第4話『オシリサワリ』
4-1
都市伝説考察系ユーチューバーの
普段はバーで仕事の依頼を待つ殺し屋のように冷酷淡々としているが、ひとたびレンズが向けられれば豹変。ジャングルに生息する野鳥のようにピーチクパーチク甲高い声で喋りまくる。
「あなたの知っている都市伝説を教えてちょうだい!」
「え、都市伝説? 口裂け女とか?」
「口裂け女もいいけど、もっとマイナーなやつがいいなぁ!」
「マイナーなやつって言われても」
「あなたしか知らない都市伝説、一個くらいあるでしょ? え? 自分しか知らなかったら都市伝説じゃないって? じゃかあしいわ!」
岩島のテンションに皆、若干引き気味である。結局、このときインタビューに答えてくれていたバンドマン風の男も、「口裂け女」以上の答えを出さずに去って行った。
「ああ、神市、ちょっとカメラ止めてくれ」
岩島がレンズ越しに僕の顔を見て言った。僕は録画を停止して、カメラを岩島に渡した。
「口裂け女ばかりだ」
岩島はそう言ったきり黙り込み、道の脇に寄って映像の確認を始めた。
僕は今日、「都市伝説の知名度アンケートをする」という岩島の手伝いで、下北沢に来ていた。
以前、岩島から「ユーチューブをコンビでやらないか」と誘われたことがあった。僕も都市伝説は大好きだし、もともと友人の依頼には極力応えてやりたい性分だから、できれば請け合いたかった。が、いかんせん僕はカメラが苦手だった。どういうわけか昔から、カメラを向けられるとお地蔵さんのように表情が消え、なにも喋れなくなってしまうのだ。
無下に断ってしまうのは心苦しかったので、こうして岩島が外で撮影する際には、カメラマンとしてお手伝いをすると約束していたのである。
「二十人くらいに話聞いたよね?」
僕は岩島が記入していたアンケート結果用紙を見た。「口裂け女」の横に、正の字が三つ並んでいる。その下に、「人面犬」と「てけてけ」が二票ずつ。次いで「死体洗いのアルバイト」に一票。
これでは話にならない。
「別に、アンケートなんてどうだっていいんだよ」
岩島が片眉を吊り上げて抑揚のない声で言う。
「なにか、新しいネタが見つからないかって思ってたんだ」
「新しい都市伝説?」
「そう。こないだおまえが教えてくれた、毛玉小僧みたいな」
岩島は首を横に振り「でも駄目だ」とつぶやいて、「今日の撮影はここまでにする」と宣言した。
「悪いな神市、この寒い中。仕事もあっただろうに」
「いいんだよ。友人の依頼以上に大切な仕事なんてないんだから。それより、動画のネタは大丈夫か?」
「今、『与太草子』っていう江戸時代に書かれた説話集について研究してるから、そこからなにかおもしろそうなのを選んで紹介するよ」
「『与太草子』?」
「江戸時代の変わり者について紹介してる古書だよ。架空実在問わず、いろんな変人を何十人と紹介してる。そこから一人ひとり紹介してれば、しばらくはネタに困らない」
世の中にはいろいろな書物があるものだ。
岩島は溜まっている動画の編集をするからと残して下北沢を後にした。
僕はしばらく古着屋をぶらぶらと巡っていたが、日が暮れて寒くなってきたので、さっさと家に帰ることにした。
テレビをぼんやり観ながら晩飯を食べていると、氷山芽衣子から電話がかかってきた。
「もしもし」
「神市?」
「そうだよ」
「私が電話するたびに出るけど、いつも暇なの?」
「芽衣子からの電話なら、忙しくたって出るよ」
「よい心がけね」
「ところでなんか用?」
僕が訊ねると、芽衣子はなにかを口に運び、もぐもぐ咀嚼した。ゴクンと音がし、再び声が戻ってくる。
「遊びの依頼よ」
「ほう」
きっとそうだろうと思っていた。
「どんな内容?」
「私が世話になってる歯医者の歯科衛生士の子なのよ」
「歯医者か、俺も最近、歯がしみるから行ってみようかな」
「あんたの歯茎が腐ろうが溶けようがどうだっていいのよ。それより、その歯科衛生士の子、痴漢に悩んでるらしいのよ」
「痴漢?」
僕は眉をひそめた。痴漢被害の調査となると、遊びの範疇から逸脱する。
「それはちょっと俺の手に負えるものじゃないような気がするな」
「違うのよ、痴漢なんだけど、ちょっとおかしな話なの。だいたい、ただの痴漢だったら神市に頼むまでもないじゃない。私が犯人捕まえて、二度と痴漢できない体にしてやるわよ」
「で、どういうことなの?」
「男の性欲の根源を叩き潰してやるってこと。思い切り蹴り上げてやるの」
「折檻の方法を聞いてんじゃないよ。ちょっとおかしな話ってのは、どういうこと?」
「ああ、そっちね」
芽衣子は言って、再びなにかを口に運んだ。もぐもぐ規則正しい音が聞こえてくる。
「晩飯食ってんの?」
「そう。今日やっと虫歯治療が終わって快適なの。もっと食べて聞かせようか?」
僕の返事を待たず芽衣子がなにかを頬張る。もっぐもっぐと咀嚼音が大きくなり、やがてゴックン。飲み込んだらしい。
なにを聞かされているのかわからないが、とりあえず褒めておこう。
「いい音だね」
「でしょ?」
「で、俺はどうすればいい?」
「うん、明日の昼の一時半にグランパに行ける? 行けるわよね」
グランパは
「行けるよ」
「依頼者の子もその時間にグランパに行くから、そこで本人から詳しい話を聞いて。仕事の昼休憩中ってことらしいから、白衣を着ていると思う。
「わかった。明日昼の一時半に、グランパで、白衣を着た横山奈々子さんから話を聞けばいいんだね。芽衣子も来る?」
「平日の昼間に私が行けるわけないでしょ。仕事してんの」
「毎日毎日仕事してるなんて暇だねぇ、ほかにすることないの?」
「神市と無駄話してるほど暇じゃないわよ。それじゃ、とにかく、よろしくね」
電話は切れた。
芽衣子の咀嚼音ばかりが印象に残る妙ちくりんな電話だったが、とりあえず「ちょっとおかしな痴漢事件」であることと、明日の昼にグランパへ行けばいいということはわかった。
芽衣子にしては詳しく説明してくれたほうだ。
経堂駅までは、電動アシスト付き自転車なら、二十分足らずで行ける。剥き出しの顔に突き刺さる風が冷たいが、慣れればどうってことない。
僕は顔を真っ赤にさせて、経堂駅に辿り着いた。
駅そばの駐輪場に自転車をとめ、グランパに入る。
人と待ち合わせていることをウェイターに告げ、店内を見回した。壁際の二人がけボックス席に白衣を着たポニーテールの女性が座り、腕時計を気にしていた。
「横山さんですか?」
訊ねると、白衣の女性はビクッと顔を上げ、頷いた。
「神市さん、ですか?」
「ええ、人は僕のことをそう呼びますね」
「本名じゃないんですか?」
「いえ、本名だから、そう呼ぶんです」
奈々子が吹き出した。
僕は奈々子の正面に腰をかけた。
年は二十四、五といったところだろうか。長い睫毛と、牛乳のように白い肌が特徴的な女性だった。
店員がやって来たので、僕は迷わずホットミルクを注文した。
「寒い日はホットミルクに限りますから」
「私、ホットミルクなんて飲んだことないですよ」
奈々子がニコニコしながら目を細める。
すでに僕に対する警戒を解いているようだ。ここは変に余計なことを喋って下心を疑われることにならないよう、さっさと本題を切り出したほうがいいだろう。
「改めまして、神市辰明といいます。ライターをやっています」
「横山奈々子です。歯科衛生士をやっています」
「それで、さっそくなんですが、なにやら痴漢被害に遭っているとか?」
「あ、もう氷山さんから聞かれてますか?」
「おかしな痴漢被害に遭っているってことだけ」
「そうなんです」
「事情を説明してもらえますか?」
奈々子は小さく頷いた。目線をテーブルの上に落として口を開く。
「あの、私、通勤で
「ええ、一応」
「私のマンション、桜上水にあって、毎朝八時半の電車に乗って出勤しているんです」
「勤めている歯医者さんは、経堂にあるんですよね?」
「ええ、すぐそこにある、
「なるほどなるほど。承知しました。話、続けてください」
奈々子はコーヒーをひと口飲み、咳払いをした。
「両桜線って、利用者が少ないんですよ。朝のラッシュでも、席が埋まっているだけで、立っている人はポツリポツリいる程度なんです。だから、痴漢なんて起きようがないんですけど、二ヶ月くらい前から、経堂駅が近づいてくると、誰かが私のお尻を触るようになったんです」
そこへ店員がホットミルクを持ってきた。僕は店員に会釈してからホットミルクをひと口飲んだ。
「桜上水から乗ってるのに、座らないんですか? 始発駅でしょう?」
「そうなんですけど、体を鍛えようと思って、電車では座らないことにしているんです」
奈々子がテーブルの脇に脚を伸ばして見せた。白いストッキング越しにも、ふくらはぎが引き締まっているのがわかった。
「なんなら、電車に乗っている間はつま先立ちをしているくらいなんですよ」
「それはすごい。僕も真似しよう」
「それで、最初は気のせいだと思ったんです。だって、私の周りには誰もいないんです。誰かが触ったなんて思いませんよ」
「ん? どういうことですか?」
「だから、誰かが私のお尻を触るんですけど、周りには、誰もいないんです」
「事実、気のせいだっていう可能性はないんですか?」
奈々子は心外だと言いたげに目を広げて、力強く首を横に振った。
「それはないと思います。だって、毎日のように、誰かが触るんですから。しかも、周りを見ても、誰もいないんです」
「触られるってのは、どんなふうに触られるんですか? 手の感触はあるんですか?」
「太ももの辺りから、腰にかけてまでを、撫でるように触るんです。手の感触どころか、指の感触もあります」
「でも、周りには誰もいないと」
「誰もいないんです」
周囲に誰もいない電車内で何者かにお尻を触られる。
確かに妙な話ではある。僕は腕を組んだ。
「触られるのは、経堂駅に近づいたときですか?」
「だいたいがそうです。触られて周囲を見回して、誰もいないと気付いたときに、『次は経堂』というアナウンスがかかる感じです」
「朝だけ?」
「今のところは」
「なるほど」
「誰かに相談したいと思ったんですけど、周囲に誰もいないのに痴漢されたなんて言っても、駅員さんや警察だってなにもしてくれないでしょうし」
「『この人痴漢です!』なんて叫んでも、ほかの乗客からしたら『なに言ってんだ?』ってなもんでしょうしね」
「そうなんです」
奈々子が大げさに頷く。悔しそうな目で僕を見る。
「でも、絶対に、誰かが私のお尻を触っているんですよ。信じてくれますか?」
「信じますよ。疑わしきは信じるってのが、僕のモットーですから」
奈々子が歯を見せて笑う。真っ白い歯だった。
「よかった。昨日、氷山さんが虫歯の治療にクリニックへいらしていたんですけど、そのとき、この話をしたんです。そしたら、神市さんのことを教えてくださって。神市さんなら、親身になって話を聞いてくれるはずだって」
「芽衣子の話をよく信じる気になりましたね」
「実際、氷山さんの言ったことは正しかったじゃないですか」
「そうなりますね」
「犯人、探してくれますか?」
奈々子が前のめりになる。
僕は笑い、ホットミルクを半分ほど飲んだ。
「探してみますよ」
「ありがとうございます!」
「ただ、条件がひとつあります」
「お礼はします」
「いやいや、お礼なんてものはいらないんです。こっちは道楽でやってますからね、お礼なんてされたら興醒めです」
「じゃあ、条件ってのは?」
「僕と友達になって欲しいんですよ。いやいや、変な意味じゃないですよ。言葉どおり、友達になってくれれば、それでいいんです。タメ口で話し、気負いなく会って雑談する、みたいな感じです」
奈々子は目をぱちくりしていたが、なにかを思い出したように「ああ」と口を丸く開けた。
「なんか、氷山さんがそんなこと言ってたような気がします」
「へぇ、芽衣子がそこまで説明しましたか」
奈々子は「はは」と笑った。
「友達ですね、お安いご用です。今からカラオケでも行く?」
奈々子はノリノリだった。
「冗談冗談、仕事あるもん!」
芽衣子から紹介される女性はちょっと変わった人が多い。まぁ、類は友を呼ぶのだろう。
「友達になれば、探してくれるんだよね?」
「うん。友達の頼みは断れないからね」
奈々子は「やったね!」と声を上げた。
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