19 魔女との決闘

 頭を振りながら立ち上がったレムは、彼らしからぬ荒い口調で上空へ向けて叫んだ。


「——だからドカドカドカドカ人をぶん投げて落とすなよ! 話をさせろ単細胞年増……って、あれ? どこだここ」


「あ、あの、兄上……?」


 辺りを見渡すレムに、ソラリスはめずらしく遠慮がちな声をかける。


「……! お前たち、もう着いてたのか! よかった、間に合った」


 青い瞳を丸めたレムは、すぐに状況を悟ったように安堵の息をつく。


「いきなり城から消えて驚いたが、やっぱりこの森に向かったんだな。無事で何よりだ」

「兄上は、俺たちを追って来たんですか? どうして……」

「話は後だ。見つかる前にここから逃げるぞ、あいつも森の外までは追ってこれない」


 やけに急いで外の方へ足を向けたレムの背に、慌てて尋ねる。


「え、あの、私たちせっかく森まで来たのにもう帰るの⁉︎ あいつってウルクのこと?」


 足は止めず、首だけで振り向いた彼はもどかしそうに答える。


「何でウルク? あいつはあいつだ、この森に住む単細胞年増のま——」

「残念ねえ、お坊ちゃん。単細胞年増はもう来てるわよ」

「うわっ」


 突如として上方から現れた腕に背後から引っ張られ、レムが宙に浮き上がる。


 彼を持ち上げたのは、裾に花の刺繍がある白いドレスの上に黒の外套を纏った、ミューと同じ年頃の小柄な少女だった。気丈そうな金の瞳に、腰まで届く艶やかな黒髪は、共にミューの母と同じ色合いだ。


 品のいいお嬢さんのように見える彼女はしかし、当然のように宙に浮き、細い腕でレムの後ろ首を掴んでいる。ただの可愛い女の子ではありえない彼女を、レムは精一杯首を反らせて睨みつけた。


「シータ……!」


 明らかな焦りを見せるレムに反して、シータと呼ばれた少女は落ち着き払った声で言う。


「初めまして、ミュスカにソラリス。呼び立てて悪かったわね。ようこそ、西の森へ。歓迎するわ。……さて、そうとなったらあんたは邪魔ね、レム」


 自分を睨むレムに、まるで子供をあやすような笑みを向ける。


「あんたは後でゆっくり泣かせてやるわね。生意気なお坊ちゃんだけど、泣き顔だけはかわいいもの。——全部が済んだらあたしがちゃんと、慰めてあげるから」


 レムに優しく語りかけながら、シータは金色の瞳をどうしてかこちらに定めた。


「——おい、止めろ、シータ! ソラリスは敵じゃない!」

「それを決めるのはあんたじゃないのよ、悲しいことにね」


 本当に悲しそうな顔をした彼女は、小さな声で聴き覚えのある旋律を歌った。歌が終わると同時に、レムを軽々と空中に放り投げる。


「片付け終わるまで、良い子にしてなさい。レムをお願いね、ウルク」


 宙を舞うレムを鉤爪の生えた足で掴んだのは、追い付いてきたらしいウルクだった。


「ウルク⁉︎ お前なんでそんなことに……もしかしてお前、シータの——使い魔か?」


 羽を生やしたウルクに瞠目した様子を見るに、レムも彼の正体を知らなかったらしい。

 しばらくして、はっと気付いたようにウルクを降り仰ぐ。


「ということは——お前、まさか俺を見張ってたのか⁉︎ いつから⁉︎」

「かれこれ五年近いですね、僕はあんたの配下だったことは一度もないので」


 絶句したレムは、やがてありありと苛立ちを示す声で唸るようにシータに問う。


「ああもう、腕輪といいこいつといい、どれだけ俺を監視すれば気が済むんだよ……!」

「それだけ心配されてるってことですよ、あーもう落としたいなぁついばみたいなぁこれ」

「おいたはだめよ、ウルク。しばらく遠くへ飛んでてちょうだい」

「……はいはい、仰せのままに、僕の主人」

「くそっ……ソラリス、逃げろ! 戦うなよ、シータは〈魔女〉だ。勝てっこない!」


 歯噛みするように、レムは叫ぶ。


「ミュスカちゃん頼む、ソラリスを守——」

「うるっさいわよ、本当に」


 シータは——魔女は、拾い上げた枝を無造作にレムに投げつけた。鈍い音と共に静かになったレムを掴んだまま、ウルクは高く上昇する。


 その姿と羽音が完全に空の彼方に消えてから、魔女は固まっていた二人を向き直り、おもむろに口を開いた。


「ミュスカは今、自分の体に戻ってるわね?」

「え? う、うん……?」

「じゃあ後ろでじっとしてなさい。腹の立つことも多かったけど、ミネルヴァは一応友達だったの。だから、あなたのことは、元に戻してあげるわよ」

「どう……やって?」

「『道』が通じてしまったなら、片方を閉じればいい。そうすれば、抜け出した自我の行き場はなくなる。当たり前の摂理でしょう」

「どういう意味……?」


 問いを返すことしかできないミューに、魔女は呆れたように首を振った。


「素質はありそうなのに、どうにも物分かりが悪いところはミネルヴァに似てるのね?」


 そこで言葉を区切り、視線をまっすぐソラリスに定める。


「消してあげるって言っているのよ、邪魔者を。まあ、あたしのついでだけどね」

「……あんたにとってなんで俺が邪魔なのかってのは、聞いてもいいのか? 森の主」


 臆する様子もなく、腕を組んだソラリスはのんきに尋ねた。


「決まってる。あなたはレムに剣を向けた。あたしはねぇ、あの子を守ってあげたいの。そしてそれはあたしのためなの」


 いっそ可憐に、魔女は微笑む。


「あの子の気持ちは関係ないのよ。意味はわかる?」

「……なるほどな。意思の疎通ができてない理由がわかった。腕輪の仕込みもあんたの独断ってことか」

「あなたは物分かりがよくて助かるわ。話は終わりよ、さっさといなくなりなさい」

「ちょ、ちょっと待って!」


 やけにさくさくと進む会話に流されそうになり、必死に体ごと割り込む。


「ソルはもう、お兄さんに剣なんて向けないよ。もうその理由はなくなった。ここには元に戻る方法を知りたくて来ただけで、だから……その、物騒な方法しかないなら諦めて帰るから! 行くよ、ソル!」

「いや行かないって、何でそう弱気なんだよ。戻れなきゃミューも嫌だろ?」

「命あっての物種でしょ⁉︎ 命をかけるくらいなら入れ替わったままでいいよ、あなたが踊り子で私は……なんか……芋の皮剥きとかして一座に貢献するから!」


 呆れ顔のソラリスに必死の説得を試みる。魔女は状況を確かめるように尋ねた。


「……つまり、ソラリスはもう王宮に戻るつもりはないってことかしら?」

「そうだ——」

「それはない」


 肯定の返事を、後ろから聞こえた声が遮る。振り返るが、俯いた彼の表情は見えない。


「俺は王宮に戻る。俺に戻って王子に戻って、また兄上に挑む。そう決めた」

「なんで……?」


 ぽかんと呟くミューを背後に押しやるようにして、ソラリスは魔女と対峙する。その背中にミューは叫んだ。


「なんで今更そんなこと言うの⁉︎ ちゃんと自分が何をしたいか考えるって言ったのに」

「助け出されるお姫様も悪くはないけど、俺は王子様だからな。逃げるよりは戦いたいし、好きな子の前では格好つけたい」

「……バカ! 何もかっこよくないよそんなの! そういうのいいからさっさと撤回して逃げようよ!」


 後ろから袖を引いて止めようとした手を逆に掴まれた。引きずるように近くの茂みに連れて行かれる。


「ソル」

「ここで待ってろ。出てくるなよ」

「…………なんで?」


 最後の問いにも、ソラリスは答えない。「ここにいろ」と言い残して背を向ける。


 一人で戻った彼をからかうように、魔女は笑った。


「どうやらそっちも、意思の疎通ができてないわね?」

「気持ちは通じてると思うんだけどなぁ、片想いっぽいあんたと違って」

「……生意気なのは血かしらね」


 笑みを消した魔女は、聴き慣れた旋律にミューの知らない——おそらくはかつての〈歌姫〉たちの言語の詞を乗せて歌った。たちまち手中に光る力の塊が生まれる。


「そう焦るなよ、森の主。処刑にはルールも建前も必要だ」

「何が言いたいの?」

「〈兎〉の王子ソラリスが、森の主シータに決闘を申し込む。俺が勝ったら殺すのはなし、あんたが勝ったら煮るなり焼くなり好きにしてくれ。受けてくれるか?」


 アーミラルにおける決闘とは、両者がそれぞれ選んだ武器での勝負と定義されている。つまり、ソラリスは魔術めいた力を得手とする彼女に、剣での勝負を挑んでいる。


 随分と厚かましいこと言うソラリスに、しかし魔女は愉快そうに笑った。


「レムに聞いてたよりはおもしろい子みたいね、あなた」

「話題に上っていたとは光栄だな。——さて女王様、返答は?」

「いいわ、受けてあげる。子供をただ嬲るんじゃ、さすがに寝覚めが悪いもの」

「感謝するぜ、女王様。あぁそうだ、感謝ついでに悪いけど、武器をくれるか?」

「手ぶらで決闘を挑むのもすごいわね……仕方ない、これをあげるわよ」


 手から離れた光の塊が二つに分かれ、それぞれ長剣と短剣を形作る。

 短剣をソラリスの手元に送り、残った長剣を握った魔女は「重いわね」と顔をしかめた。


「そうねぇ……この姿で剣を振るのも不似合いね」


 さっきとは違う詞を乗せて、また歌を紡ぐ。

 ぶれるように歪んだ後、レムの形に姿を変えた魔女にソラリスは小さく吹き出した。


「何て言うか……女王様は皮肉屋だな」

「あなたもやりやすくなったでしょう? ——さて、それじゃあ」

「始めるとするか」


 合図のように笑い合い、二人は同時に地面を蹴った。

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