リボン

リボン

私の部屋には、沢山のリボンがある。

100円ショップで買った安いものから、蚤の市で見つけたビンテージのリボンまで、色んな色と柄と太さのリボン。私が辛かった時、ある人がリボンで私を助けてくれたからだ。


これは、私とリボンの、出会いの物語。


お菓子コーナーの色が茶色から赤と緑に変わって、期間限定の味がさつまいもやカボチャじゃなくなって、私は世間が冬に変わったのを知った。イルミネーションも豪華なディナーも私にはない。あるのは白い自習室で、問題集を開く私だけだ。

数年前、私は大学受験を控えた受験生だった。

説明会を聞きに行って、その第一志望校を即決した。そこに通う私が、とてもリアルに想像できたのだ。

学校が終わったらすぐ塾に向かう電車に乗り込んで、塾が閉じるまで自習室に籠る。赤シートで隠しながら昨日やった範囲の暗記問題を復習して向かって、着いたら次の範囲を解いた。

私は決して勉強が好きでも得意でもない。いつもならどうサボろうかを必死に考えているような学生だった。だけどその時ばかりは、その学校に入りたくて、明るくてワクワクした未来に向かって一直線だった。

考えている間についうっかり頭に手がいってしまう。気付いてやめて、でもまた手が伸びてやめて、を繰り返した。

11時に閉じるのと同時に塾を出る。鍵を閉める塾長に挨拶して帰った。街は既に寝る準備に入っていて、街灯以外はほぼ灯りが消えてお店は閉じていた。

クリスマスケーキ予約受付中の広告が色んなところに張り出されていた。遊園地、パーティーメニュー、キラキラしたクリスマスツリー。私はカバンからガサガサ単語帳を取り出し、反復した。また頭に手が伸びる。

受験日までのカウントダウンが始まっていた。みんなマスクをして水筒を持参して、単語帳をお守りのように握りしめている。前から漂っていた独特の空気が、より一層ピリついているのをヒシヒシと感じた。

学校のテストが終わって冬休みに入ると、いよいよ塾に住みついている状態になった。今日が何曜日なのか平日なのか休日なのかも分からなくなって、ただ目の前の問題をがむしゃらに解くことだけにしがみついていた。

ふと寝る前に自分の部屋を見渡した。

何日前に着ていたか分からない洗濯物やら参考書やらが出しっぱなしになっていて、机も棚の上も床も埋もれて、ベッドだけが唯一空間を保っていた。

ひどい有様だった。

でも見なかったことにして、私は眠りについた。そして次の日もまた次の日も、その部屋を後にして自習室へと向かった。

私は、黒い服が着れなくなっていた。

肩にフケが落ちると目立つからだ。

一度真っ黒のセーターを着て行った時、同じ授業を受けていた女の子達から冷たい目で見られた。それから彼女達は、私をこれ見よがしに避けるようになったのだ。元々乾燥肌で、ただでさえ冬場は荒れやすいのに、ストレスでどんどん悪化した。

気になるから爪で掻いちゃって、爪で掻くからまた荒れた。頭全体がヒリヒリする。

勉強にもイマイチ集中できなくなって、親に相談して皮膚科に通院することにした。

塾に行く前に病院に寄った。

「調子はどうですか」

私の担当医は、若くて爽やかな女の先生だった。

「前頂いた塗り薬で大分マシになりました」

私は小さくお辞儀しながら答えた。

「それは良かったです。今の時期、色々センシティブになりやすいからね。頭皮以外で気になるところないですか?」先生が柔らかく笑って尋ねる。

「ここが、ちょっと痒いです」

私は腕まくりして、肘の裏を見せた。ほんのり赤くなって、カサカサしていた。

夏場よく汗疹ができる場所だ。気温が下がって汗をかかなくなって落ち着いていたのだが、セーターを着るようになってから、また擦れて痒みを感じるようになっていた。

「これは悪化する前に抑えておいた方が良さげだね。塗り薬出しとくので、入浴後塗ってください。こまめに塗ることをおすすめします」

カルテに書き込みながら、先生は言った。

「あとは大丈夫ですか?」

私は俯いた。

色んなことが思い浮かんだ。

模試の点数、自習室の蛍光灯、クリスマスケーキの広告、私の肩を冷ややかに見る女の子の顔。

気付いたら涙が出ていた。

胸が熱くて苦しかった。

「楽しくない」私は言った。

「楽しみがないんです。何食べても、いつ寝ても、何も感じない」

言いながら色んなものが溢れた。

だけど志望校に行くことを諦めたいんじゃ決してない。後悔しないために今こうして過ごしている。「でも」と「だけど」がせめぎ合っていた。

先生が優しく私の肩に手を置いてくれた。

「大丈夫だよ」先生が言った。

「あなたは、ちゃんと頑張ってる。ただ点数を取れればいいだけじゃない世界で、色んなものと戦えてる。逃げずに戦ってる。だからここに来てるんじゃない」

肩に置いた手で、背中をさすってくれた。人の手が私の体に触れたのは、一体いつぶりだっただろうか。

「頑張ってる自分を認めて、褒め称えてあげてもいいと思うよ」

私は頷きながら、ティッシュで鼻をかんだ。

「先生なら、どうしますか」私はグチャグチャの顔で聞いた。

「自分を褒めてあげたい時、先生なら何をしますか」

「うーんそうだなぁ」先生は言った。

「甘いもの買ってあげたり、いつもより早く寝たり、好きな映画観たり……でも、そうだな。私があなたなら」

先生は立ち上がった。

「おいで。一緒に薬局行って、薬もらいに行こ」

私はキョトンとして、言われるがまま先生について行った。

診察代を払って薬局に行くと、先生は処方箋を薬剤師のおばさんに手渡しして、レジの奥に入って行った。「おかけになってお待ちください」と薬剤師のおばさんも私に行って、奥へと入って行ってしまった。私は浅い水色のソファーに腰掛けて待っていた。

しばらくして、先生が戻ってきた。薬剤師のおばさんはやけにニコニコしていた。

「お待たせしました。これが今回のお薬です」

立ち上がってカウンターを見ると、そこには見慣れた頭皮用の薬と、肘の裏に塗る用であろう塗り薬が確かに置いてあったが、それらは予期せぬ姿になっていた。


赤いリボンが蝶々結びでかけてあったのだ。


「これが、私の答えよ」先生は笑った。

「リボンって不思議よね、ただ細長いものが結ばれてるだけなのに。リボンがかけてあるだけで、それは贈り物になるんだから」

私はもう一度薬にかけられたリボンを見た。艶やかな赤が眩しかった。

「パッケージも可愛くないしいい香りもしないけど。特別扱いできるでしょ?」先生は言った。

私は薬を受け取り、塾に行って、また塾が閉まるまで勉強して家に帰った。

だけど心は随分軽かった。

先生の気遣いが、心底嬉しかった。

贈り物、特別扱い。鞄のチャックを少し開けて、もう一度赤いリボンを見る。先生のピカピカした言葉が何度も心にこだまする。

私の荒んだ心にまで、リボンをかけてくれたみたいだった。


それから私は、見事第一志望の大学に合格することができた。そして大学に進んで、壁にぶち当たった時、悩んだ時、落ち込んだ時、お店で買う何気ないものをプレゼント仕様にしてもらうのが習慣になった。

何気ない単行本でも、ヘアクリームでも、トレーナーでも。それをレジで受け取る時、少し背筋がシャンとする。

私は頑張ってる、偉いぞ私、と心の声が力強く言ってくれる。

その声が聞こえるようになったのは、紛れもなくあの時、先生が私の心にリボンをかけてくれたからだ。

今私は、そのリボンを結ぶ喜びも知っている。借り物を誰かに返す時、何かを誰かに貸す時、あげる時。私は必ず、その人が好きそうな、もしくはその物に合うリボンを結んで人に渡す。その物が何であれ、やりとりをする相手がいることは、とても嬉しくて、ありがたいことだから。


私の部屋には、沢山のリボンがある。

100円ショップで買った安いものから、蚤の市で見つけたビンテージのリボンまで、色んな色と柄と太さのリボン。私が辛かった時、ある人がリボンで私を助けてくれたからだ。


これは、私とリボンの、出会いの物語。

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