ね、ぇ。

@theBlueField

ね、ぇ。

 複雑に入り組んだバイパスの高架を、あたし達は眺めている。

「ごめんね、疲れたんじゃない? もうちょっと休憩しようか?」

 車イスに座る彼はゆっくりと言う。あたしは車イスのハンドルを握りながら、

「うぅん、全然平気だよ、気ぃ遣わないで?」

 と返す。他人を慮れるのは彼の美点ではあるけれど、普段一緒に居るあたしには、いい加減気を遣うのはやめて欲しい。

「そう? ……じゃあ、もうそろそろ帰ろうか」

「あぁ、そうだねー。意外と家から来たもんね」

「だから言ったんだよ。こんな距離、車イス押して歩いて、疲れてないかなぁと思って」

「だから、全然平気だってば。あたしの体力ナメないでよね?!」

 車イスに座る彼と、その車イスを押してゆっくり歩くあたし。青い空には、遠くにうっすら白い雲が浮かぶだけで、おだやかな春の風が、あたし達の笑い声をそっと散らしていく。

 遠くから、パトカーのサイレンが聞こえてきた。だんだん近づいてくる。車内のマイクを使って、拡声器で何やら呼びかけている。拡声器特有のざらついた感じと、せっかちにしゃべるせいで、正直何を言ってるのか聞き取るのは難しい。

「……なんだろうね?」

「スピード違反とかじゃないかな。ここのバイパス、速度出しやすいし」

《前の白い軽自動車の方ぁ、はい、私達前に出ますので、この先の分岐を越えて二車線になる所まで付いてきて下さいねぇ》

 スピーカーの音がだんだん大きくなってきて、あたしの耳にも鮮明に飛び込んできた。

「やっぱり、スピードだ」

 立ち止まって見下ろすかたちのあたし達にも、赤色灯を載せた白黒パンダのセダンが見えた。その後ろには、とがめられたと思われる白くて小さいオープンカーが少し距離を置いて走っている。デザイン的にカッコいい顔立ちだけど、状況がそう見せるのか、何だかとまどっている少年のような感じだ。

「あーあ、やっちゃったね」

「あれ……え? そこじゃなくない?!」

 軽のオープンカーはパトカーが指定した場所よりずっと手前の、バイパスを下りる分岐ルートと本線の間のわずかな斜線の上に停まってしまった。パトカーは何故か気づかず先へ走っていく。変な位置で停まっているので、後続の車もとまどって速度を落とし、バイパスを下りる車は微妙に通れず立ち往生。あっという間にプチ渋滞になってしまった。

「なんであんなトコで停まっちゃうの?! 分岐の先って言ってたのに!」

「うーん、初めて通る道だったのかもね。土地勘無くてこの先で車線が広がるって知らなかったのかも」

「あぁ、そっか……そうかもね……」

 彼はいつも、決めつけがちなあたしが思いつかない可能性を見つけ出してくれる。そんな彼をあたしは、尊敬している。

「でも、パトカー気づかなかったのかな?」

「まぁ、気づいたとしても警察がバイパスをUターンするわけにいかないしね。それに、まさかあんな狭いゼブラゾーンに停まっちゃうとは思わなかったんじゃないかなぁ?」

「確かに……てか、ゼブラゾーンってなに?」

「ほら、あの軽自動車エスロクが停まっちゃってる所に斜線引いてあるでしょ。あんな感じで、路面に引いてある斜めのしましま。あれを俗にゼブラって言うんだよ。で、ゼブラが引いてある地帯、ゼブラゾーン」

「なーるほどー。シマウマ模様ってわけね 」

 あたしはまだ教習所に通ってないから、そんな言葉聞いたこと無かった。彼と居ると、勉強になる。あたしの知らないこと、色々教えてくれる。

「あ、パトカー引き返してきた」

「ホントだ」

 遠くに、サイレンを鳴らしてこっち側の車線を走ってくるパトカーが見えた。

「気づいてるのかな? 軽があそこに停まっちゃってるって」

「分かってはいるだろうけどなぁ。バイパスうえを戻ってきたってことは下道に逃げた可能性を摘んでるわけだし」

「あー、そっかぁ」

「でも、気休めに声かけてあげてもいいかもね。この位置ならひょっとすると聞こえるかもしれないし……」

 あたし達の居るこの側道は、ちょうどこのあたりが一番近くなっていて、フェンスとガードレール越しに本線は目の前だ。しかも高さもほとんど変わらない。

「じゃあ、なんて言えばいいかな?」

「一瞬だから、『ゼブラに停まってます』とか、かなぁ。それでも聞き取れはしないかも。ていうかパトカーが窓開けてるかも……」

「あ、ねぇ! 来たよ!!」

 時速60キロほどで駆けるパトカーに向かって、二人して思いっきり叫ぶ。

「ゼブラに停まってまーす!!!」

「ゼブ……ラ、に……と、とま……」

 彼は遺伝性の難病を持っていて、その症状は徐々に身体の自由がきかなくなる、というものだ。はじめはよろけたりする程度だったけど、だんだん手すりが無いと歩けなくなってきた。しゃべる時も滑舌が悪くなっているので、人よりゆっくり。

 とっさになにかのアクションを取る、というのはとても苦手だ。

「……ぜ、全然ダメ、だったな……」

 彼が寂しそうにつぶやいたけれど、あたしは走り去るパトカーを見送りながら

「いや、通じてたよ」

 と確信を持って返した。

「あたし、見えたもん。助手席の警官さんがすれ違いざまにパッてこっちに手ぇ挙げたもん! ホントだよ!!」

「わ、分かった。分かったから、揺すらんといて」

 彼が冗談めかして声を上げる。あたしは思わず彼の肩に手をかけ、上半身を揺さぶってしまっていたみたいだ。

 あたしは車イスの前に回りこみ、かがんで彼の顔をのぞきこんだ。彼は何か言いたげな表情だ。

「あたし、ホントに見たんだよ?! この目で!!」

「いや、信じてないわけじゃなくてね……見えたのは信じるよ。でもその警官さんの手の動きが、まぁ……偶然だったりするかも知れないじゃん。例えば何か物を取ろうとしてた、とか」

 あたしは彼の、こういうところ、少し嫌いだ。考えすぎなところ、なにごとにも否定的なところ……。

 でもそれ以上に、彼の良いところを、あたしは知っている。だから構わないのだ。

 誰が何をどう言おうが、あたしだけは絶対に、彼の味方なのだ。

 彼の顔を眺めながらそんなことを考えていたら、無性にたまらなくなって、あたしは慌てて立ち上がった。

 白い軽はきっちりゼブラゾーンの範囲に収まり、後続車は両横を抜けていって、プチ渋滞が解消していくのが見えた。一度消えていたサイレンがまた近づきつつあるので、恐らくその内ジャマにならないところで反則キップが切られるだろう。

「……ありがとうね」

「ふぇ?」

「いや、オレの代わりに声、上げてくれて。オレだけじゃ『伝わったかも』なんて淡い期待も持てない、っていうか、そもそもしゃべりきれなかったから」

 そうだよ。

 あなたが上手くしゃべれないなら、あたしが代わりに話したげる。あなたが上手く物を取れないなら、あたしが代わりに取って渡したげる。あなたがものごとをネガティブに考えちゃうなら、あたしが代わりにポジティブな意見を言ったげる。

 この想い、あなたに届いてますか?

 ね、ぇ。

 返事をする代わりにあたしは、頭の中で言う「ね」と「ぇ」の間に、彼のほおにキスをした。

                                  終わり

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