7 お持ち帰り

(逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだここで逃げちゃさすがにだめだ……!)


 圧倒された『ミュー』の一座の演目から数時間後。

 竦む足を必死になだめ、ミューが向かっていたのは、演者との交流会という名の二次会だった。


 二次会自体はこれまでの日程でも行われていたのだろうが、それは会食とかいう上品さと体裁を保ったものであったらしい。もちろん最下位部族の決闘敗者である王子などは招かれていないため、これまでのミューは式典後は自室に戻ってすぐさま寝ていた。自室と言っても、そこは一年を過ごしたレムの離宮ではなく、王宮の西にある〈兎〉の面々が元より住居としている宮殿であるため、ミュー自身に馴染みはまだない。


 式典への参加を以って、ソラリスの罪は公式に雪がれたことになった。恩赦を与えられ、自らの居場所へ戻れるようになったということだ。喜ばしいことなのだろうが、ミューにとっての良いことといえば散歩の範囲が広くなったくらいで、人もまばらな宮殿の居心地は良いとは言い難い。外から見えない裏庭などは中々の荒れ具合だし、調度の類も明らかにレムの離宮より見劣りするし、なるほどここは格差社会である。


 引きずるような足取りで、ようやく交流会のメイン会場とされるテラスへ辿り着く。


 そこでミューが目にしたのは、白い清楚なドレスに衣装替えした自分の体が、壇上で見たような気もするおっさんの一人に物陰に連れ込まれそうになっている姿であった。


 背中を向けているせいで顔は見えないが、ミューの体の持ち主は——もう面倒なのでソラリスと呼ぶが、ソラリスは、見るからに下心溢れる男に特に抵抗もせず、腰を抱かれてついて行く。


「ななななな、なんで⁉︎ ちょっとそれ、そういうのはよくない!!!」


 思わず叫んで走ったミューは、ソラリスのむき出しの肩を掴んで止めた。彼が振り向く前に、男が怪訝な声を出す。


「なんだ、無粋な。この場に居ると言うことは、この娘だって織り込み済み——」


 そこで、男はようやく割り込んだミューの身分に思い当たったようだった。驚いたように見開いた目は、すぐに下卑た想像をしたのだろう。嘲りを隠すことなく歪む。


「……なるほど、ようやく恩赦を受け、自由の身になったわけですからな。女の一人も抱きたくなるか。仕方ない、これがお目当てだったならお譲りしますよ、ソラリス殿」


 おそらくは〈蛇〉に連なる者なのだろう男は、恩着せがましくそう言って少女を突き放した。よろめく体をミューが否応なしに支える。


「……ええー……なに、どういうこと、今の……?」

「芸人との交流会ってのはつまり、お偉方にとっては『品評会』。気に入ったのをお持ち帰りしていいですよってこと」


 唐突に聞こえた声に腕の中のソラリスを見下ろせば、去りゆく男を見つめたままの彼は呆れたように続ける。


「カンナさんは潔癖だからな。そういうのに座員は一切関わらせないみたいだけど、知識くらいあるもんかと思ってた」


 意外と過保護に育てられてるなぁ、と気楽に笑う。そこで初めて視線が合った。あっけらかんとした口調、人の良さそうな笑顔、そして、瞳に光る星。


「あなたは……ソラリス、だね?」

「その話はお持ち帰りしてからにしてくれないかな、王子様」


 世間話のように軽く応じたソラリスは、ごく自然に細い指をこちらの腕に絡ませて、ミューを外へと誘った。





 ひとまず今夜は〈兎〉の宮殿へソラリスをお持ち帰ることになった。朝には予想もしなかった展開である。


 心を落ち着かせるためひたすら深呼吸を繰り返していたミューだったが、宮殿に近付き人気が失せた頃、指が腕から解かれる感触にふと我に返った。隣を見れば、ソラリスもこちらを見ている。


「ここまで来ればまあいいだろ。……恩赦を受けたってさっきのオヤジが言ってたのは、本当なのか?」

「う、うん。そうみたいだね?」


 我ながら頼りない返答だが、ほとんどリカルドからの伝聞だから仕方ない。


「……念の為に聞いとくが、この一年、酷い事はされてないよな? 拷問とか」

「え、う、うん……?」


 拷問、などという物騒な単語が真顔で飛び出すことに驚く。そうか、処刑だけでなく、そういう可能性もあったのか。王宮ってこわい。


 今更顔を青くしながらも、レムにより用意されていた答えを紡ぐ。


「お兄さんが……いやレム殿下がその、記憶喪失だから責めてもしょうがないって匿ってくれてたから、大丈夫。あなたの体は無傷だよ」

「俺の体がっていうか……まあ、大丈夫ならよかったよ。お前、痛いの苦手そうだし」


 ほっとしたような言い様に、ミューは内心首を傾げる。


(……あれ? もしかして私の心配してくれてた、のかな……?)


 聞いてみようかと一瞬迷うが、否定されたら悲しいし、などと結局黙ったミューの逡巡など知る由もなく、考え込むように目を伏せてソラリスは呟く。


「しかし、兄上が匿ってくれた、か。大した利用価値もないだろうに、どういう風の吹き回しだろうな。面倒だっただけかな、処刑とか穢れを祓う儀式とかが」

「ど、どうなんだろうね……?」


 面倒で命を救われたとは思いたくないが、どうにも掴み所のないレムを思うと肯定も否定もできない。


「私も聞きたいんだけど……一座の皆はずっと一緒だったの? さっきの王様役ってカンナだよね」

「ああ、そうだな、その辺を話しとかないとな」


 ソラリスが語った内容は、レムが以前話したこととほぼ同じだった。決闘を妨害したと罰されそうになったミューを、権力者らしい何者かが『鴉』と共に逃がす手引きをしたこと。しばらく身を隠せという忠告の上、纏まった金まで授けたという。


「そうこうしてる間に俺が目覚めて、大混乱な俺を見て医者が記憶喪失って判断したから、今もそういうことにしてある。カンナさんは権力者のこと全然信じてないから、念の為に一座の名前も芸風も変えてくれて、俺を匿ってくれてたってわけ。親切だよな」

「……それはあなたが無能なミューじゃなくなったからだよ、きっと」


 思わず溢れた呟きに、ソラリスは不思議そうに星の宿った瞳を瞬かせた。何より明確にミューとの差を示す星から目を逸らした時、後ろから呼び声がした。ウルクだ。


「ソラリス様、こちらでしたか。置いてかないでくださいよ、起きたら真っ暗でびっくりしましたよ。あーよく寝た」


 日が暮れたせいか長過ぎる昼寝のせいか、いつも眠たげな瞼が今はきちんと開いている。丸い瞳の虹彩が大きいことに初めて気付く。


「あ、ごめんね。静かに寝てたから普通に忘れてた」

「さりげなく酷いですね……おや? そちらのお綺麗な方は……?」


 傍らに控えるソラリスに気付いたウルクの虹彩が、やけに驚いたように一瞬縮む。気弱な記憶喪失王子のいきなりのお持ち帰りに驚いたのだろうか。


「いや綺麗なんてそんな、じゃなくって……えっと、こちらはその……」


 どもるミューに代わり、ソラリスが答える。


「一座の踊り子のミュー……ミュスカ、です。ソラリス様に伽を命じられまして」

「え? いや違うでしょ、命じてないよ!」

「お願いされまして」

「ほぼ同じだよそれ!」


 平然と際どいことを言うソラリスに思わず怒鳴る。いや、もしやこんなもの、今の彼にとっては際どいに入らないのだろうか。経験があるというのか、ミューの体で。


 新たな不安に黙ったミューをよそに、ウルクは既に驚きを消し、いつもの淡々とした口調で誰にともなく言った。


「へぇえ。それはおめでたい、レム様にも報告しておきますね」

「レム様……?」


 眉を寄せたソラリスに、ああ、と思い付いたように自己紹介をする。


「レム殿下の配下で、ウルクと申します。式典中はソラリス様の警護を申し付けられております。以後お見知り置きを」


 頭を下げたウルクが、レムの寄越した見張りであるとすぐに悟ったのだろう。ソラリスは苦い笑みで挨拶に答える。


「よろしくお願いいたします。……寝所まではご容赦いただきたいですけど」

「それは僕も見たくないんで大丈夫です。でも役目なので、宮殿まではお送りしますね」


 言葉の通り、宮殿までの短い距離を歩いただけで、ウルクは本殿の方へと戻って行った。


 ウルクが去ると同時、門扉で待ち構えていたリカルドがミューを出迎える。


「ずいぶん遅かったな、ソル。何かあったのか——ってなんだその混血女⁉︎」

「え? えっとその、かくかくしかじかでというわけで、部屋に通してもいいかな?」

「そんな説明でわかるか! ちゃんと話せ!」


 ちゃんと話せと言われても、襟首を掴まれ揺すられているこの状態では口を開くことすらままならない。というか口を開くのが怖い。


 されるがままのミューを見かねたのか、ソラリスが「まあまあ」と割り込んだ。


「伽を命じられたのでソラリス様と同衾させてください、安全日なので大丈夫です」

「直球がすぎる……!」


 可憐な笑顔で言うことがえぐい。


「ソルてめぇ自分の立場わかってんのか今は混血と遊んでる場合じゃ」

「だ、だっておっさんに連れ込まれそうになってたんだもん、ほっとけないよ!」


 自分の体だし、と胸中で付け足すことは忘れない。


「はぁ? それで助けたってことか? ……『今の』お前が?」


 リカルドの拘束がようやく緩んだ。迷わず逃げ出し、ソラリスの後ろに隠れる。


「……何にせよ、妙な親切心を出すなよ。そいつだって慣れてるだろ」

「いやぁさすがにまだ未経験ですよ失礼な」


 汚物を見るような目を向けられて言い返したソラリスに、ミューは素直に安堵した。


「あ、そうなんだ、よかった」

「よかったってなんだやっぱ気になってんじゃねえか! おいソルちょっと来い話を」

「もー、リカルド君、うるさぁい! 何時だと思ってるんですか……って、あれ。舞台の上のかわい子ちゃんをソルちゃんがお持ち帰り……?」

「それはかくかくしかじかで」


 同じような説明をエファルにも繰り返した末、ようやく中に入れてもらえた。

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