第15話 疑心と確信


「今頃になって虹の娘が戻ってくるとは....。全く手が焼けますなぁ。」


筆を取りに宮廷を抜け出し、こっそりと栄家本邸の自室に忍び込んでいた迅楸じんしゅうは、そこから出て行く時機タイミングを完全に失ってしまったため仕方なく、前庭に続く回廊の柱に身を潜め、事の成り行きを聞いて行くことにした。


「そうですなぁ。せっかく兄公子を処分しましたのに....。」

 

 ガタッ。


「....?誰かいるのかっ!!」

客人が立ち上がるのに対して、この屋敷の主人である人物はゆったりと長椅子に座ったままだった。


「鼠か何かが入り込んだのでしょう。」

「栄家本邸に忍び込むとは何と不敬な鼠でありましょう。」

「汚いものはどこにでもいるのだから仕方なかろう??いつかやむを得ずこの屋敷から出て行くことになるだろうよ。」

「それもそうですな。はっはっはっ。」


下卑た笑いをあげる客人に、屋敷主であるえい朔蒼さくそうはクッと笑いを漏らし、厳しい眼差しで隣の息子の部屋を見やった。


 その頃、音をたてた張本人である迅楸じんしゅうは荒れる息を抑えながら屋敷の外へ出ていた。


(どういうことなんだ....??〝虹の娘〟とはおそらく星華様の事だろう??しかし、兄公子とは一体....??)



 翌日、出仕した迅楸は一番に星華の元へ向かった。早足で歩く彼の顔色は蒼白だった。

「星華様。お聞きしたい事があるのですがよろしいでしょうか。」

普段余裕を持ち合わせている彼には珍しく、焦ったような声色が混ざっていた。


「えぇ。構わないわ。けれどその顔どうしたの??まるでなすびよ。」

「ご心配には及びません。ありがとうございます。」


迅楸は兄公子の事について星華に尋ねた。

「あら?どうして迅楸はお兄様の事を知っているの??........あ、朔蒼からか。」

父の名前を出された迅楸は条件反射で肩をびくっと揺らした。そんな彼に星華は心底不思議そうに首を傾げた。


「お兄様のことは、一回皆に話しておかなければと思っていたところだからちょうど良いわ。朝礼の後に話すわね。」

 頭につけた〝虹〟の証である鈴をシャラリと鳴らして星華は微笑んだ。


朝礼後、いつもとは違い、鵲鏡ではなく星華に呼び止められた側近一同は首を傾げながらもその通りにした。その様子を静かに見守っていた星華は一息つくと、おもむろに話し始めた。


「私には、お兄様がいるの。」



 星華の兄、りん月雪げっせつは星華の生まれる二年前、彼がまだ三歳の時に亡くなった。何者かに企てられた『暗殺』によって。当時まだ虹姫こうきは生まれておらず、虹王こうおうの初めての子であった月雪は、その存在だけで一部の貴族達から疎まれた。


 そのせいで月雪はまだ幼い子供であったのにも関わらず、たびたび毒殺未遂に遭ったという。そのような環境下で育ったためか、皮肉な事にも月雪は幼児とは思えない程の知性を身に付けたという。また、知性だけでなく運動能力においても秀でるものがあった。


 我が子の身の安全を懸念した紅鏡こうきょうは、自らが信頼を置いていた翔信しょうしんに息子の師となってくれるよう要請した。彼は当時まだ若手の括りに入っていたが、虹星国の中で群を抜く剣術の腕前が認められ、異例の速さで兵部尚書に就任していた。

 

そんな彼は自分にも他人にも厳しい性格をしており、あまりの厳しさ(恐ろしさ)に弟子入りした武官達の中に、三日として続いた者は彼の副官となった人物を除くといなかったという。


月雪はそんな翔信に弟子入りしたところで、いくら公子とは言えどたかだか齢二歳の幼子にそれができる訳がないと高を括っていた貴族達の嘲笑の的になった。


しかし、小さな公子はその貴族達を嘲笑うが如くばきばきと舐め腐った考えを打ち砕いていった。彼は、三日どころではなく、亡くなるその日まで翔信を師と仰ぎ続けた。決して、翔信が公子だからと手を抜いていた訳ではない。それは月雪の醜態を見ようと鍛錬の様子を覗き見していた貴族達が一番よく分かっていた。


 そんな貴族達のほとんどはやがて生まれるだろう虹姫の婚約者候補とさせるため、一族の中で一番歳回りの良い男子を虹宮院こうぐういんの一員とさせる。そしてあらゆる手段を講じてでも虹王の配偶者とさせ、虹王亡き後から次代が育つまでの間、その中継ぎとして国王に君臨してもらう。


一族の繁栄のため、たとえ数年の短い期間であったとしても、一族の男子を国王に据える事が目的の貴族達にとって、中継ぎ候補となる、ましては優秀な公子など邪魔以外の何者でもなかった。


—結果、聡明なる虹星国第一公子はこの世を去った........。



「結局、暗殺を企てた人物は分からないの。お母様は何か知っていたかもしれないけれど私には教えてもらえなかったわ。教えてもらえたのは、実行犯が亡くなっていたということだけ。」

星華が言葉をそこで切ると、虹烏殿こううでん内はしーんと静まり返った。普段であれば星華の説明に一言補足するはずの鵲鏡でさえも下を向いて俯いていた。そんな中、沈黙を破ったのは絳鑭こうらんだった。

「その公子様....えっと、月雪様?はどんな人やったか星華は知っとる??」

「知らないわ。けれど、負けず嫌いで自分にとても厳しい人だったらしいわ。」

「へぇー!やっぱ兄妹って似るもんなんだな。」

「本当!?似てる!?それは素直に嬉しい!!お兄様は私の目標だから!」

いつものようなとびきりの笑顔に、廉結れんゆ達は思わず頬を緩めた。ただ一人、星華の話を聞いてさらに顔面蒼白になった迅楸を除いて。その横顔を静かに見つめる一対の目があることに誰も気が付かなかった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る