29 芽吹きの春

 春になり、〈兎〉の里はにわかに忙しくなった。


 森の民を迎え入れて半年。彼らが耕した畑に植えた農作物が、初めての収穫時期を迎えているからだ。運よく気候にも恵まれ、ソラリス曰く「怖いくらい豊作」とのことだった。故に森の民だけでは間に合わず、手隙の者は総出で収穫作業を行っている。畑仕事に不慣れなはずのサリとエリ、ジョンまで駆り出されているほどだ。


「こんなに活気あふれる春は久しぶりなのよー、本当に」


 厨房の窓から畑で働く皆を眺め、エミルはおっとりと笑った。手元では大量の人参をすごい速度で刻んでいる。綿のような白い髪に赤い瞳を持つエミルは、そっくりな外見の示す通りエファルの実母だ。


 隣で大量の芋の皮を剥きながら、ミューは頷く。


「里で食べるだけじゃなくて、外にも売れるほど豊作みたいだもんね。ソルが喜んでた。劇場の建築費用、早めにお兄さんに返せそうだって」

「坊ちゃんはすっかり商売人になっちゃったわねぇ。もともとそういう商談めいた駆け引きとかは好きそうな子だったけど」


 エミルは懐かしそうに目を細める。ソラリスを坊ちゃんと呼ぶエミルは、彼の乳母だったそうだ。エファルとソラリスが乳姉弟だということを、ミューはこの里に来て初めて知った。エファルの城での肩書きが『護衛官』という厳しいものだったことも。


「昔はエファルと王宮の庭で蜂の巣取ってきては『半分は料理に使っていいから残りでおやつ作って』ってねだってきたものよ、あれもあれで商談よねぇ。なぜか蜂に刺されるのはいつも止めに行ったリカルドだったけど」

「……変わってないねぇ、関係性が」

「そうね……やっと、昔に戻った感じはするわねぇ。『奥様』のおかげかしら?」

「だからエミル、その奥様ってやめてよ。里の皆もだんだんそう呼ぶようになっちゃってきてるし。私は森の主シータの名代であって、ソルの奥さんじゃないのに——その、今は、まだ」


 いい加減に慣れればいいものを、顔は律儀に赤くなる。


「若いわねぇ、かわいいわねぇ。でも、決めるときは女からでも決めないと、将来の約束とか信用していつまでも待ってたら横から攫われちゃうわよ? 坊ちゃんは押しが強いけど、あれで押しにも弱いから、うっかり流されちゃったりして」

「えっ……で、でも、ソルに限ってそんなことは——」


 否定しかけてふと思う。考えてみれば、ソラリスはミューが稀に起こす癇癪めいた暴走には、わりと素直に巻き込まれて従う。あれを押しに弱いというならそうかもしれない。


 顔を青くしたミューを庇うように、煮炊きの音の重なる厨房に高い声が響いた。


「もー、お母さんったらぁ! こんなところでそういう話しないでよ!」


 両手に水の入った大釜をぶら下げて戻ったエファルが母を睨む。


「ミューちゃんも間に受けちゃだめですよぉ、お母さんは若者をからかうのが大好きなおばさんなだけですからね。ソル君は誠実ですから! きっとたぶん! おそらくは!」


 言い切る割にはあやふやだ。

 余計に不安を覚えるミューをよそに、エミルは娘に肩をすくめる。


「だって、娘にはからかうほどの相手もいなくてつまらないんですもの。エファルもそろそろ真面目に考えないと、このままじゃリカルドと結婚する羽目になるわよ?」

「えぇー……リカルド君かぁ……それはいくら何でもちょっとぉ……」

「うん。リカルドにエファルはあまりにもったいない」

「——あぁもう、うるっさいぞお前ら! そういう話はせめて俺のいない場所でやれ!」


 黙って玉ねぎを刻んでいたリカルドがついに怒鳴った。


 普段はソラリスや里のお偉方と共に小難しい机仕事をしている肩書きはそのまま『側近』だった彼だが、ここ数日は農作業を行う皆の食事を作るべく厨房に駆り出されている。遠目には厳しく見えるお偉方も、稀に見る豊作に浮かれて畑仕事に加わっているらしい。要するに〈兎〉の里は今、お祭り騒ぎの最中なのだ。


 玉ねぎがしみるのか涙目で睨むリカルドに、エミルはわざとらしくため息をつく。


「目上の人間に『お前』って。やっぱりお母さん、リカルドに娘はやれないわぁ」

「そもそも欲しがってない! いらねぇ!」

「えぇー、丸々一晩めそめそ泣き続けた泣き虫記録保持者にいらねぇとか言われると腹立つなぁ」

「黙ってろエファル!」

「ソル、未だに『謝るからいい加減泣き止めリカルド頼む眠い』ってうなされてる」

「お前も黙れミュスカ!」


 うるさいなぁという視線が厨房の端々から飛んでくる。リカルドはばつが悪そうに調理に戻った。リカルドを睨みながら水を配りに行くエファルを目で追って、畑と同じく、〈兎〉と森の民とが違和感なく共に立ち働く厨房に今さら気付く。


(帰ってきたらソルに教えてあげよう)


 定例の評議会のため、夜明けと共に王城へ向かった彼は日暮れ前には戻る予定だ。


 嬉しそうに笑う顔を思い浮かべて、ミューも小さく微笑んだ。






 半年前、族長となったソラリスは、自分が里に戻ると同時に西の森の民も呼び寄せた。


 使用頻度の低い来客用の館を新たな住人に開き、自分の部屋もそこに作った理由は「俺が居れば焼き討ちとかはされなくなるだろ」という物騒なものだった。


 それは冗談としても、一悶着あることは覚悟したソラリスの予想通り、共住は初めから順調だったわけではない。新王に下された役目と頭では理解しながらも、『罪人の末裔』と教えられてきた森の民を受け入れられない〈兎〉は多かった。最初のうちはとざっくりと居住区を分けてはいたが、移住から一月の間に諍いが起こらない日はなかった。


 ソラリスが取った対応は、ただ詫びることだった。加害者の前で被害者に、被害者の前で加害者に、こんなことが起きたのは長として至らない自分のせいだと彼自身が頭を下げる。被害者が、加害者が森の民でも〈兎〉でも、彼はただ根気強く同じ対応を繰り返した。誰のことも咎めずひたすらに、ひたむきに。


 森の民については、一応はシータの名代としてここにいるミューが対応した方がいいのではないかと決死の覚悟で伝えたこともある。けれどソラリスは「これは俺だけの役目だ」と譲らなかった。「あいつらを託されたのは俺だから」、「それにミューは女王様の名代だろ。女王様、謝らないだろ絶対に」と言われてしまえば返す言葉はなかった。




 そんな日々の最中、当時は一座のテントしか無かった劇場の建設予定地で焚火を囲みながら、カンナは感情を抑えたような低い声で突然言った。


「あんたみたいに謝り通しの族長がどこにいるってのよ。頭が舐められると集団は一気に崩れるもんなのよ、わかってんの?」


 さっきまでは劇場の規模を相談していたのに、話が急に変わった。戸惑うように黙ったソラリスは、しばらくして笑い混じりに答える。


「俺、そんなにきつそうに見えるか?」

「見えないから言ってんのよ、妙に元気なのが気色悪くて」

「あぁ、なるほど。ありがとう、心配してくれて」


 素直に礼を述べたソラリスは、笑みを留めた声で言う。


「でも大丈夫だよ、俺は。強がってるわけじゃなくて、本当に。舐められて崩れるほどのもんはまだ積み上げてないし、まず独裁タイプじゃないしな。カンナさんと違って」

「あんたね……茶化すのもいい加減に」

「それに俺、理想通りの族長かっていうとまぁ違うけど、そこまで見放されてもないと思うんだよな。だからまぁ、そのうち時間が解決するかなって」

「どういう意味よ。ちゃんと説明しなさい」


 訝しげなカンナに、ソラリスは考えるような間を置いて言った。


「何ていうか……俺は〈兎〉待望の王子様だったわけだよ。期待や責任はあったにせよ、大事にはされてきた。この里の連中は強くはないかもしれないが、そうやって大切に育てた自分らの王子が、自分のした嫌がらせやら喧嘩やらで頭を下げる姿を見て、何にも思わないほど恥知らずではない。……森の連中にもカンナさん達にも不愉快なこと言ったりしたりしてる奴はまだいるし、それを知った上で言うことでもないかもしれないが」

「……この上あたしにまで頭下げたら、二度と上げられないよう埋めるわよ」

「はは、ありがとな。カンナさんが居てくれて心強いよ、ほんと」

「あたしは新しもの好きなのよ。定住して技だけ磨いてりゃいいなんておいしい話だしね。まぁ儲からなかったら出てくけど」

「そりゃ責任重大だな、頑張って客呼ばないと」


 言葉とは裏腹に、軽く笑う。


「森の連中は、それこそカンナさんみたいに強かだ。自分のケツを自分で拭けないような状況の方が気に入らなくて、喧嘩すんのもめんどくせぇみたいな受け流し態勢になりかけてる。このひと月で一通り揉めて気も済んだだろうし、だからまあ、後はじっくりお互いの存在に慣れて、その上で一緒に盛り上がれるようなきっかけがあれば、なんとなーくゆるーくやってけんじゃないかな、と」

「なんとなーく、ゆるーく、ね。……ま、そんぐらいの方がいいのかもしれないわね、改革なんて」

「そうそう。価値観なんて、気付いた時にはもう変わってるもんだしさ」

「十七のガキに言われたくない台詞ねぇ」


 やけにしみじみと言うソラリスに、カンナはめずらしく声を出して笑う。


 焚火にほど近い木の根元でうたた寝をしていたミューは、二人の間に流れる穏やかな空気を壊さないよう、「帰るぞ」と声をかけられるまで眠ったふりを続けていた。





 西の森には農地というものはなく、日々の糧は意外なことに、一座として里を巡る住人が定期的に運び入れることで賄っていたらしい。つまり、七部族の里から『輸入』していたようだ。理由は、古の力の眠る大地の気まぐれにある。森の中に作物の種を植えても、そのほとんどは実らなかったり味のないものになったり、はたまたやけに美味になったりで、品質がまるで安定しないという。反面、長く生きる木々は古の力と馴染みがいいらしく、果物や木材などは豊富にある。それをまた一座が外に『輸出』して回していたそうだ。


 今までは秘密裏に行っていた輸出入は、今後は〈兎〉の里を通して行えるようになる。


「面倒も手間も減って助かるわ。でもうちの子たち使ってるんだから価格は勉強しなさいよね」と、ソラリスと共に会いに行ったシータがふんぞり返って値切ってきた姿は記憶に新しい。貨幣経済が意外にも森に浸透していたので、いずれ経験者を集めて商会でも作ろうかなどと盛り上がる二人に若干の疎外感を覚えたのも最近のことだ。


「うわ収穫したの見るとまたすげぇな、種撒くとほんとに野菜って実るんだなー」


 芋を剥き終わり、大量の皮を捨てようと外に出ると、森の青年が畑で感心した声をあげていた。ソラリスとも仲のいい、ミューを『彼女さん』と呼ぶ一派の一人だ。若い彼らは劇場の建築の方に携わっていたので、収穫に入るのは今日が初めてなのだろう。


 森の仕組みを常識として育っている森の民らは、最初こそ「種なんて植えて生えるの」「苗植えて実るの」と半信半疑だったが、作物の成長と実りを目の当たりにし、魔法でも見たように驚いていた。


「当たり前だろ、そんなの。森の人間は本当に物知らずだな——っておい、なんでいきなり鍬持ち出してんだ耕すんじゃないんだぞ、野菜までぐちゃぐちゃになるだろうが!」


 森の青年を慌てて止めたのは〈兎〉の青年だ。


「いいか、鋏を使って根元だけ切り取るんだよ、野菜が傷つかないように慎重にな」

「ほうほう」


 真剣に手元を見つめる森の青年に、〈兎〉の彼も満更でもなさそうな顔をする。


 奇跡に近い場所にいた森の民が当然のことに無邪気に驚き喜ぶ姿は、最初の揉め事の後は彼らと距離を置くようになっていた〈兎〉の警戒心を少しばかりは解いたようだ。収穫を始めたここ数日で、こんな光景を見ることも増えてきた。


(ソルの言ってた『一緒に盛り上がれるきっかけ』ができたってことかな)


 実りが嬉しいのは、森の民も〈兎〉も同じだ。同じ里の住人なのだから。


 嬉々として収穫に乗り出しながらも、包丁使いと同じく才能を見出せなかった鋏使いに、「溜まってる書類仕事しとけ」と部族を問わない満場一致で農場から叩き出されたソラリスに、このこともちゃんと教えてあげなくては。


 そう思い、ミューは目の前の光景をしっかりと目に刻み込んだ。

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