと机、椅子があれば良いと思っていた。

 ともあれ既に滞在している以上、使わないと損であると思い直し、浴室で旅の疲れを流し、寝間着に着替える。そして机に向かうと学術院から個人的に持ち出していた魔導書を開いた。

 一応は魔術師、錬金術師として資格を取っているとは言え、まだ学生の身である。旅をしているから課題の期限が延長される訳はない。その為、宿に泊まる時は必ず課題に励むようにしている。

 次第に夜も更けて来たころ、就寝の準備を始めようとしたその時、カナリアの感覚がある反応を感知した。

 それは宿に着いた時に最初に施した害意を感知する術式だった。一日中衛士に守られた学術院の外にいる以上、常に何らかのトラブルが舞い込む可能性がある。その為、彼女は滞在する際には必ずこの術式を宿に施しておくのだった。

 この宿は酒場を兼業してい純粋な宿屋なので、夜になると入口は閉まってしまう。その為、酔漢の侵入などは難しいが、侵入を意図して来る者たちに対してその程度では脆弱である。

 害意の数はおよそ9。少しづつだが確実にこの部屋に近づいてきているようだ。

 着替えている暇はないと判断したカナリアは寝間着の上からマントを羽織る。そして、素早く自分の荷物から幾つかの道具を取り出し準備する。

 やがて害意の一つが扉の前まで来る。そして害意侵入者はカナリアの部屋のドアにてをかけた瞬間。ドアノブから激しい光と火花が飛ぶ。侵入者強烈なショックを受けた様に甲高い悲鳴を上げその場に倒れ込む。

 部屋側のドアノブには銅線が巻きつけてあり、その線は床に置かれた箱へとつながっている。これは『雷電池』と呼ばれる錬金術の道具である。この箱には雷に似た『電』と呼ばれるエネルギーが封じられている。このエネルギーは自然の雷や魔術師の雷撃魔法に比べれば威力は弱い。しかし『雷電灯』と言うろうそくの様に光りながらも煤を出さない照明器具の動力などに使われている。

 そして『電』は金属や人体を伝播する特性を持っている。もし人が『電』に接触した場合、死にはしないものの強烈なショックを受けてしばらく行動ができなくなる。

 カナリアはこの特性を活かし、ドアに即席の罠を仕掛けていたのだ。

 続いて大きな窓を突き破り2人が侵入してくる。カナリアはは振り向きざまに手にした小瓶を床へ投げつける。小瓶が割れると激しい勢いで煙が発生し、またたく間に部屋の中に充満する。

 侵入者たちは夜目が効く方であったが、煙の中では室内を見渡すことができない。慌てる侵入者たちだが、次の瞬間、もの凄い力で窓から外へほうり出された。2階にある部屋から落ちる2人はまともな受け身もとれずに地面へ叩きつけられ悶絶する。

 次に別の窓から新たな侵入者が入ってくる。

「『音査ソナー』!」カナリアが即席詠唱で魔術を発動させる。

 即席詠唱は単純な言葉ワードで魔術を発動させる事が出来る詠唱方法である。しかし初歩的な術にしか対応しておらず、発動する術の威力も通常より劣ってしまう。

 カナリアが発動させたのは音を発生させる術である。それは通常人には聞こえない音だが、カナリアはそれを聴覚と触覚で感じ取る様に感覚を魔術で強化する。

 魔術師にとって己の身体とは最も近くに存在する物質であり、その肉体を強化する魔術は強化魔術の初歩だ。その為、強力な術式でなければ詠唱なしでも発動させることが出来るのだ。ちなみに先程の侵入者を放り投げたのも筋力を強化した彼女が行ったものである。

 そしてカナリアの強化された感覚は物にぶつかり反射してきた音を捉える。

 相手の位置と距離が分かるとカナリアは手にした杖を両腕で構え突進する。そのまま槍のように突き出した杖にみぞおちを突かれ侵入者はその場に倒れ伏す。

 この頃になると室内に充満した煙は急速に薄れていた。急速に広がるということは拡散も早い。

 次に扉が無理やり倒され3人が入ってくる。ドアノブに触れなければ『雷電池』による罠も効果はない。

 襲いかかろうとする侵入者たちに、カナリアはマントの裏から取り出した新たな小瓶の中身を振りかける。侵入者たちは一瞬怯むも特になにも起こらないとみるや、再びカナリアへ殺到する。

「『着火イグニッション』!」

 杖から吹き出した炎を浴びた侵入者たちがたちまち燃え上がる。全身と包む炎に恐慌をきたし転げ回る。先程の小瓶の中身は可燃性と揮発性の高い薬品である。それを浴びたため侵入者たちの体は燃え上がったのだが、実際には重度のやけどを負う程の火力は無い。

 彼らは最も軽傷であるのだが、全身を炎に包まれた恐怖で戦意を失ってしまったのだ。

 侵入者たちが炎の中で転げ回るの見たカナリアは窓から飛び出す。これ以上宿の中で戦うのは得策ではないと判断してのことだ。

 取り敢えず近くの納屋で待ち受けようと走り出した矢先、彼女の前に一つの影が佇んでいた。

 それは先程、感知した害意とは別の。害意と哀れみと悲しみが混ざり合う複雑な感情。そして親しいと感じる何か。

「アッシュ…?」カナリアがつぶやくと同時に影は襲いかかってきた。

 反射的に杖を構え神経と筋肉を魔術で強化したカナリアは、相手の剣を受け流す。

 しかしその一撃は重く受け流しただけで体勢を崩しそうになる。

(次は受け止められない…。)カナリアが思考すると同時に敵も動いた。首元を狙い放たれた突きに対し、膝を折り上体を大きくそらしかろうじて避ける。

 素早く体勢を立て直したカナリアの肩からマントが落ちる。先程の突きで留め具を切られていたのか?ともかくその技術や身体能力から相当な手練れであるのだがカナリアは違和感を感じる。

 それだけの能力を持っているのであれば、最初の一撃で自分は切り倒されていたはず。自分は魔力で身体を瞬間的に強化しているとは言え、剣術などは少し習った程度。そんな相手に自らの一撃を受け止めさせるのは……。

「あなた……。わたしを殺すことが目的じゃないのね。」

 押し寄せる恐怖を振り払いながら問いかける。しかし相手はプロフェッショナル。返答は期待していなかったが、予想に反して聞き覚えのある声で相手は答えた。

「カナリア。私の雇い主はあなたを捉えてくる事を望んでる。だからおとなしく捕まってくれれば危害を与えない。」

 改めて相手アッシュを観察すると、身にまとうフード付きの外套の下には昼間の格好だった。そして右手に握られている汚れ仕事には不釣り合いな意匠が入った美しい長剣を構えている。

「あなたにその気が無くても雇い主に依頼した人物はどう思っているのかしら?」

 カナリアが慎重に杖を構え直しながら答える。

「それでも、他の奴らに捕まるよりはマシだと思うけど……。拒否すると言うなら痛い目を見てもらう!」

 灰被が叫ぶと同時に距離を詰める。

「『増幅ブースト!』」即席詠唱を使用し、身体強化をより強く発動させカナリアも距離を詰める。

 まさか相手も距離を詰めてくるとは灰被も思わなかった。しかし、即座にタイミングをあわせて剣を一気に振り下ろす。その一撃をカナリアの反射速度はわずかだがその動きを上回った。すんでのところで一撃を避け、そのまま相手の背後に回り込む。

「『破裂ブラスト』!」

 自分の背後の空間に小規模の爆発を発生させる。その衝撃を背中で受け止め相手へとバランスを崩しながらも突っこむ。

 灰被が身体からだを捻り相手の方を向こうとした瞬間。脇腹に強い衝撃を受ける。カナリアが体当たりをしてきたのだ。普段であれば問題のない事だが、完全にバランスが崩れ受け身もとれなかった。そして灰被はカナリアともつれながら転がっていった。

 灰被は頭を打ち一瞬だが気を失った。そして目が覚めた時、仰向けに倒れていた自分に跨るカナリアがいた。

 僅かにしか光を捉えない瞳ではカナリアの表情は伺いしれない。しかし、その雰囲気は先程までの激しさも昼間の暖かさも感じられなかった。

 そこにはただ静かな張り詰めた空気だけがあった。

(私は負けたのか。)意識がはっきりしてきた灰被が感じたのは敗北だった。まさか自分が魔術師に遅れを取るとは想像もしていなかったが、負けは負けだ。生殺与奪は既に彼女が握っており、抵抗は無駄である。

 カナリアがおもむろに灰被の首に両手を向けてくる。(……ついにか。)灰被は観念し顎を少し上げ、彼女の手が首を掴みやすくした。

 首筋に手が当たる。昼間とは違い冷たい手だ。この手で絞められるのかナイフで裂かれるのか、もしくは魔術で焼かれるのか。

 カナリアが何かを呟いている、どうやらわたしは魔術で殺されるらしい。そう思っていた時、パチッと首元で何かが外れる音がした。

「やっぱり『強制呪ギアス・オブ・フォースの首輪』だったかあ。」

 どこか脱力した様な声をカナリアがあげる。同時に灰被の上から身体をどけた。

「何、どういう事?」

 灰被は訳が分からず、思わずカナリアに声を掛ける。

「あなたには強い呪いがかけられていたの。この首輪はその媒体。」

 カナリアは右手を灰被の前に出す。そこには黒い何かの革でできたベルト状の物があった。

「それは、私が主と契約した際に証として付けられた首飾り……。」

「付けた人を無意識のうちに服従させて、状況によっては着用者を凶暴化させる結構面倒な代物だよ。正規のルートではまず手に入らない様な類の。」

 それを聞き灰被は驚いた。クラヴィスは自分を信頼しているからあると思っていた。だからある程度の行動の自由を許していたと思っていたのだが。

 そもそも逆らえない様に仕立てられていたのだ、しかし…。

「何故それに気が付いたの?」

「気が付いたのは、初めて会った時。」

 カナリアは、ぶつかった後のアッシュの行動に違和感があった。とっさに手を差し出した時にアッシュの反応が遅れていた。

 目が完全に見えないなら分かるがアッシュは少しは見えていると言った。なら差し出された手に直ぐに反応できなかったのか。

 それについて彼女は行動に対し思考が遅れているのではないかと予想していた。

 物を見た場合、人は咄嗟に何かしらの反応をする。しかし思考の遅れ発生している場合は一瞬だけ無反応な状態となる。アッシュの反応も正にこれだったのだ。

 そこでカナリアはアッシュを分校内へ連れ込み、髪をとかしながら原因を探っていたのだ。

 もっともその時は首輪が怪しいと当たりをつけたが、確証が持てなかったので次の機会に解除をしようと思っていたのだった。

「じゃあ、友達になりたいと言うのもその為の……。」

 そこまで言った時、灰被は突然胸を締め付けるような感覚に襲われ、無性に悲しくなってきた。そして訳は分からないが涙が溢れてくる。負けたことが今になって悔しくなったのだろうか。

「そんな事は無いよ。友達になりたいていうのは本当のこと。」

 カナリアが自分の服の裾でアッシュの涙を拭いながら答える。

「だってアッシュは真っすぐでいい子だもん。お茶して話した時に直ぐに分かったよ。」

「……そんな。私カナリアが思っているような全然いい子じゃ無い。今まで生きてくために多くの人を傷つけてきたし……。」小さな嗚咽を交えながらアッシュが答える。

「そうだね。実は剣士だった事はわたしも少し驚いたかな。でも人を傷つけたのは率先してやったことでは無いでしょ?だからさ、それを償うためにもわたしに力を貸してくれないかな?」

 そこまで言うとカナリアはアッシュから1歩離れる。

「わたしはあなたの雇い主に仕事を依頼した奴らについて情報を集める必要があるの。だから、これからあなたの雇い主の家へ行って、その依頼の書類を探してくる。そしてあなたの雇い主の悪事の証拠も掴んで、それを白日の元に晒してやるわ。」

 カナリアが宣言する。

「だからアッシュには雇い主についての情報を教えて欲しいの。それをもとにわたしは証拠を探すわ。あとその間の足止めをお願いしたいの。もちろん……あっ!」

 そう言いながら自分の腰のあたりに手を伸ばす。そこでベルトも小物入れも身につけていないことに気がつき小さな声をあげる。

 そして改めて自分が寝間着姿で大立ち回りをしていた事を思い出し、慌てて周囲を確認する。

 近くに落ちていたマントを拾い全身を覆い改めてアッシュの方に向き直る。今更ながらそんな格好で堂々と話していた事が恥ずかしくなってきた。

「え~と、ともかく。これは仕事の依頼として、アッシュにお願いするの。前報酬でさっきの解呪と金貨。事件が解決したら街の領主から報酬が貰えるからそれを山分けでどお?」

 マントの内ポケットから金貨1枚取り出し、それをアッシュに差し出す。

「でも、罪滅ぼしなら、報酬なんて受け取らないほうが良いんじゃない?」

 アッシュはうつむきながら抗議するように言う。

「今回アッシュは正当な契約を結んで事に当たる必要があるの。これまで不当な契約で働かされていたって言い分を成立させる為にね。」

 イマイチ要領を得ない顔で小首を傾げるアッシュ。

「つまり『これまでは、呪いで強制されて汚れ仕事してきました』って筋書きを用意しておけば。事件解決後に例え無罪放免は難しくても情状酌量、減刑は確実。うまく行けば刑の執行を猶予してもらえるかもしれないってことよ。」

 ここまで言われ、カナリアはアッシュの罪を少しでも軽くするために言っていることに気が付いた。

 カナリアの気遣いはアッシュにとって、初めて受けた物だったがとてもうれしく感じた。

「分かったわ。今日、私はあなたに喜んで買われる。」

 アッシュは立ち上がり、涙を拭うとカナリアに告げる。

「『』ってもう少し違った表現してもらえるかな?『《依頼を受ける》』とかね?」アッシュが顔を赤くしながら訂正を求める。

 その慌てた雰囲気を感じ取りアッシュはくすくす笑った。

 こんな風に笑えるのも、初めてなのかもとアッシュは感じた。

「ともかく着替えたら行動開始するから、それまでに色々と話しを聞かせて。」

 そう言うとカナリアはアッシュへ金貨を投げ渡す。

 空中で素早くキャッチしたアッシュは金貨を一瞬見つめ、懐にしまった。


 アッシュの雇い主であるクラヴィスの屋敷までやってきたカナリアは周囲を見回し、誰もいないことを確認すると屋敷の裏へ通じる路地へと入っていった。

 いよいよ敵地に潜入する事を考えると自然と身体が震える。しかし、やらなければ自分の必要とする情報は手に入らないし、そもそもこの街で自分を狙っている奴らの動きを止めるためにも、親玉の悪事の証拠を見つけて然るべき所へ突き出してやる必要がある。

「はぁ……。」ため息とも深呼吸ともつかない息を吐くと、カナリアは意識を集中し『浮遊レビテーション』の呪文詠唱を開始する。

飛翔フライト』なら魔術は即席詠唱でも発動可能で移動速度も早い。しかし、細かい制御が効かない上、速度ゆえに大きな音が出てしまう。

 潜入しようとしているのに爆音を撒き散らした上に、制御に失敗し建物に突っ込んだら元も子もない。その為、この様な時は歩く程度の速度しか出ないが、細かい制御が可能な『浮遊』の方が向いているのだ。

 -後は計画どおりにアッシュがうまく時間を稼いでくれる事を祈るだけね。-


 宿に戻ったカナリアは手早く着替えながら、アッシュと打合せを行った。

 手順は簡単だ。アッシュが元の雇い主であるクラヴィスを彼の屋敷からおびき出しているうちに、カナリアがクラヴィスの屋敷に潜入し依頼主との契約書や悪事の証拠を奪う事である。

 幸いカナリア襲撃についての報告をクラヴィスの館から離れたところにある小屋にて行うことになっていた。要はカナリアが潜入している間、その場所に引き止めておけばいいのだ。

 2人は打合せると宿の前で分かれ行動を開始した。

「そう言えば、ここで襲ってきた奴らいなくなっていたわね。ほとんどが気絶していたと思うんだけど。」

 カナリアが周囲を見回し今更ながらに呟く。

「一応、支援要員は用意していたから。彼らが回収したんでしょ。」

 当然のことの様にアッシュが返す。

「それって、わたし達が戦っていた始終を見られていた可能性ない!?」

 慌てるカナリア。

「大丈夫。あいつらはあなたが外へ出ると同時に宿へ入っていたけど、その後は倒れている奴らを回収するので手一杯で私達の方へは来ていなかったから。それに戦っていた所って宿から離れていたし。」

「ならいいんだけど。じゃあ、後は手はずどおりにね。」

 アッシュの言葉に冷静さを取り戻したカナリアはそれだけ言うと踵を返し大通りへ向けて何事も無いように歩を進める。アッシュもまた音もなく闇に埋もれるように姿を消した。


 クラヴィスの館の裏側の通り沿いにあるそれなりの大きさが有る小屋。

 襲撃前と後の集合場所を変えているのは、敵対組織への対応として念の為の行っていることだった。もっとも今となってはこの街でクラヴィスと競争する組織は有っても積極的に敵対する組織は無い。多くの役人を懐柔しているクラヴィスと敵対することは、同時に彼らと敵対することになりかねない為、うかつには手を出せないでいるのだ。

 アッシュはその事を事前にカナリアにその事を伝えているが、「問題ない」とだけ返していた。自信が有るような言い方から何か策が有るのだろうと考え、深く詮索はしなかった以上、自分は出来るべき事をやるだけだ。

 音を立てずに扉を開ける。支援要員である4人と軽度の火傷を負った3人がそれぞれに座り、ある者は酒を飲み、ある者は傷の手当をしていた。

 彼らは己の仕事の結果も確認せずに帰還していたが、アッシュが動いた時点で仕事の成功を確信していた。

「おっ。戻ってきたのか。灰被。」

 一人の男がアッシュに気が付き声を掛ける。同時に全員がアッシュに顔を向ける。

「目標の女はどうした?ああ、っちまったのか。結構いい女だったのにもったいないことするな。」

 薄ら笑いをみせつつ男が問いかけるが、全てを察した様に一人納得する。

「……。彼女は生きているわ。」

 アッシュが小声で答える。話しかけた男は怪訝な表情を浮かべながらアッシュへ近づく。

「ああ?どう言う事だ灰被さんよ?まさか失敗したとか言うんじゃねだろうな。」

 アッシュの眼前で凄む男。

「そう。わたしも負けたから請け負った仕事は失敗したの。」

 周りの空気が一気に凍りつく。

「なっ、何勝手に帰ってきてんだよ!仕事終わってねえのに!!」

 酒を飲んでいた男が自分たちの事を棚に上げて激昂する。

「だから……。」アッシュはうつ向きながら、目の前の男の右肩を掴む。

 何が起きたか分からない様な顔をする男のみぞおちに拳を打ち込む。

「新しい仕事を受けたの。」崩れ落ちる男を前にそう宣言すると、その男の顎へ膝を振り上げた。

 鈍い音を立てて仰向けに倒れる男。近くにいた火傷の男の一人が傷を負っていない右手で近くにある自分の獲物である手斧を取ろうとするが、その瞬間右手に鋭い痛みが貫く。男の方に顔を向けずに投げた投擲用ナイフが男の右手に突き刺さっていた。

 次の瞬間、ナイフを手から抜こうとした男の側頭部へブーツのつま先で蹴り抜く。その一撃で男は昏倒する。

「ぐおおおおっ!」事態を飲み込めたのか大柄な男がアッシュへ掴みかかろうと姿勢を低くして突っ込んでくる。この男、力は強いが状況判断が弱いため、支援要員に回されていた男である。

 アッシュは掴みかかる男を軽々と飛び越えると男の顎を背中越しに回した両手で掴む。勢いを付け両足で着地。そのまま上体を丸めテコの原理で男を投げ飛ばす。

 男たちは街の中の荒事については一流だったがそれは戦闘に精通している事と同義ではない。しかしアッシュは天賦の才に加え、荒事と戦闘がイコールで結ばれるような人生を歩いてきたのだ。その様な相手に男たちは無力とは言わないまでも全く歯が立たず、少女アッシュにいとも容易く制圧されてしまった。

 小屋の制圧が終わるとアッシュは道へと出る。微かだが向かってくる人の気配がある。時間的に恐らくクラヴィスであろう。細心の注意をしていたとは言え、大立ち回りを演じていたのである。クラヴィスが気が付いてないとも限らない。アッシュは気配を殺し道端に隠れる。

 迫ってくる気配は2人。並んで歩いている。一方がクラヴィスならもうもう1人は護衛だ。しかし、アッシュの目ではこの暗がりではどちらかクラヴィスか判別がつかない。気配で相手との距離はある程度は分かるため戦闘で人並み以上に立ち回れるアッシュであったが、その目ではこの様な状況で的確に目標だけを狙うことが難しかった。

 2人の足音が近づいてくる、襲撃タイミングまで5歩、まだどちらか分からない。

 4歩、3歩、アッシュは意を決し手前の男に狙いを定める。

 2歩、静かに愛用の長剣を鞘から抜き放つ。

 1歩、姿勢を低く構える。

 今。アッシュが道へと躍り出ると同時に上段から切りつける。斬撃をまともに受けた男は倒れた。


 3階のバルコニーへと降り立つとカナリアは窓を開けて侵入する。さすがに近くに樹木が無いバルコニーからの侵入は想定したいなかったのであろう。鍵はかかっていなかった。

 部屋を抜け廊下へと出たカナリアはアッシュから聞いた屋敷の内部を思い出した。1階は主に店舗。2階が使用人や奉公人たちの部屋で3階にクラヴィスの部屋や客間がある。

 先程降り立った部屋は客間であったのだろう。調度品などは豪華だが生活感がまるで無かった。となると残り3部屋の中にクラヴィスの書斎がある。そこに表に出せない様な書類を保管しているはずである。

 アッシュの話ではクラヴィスは表の事業と裏の稼業では明確に人を使い分けている。その為、クラヴィスの宝石店に務める奉公人たちは裏稼業の事を知らない。そんな奉公人が出入りする1、2階に裏稼業の証拠を保管することは無いだろう。事実、カナリアの襲撃する時も裏口から専用の階段で3階へ上がってから指示を受けたという。

「ハズレか、時間も無いしまいったわね……。」廊下へ出たカナリアは呟く。

 元々、一発で当たるとは思っていなかったが、その場合どの部屋へ入るかは慎重に調べる必要がある。アッシュは裏から出入りしていた為、表の通路であるこの廊下の事を知らない。つまりカナリアは今、全く情報を持っていない所に立っていることになる。

 焦る気持ちを抑えつつ、アッシュから聞いた裏口の位置を思い出す。裏口を入っていすぐの所に階段が有るとのことだったので、恐らく裏口と同じ方向に部屋が有ると思われる。その為、この客間を侵入口として定めたくらいだったので、客間の向かいは除外していいだろう。

 残るは客間の隣と突き当りの部屋。しかしどちらの部屋の前も階段が見える為、行動には細心の注意が必要である。

 カナリアはしばらく下の階で動く気配がないことを確認すると、杖を握り直し小声で呪文を詠唱する。

解析アナライズ』。物質に含まれる魔素と呼ばれる魔力に反応する物質を利用することで周囲の状況を解析する魔術である。この魔術は術者の周囲の構造を大まかに把握することができるが、精度は周囲の魔素の濃度にも関係する。これは魔素が多い物質はこの魔術に強く反応してしまうため、周囲の反応を捉えられなく事が有るのである。本来は魔素の強い場所を探る魔術であるので、これは正しい反応であるのだが……。

 幸いにもこの階に極端に魔素の強い物は無かったらしく、カナリアは概ねこの階の部屋の構造を把握した。向隣の部屋もベッドが有るが数が1つであり、それ以外は特に無いところからクラヴィスの寝室と思われる。

 向かいの部屋はベッドが複数ある為、もう一つの客間であろう。

 そして、突き当りの部屋にはテーブルと思われる物体があり、その他にも箱状の物が幾つかある。そして、その部屋の端には小さな別の空間が有るようだった。

 十中八九、突き当りの部屋がクラヴィスの書斎と踏んだカナリアは慎重に音を立てないよう廊下を進み、部屋の前へとたどり着く。ゆっくりドアノブに手をかけてみるが回らない。鍵がかかっている。

 カナリアは魔術による解錠を開始する。魔術による解錠と言えば聞こえはいいが、実際には範囲を限定した『解析』で鍵穴の中の構造を解析し、『操作プロセス』を使い鍵の凹凸に合わせた動きを再現し解錠させる非常に地味で神経を使う作業である。

 職業盗賊の者から見れば喉から手が出るほど欲しい魔術であるが、魔術師にとっては神経がすり減るが面白みのない作業となる。とは言え今カナリアにとっては必須の作業である。左手でドアノブを持ち、額に汗をにじませながら右手の指を痙攣させるかのごとく少し動かす。

 やがてカチャリと音を立てドアが開く。この時点でどっと疲れがでたが、休みを取る暇は無い。

 すばやく部屋に入りドアを締め鍵を掛ける。

 改めて部屋の中を見回すと、様々な調度品の他に、所々に使い込まれた宝石加工の道具が飾られている。クラヴィスは元々宝石加工の腕も良かったと聞いている。何を間違えてこの様な汚れ仕事を受けるようになってしまったのか。カナリアは少しさみしい気分となったがその思いを振り払い、あたりの捜索を始めた。

 最初はテーブルに備え付けの引き出しに入れてあるかと思ったが、そこにはペンやインクぐらいしかなかった。

 改めて周囲を見回すとふと違和感に気が付いた。この部屋に1箇所だけ絵画が飾られている。

 その絵画が怪しいのではない。その横だけ手垢で汚れているのだ。

 よく見れば絵画の横に飾られていると思っただが壁に接続されている。

 もしやと思いノミを捻ってみる。するとノミの周りの壁が外れる。

 広い空間ではないが、中に箱が安置されている。

 カナリアはそれを取り出し開けてみる。その中には何枚もの羊皮紙が収められており、その中の一番上には見慣れた人相書きが描かれた書類。最後の署名部分に目を走らせる確認すると、カナリアはその紙を懐にしまう。

 そして他の羊皮紙を斜め読みしていく。どれも役人や顔役への賄賂や請け負った汚れ仕事に関する金額等を記載した物であった。

「よし見つけた。」カナリアは蓋を閉じると、箱を小脇に抱え部屋を後にし、再び客間のバルコニーから館を脱出した。

(もうアッシュの足止めは始まっている頃だ。わたしはやるべき事を終わらせてアッシュの加勢に行かないと行けない。)

『浮遊』を解除したカナリアは走り出した。


「おのれ何奴!」よく聞き覚えのある声が響いた。

(しまった…)アッシュが切り倒したのは護衛の男だった。すぐにアッシュは体勢を立て直し下段から長剣を振り上げる。その一撃はわずかだが届かない。元々奥にいたクラヴィスを狙っての位置取りはしていない為、当然と言える結果だった。

 今の斬撃でバランスを崩しているアッシュは体勢を整えるために、一度間合いを取る。

 その間にクラヴィスは護衛の男が身につけていた剣を引き抜き構える。

 アッシュが踏み込み牽制を含めた連撃を放つ。クラヴィスは全てに対応せず本命の一撃だけに集中しかろうじて避け、そのまま距離を取る。その際、追撃しようとするアッシュに対し牽制の斬撃を忘れない。

 その時、護衛の落とした松明の明かりがアッシュの顔を照らす。

「お前かアッシュ!育ててやった恩も忘れたってのか!」

「私はあなたから報酬を受けて仕事を受けていたが、育てられた覚えはない。」

 アッシュが冷静に返す。

「かっ金か?あいつからいくら貰った!」

 クラヴィスは月並みな言葉を叫ぶ。普段であれば切れ者とも言われた人物ではあるが、状況が故に思考が巡らなくなっているのだろう。

「あなたから貰う額より少し多めの金額。それに……」

 アッシュは何の感情も無い声で答えながらゆっくりと長剣を構える。

「ヒッ」クラヴィスの喉から声が漏れる。

「……それに、あなた以上に人として扱ったってとこでしょ」

 別の方向から声が男に投げかけられる。

 クラヴィスが声の方に顔を向けると、いつの間にか大通りの方向に別の少女が立っていた。

 アッシュとは対照的に強い意思を感じる瞳と不敵に微笑むカナリアだった。

 男は狼狽しながらカナリアから距離を取ろうとする。しかし後ろにはアッシュ。

「わたしを狙ったのは、に依頼されたからでしょうね。その件については二度とわたしに手を出さなければ水に流すけど……。」

 カナリアが一拍おくとそれまで浮かべていた微笑みが消える。

 クラヴィスを射抜くように見つめ、手にした杖を男に突きつけ声高に宣誓する。

「これまでの所業、万死に値します!」

 杖を突きつけられ鼻白んだクラヴィスが激昂する。

「きっ貴様、たかが見習いの錬金魔術師にそんな権限ある理由が…」

「あるわよ。」

 カナリアが事も無げに答える。

 訝しげな表情を向けるクラヴィスの足元に一筋の光が突き刺さる。

 思わず後ずさるクラヴィスが路地に突き刺さるものを見る。

 それは、カナリアが投げた1本の短剣だった。その柄に彫刻された白金の白鷲紋章を目にした時、クラヴィスは思わず声を上げた。

「……そう。わたしの本当の名前は『アシュタリア・カナード』。誉れ高き連合王国の東の守りであった『ヴァイス公国』元継承権1位の公女よ。」

 カナリアが朗々と自らの身分を証す。

 ヴァイス公国は連合王国の東側国境線沿いに位置する国であり、長らく連合王国の守りの要所として栄えていた。しかし隣接する連合王国を形成する1国である『ロッソ伯領国』が突如侵攻し、またたく間に占領してしまったのだ。

 この戦いでヴァイス公国のカナード公は戦死。その一人娘である公女アシュタリアは以前から名を変え留学しておりその所在は不明とされていた。その公女殿下が今目の前に立っている少女であるとはクラヴィスにはにわかには信じられないが、彼に依頼してきた者たちの事を考えると事実かもしれない。

「我が公国が滅ぼされてから約半年。既に公国の消滅は連合王陛下によって承認されてしまい、私は廃された公女でしかない。それでも中央政府にはそれなりに顔が効く。つまりあなたに買収されていない役人達に証拠を引き渡すので覚悟することね。それとも街の領主に自首でもする?彼は買収された人物のリストに無かったしね。」

 カナリア(=アシュタリア)はクラヴィスを睨みつけながら意地悪そうに言い放つ。

「どちらにしても宝石商としてのあなたはお終いよ。おとなしく降伏して罪を償いなさい。」

 カナリアはクラヴィスに命令するが、クラヴィスは「クックックッ」と喉の奥で笑い声をあげる。

「やれ灰被。俺を守りあの女を排除しろ。」

 クラヴィスがアッシュに命令する。その瞬間、アッシュがビックと震えると。ゆっくり歩き出す。そのままクラヴィスの横を通り抜けカナリアに向けて歩いていく。

 そして、ゆっくりと長剣を振り上げるアッシュを見つめるカナリアの表情は、先程までの勝ち気の笑みが消え恐怖がにじみ出てきていた。

「ウッ、ウソ……。解呪が完全じゃなかったなんて……。ね、ねえアッシュ。負けないで、あなたなら不完全な強制呪ぐらい抵抗できるはずよ!」

 震えるように1歩後ろに下がるカナリアに対し、1歩踏み込むアッシュ。次の瞬間、無言で間合いをつめたアッシュが長剣を振り下ろす。

「キャツ!」カナリアは悲鳴を上げつつも咄嗟に振り上げた杖で一撃を受け止めるが、その勢いを殺すことができずその場にへたり込んだ。

 その様子を見ていたクラヴィスは自分が使っていた護衛の剣をその場に投げ捨て、カナリアのもとに歩み寄った。

「例え本当の公女様だったとしても詰めが甘いなお嬢さん。」

 心底嬉しそうに笑みを浮かべながら、懐から自分の愛用の短刀を取り出すクラヴィス。

「降伏して罪を償えだって?あなたがこの街から消えれば何も問題ないのですよ公女殿下。」

 短刀の腹がカナリアの頬に当たり、冷たい感触が全身へと伝わりさらに顔が強張る。クラヴィスは短刀をカナリアの頬から離すと、その短刀でマントの留め具を弾き飛ばす。留め具を失ったマントが地面へと垂れ落ちカナリアは大きく目を見開き瞳に涙を貯めていた。

 その状況がクラヴィスの嗜虐心に刺激を与えたのか、カナリアに覆い被さるように顔を近づけ脅すように言い放つ。

「俺が用意した強制呪の首輪はそんじょそこら学生が解呪できる代物じゃあないんだよ!」

「何言ってのよ。首輪が既に外れているのに強制呪なんか効力発揮しているわけないじゃない。」

 それまで恐怖に顔を歪ませていたはずのカナリアが突如、平然と言い返す。

「何っ!?」思わず灰被の方を見返すクラヴィス。確かに首輪がついていない。では……。

 驚きに身体が硬直したその時、己の首に何かが巻きついた。

 慌ててそれを手で掴むと馴染みのある幅、喉仏の下の位置にある何かの金具、まさか。

「あなたが用意した強制呪の首輪。彼女から外しておいたからお返しするわ。」

 微笑みながらカナリアは告げると、そのままクラヴィスの腹を蹴り飛ばした。

「確かにその首輪に付与されている強制呪は相当強力よ。でも首輪に付与されている以上、その首輪を取り外せば強制呪の効果が無くなるのは当然よ。」

 無様に倒れるクラヴィスを見ながら、腰に手を当て説明するカナリア。

「カナリア。大丈夫だった?」心配そうに近づくアッシュに対し「ありがとっ」とカナリアは軽く返す。

 間もなく学術院が呼んだ衛兵やって来た為、2人は事の次第を説明するのであった。


 その後、クラヴィス一派だけでなくカナリアとアッシュも衛兵の詰め所へと行くことになるが、証拠が揃っており学術院の後ろ盾も有ったため、カナリアの証言は全面的に信用されることとなり、カナリアには報奨金が渡され、アッシュも今回は不問となった。


 事件の翌々日。

 カナリアが次の街へ旅立つ日である。宿で準備をしながらカナリアはこの街での出来事を思い出していた。

 今回も大変だったが、この街では掛け替えのない友を得ることができたと思う。

 ただ彼女はこの街の住人である以上、自分がこの街へ来なければ会うことは難しいだろう。そこだけが少し寂しいかもしれない。

 荷物を全てリュックへ収めた事を確認し、そのリュックを背負う。

 そのまま扉を開け、階段を降りて出口へ向かうと、1人の人影が立っていた。

 質素だが、実用的なマントや衣服、ブーツに身を包み、その格好とは不釣り合いな豪華な作りの長剣。カナリアが気に入っている長い白髪とくすんだ瞳。間違いなくアッシュだった。

 驚いて歩みを止めたカナリアに気が付いたアッシュは、彼女のそばまで歩いてくるとその手を取った。

「おはよう、カナリア。わたしも旅に出ることにしたんだ。」

 どこか嬉しそうなアッシュだったが、カナリアはその事に少し悲しい顔になった。

「え、やっぱり事件のことで居づらくなっちゃったの?」

 そんな問いに対しアッシュはゆっくりと首を横に振る。

「違うよカナリア。わたしねあなたと一緒に行動しているうちに自分が誰なのか知りたくなったんだ。」

 そう言うとアッシュは愛用の長剣に手を置く。

「私ね物心ついた時にはこの剣を肌身離さず持っていたんだ。孤児同然だった私がこんな立派な造りの剣を持っていたなんて不自然だけど。でもだからこそこの剣について知っている人がいたら、私が誰なのか知っているかもしれないって思ってね。」

 それを聞いてカナリアは安堵する。

「そうか、アッシュは前に向かって歩き出すために旅立つんだ。なら安心した。」

 我が事のように喜ぶカナリアの雰囲気にアッシュも微笑むが、次に少し困った様な表情を浮かべる。

「それでね、旅は初めてなんだけど。……カナリアがよかったら、一緒についていっちゃダメかな?」

 恥ずかしそうに提案するアッシュ。それに対しカナリアは嬉しくなり思わず抱きついていてた。

「そんなの全然問題ないよ。わたしは後1箇所届け物をしたら学術院へ戻るんだ。院ならアッシュの剣のこととか知っている人、いるかも知れないから一緒に行こうよ!」

 2人の少女は笑いながら宿を後にた。


 カナリアアッシュ

 二人の少女の旅はこのときから始まった。やがてそれぞれの出生にまつわる謎と陰謀が錯綜する冒険となるのであった。

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鳥と灰 カナリア ファーストエピソード改定版 サイノメ @DICE-ROLL

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