幕間「ハンターズムーン」

 徐々に近づく冬に備えて、狩猟が盛んに行われる時期に昇る「ハンターズムーン」。


 多くの名前を持つ、満月の名称の一つである。


 今宵はそんな満月に見守られながら、自らを鍛え合う赤き女王に仕えし〝ハンター〟。


 近衛騎士の蒼き狼人「アルフレート」と、同じく緋き狼人「ルドルフ」の物語である。



 なんだか今日は調子が乗らないから、久々に稽古をつけてくれない?


 ルドルフにそんなことを言われたのは、満月が稜線から僅かに顔をのぞかせ始めた頃の事だ。


 いつになく真面目な声色で、申し立てられたその内容はアルフレートを密かに驚かせ、眼鏡の奥で細められた目がルドルフを見据えた。



「珍しいこともあるもんだな」

「たまには本気で来てよ。アルフ、ルー相手だと絶対手加減するでしょ?」



 まるで挑発するような〝鈍っちゃうよ?〟と言う緋い瞳が、いつになく陰りを見せている。


 アルフレートはそんなルドルフを不振に感じながらも、希望通りの実践に近い稽古をつける事を了承した。



――そして、満月が高く昇った頃。



 静寂に満ちた森に似付かわしくない、鋼の衝突音が夜に響いた。


 アルフレートとルドルフの〝真剣〟が重くぶつかる音は、今日の訓練がただならぬ雰囲気であることを表していた。



「……クソッ!」



 さらにその雰囲気を助長するように吐き出されたルドルフの悪態。


 防戦一方で、全くアルフレートに歯が立っていない事実があるにしても、あからさまに苛立つ様子や乱れきった剣筋は、いつもの穏やかなルドルフからは想像しがたい姿だ。


 互いの間合いの外へと待避したまま、こちらを睨み付けるルドルフにアルフレートはため息を漏らした。



「落ち着けロロ。感情的になるな」

「俺は、いつだって冷静だよ!!」



 間髪入れずの強い踏み込み。


 一気に間合いを詰めるルドルフに応えるように、真正面からその太刀を受け止めたアルフレートは、まるで受け流すなど容易なことと言わんばかりに、彼の剣を遠くへと、弾き飛ばして、その鋒をルドルフへと突きつけた。



「……これのどこが〝冷静〟だ」

「……」

「少しは頭を冷やせ」



 ゆるりと鋒を下ろしながら、僅かにずれた眼鏡の位置を正す。


 その修正された視界で見遣った先では、ルドルフが握りこぶしを見つめるように俯いていた。



「ダメなんだよ……」

「……?」

「こんなんじゃ……! いつまでもアルフに負けてるようじゃダメなんだよ……!」



 まるで心のモヤを打ち払うように吠えたルドルフは、この所自分に襲いかかる悪夢について力なく語った。


 それは、まだルドルフがルージュに拾われる前のこと。


 ただただ、一人孤独に足掻き、体中に刻まれた傷口に呻く。


 その痛みは身体なのか心なのか、分からない。



「もっとルーの役に立たなきゃ……もう、一人にはなりたくないんだ……」



 そんな夢が、日を重ねるごとにリアリティを増していくことにルドルフは焦燥感を感じていた。


 だから証明したかったのだ。自分は変わった事を。


 アルフレートに勝利して、ルージュに必要とされる力が自分にはある事を。


 そう呟くように俯きながら話すルドルフに、アルフレートは手に持つ剣を納刀してから、わざとらしく靴をカツカツと鳴らしてルドルフへと寄り。


 緋い脳天めがけて鉄拳をまっすぐに振り落とした。



「いっっっっっだ!!」

「腑抜けた事言ってるからだろ?」



 反射的に殴られた箇所を両手で撫で、痛みを逃がすルドルフに、アルフレートは冷静な視線と声を投げかけた。



「荷物だなんて、誰が言った。俺に勝たなきゃルーは護れないなんて、誰が決めた」



 あくまでも冷静に。


 ルドルフを諭すような声で紡がれたその言葉に、ルドルフが目を見開く。



「それに……ルーは一言でもお前に〝役立たず〟なんて言ったか?」

「……言ってない」

「勝手に自分は〝弱くて役立たず〟と決めつけて、信頼を寄せるルーを、お前は裏切るのか」

「……違うよ」

「ルーを侮辱するのも大概にしろ。お前はルーに必要とされている。それを信じろ」



 緋い瞳を閉じて、敬愛する少女を思い起こす。


 そうだ。


 ルージュはどんなときでも、笑って手を差し伸べてくれる。


 〝頼りにしてるぞ、ロロ〟そう言って、さながら太陽のような色の瞳で、自分を照らしてくれる。


 ルドルフは不安を確信へと昇華させ、ゆっくりとアルフレートに緋い瞳を見せた。



「……わかった。ごめん、アルフ」

「大体、接近戦で体術の力押しなら……お前の方が上だろう。俺は……お前を認めてるよ」



 アルフレートの普段は乏しい表情が、小さく微笑み緩んだのをルドルフは見逃さなかった。


 そうだ、自分の仲間はあの少女だけではない。



「……俺、改めて誓うよ! 今日の満月にかけて、絶対にルーを裏切らない! もう二度とブレたりしない。俺は、ルーを護るし、ルーを信じる!」



 〝そんでもって……!〟と、満月に両手を振り上げてから、自分の内から湧き上がる高揚感に素直に従い、ルドルフは決意を叫んだ。



「いつかアルフに剣で勝つ!!」

「それはどうだろうな」

「もう! 出鼻くじかないでよ!」

「事実だろ、技術と精神面は別だ」

「アルフがメンタル鋼なだけでしょ!」

「……そうでもない」

「アルフ?」

「……お前より、少し〝隠し事〟がうまいだけだ」



 気高き女王を護るハンターの決意と、わずかな迷いを雲間に隠したハンターの憂い。


 二人の狼人は、今宵の満月へそれぞれの想いを馳せた。

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