雪の果て

笹岡耕太郎

第1話 出逢い

プロローグ


「僕があなたを欲しいと言ったら、怒りますか・・・?」

上条達也の正直な言葉であった。

「…………怒りませんけど…、あなたは私を誤解してるわ…」

「僕には、その資格がないと・・・」

「いいえ、でも、あなたは私のことをまだ何も知らないでしょ。私には、人から愛されることも、人を愛する資格なんて無いんだわ………」



  *


2日ほど前に遡る。

上条達也は、糸魚川で北陸新幹線を降りると、日本海ひすいラインに乗り換えた。普通列車で行くことに大した理由がある訳でもなかった。特に急ぐ必要がなかったことと、冬の日本海を見てみたかったのである。

雪のあまり降らない土地に住む者にとって、日本海の冬景色にはある種の憧れがあるのは確かであった。それは、まだ見ぬものへのロマンであるのかも知れない。

 一時間に一本ほどの列車が糸魚川駅を離れると同時に、海からの風に煽られた雪が窓ガラスに張り付くと大方の視界が妨げられた。風が少し弱くなると、車内の暖気が窓ガラスが張り付いた雪を溶かし、視界が開けていく。それを何度か繰り返すうちに、隣の青海駅に着いた。ここから列車は、日本海に並走する形になるのだ。

 白波が激しく岸辺に押し寄せている。しかし、沖は全く見通せず鉛色の重苦しい幕を下ろしているようである。想像してた美しさというより、得体の知れない不気味さを秘めている。上条は、身震いするほどの恐怖感を覚えていた。


 列車は、一両編成であり車両には五人の乗客しか乗ってはいないようだ。

すでに午後四時を過ぎている。これから観光地に向かうとは考えらえない人々である。達也を除くすべての人間がこの土地の住人であるのだろうと、達也は思った。

 次の停車駅親不知は、無人駅であった。降車する人間もいない。

ホーム上は、海からの強い風が運ぶのだろうか、大量の雪で覆われている。海側には、国道8号線と北陸自動車道の高架橋が並列する形で存在していた。海岸にせり出すように作られているのは、山側にはその余地が残されていなかったのだろう。

高架橋を支えている無骨なコンクリートの柱の群れが、この土地特有の過酷さを想像させている。

 かつて、北陸街道は波打ち際を通っていたのである。特に外波(となみ)から市振(いちぶり)にかけては、断崖絶壁が15kmほど連続する交通の難所であったらしい。親不知と名付けられた地名も当時の通行する人々の困難さを思い起こさせるものがあった。


 列車は、発車時刻を過ぎても動く気配を見せていない。二列前の席に座っているのは母娘であろうか、二人で窓外の景色と腕時計を見ては、何かを話し合っている。さすがに、達也も出発しない理由が分からないだけに、いら立ちを覚えてくる。

「お客様に申し上げます。先の踏切の信号故障のためしばらくこの駅で停車となります・・・。ご迷惑をお掛けしますが、発車までしばらくお待ちください」

車内のアナウンスに事情が呑み込めた達也であったが、30分ほど経っても状況は同じであった。母娘は、迎えの車が来たらしく、達也に会釈をすると降りて行った。

そして、さらに30分後のアナウンスは決定的な救いのない状況を知らせるものであった。今夜中に動く可能性は低いというのである。

 達也は、このまま列車内で一夜を過ごすか、近場の民宿でも捜して朝一番に出発をするかという決断を迫られることとなった。急ぐ旅では無いのだ。仕事でもなかった。温かい風呂でも入り、地元の料理を味わうのも悪くはないと考え始めていた。説明のためにやって来た車掌に、達也は聞いてみたのである。

「駅の周辺に、民宿はありませんか?」

「・・・そうですね。一軒あることはあるのですが・・・、小さな宿でして、運よく空いているかどうか・・・」若い車掌は、自信なさげに答えた。

「あるのは間違いないのですね。電話番号は、分かりますか?」

「確か・・・、駅舎にチラシが張ってあって、そこに電話番号が・・・」

「そうですか、駄目もとで聞いてみますか・・・。ありがとうございます」

達也は、車掌に礼を言うと、雪で覆われたホームに降り無人の駅舎に向かおうとしたのだが、女性が一人不安げに座っているのが目に入って来た。学生らしい男は、すでに降りたらしい。

達也は、五列前に座っている女性に近づくと声をかけた。

「僕は、近くに民宿でもあれば、そこに泊まる予定なのですが、あなたは車が迎えにでも来る予定がおありなのですか?」女性を一人この列車の中に置いてはいけないと、なぜかしら達也は思ったのである。

「………わたしも出来れば、そうしたいと…」女は、突然の声かけに戸惑いながらも、達也を見上げながら返答を返してきた。決して美人ではないが、雰囲気と瞳は美しかった。

「では、駅舎に連絡先が書いてあるらしいので、一緒に来られませんか? この雪です。泊まるのであれば、早いにこしたことはないと思いますから・・・」

「そうですわね。では、私もご一緒に…」女は、きっぱりとした性格の中に品の良さを秘めているようであった。

 達也と女は、雪を防ぐための回廊を歩き待合室に入った。親不知の駅舎は二階建の木造であるが、駅務室は閉鎖されていて無人駅であることが分かる。使い込まれた木のベンチが、この駅舎の歴史を語っていた。

「この民宿のことではないかしら?」女が、壁に画鋲で止められた民宿名と電話番号が手書きで書かれていたA4版を指さすと、明るい声で言った。

「間違いなさそうですね・・・」

「絶対そうだわ」

達也と女は、顔を見合わせながら納得し合う。女の顔から緊張感が抜けたのか、自然な笑みがこぼれ出た。

「じゃあ、僕が確認してあげましょう」

達也は、携帯を取り出すと、期待感をこめ番号を押した。

「はい、二見館です」歳を取った女の声であった。

「これから、伺いたいのですが、部屋のほうは・・・?」

「一部屋なら、空いていますが…、何人様ですか?」

「二人ですが・・・」

「はい、承知しました。お車ですか?」

「その前に・・・、一緒の部屋という訳には・・・」

「…、と言われましても…」女の困惑が伝わって来る。

「・・・、では一人という事で・・・」

 達也は、心配気なおんなの顔を見ながら決断をしたのだ。

「はい、では今どちらに?」

「親不知駅にいるのですが・・・、車で迎えに来てもらうことは・・・?」

「分かりました。では、10分程お待ちください」


「…、……… 」

女は、一人という言葉の意味が良く理解出来ず、達也の顔を見つめている。

「安心して下さい。僕は、列車に戻りますので・・・」

冷静を装うが、落胆は隠しきれるものではなかった。

「そんな………、私が残りますので………」

「そんなこと、出来ませんよ。僕はこういうの慣れてますから・・・」

「嘘ばっかり…、早く温かいお風呂に入りたいって、顔に書いてありますよ」

達也が、顔を手で拭う仕草をすると、待合室の空気が少しは温まった気がしてきた。


「お待たせしました。二見館ですが・・・」

声の主は、白髪の初老の男であった。ガラス戸の向こうに『二見館』と書かれた ワンボックスカーが停まっている。

「ありがとうございます。さあ、行きましょ、あ・な・た…、」

女は、意を決したように達也の腕を掴んだ。

「でも・・・、」達也は戸惑いを感じたが、女の言葉をうれしく思った。

「男らしくないわ。男は度胸でしょ」女は、耳元で囁いた。

「分かりました。行きましょう」

達也と女は、顔を見合わせると、夫婦のような自然さで車の中に乗り込んで行った。

 


 *


 

 その日の早朝のことである。

萩原紗月は、エレベーターを降りると、足早に玄関に向かった。後ろを振り向くが夫、柾彦の姿は見えない。安堵感が呼吸の落ち着きから伝わってくる。

昨夜、晩酌を理由に多量の酒を夫に飲ませたのである。当然紗月も付き合うことになり、したたか酒を飲まされていた。一睡も出来ずに朝を迎えることとなった。まだ、酒は少し残ってはいるが、気を張っているせいかしっかりと歩くことは出来る。子供がいないことが、決断を早めさせた理由の一つと言えるのであった。                 

 紗月は、マンションから続く長い坂道を下りきると、沿線沿いを足早で駅に向かった。まだ時間が早いせいか通勤客もまばらである。

紗月は、高架下にある改札口に着くと、あたりを見回した。やはり夫が追ってくる様子は見えない。ここまで来て、やっと歩調を緩めることが出来たのである。

 

 結婚生活は、10年も前からすでに破綻しているのだ。これに気付いていないのは、夫らしいと言えた。愛し合い、求めあったその結果の結婚であったはずなのだ。結婚当初は、優しくもあり理想的な夫であった。心から人間として尊敬もしていたと言える。そして、20年も経った今、紗月は夫を捨て、家庭を壊す行動に初めて出たのである。しかし、紗月自身がある人物との約束を果たす以外、これから何処へ向おうとしているのか、自分でも分からない精神状態の中にあったのである。



 紗月はセンター北駅から、新横浜に向かうと、新幹線で東京駅に出た。

この旅は、自分が生きて来た過去20年のすべてを断ち切るための逃避行であると言えた。金沢行の『はくたか553』は、発車メロディがホームに響き渡ると、滑るように定刻通り東京駅23番線を離れて行く・・・。




第2話に続く




作者の言葉


 しばらく、男と女の現代における究極の愛の形を描いていなかったので、心の内を吐きだすように書き始めてしまいました。したがって、プロットも何も考えていないので、大した紹介文すら書けていないのです。最初に浮かんだのは、上条達也と萩原紗月がたまたま乗り合わせていた冬の日本海沿岸を走る列車の中で出会う場面でした。

 大人の女と男の出会いです。当然背負うものは多く、簡単には踏み出せない事情があったのです。身体がお互いを求めても、心が追い付いていかなければ、同じ苦しみの繰り返しになるだけなのです。それでも、縋るように求め合う男と女。


旅をした土地の記憶を添えてみました。そこに旅情を感じてもらえたなら、作者の望みの半分は叶えられたことになると思うのです・・・。


 

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