第9話 平穏な日々、ここに終わる

 延々と続くかと思われた誕生祝いも、どうやら一区切りついたらしい。

「あー、疲れたー」

 若紫ちゃんの局に戻ったわたしは、大きく伸びをした。

「こんな事は初めてだから、身が細る思いでした」

 そんなわたしを見て、若紫ちゃんはくすっと笑う。

「みさきさまは細身ですからね。それ以上やせたら大変ですよ」


 この時代、普通体形のわたしでもやせ過ぎなのだそうだ。ふくよかな事が美人の条件とされている事もあって、わたしはブスと呼ばれているのである。

 おまけに太っているのが豊かさの象徴、という風潮もあるから、ブスのうえに貧乏を体現したような存在なのだろう、わたしって。

 ただ、実際に貧乏なのは否定できないが。


 ☆


「そういえば最近、光源氏を見かけませんね」

 あのエロ大魔王。出現しなければそれに越したことはないのだが、居ないと不安になる。

「またどこかで悪さをしてるんじゃ……」


 途端に若紫ちゃんの目が泳ぎはじめた。

「ま、まさか。このところ都を舞台にした『光る源氏の君』の物語は書いていませんから、きっと大人しくしているのではないですか」

 そう言いながら、若紫ちゃんは文箱をそっと後ろに隠す。

 ははぁ、そういう事か。


「それを見せなさい!」

「ああっ、やめて下さい。それだけは」

「犬君ちゃん、押えておいて!」

「わん!」

 すっかり、いつものパターンになっているな。



「こ、これは」

 読み始めてすぐに、わたしは呻いた。

 まだプロットの段階のようだが、源氏と思しき主人公が、庇護者である豪族やその妻や娘たちと次々に関係を持つというが、物語の冒頭から繰り広げられているではないか。


「何というものを書いているのですか、紫式部先生っ!」

「ひいっ。ごめんなさい」

「ねえねえ、なんて書いてあるんだわん、お姉ちゃん」

 覗き込む犬君ちゃん。わたしは慌てて犬君ちゃんを目をふさぐ。これは子供が読んでいいものではない。


「最初の舞台は……陸奥みちのくですか」

 どうやら奥州平泉に転生した光源氏は、生き別れになった兄と再会し、宿敵を滅ぼす戦いに身を投じて行くらしい。そして予定では、関東、京都、須磨、四国と転戦し、最後は本州と九州を隔てる海峡、壇ノ浦で最終決戦を迎えるのだ。

 まだ武士階級が権力を持っていない今の時代から見れば未来のお話だし、いわゆるロードムービー的な展開もあわせ、これは新しい。


 もちろん要所々々で、光源氏とその土地の女性や美少年、さらには実の兄や、配下の武将たちとの愛の物語が挟まれるのは言うまでもないが。

「でもこれって、どこかで読んだことがあるような」

 R18部分は除くとしても。


「で、結末はどうなるんですか」

 あー、それは。と若紫ちゃんは口ごもった。まだそこまでは考えていなかったらしい。

「きっと、奥さんや寵童を寝取られた豪族の怒りをかって、寄ってたかって滅ぼされるという流れになるんですね」

 ふふっ、光源氏め。いい気味だ。


「それもいいですけど、ちょっと品がないかもしれないです」

 すみません下品な発想で。


 若紫ちゃんは難しい顔で首をひねる。やがて顔をあげた。

「そうだ。最愛の兄に裏切られ、流亡の果てに陸奥へ帰り着いて、そこで最期を迎えるというのはどうでしょう」

「ほう」

 さすが紫式部大先生。戦いの果てに、日本を一回りして元の陸奥に戻る訳だ。どこか仏教の輪廻転生すら想起させる完璧な展開じゃないか。


「しかも攻めて来るのは彼のお兄さんなんですよ。原因は、お兄さんの奥さんを寝取ってしまったからです」

 得意げな表情だが。

「それじゃ発想がわたしと同レベルです、先生」


「はあ、やはりダメですか」

 若紫ちゃんはまだ諦めきれない様子だ。しぶしぶ、『光源氏戦記~打倒!平家の物語(仮)』と名付けたそれを文箱にしまい込んでいる。

 なるほど。『源氏物語』と紛らわしいタイトルの、あの有名な物語の原作はここにあったのか。



 遅くなったので若紫ちゃんの局に泊めてもらうことにした。

「ああ寒い寒い」

 寝具といっても着物を上に掛けるだけなのだ。もちろん暖房など有りはしないし、平安時代の夜は暗くて寒い。

「だからといって、そんなにくっつかないで下さい、みさきさま」

 手だけではなく、足まで使って押しのけられた。

「えー、一緒に暖まりましょうよ」

「いやです。犬君さんとどうぞ」

「お姉ちゃんは寝相が悪いからいやだわん」

 みんな、ひどい。


 ☆


 夜半。落雷だろうか、中庭で大きな音がした。わたしたちは揃って目を覚ました。

「ちょっと見に行ってみましょう」


 空には雲ひとつない。中庭は月明かりに照らされていた。そしてそこに武将姿の男が立っている。

 男はゆっくりと振り返った。

「おお、末摘花。ここは蝦夷地ではないのか」

 大鎧を着たその男。


「光源氏?!」

 こいつ、やはり帰ってきた。

「どこですか、蝦夷地って。ここは京の都ですけど」


「おかしいな。衣川から蝦夷をめざして出帆したのだ。弁慶の話ではそこからさらに海を越えてからへ渡れば、その地の騎馬民族が味方してくれるという事だったのだよ」

「ああー。それは大変でしたねー」

 感情の籠らない声でわたしは言った。


「本当に苦労したぞ、 九郎くろう義経だけにな」

 わははは、と笑う。

「なんか色々、間違ってる」

 まあ、この男なら実際にチンギス・ハーンになっても不思議ではないが。


「まあよい。ならば勝手知ったる我が都という訳だ。またよろしく頼むぞ」

 まったく似合わない大鎧姿で、光源氏は爽やかにウインクした。


 どうやら、京の都の平穏は今夜までらしい。



―――おわり


 




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平安京 式神(しきがみ)日記 杉浦ヒナタ @gallia-3

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