五章 夢の国

18 西の森

 丸まって眠りこけるウルクを見て二日に渡る睡眠不足を思い出し、結局はミューとソラリスも一緒に眠った。揺れる馬車の中なのにぐっすりと眠り、目覚めた夕方。朝食か昼食か夕食かわからない食事をとりながら、ソラリスはミューの体で軽く言った。


「どっちにしろ兄上とは話をするつもりだったんだし、話をする場所がどこでも同じだし。行こうぜ、西の森」


 配下であるウルクが西の森に関する深い事情を知っているのだ。世継ぎたるレムはきっと全てを知っている。少なくとも元に戻るヒントくらいはくれるだろう。


 過去にカンナや父が滞在したという、西の森の深部にほどちかい場所にある混血民の宿場を目指して馬車で移動する。


 西の森と呼ばれる地域は実は広い。壁で囲まれた西の森の入口には関所が設けられてはいるが、入ろうとする者は混血民くらいしか居ないためか、警備はずさんだった。反面、七部族の里に入るのは難しいから、怪しい者はそこで弾いているのだろう。


 追手はないだろうが念のための警戒はしつつ、関所の警備を潜り抜け、通算五日ほどで目当ての宿場にたどり着いた。宿場に定住しているらしい混血民に宿の算段をつけたカンナを見るに、ミューとソラリスが戻るまではここで待っていてくれるらしい。


 こんな場所にあるのに、住人は来客に慣れていた。小さな集落に不似合いな毛並みの馬などもつながれているし、意外と人の出入りがあるのかもしれない。


 ウルクが言うには、〈歌姫〉の聖地の西の森は、ここから半日ほど歩いた場所にある、本当に木々の茂る森のことを指すらしい。そこには許可なき者は足を踏み入れられないそうだ。誰の許可なのかを問えば、曖昧に返事を濁された。それも森で話すということなのだろう。




 聖地である森へは、案内のウルクとミュー、ソラリスの三人で赴くことになった。

 着いたその日は宿場で休み、翌朝、カンナに見送られて出発する。


「ちゃんと帰ってきなさいよ、ミュー」

「ありがとう、カンナ。行ってきます」

「ソルはもし元に戻ってもミューに手ェ出すんじゃないわよ。許可してないわよまだ」

「えぇーお父さん厳しいー」

「誰がお父さんよ! 茶化してばっかりいないでちゃんとやることやって、帰ってきなさいよ、あんたも」

「……うん。色々ありがとな、お父さん」

「だから誰があんたのお父さんよ!」

「無限ループしてないで行きますよ、主人が待ちくたびれてますよきっと」


 相変わらず朝は眠そうなウルクに連れられ、草原の踏み分け道をひたすら歩く。変わらぬ景色に飽きてきた昼下がり、ようやく小高い丘を覆う広大な森が見えてきた。


 自然にできたような木々のアーチを抜けた西の森の入り口で、ウルクが振り返る。


「さて、じゃあ改めまして。主人に代わり、僕が森を案内します」


 ウルクは頓着せずに森へ踏み込む。にわかに怖気付いたミューの手を握り、ソラリスは気楽に笑った。今はミューの体だが、いつも通りの彼の笑顔は頼もしい。遠慮なく手を引かれながら、緊張を紛らわすためにミューは口を開いた。


「〈魔女〉——〈歌姫〉っていうお母さんの仲間は、何人くらいいるの?」

「たった一人です。今は、もう」

「一人……?」


 あまりに少ない数に驚く。ウルクは振り向きもせず淡々と続けた。


「そもそも〈歌姫〉と呼ばれる一族で長命なのは女性だけで、男性は他種族程度の寿命しかありません。子を産むのも生涯一人、そこに〈歌姫〉の所以たる『力』を持つ女性が生まれるのすら極めて稀だ。聖地である森に籠ることで何とか種を維持していましたが、立国の折に弾圧された他民族に森を開いた結果、彼らと血を混ぜることになり——今では〈歌姫〉と呼べるほどの力ある人は、ただ一人となりました」


 ウルクはため息をつく。


「主人は寂しいのでしょう。気の遠くなるほどの時を、誰とも分けあえず一人きり、森の民を守護する責任を抱えて苦しんでいる。ミネルヴァ様が出奔してからは、なおのこと。だからあんな男に執着する。同じ想いを持っていると錯覚し、守ろうとする」

「あんな男……?」


 怪訝に眉を寄せるソラリスに気付いているのかいないのか、ウルクはめずらしく感情を帯びた声音で語る。


「あーもういきなり現れて主人の関心掻っ攫いやがって、個人的には誰よりも排除したいのはそいつなんですけどね。それでも僕は主人の忠実なしもべなので、命令には従わねばなりません。辛い役目ですよほんと」

「……おい、ウルク。お前はなんの話をしてるんだ? お前の主人って——誰だ?」

「ここまで喋れば、予想くらいつきません?」


 岩壁の突き当たり、ぽっかりと開けた場所で足を止める。あたりを見渡しても、もちろんレムがいるようには見えない。


 振り向いたウルクはにっこりと笑んでいた。黒い虹彩が不気味に丸くなる。怯むミューの腕を引き、ソラリスは耳打ちする。


「あいつの主人は兄上じゃない。……〈魔女〉だ」


 言うなり小さな声で歌う。旋律を耳ざとく拾ったウルクは、浮かべた笑みを深くする。


「やっぱり、あなたは主人の仲間たる人ですね、ミュスカ様。あなたがいれば、主人の関心もあの男から離れるかもしれない。……さて、主人の命令はここまでですけど、たまには気をきかせて掃除でもしてみますかね」


 めきりと軋んだ音がして、ウルクの背中に大きな灰茶の羽が生まれる。靴を突き破り現れたのは鋭い鉤爪のついた四本の指だ。そう、まるで、梟のような。


 大きな羽音と共に飛び上がったウルクは、明らかにこちらに狙いを定めている。混乱が極まり、ミューは叫んだ。


「な、何あれ、何あれ! フクロウ男⁉︎」

「えぇえっと怖ぇけど戦うべきなのかいや待って剣とか何もないんだけどそういえば!」


 あの爪で上から攻撃されればひとたまりもない。

 ソラリスに腕を引かれるままに、木々の茂った方向へ逃げる。息が切れる頃になって、空からは見えないだろう大木の洞を発見した。


 中に入り込み、上がった息を整えながら、ミューは外を見張るソラリスに尋ねる。


「な、なんだったの……ウルクって……? なんで私たちを襲おうとするの?」

「なんでかは分からないが、魔女にとって邪魔なんだろうな、俺たちが。……いや、違う。邪魔なのは——」


 そこで洞の前に影が落ちた。何だと思う間も無く重い音がする。ウルクかと身構えるが、よく見れば倒れた男の形には見覚えがあった。ソラリスも男の正体に思い当たったようで、ぽかんとした顔で洞から這い出る。彼と、彼に倣って外に出たミューが掠れた声で呟いたのは同時だった。


「兄上……?」

「お兄さん……?」


 空から降ってきた意外な人物に、二人はただ呆然と顔を見合わせた。

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