第3話 「鏡を割りつづける」
翌朝、あたしはニットキャップを目深にかぶってウィッグを買いに行った。夜じゅう抜けつづけた白髪は、もう数本しか残っていない。ママたちはウィッグを見てへんな顔をしたけれど、ヘアスタイルを変えたの、とごまかした。
机の上には、美しく髪が揺れる少女像がある。
あたしはじっと像を見た。
髪の動きが加わったことで、少女像は確実によくなった。逆に、悪い部分も目立つようになった。
皮膚の質感がなめらかじゃない。ざらざらしていて髪にそぐわない。
やがて――夜に交じって悪いものが湧いてくる。
「取引だ。今度は皮膚だ」
小人が跳ねると、そいつの黒い髪も飛び跳ねた。昨日まであたしのものだった髪。
もう取引なんてやめよう。そう思いながらあたしは、無意識に左手の親指をなでていた。甘皮がささくれになっている。
邪悪な小人が笑った。
「四軒むこうで、猫が消えた。尻尾がちぎれた猫が、見つかった」
あたしはピンときた。美桜だ。美桜の彫刻に、また魔法がくわわったんだ。
完璧な彫刻がもっと完璧になっただろう。
そう思った時、あたしは親指のささくれを一気に引きちぎって少女像に刺した。
白い煙がたち、天使が仕上げをしたような少女像が立っていた。
あたしは手を伸ばして少女にふれた。木とは思えない、すべらかな肌。
そして柔らかい木肌をなでる、しわだらけ、シミだらけの手。
……しわとシミ? あたしの手に? あたしは鏡を見た。
全身の皮膚が乾ききり、たるんで落ちていた。顔のしわはどこまでも深い。
あたしは悲鳴を上げた。
「いやいやいや、なにこれ。誰なのよ、このお婆さんは!」
「取引だ。像は良くなった」
小人が言う。あたしは少女像を見る。美しい、確かに美しい。
あたしはつぶやいた。
「肌くらい、なんなのよ……髪ぐらい、どうってことないわ……」
翌日からは――もう泥沼だった。
あたしは邪悪な小人に関節を売り渡した。肩、腰、手首、膝。少女像のギクシャクした動きは軽やかになった。
そのかわり、あたしは肩も膝も上がらなくなった。いちど無理に力を入れてみたら、カサカサの皮膚の下で骨が折れそうになった。全身が信じられないほど重くて、部屋の中を歩くのが精いっぱいだ。
こんな姿を見たらママたちが心配する。だから部屋から出られない。あたしは引きこもりになった。
学校にも行かず、あたしは毎日少しずつ鏡を彫刻用のノミで割った。腕に力が入らないから、すごい時間がかかった。鏡を割る以外の時間は少女像を見ていた。自分が生み出した完璧な美を見るときだけ、あたしの気持ちは休まった。
身体を失った価値はある。これほど美しい少女像なら美桜に勝てる。
なのに、邪悪な小人はいやな声で言った。
「隣町で、猫が見つかった。皮をそっくり剥がれた猫だ」
あたしは小人を見た。
あたしの髪を生やし、あたしのなめらかな皮膚をまとってあたしの関節でピョンピョンと跳ぶ悪魔。
きしむ声があたしの口から漏れた。
「もう……渡せる……ものは、ない」
「あるあるある」
邪悪な小人はあたしの声で答えた。
「歯を寄こせ、目を寄こせ。完璧になる。表情がでる」
ああ、とあたしは思った。その通りだ、なぜ気づかなかったんだろう。
美桜の猫がどれほど生き生きしていても、生命力あふれる人間にはかなわない。
目と歯。たったそれだけで、あたしの少女像は天使がつくったものになる。美桜に勝てる。
あたしは答えた。
「あげる。歯をあげる、目をあげる」
あたしは曲がった指をひび割れた唇に突っ込んだ。もう邪悪な魔法が始まっているのか、何もしなくてもポロリと歯が抜け落ちた。明るい日差しにかざすと、あたしの歯は真珠のように輝いた。
「きれい」
あたしは名残を惜しんで白い歯を見た。あたしの身体に、最後に残った美しいもの。そして歯を少女像の口に押し込み、カギ爪のように曲がった指先を。
自分の右目に――
つっこんだ。
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