第6話

 万の話は尚も続く。


「このようにして北京を失いましたが、すぐに南京で皇族が継承を宣言しました」


「ほう。とすると、清に協力した明の軍の者はどうしたのであろう?」


「どうもしません。そのまま清についたままです」


「そうであるとかなり劣勢なのではないか?」


「はい。それ以上に南京の政権には問題がありました。清が攻めてくると思っていなかったのか、まずやり始めたのは皇妃選びだったのです」


「皇妃選び?」


 正雪は目を見張った。


 武士の結婚というと、同格の武家などから貰ってくる場合がほとんどである。しかし、中華の皇帝は、市井からでも美人であれば簡単に選んでいくという。南京で行われたのは美人と評判の高い女性を一方的に選ぶというようなものであったらしい。


「そんなことをしては、民衆はついてこないだろう」


「はい。実際に清が攻めてくると、簡単に負けました」


 正雪は更に浮かない思いになる。


(彼の話を聞いていると、明は滅んで当然。むしろ清に勝つ手立てはないように見える。これに乗るのは相当な賭けではないのか?)


 もちろん、加藤明成をはじめとして、再起をかける武士には多少の劣勢は気にならないところであろう。しかし、それにしても、彼我の力の差は大きいように思えた。


 万も、正雪の思いを察したのであろう、表情を和らげる。


「ここから先は、厦門あもいで聞いた方がよろしいかと思います」


「厦門?」


 それが中国南方の場所である、ということがすぐに分かるほど詳しいわけではない。それも想定していたのであろう、万が地図を出してきた。


「こちらでございます」


「ふむ。随分、北京や南京とは遠いのだなあ」


 更に言うと長崎からも遠い。まっすぐ西に行けば南京の付近に行けるが、厦門はそこから更に南西にかなり行かなければならないところにある。琉球を経由して行った方がいいかもしれない。


「この島は何だ?」


「台湾と呼ばれる島でございますな。現在、オランダ人が住んでおります」


「ほう。ここにオランダ人が…」


「更に南に参りますと、ルソンがございます」


「なるほどのう。こうやって改めて見ると、世界は広いのう」


「以上のことをこちらにまとめておきました」


 万は一冊の本を渡す。開いてみると、漢語で書かれてあるが、これは読めないわけではない。


「かたじけない。一度江戸に戻り、仲間達と打ち合わせてから来月、再度長崎に来たいと思う」


 正雪は頭を下げて書物を受け取ると、その日のうちには江戸への帰路についた。




 船上で、腕組みをしながら西を向く。


(正直、情勢は非常に厳しい。清のことをまだ知らぬが、興っている国と、傾いている国とが戦って、傾いている国を勝たせるのは不可能ではないだろうか)


 とはいえ、今更「勝てそうにないから、行けません」などとは言えるはずもない。加藤明成のように元大名でありながら、再起を賭けようとしている者もいる。


(良き死に場所を見つけたと考えるしか、ないか…)


 現時点では、そう判断するしかなかった。




 一月ほどかけて江戸に戻ると、既に丸橋忠弥や金井半兵かない はんべえ衛らが人集めをほぼ終えていた。


「幕府がどこまで許可してくれるかにもよるが、二千は連れていけるぞ」


 長屋の中で忠弥が誇らしげに話す。


「それほどか…」


 正雪もその人数には驚いた。それだけ江戸で暮らすことに絶望している者が多いということであろう。


「実はのう、長崎で聞いてきた話によると…」


 正雪は、長崎で聞いてきた明と清の話をかいつまんで話した。


「ここに地図があるが、この大半の部分が清の支配に入ってしまったらしい。俺達の戦いはまさに大坂での真田のようなものよ」


「別に構わんではないか」


「…何?」


 忠弥の即答に、正雪は言葉が続かない。


「わしらも馬鹿ではない。幕府が今の状況の代わりに極楽を用意してくれるなどとは思っておらんわ。むしろ、絶望的な状況である方がよい。絶望的であればあるほど、わしらは足掻こうとするし、光を見出そうと一所懸命の戦いができる。その先に何かがあればこれ以上素晴らしいことはないし、仮になかったとしても、どの道死ぬということは変わりがない。死ぬは必定、どのように死ぬか。お主もよく言っておることではないか」


「こいつ…」


 正雪は思わず笑みをこぼした。無鉄砲な忠弥らしい割り切り方である。


「確かにそうだ。元々、幕府に楯突こうとしていた我らだ。相手が幕府から清に変わるだけで、状況は変わりなかったな」


「そうであろう。幕府が武器などを用意してくれる分、良き身分ではないか」


「そうだな。俺は弱気になっていた。いかんなぁ」


「お前は頭が良いからな。分かったことを気にしすぎてしまうのも良くない。それより」


 忠弥が話題を変える。


「戸次庄左衛門も我々とともに来るらしく、こちらも別に集めておる」


「ほう。戸次が…」


 正雪ももちろん戸次の名前は知っていた。評判の高い軍学者だと聞いている。


「南町奉行から聞いたのだが、どうする? 一度会いに行ってみるか?」


「いや、やめておこう」


 今度は正雪が即座に否定した。


「会わせた方が良いと考えているのなら、老中から指示があるだろう。わしらは特に何とも思っておらんが、向こうはこちらを商売敵と考えておるかもしれん。迂闊に行って喧嘩になっても困る」


「なるほど。確かに老中の方から提案があるか。長崎奉行とも会わせてもらえたわけだからのう。ところで、長崎の女はどうだった?」


 忠弥が再び話題を変えてきた。しかも、かなり個人的な話題だ。


「いいというのなら、わしだけ先に長崎入りさせてもらいたいのう」


「たわけが。お役目で行っていたのだぞ。そんなところに行く暇などあるか。先に行きたいのなら勝手に行ってくれ」


 正雪は呆れ果て、忠弥を長屋から追い出すように出て行かせた。

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