第8話

 久志と俺との病室での気まずい空気を、携帯電話の着信音が切り裂く。鳴ったのは、今ほど充電器に挿したばかりの俺の携帯電話だった。

 着信画面には、発信元の番号が表示されているものの、電話帳登録者ではない。

「はい、もしもし」

「あっ、高柳?あんた、大丈夫なの?」

 聞き覚えがある声だ。しかも、女の声なのに、喋り口調は如何にも男っぽい。でも、何故?

「あ、ああ。大丈夫っちゃぁ、大丈夫だけど・・・」

「よかったぁ・・・。いや、ごめん、私、誰だか分かるよね?イシザト、石里 雅美だけど、分かる?」

「ああ、分かるよ。でも、何で・・・?」

「そっかそっか、そうだよね。実は、私も久しぶりこっちに帰って来てて、高校時代の昔話でもしながらお酒でも飲みたいって思ってさ、こっちに残ってる土屋とあんたに連絡しようとしてたんだけど、土屋は電話に出ないし、あんたの電話番号知らないし、それで、卒業アルバム引っ張り出して、あんたの実家に電話してみたらさ、入院してるって聞かされてさ、電話番号聞いて、慌てて電話したってこと。でも、生きてて良かったよ、思ったより元気そうだし」

「勝手に殺すなよ。それに元気でもないんだ」

「え?そうなの?結構大変な病気なの?」

 なんだ、入院の理由は聞いてないのか。

「病気じゃないよ、事故だよ、事故。バイクで自爆したんだ」

「え、そんなこと、あんたんとこのお母さん言ってなかったよ。・・・ん?いや、私が入院って聞いて、慌てて電話番号だけ聞いて、電話切っちゃったのかな・・・」

 相変わらずそそっかしい奴だ。

 けれど何だかホッとする。久志といい、雅美といい、そんなに深い付き合いは無かった筈なのに、入院に付き添ってくれたり、心配して電話をくれたり、何なのだろう、このホンワカとした友情物語のワンシーンみたいな状況は・・・。

「でも、態々わざわざありがとうな、電話してくれて。ただ、こんな状況で、飲みに行くことも出来ないけどな・・・。悪いな」

「いやいや、良いんだよ。生きててくれただけで、それで充分。生きてれば、また会えるじゃない」

「だから、勝手に殺すなよ」

「あ、ごめんごめん」

 そう言って、電話の向こうで、本気で可笑しそうに笑う雅美に、俺は少し後悔を覚えていた。

 こいつらと、高校時代、もっと仲良くしておけば良かったかもな・・・久志も含めて、多分、凄く良い連中だったんだろうな・・・。

 そんなことを思うのは、俺が加奈子にフラれ(ハッキリ別れ話をしたわけではないが、あの状況を見てしまい、嘘まで吐かれたのだ。失恋確定だろう)、事故にまで遭って(勝手に自爆しただけなんだけど)、それこそ身も心もズタボロに弱り切っていたからかも知れない。

「ところでさ高柳、土屋って、連絡付かないんだけど、どうしてるか知ってる?さっきも言ったけど、全然電話、繋がらなくってさ」

 俺は少し可笑しくなって、ニヤつきながら久志の方に目を遣る。

 久志も何となく、俺の電話の相手が誰であるか察したのだろう。口パクで声には出しはせずに「石里部長?」と訊ねて来た。

 俺は久志に「そうだ」とうなずきながら、電話の向こうの雅美に向かって「ちょっと待ってろ」と言い、そのまま携帯電話を久志に差出した。

 少しばかり尻込みするような態度を見せた久志だったが、俺が再度「ほら」と手を伸ばして携帯電話を渡すと、観念したようにそれを受け取り、耳元にあてる。

「あ、もしもし、部長?」

 勿論、雅美の声は俺には聴こえないが、その遣り取りは何とはなしに想像はつく。

「え、ああ・・・。うん・・・。あ、いや・・・。まぁ、色々あってね・・・」

 恐らく雅美からの矢継ぎ早な質問攻めに遇い、しどろもどろになりながら、答えにもなっていないであろう返答を繰り返す久志の様子が、一々面白い。

「だからぁ、そういうんじゃないって・・・」

 久志がちょっとだけムキになって何かを否定したけど、一体どんな話になったんだろう?

「あ、うん、じゃあ、ヒロに訊いてみるよ。・・・だから、違うってば」

 また否定の言葉を口にしながら、久志は今度は俺の方に向き直り、「明日さ、部長もこっちに見舞に来たいって、そんな言ってるんだけど、良いかな?」、そう俺に訊ねた。

「ああ、俺は良いけど、明日の検査とかの時間も分からないけど、大丈夫かな?」

「それは大丈夫じゃないかな。部長、結局誰も捕まらなくって、暇してるみたいだし」

「なら良いけど、酒は飲めないぜ、って念押しで言っておいてくれよ」

 久志が俺が言ったままを、そのまま「お酒は飲めないよ」と携帯電話に向かって言い、その後今度は俺に「『分かってるわよ。私を何だと思ってるんだっ』、だってさ」と返して来た。

 何の伝言ゲームだよ。

 俺が手を伸ばすと、久志は携帯電話を俺に返して寄越す。

「あ、もしもし、ということだからさ、良いよ、来てくれよ。俺も何だか、昔話したくなってきた。あ、でも、酒は無しだぜ。病院だからな」

「ったく、分かってるわよ。何度も同じこと言わせないでくれる?私を何だと思ってるのよ」

 そう言う雅美が、電話の向こうで笑っているのは分かっていた。

「ああ、じゃあ、明日、待ってるよ。一応、訊いとくけど、何時に来る?」

「そうだねぇ、多分だけど、検査なんてものはさ、一般診療が終わった午後の遅い時間だろうからさ、その前には行くわよ」

「おう、分かった。それじゃあな。電話、ありがとさん」

 俺はそう言って電話を切った。

 それから俺は、俺の電話に聞き耳を立てるようにしてそこに佇む久志に向かって、「明日、石里、来るってさ」と告げると、久志は半分嬉しそうな、そしてもう半分はどうしていいかわからないような複雑な表情をして見せる。

「どうした?石里と会うの、嫌なのか?良いじゃねぇか、久しぶりだし、俺も何だか会って昔話でもしたくなったし」

「いや、嫌だとか、そういうんじゃないんだけど・・・」

「なんだぁ?おかしな奴だな。お前も、明日、また来てくれるんだろ?それとも、何か予定でもあるのか?あ、そう言えば、石里、時間は言ってなかったけど、あの口ぶりだと、昼過ぎの早い時間に来てくれそうな感じだったけどな」

「そ、そう・・・」

 久志の応答は、今一つシャキッとしないのだが、先ほどの雅美との遣り取りに何か原因があるのだろうか。

「まぁ、何にしてもだ、明日、お前が来てくんなかったら、俺と石里と、病室で二人っきりっていうのも、いくら相手が石里でも、なんだかなぁって感じもしちゃうしな。彼女だって、あんな感じだけど一応、女なんであって・・・」

 そこまで言うと、久志は俺の言葉に被せるように、今度はハッキリと宣言するのだった。

「分かった。僕もその時間に合わせて来るようにするよ。ええっと、午後一で良いんだよね?」

「ああ、多分な。多分、その頃だと思うぜ、来るのは」

 一つだけ不安が在った。雅美が缶ビールでも持って来るんじゃないかと・・・。

 そう、歳が一つ上の彼女は、俺達より一年前に成人式を行っていて、その時の飲みっぷり、大暴れっぷりの武勇伝を、風の噂で聞いていたのだ。

 周りの男共が、誰も敵わなかったらしい・・・。

 私、飲んでも凄いんです、ではなく、私、飲んだら、もっと凄いんです、そんな状態だったらしい。


 しかし、そんな杞憂はどこへやら、次の日現れた雅美は、何とも小ざっぱりとした、少しお洒落な女性もののトレンチコートにロングスカートという、如何にも女性らしい格好で、見舞の花束まで抱えてやって来たのだった。

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