幕間「ビーバームーン」

「ク、クライトさん!!」



 夕闇が帳を下ろし始めた頃、城内に充てがわれた自分専用の室内でぼんやりと本を読んでいた聖騎士 クライトの元へ、現近衛騎士の人狼ルドルフが、ノックも無しに飛び込んできた。



「あらー、ロロちゃ〜ん! どうしたの? わざわざアタシのところに来るなんて、珍しいじゃない?」


「大変なんだ……!」



 始めて出会った頃に比べ、かなり人懐っこく話かけてくるようになったルドルフだが。


 この慌て方は初めて見る。


 ……否、正しくは。自分が久しぶりにこの城に戻った時に、彼が敵襲と勘違いした時の表情に近い。



――ひょっとして、今回は〝マジ〟だったりする?



 そんな最悪の事態を頭の片隅に、クライトはニヤリと持ち上げた口元を持っていた本で隠しながら、平静な姿をルドルフへと見せて、彼を落ち着かせる。



「やだっ! 熱烈ね……そんなロロちゃんも、嫌いじゃな……」


「ルーが城中に悪戯しちゃって……!」


「…………ん?」



 誤魔化しながらとはいえ、瞬時に緊張感を纏わせたクライトの放つ空気は、素っ頓狂な声と共に霧散した。



「アルフがルーの仕掛けた罠にかかっちゃって……いま天井に逆さ吊りで……とにかく、俺らじゃ手に負えないんだ!」


「ブッ……フフッ……わ、分かったわロロちゃん……行きましょ……フフ……」


「クライトさん……アルフの前で笑わない方がいいよ……」



 たぶん、すっごく怒られるから……俺が。


 八つ当たりされる自分の姿を想像して、悩ましげに頭を抱えるルドルフ。


 そして、愛弟子が難しい顔をして逆さ吊りになっている姿を想像して、必死に笑いを押し殺し腹を抱えるクライトは、足早に現場へと駆けて行った。




――――――――




「まぁた、ずいぶん暴れたわねぇ……ルージュ?」



 結局、ルドルフの忠告は守られる事はなく。


 天井に逆さ吊りになっているアルフレートに指を差しながら爆笑したクライトは、アルフレートを救出してから、城中に張り巡らされた罠を一つ一つ解体。


 完全に八つ当たりを受けているルドルフに〝ごめんね、ロロちゃん〟とウィンク一つで許しを乞うたのち、ようやくルージュを捕獲した。



 そして、現在。


 クライトは、月明かりだけの薄暗い謁見の間で、玉座に足を組み踏ん反り返るルージュと対峙していた。



「一応、犯行の動機を聞いてあげましょうか?」


『アルフが堅物なのが悪いのさ。ハロウィンパーティーは出来なかったから、今夜にでもボクが国のみんなの家に行って、お菓子を配るっていうサプライズを提案したのにさ……護衛がどうとか、危険性がどうとかばかり言うんだ』



 危険も何も、誰がこの同盟国を守ってるって言うんだ! と頬を膨らませるルージュの姿は、おおよそ同盟国を守る〝防衛軍事国のトップ〟には見えなかった。



「アルフが仕事とアンタ一筋なのは分かりきってる事でしょ」


『それは……わかるけどさ』


「で? それに腹を立てて、暴れ回った挙句、罠を仕掛けまくったってわけ?」


『あ、ついでにクライトおじさんに罪を着せようともした』



 大真面目な表情で、太陽のような瞳を見開きながら悪びれなくそう供述するルージュは何処か自慢気で。



「アンタ……いい性格してるわね……ホント……」



 思わず脳裏を過ぎった〝そんなところもスカーレットにそっくりね〟という禁句をなんとか飲み込む代わりに、クライトはルージュに向かって態とらしく肩を竦めた。



『今夜はビーバームーン。罠を仕掛けるための満月なんだから……これくらい、大目に見てほしいね!』


「それはアタシじゃなくて、アルフとロロちゃんにいう事ね……まぁ、ロロちゃんはすぐ許してくれるわよ。アルフは……知らないけど」


『ほんっと、ボクの狼って堅物!』



 ガタン! と大袈裟な音を立てながら、ルージュは玉座の背もたれに身を預け、膨れっ面に頬杖をついた。


 そんな年相応な反応を見せる彼女に、呆れ半分……安堵半分のクライトは、慣れない説教の疲れを逃すように、ルージュの言うビーバームーンを見上げた。



「あら……」



 そこに浮かんでいた月は、満月にも関わらずまるで何かに噛み取られたかのように、不自然に欠けている。


 あぁそうか。


 今日はビーバームーンで……皆既月食なのだ。


 完璧であるはずの満月が赤黒く染まり、一部が欠けている。


 クライトはそんな満月からすっと目を伏せると、ふわりと唇で弧を描いた。



「ま、でも。正直アタシも久々に大笑いしたわ。ありがとね、ルージュ」


「おじさんは、いつもお気楽で楽しそうじゃないか」


「あら、アタシそんな風に思われてるの? ミステリアスがウリのつもりなんだけど?」



 さっきまでのお説教モードから一転。


 妖艶に微笑み、ウィンクを見せるクライトに対して、今度はルージュが溜息を吐いた。



「冗談は程々にしてよね」


「はーいはい。美容に悪いからもう寝るわ」



 ようやくルージュのご機嫌も回復傾向に向かい始めたことを確認したクライトは、踵を返してルージュに背中を見せた。



「じゃあねルージュ。少しは寂しさが紛れたわ」


「…………寂しかったの? クライトおじさん」



 僅かの間を開けて、ルージュから投げかけられたその声にハッと目を開く。


 クライトはルージュに背を向けたまま、目を閉じ。口元だけで、笑った。


「……やだ。口が滑ったかしら? まぁいいわ。子どもは余計なこと気にしなくていいの。おやすみなさい」



 まるでこれ以上のルージュからの言葉を許さないと言わんばかりに、クライトは謁見の間の扉を重々しく閉めた。


 そのまま、ゆっくりと歩を進め。


 事の始まりを迎えた自分の部屋へ向かう長い廊下を歩きながら、天空を切り取る大窓に映り込む欠けた満月を再び見上げた。




――――寂しかったの? クライトおじさん




 そうね、そうかもしれないわ。


 あんなに仲のいいところ、見せられちゃね。


 いやでも、思い出しちゃうじゃない?



 欠けた満月に、哀しげな視線だけでそう問いかける。


 そして、自らの顔を半分隠す長い髪をかき上げたクライトが、晒された双眸に欠けた満月を灯した。



「……同じでしょう……? 貴女を欠いた〝俺〟は……」



 大切な人を亡くし、心の一部を欠いた自分は、今夜の皆既月食のようだ。


 そんないつになく感傷的な自身の心に自嘲して。


 その心と言葉を、夜の冷気から隠すように髪を下ろしたクライトは、また静かに廊下を歩いた。



 彼の中に隠された秘密は……また別のお話。


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