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「ただいま、チャーちゃん」


理菜が部屋に帰ると、チャーは必ず玄関で理菜を待っていた。

お腹がすいてエサが欲しいからではなく、ただ、理菜の帰りを待っているようだった。

隣家からチャーを預かってから、既にひと月以上が経過していたが、その間、飼い主である隣人がチャーの様子を尋ねに来たことは、一度も無かった。


「チャーちゃん、おいで。ブラシするよー」


理菜が呼べば、ゆったりとした動きでチャーは素直に理菜の元へと歩みより、その場にゴロリと寝転ぶ。

ペットショップの店員の勧めで購入したブラシでのブラッシングが、チャーはどうやら気に入ったようだった。

所々で絡まり、ゴワゴワだったチャーの被毛は、少しずつ絡まりを解しながら根気よくブラッシングをしてやると、驚くほどに美しい艶を放ち始め、そのあまりの変わりように、理菜ははじめは驚いたものだ。

その時抜けた、山のような毛の量にも驚いたのだが。


ゴロゴロゴロ


理菜のブラシの動きに合わせるように、目を閉じたチャーが喉を鳴らす。


「ねー、チャーちゃん。このままうちのコになっちゃう?」


冗談混じりの理菜の呟きに答えるように、チャーは長い尾をパタパタと振る。

ただ、それがイエスなのか、ノーなのか。

理菜にはチャーの気持ちを推し量ることはできなかった。



”ワンワン”


隣家から犬の鳴き声のようなものが聞こえてきたのは、理菜がチャーを預かってから、3ヶ月ほどが経った頃。

その間も、隣人がチャーの様子を尋ねて来たことは一度も無い。

まさか、とは思いつつ、理菜が玄関のドアを開けて廊下に出たちょうどその時。

隣家のドアが開き、子犬を連れた隣人の女が部屋から出てきた。

信じられない思いで見つめる理菜の視線を感じたのだろうか。女がふと理菜の方へと顔を向ける。

だが、女は挨拶も、会釈すらすることなく、子犬を抱き上げて歩き始めた。


「チャーちゃんのことっ」


女の背中に向けて、理菜は思わず言葉を発していた。


「どうするつもりなんですかっ!」


理菜の声に女は立ち止まり、振り返って言った。


「ああ。アレ、あんたにあげるわ」


そして、再び歩き出す。


「全然あたしに懐かなくて、ちっとも可愛くないから」


遠ざかる女の姿を呆然と見送ると、理菜は部屋へと戻り、力なくドアを閉めた。

玄関ではいつもの通り、チャーが大人しく座って理菜を出迎える。


「チャーちゃん・・・・」


腕を伸ばし、理菜はチャーを抱きしめた。


「今日からあなたは、うちのコだよ」


ゆるゆると、チャーは長い尾を揺らす。


「うちのコ、だよ・・・・」


チャーを抱きしめながら、理菜は泣いた。

理菜がペット飼育不可のこのアパートを選んだのには、理由があった。

可愛いペットを目にすれば、動物好きの自分は、必ず飼いたいと思ってしまうだろう。

だが、ペットを飼うという事は、1つの命に対して最後まで責任を持つ、ということと同義だ。

果たしてそれが、自分にできるのか。

自信が持てず、理菜は今までペットを飼う事を避けていた。

だが。

今、保護責任のある飼い主から、まるでモノのように扱われ見放された小さな命が、理菜の腕の中にいる。

このコは。このコだけでも。

泣きながら理菜は、腕の中の温かな命と共に生きる覚悟を決めた。

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