第九話 家族思いな彼女
PV5000記念
安心してください! いい子ですよ!
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一旦目を閉じ、深呼吸をして目を開ける。
すると、さっきまでは見えていなかったものが目に付いた。
全く気付かなかったが、五葵が泣いている。
どの段階で泣き始めたのか……記憶を探っても、周りの反応が見えていなかったことしか分からない。
五葵は目と下の口から溢れる液体で服が濡れて、若干透け始めていた。
薄着という事が災いして、服がぴったりと張り付き、下着まで見えている。
いくら元カノとはいっても、このまま放っておくのは忍びない。
はあああと深い溜息を吐いてから、俺は鞄の中にしまっておいたコートを取り出す。
春とはいえ、まだ肌寒いので帰りも着て帰ろうと思っていたが……仕方ない。
俺は五葵に近づき、コートをバサッと掛けてやる。
五葵はいきなり布が被さってきてからか、えっと驚き、コートが飛んできた方向を見る。
そして、俺と目が合うと、俺とコートを見比べてから、嬉しそうにコートをぎゅーと抱きしめた。
コートを掛けた瞬間に、チッと食堂から聞こえてきた舌打ちの音、コートを大事そうに抱きかかえる五葵を見た一夏達から発せられた『私は?』という圧、微笑ましいものでも見るような数也の目、四面楚歌だ。
舌打ちの主たちは、近くにいた女子生徒に思いっきり耳を引っ張られたり、暗がりに連れ込まれた後、悲鳴が聞こえてきたりと、様々な折檻を受けているので、まだいい。
一夏達の無言の主張も、無視できるから、そこまで大した害にはならない。
問題は、数也のほっこりしたような、素直になれない子供を見ているような、そんな目が精神的にクルことだ。
だからといって、数也に向かってやめろとは言えないしなあと俺は悩む。
しかし、全く解決策のようなものは思い浮かばない。
一分ほど悩んだ後、俺は諦めて、話の続きを始める――前に、五葵の様子をそっと窺う。
どうやら、泣き止んだみたいで、嬉しそうに俺のコートに頬ずりしている。
あんまり汚されると洗濯が面倒くさいんだけどな……とどんどん悲惨な惨状になっていくコートを見て、悲しみを感じつつ、涙が止まってよかったとも思う。
そもそも五葵に関しては、母さんが奴に加担したせいで、というのが大きな要因の一つだと思うしな。
それはそれとして、寝取られたことを許すつもりはないが。
そんなことを考えていると、俺が彼女のことを気にしているのがバレているのか、数也から感じる視線がどんどん優しくなっていって、慈しむような顔をしだしている。
俺はその空気をかき消すように、咳払いをして一夏達の注目を集めてから、今度こそ六華の話を始める。
「六華と出会ったとは言っても、最初の出会いはほとんど会ってないみたいなものだったけどな。気晴らしに町を歩きながら買い食いをしてたら、路地裏に連れ込まれている女子生徒を見かけたんだ。同じ学校の制服だったから、ふと目に付いた。彼女は嫌がっているようだったが、男の力に負けて暗がりに入っていった」
少し気になったから、覗いてみることにしたんだと話す。
「すると、彼女は手をつかまれて、スカートをたくし上げられている様子だった。必死の抵抗をしている姿を見ると、同情心がわいた。それに、その光景を見ていると元カノが寝取られたことを思い出して、ムカついた。だから、俺はその男をぶん殴った」
男はいきなり殴られて、受け身すら取れずに倒れこんだと説明する。
「その後、脳震盪でも起こったのか、動かなくなった男に外傷がないか、脈は正常か、確認してから俺は救急車を呼んで、その場を去った。彼女は俺が男を殴った後、いつの間にかいなくなっていた。まあ、目の前でいきなり人をぶん殴るやつとか怖くて当然だし、当時の俺もそんなに気にしていなかった」
でもと俺は続ける。
「次の日、俺が昼飯を食べていると、彼女が教室にやってきた。俺に向かって、スタスタと近づいてくると、衆人環視の中告白してきた。教室がざわついた。俺と一緒に昼食をとってた友達も動揺してた。そして、俺も困惑してた」
だって、俺はいままで告白する方だったからと補足する。
六華は横向きのポニーテールと言うのだろうか? 短めにくくられた髪が横に垂れている。
よく見ると、その毛先が震えているのが分かる。
昔から、気が強いわけではなかったが、今でもその名残はあるようだ。
首のチョーカーについている小さなクリスタルも細動しているのが見える。
というか、そもそも瞳が不安そうに揺れているので、わざわざ毛先や首元を見なくてもよかった。
「俺は彼女と付き合った。彼女は小さいながらも、鈴のなるような音で笑う人だった。俺からデートに誘う事は多くなかったと思う。彼女が緊張しながらも、頑張ってデートに誘ってくれる姿が可愛かったというのが主な原因だが」
彼女はよく家族の話をしてくれたと俺は言う。
「家族、特に母親の話をする時の彼女は本当に楽しそうだった。俺がつられて笑顔になってしまうほどに。彼女は母親が最近再婚したという事を嬉しそうに報告してきた時もあった。彼女の話を聞いていると、母さんのことを思い出して胸に寂寥が込み上げてくることもあったが、それでも彼女が嬉しそうにしていると俺も嬉しくなった」
そんなある日と俺は繋げる。
「彼女が沈んだ様子で相談してきたことがあった。いや、相談というよりは、愚痴に近いものか。彼女は悲しみの原因を俺に吐き出してきた。母親と義父が再婚に当たって、不妊の検査をしに行ったらしい。母親も義父も、それなりに年齢が言っているからだそうだが……その結果、母親の方に問題があったらしい」
母親が再婚してからいつも楽しそうだった彼女に、俺は何も言ってやれなかったと語る。
「人工授精やら代理出産という手もあるなんていう当たり障りのないことだけしか俺は彼女に言えなかった。彼女は『そっか……話を聞いてくれてありがとう』と言って離れていった」
あるいは、これは彼女なりのSOSだったのかもなと俺は話す。
視界の端で六華の震えが増しているように見えるのは気のせいだろう。
しっぽが前後に動いているように見えるが、見間違いに違いない。
手で小さくバツを作っている気もするが……いや、俺は何も見ていない。
「その頃、俺は一夏と三澪に偶然出会ったことがあったせいで、自分のことでいっぱいいっぱいだった。彼女の機微に気付いてやれなかった。それどころか、彼女と顔を合わせない日々が続いても、大した問題だと考えていなかった」
それが間違いだったと俺は後悔の思いを滲ませながら言う。
「俺が最初に違和感に襲われたのは、久しぶりに彼女に会った時だった。彼女から感じる気配が変わっていたような気がしたのだ。いつもなら、気のせいだと置いておくか、様子見をしているところだが、母さんのことがあって神経質になっていた俺は彼女の身の回りを調べてみることにした」
するとと俺は続ける。
「どうやら、その母親が再婚した相手が犯人だという事が分かった。彼女の家は、昔ながらの屋敷に近い形で、縁側や小さな池がある庭だったり、家の周りの囲いも石垣のようなものと低めの木だった」
だからと俺は繋げる。
六華は嗚咽を漏らさないようにしているのか、ほとんど声は聞こえてこないが、その代わりに伏せている顔から涙が流れ落ちてきている。
「丸見えだった。畳の上に布団が敷かれていて、学校から帰ってきたばかりの彼女を襲う義父がいた。俺は最初にそれを目にした瞬間、全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。拳は跡が付くほど握りしめていて、歯は砕けてしまうんじゃないかと思うほど強く噛み締めている」
他人事みたいだよなと俺は笑いながら言う。
「実際、俺の感覚では、自分が自分じゃないみたいだった。俺は彼女の境遇を自分のものと重ね合わせている風潮があった。だからだろう……俺は無意識に、意思よりも先に、体が激高した。そのおかげで、俺は落ち着いていることができた」
それが良かったのかは分からないけどなと俺は話す。
「五葵のこと、母さんのこと、罅のこと、いろいろあって俺も明確に変わったと思う。俺は彼女にすべてを明かした。そして、彼女に状況を説明してくれるように頼んだ。彼女は泣きながらも、ゆっくりと口を開いた」
まあ、内容はほとんど端折るけどと俺が言うと、泣いていたはずの六華がえっという顔でこっちを見てくる。
「簡単に彼女の主張を纏めると……彼女に代理母のようなものになれと、つまり、彼女に母親の代わりになれと言われた、そういうことらしい。普通は母親が止めるはずだが、止めるどころかむしろ、母親からも勧められていたらしい。そんな一つ屋根の下に味方がいないという状況で、不安だっただろう」
それにと俺は続ける。
「彼女は義父に無理やり襲われたらしい。成人した男の腕力に敵うわけも……まあ、ないわけでもなかったが、混乱と、母親が横で手伝っていたショックで、碌な抵抗もできなかったらしい」
ただと俺は繋げる。
「俺にはその義父の主張が理解できなかった。意味がわからない理屈を捏ねている点もそうだが、一番は、そんな綺麗な思いには見えなかったからだ。俺が覗き見したときに、チラリと見えた義父の瞳、嗅ぎ取った臭いが、かつての俺の義父達を思い出させるものだった」
俺にはそれが、肉欲に溺れたせいなのか、それとも最初から彼女が目当てだったのかは分からなかったがと俺は少し悲しそうに話す。
「彼女は話し終わると、俺に向かって頭を下げてきた。そして、顔を上げると俺にお願いをしてきた。『お母さんのためだから』と俺に言った彼女の目には申し訳なさと、決意の炎が宿っていた。それを見た俺は、何を言っても聞かないだろうと確信した」
だから、俺はいつも通りのことをすることにしたと俺は語る。
六華はいつの間にか、声を上げて泣き出していた。
ボロボロと大粒の涙を流しながら、普段よりも大きな声で泣いている。
「彼女は、俺に向かって啖呵を切っても、やはり嫌なものは嫌らしく、必ず抵抗をした。俺はいつものように隠しカメラでそれを撮った。そして、警察に持って行った。そんな俺に対応してくれたのが、またしてもおっちゃんだった」
一年空いたからか、最初は誰だお前? っていう顔をされたけどと俺は当時を思い出して、笑いそうになりながら話す。
「俺の対応をしているうちに段々記憶が蘇ってきたのか、ゆっくりとまたお前か……という顔に変わっていった。なんなら『お前、疫病神にでも憑かれてるんじゃないか?』と心配そうに言われた」
おっちゃんは仕事を全うしてくれたと俺は言う。
「彼女の義父は捕まった。そのせいで母親が、また心を塞いでしまったと彼女は悲しそうに言ってきた。その日、彼女は俺の家に泊まった。彼女も、色んなことが一気に起こって、精神的にしんどいのもあったんだと思う。そんな時に頼れるはずの大人は、彼女を追い詰め、それが終わっても、自分勝手に不幸を嘆くばかり」
だからと俺は続ける。
「俺は彼女を慰めるという意図も含めて、一夜を過ごした。といっても、俺は彼女に対する若干の忌避感が無くなったわけではなく、複雑な心境だった。俺がどう別れを切り出そうか悩んでいる時だった。彼女がいきなり俺に絶縁を申し出てきた」
俺が彼女の義父を通報したのがバレたらしいと俺は語る。
「彼女は感情のままに様々なことを捲し立てた。彼女の母親が塞ぎこんだ原因は俺にあるとも言われた。俺としては断る理由もなかったので、そのまま彼女と喧嘩別れのようなものをした。最後に、母親のことを救ってやれるのはお前だけだとだけ言って」
けどと俺は繋げる。
六華の様子を見ると、何故か鞄を漁っているところだった。
なにやら、紐のようなものを取り出した。
それを、首のチョーカーに近づけて……チョーカーに嵌めた。
それはまるで、首輪のように見えた。
……待て。……俺、そんな使い方出来るなんて知らなかったんだが。
自分が贈ったものが首輪という予想外の使い方をされていることに、驚愕する。
そんな俺の心境を知る由もなく、彼女は首輪を愛おしそうに撫でる。
そして、何かを思い出すように虚空を見つめ、ぶるぶるっと体を震わせた後、ビクッとなり、恍惚の表情を浮かべる。
確かに……確かに! 着替えを持ってくればいいという話ではないと心の中で思いはしたけども!
……玩具とか首輪を持ってくるなんて言う変わり種を求めてるわけじゃないんだよ!
「その一週間後、俺に威勢よく絶縁を突き付けてきたのは誰だったのかと悩むレベルで、きれいさっぱりと忘れたように彼女が俺に付きまとい始めた。彼女は俺の最後の助言を聞いて、俺から聞いていた俺の身の上話を思い出したらしい」
そして、彼女は母親に根気良く話しかけていると、返答が返ってくることがあったらしいと俺は話す。
「それと、やっぱり、俺との行為が忘れられないらしい。俺のテクニックって、基本的に彼女達との行為の中で身に着けたものなんだが、それすなわち、彼女たちを寝取った奴らのテクニックを間接的に身に着けているわけだ」
まあ、人の彼女を寝取るなんてたいそれたことをする程度には自分に自信があった奴らのテクだからなあ……と俺は複雑そうな顔で言う。
「ただ、俺としては、もう付き合っていないのに相手する理由もなく、俺にかまってないで、母親の方を気に掛けろよと思っていたので、基本的に反応は最低限しか返さなかったが」
そして、俺は彼女と離れるために、遠くの方の高校に進学したと話す。
「そうすれば、彼女も俺のことを諦めると思ったから。今までの彼女の中で、一番、俺以外にも執着というか、愛着のようなものを持っていたからな。そして、俺が進学した先の高校で出会ったのが、
立て続けに、今思い出してもキツイ話をしたからか、話し終えるとふーという声が漏れる。
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