第1話-3 人間と女神

 勇者にならないか、という突拍子もない問いかけに僕は戸惑いながらもきっぱりと断った。


「なりませんというか、なれないんですよ。僕には戦いのスキルもこれといった才能もない、勇者になる資格も力も無いんです」


「大丈夫、戦闘中は私が代わりに身体を動かすから」


「それじゃあ僕である意味が無いじゃないですか、それに帰る場所ももうない」


「何言ってるの、勇者にならなきゃ君は死んじゃうんだよ!?」


「分かってます、だからこそ僕は勇者になりたくないんです」


 僕は女神の説得を無視し、腕輪を外そうと手をかけた。だがどんなに力を込めても、うんともすんともしない。


「神様の力じゃないと外れないよ、それ」


 絶望的な言葉が脳内に響く。また自分の人生を、決断を他人に左右されるのか。そんなのはもうこりごりだ。


「勇者にならないとしても、腕輪が付いている限り君は生き続ける。変身するかどうかは君が決めて良いからさ、今はとりあえず帰ろうよ」


 今の僕にはどうすることも出来ない。結局”彼女”は腕に居座り、お陰で僕は生き延びることになってしまった。



*      *      *



 幸いにもキメラの襲撃はカフェだけで収まり、その後は行方をくらませていた。それでも被害は大きく、カフェは半壊し数十人が病院送りになった。


 僕も残った力で出来る限りの救助活動を行うと、へとへとになりながら帰路につく。瀬里奈と零士の無事は確認出来たが、零士は吹き飛ばされた破片で軽い怪我をしたらしく、瀬里奈が病院まで連れていった。


「よくやるねぇ君も、義務なんてないのに」


 脳内に声が響き渡った。先ほどのあの女神の声だ。


「今の僕にはあれくらいしか出来ませんから」


「やっぱり、私の見込みは間違っていなかったようだね」


 嬉しそうに呟く女神に、僕は何も返さなかった。


 その言葉が脳内に響き、僕はあきらめると、帰宅することにした。

 僕の家は商店街を抜けた先の団地にある。団地の中をしばらく歩いたところにある、別に目立つことのない普通の一軒家。重い足取りで帰宅した僕は、ドアノブを握り一瞬だけ躊躇した。が、二階の窓からこちらを覗く女性に気付き、何事もなかったかのようにドアを開けた。


「どうしたんだ?」


 不思議そうに尋ねる女神を無視して家に入ると、酒の匂いが漂ってきた。いつもと変わらない洗礼にため息をつく。


「おかえりー!はじめ、布令!」


 正面の階段から降りてきたのは、さっき窓から僕を覗いていた女性。ぼさぼさに伸びきった髪の毛と目の隈に似合わない色白な肌。その顔は、当たり前だが僕によく似ている。


「ただいま、母さん」


 自分の声とちょうど被るように、女神の声が脳内に響く。


「始って誰だい?他に人は見当たらなかったけど」


 僕はまた彼女を無視する。というか、返答なんて出来ない。女神の姿は僕も含めて誰からも見えてないのだ。


「今日もお疲れさまぁ」


 母さんが抱きしめてくる。酒臭い……背中に当たっているのは空のビールだろうか。


「お父さんもそろそろ帰ってくるかなぁ」


「そうかもね」


 僕の生返事を聞くと、母さんはキッチンへ向かおうとする。

 

「今ご飯作るね」


 そんな何気ないはずの一言に僕は大声で言った。


「行かないで!僕が作るから!」


 遅かった。


「なんでよ、私の仕事でしょ?」


 そう言いながらリビングルームに入る母さんの後を、僕は慌てて追いかけた。テーブルと椅子がある至って普通のリビング。だが床には白い跡のようなものが広がっていた。それを見て彼女は叫ぶ。


「あ、あ、あぁ......ああああああああああ!!!!!」


 僕はそんな母さんを慣れた手付きで抱きかかえると、二階の寝室へと運ぶ。


 その間にも彼女は叫び続ける。


「もういない、もういないの!!!!!2人とも!!!!!あああああああああ!!!!!!」


 ベッドに寝かせ部屋の鍵を閉めると、叫び声は聞こえなくなった。僕はそのまま一階にゆっくりと降りていく。ふと、ドアの隙間に何かが挟まっていることに気付いた。『明日のリフォームのお知らせ』と書かれた紙、日付は2年前。僕はそれをびりびりに引き裂き、キッチンのゴミ箱に叩き入れた。


 調理を始めた僕に、女神が口を開いた。


「さっきのは?」


「気にしなくていいですから」


 確かに彼女にとっては僕の行動は疑問でしかないかもしれない。というか、この家の事情を知っているのは、今のところ僕しかいないだろう。


 続けて女神は言った。


「あの変な女。生かす価値があるの?」


 その言葉に僕の身体が熱くなっていき、怨嗟のように声が漏れた。


「黙れ!!」


 それは悲しみの混じった絶叫。


 数秒の緊張と沈黙。先に口を開いたのは女神だった。


「ごめん」


 彼女の表情は見えないが、自分が酷いことをした自覚はあった。

 

「こっちこそごめん」


 それから僕は、ぽつりぽつりと話し始めた。


「……母親はあのリビングルームに来るとああなるんです。それで僕はやりたくもない介護をしていたんです。家族だからって義務感で慢性的に続けていたんですよ。それでも僕はやっぱり本当の自分の居場所が欲しくて、代り映えのある日々が欲しくて、有名な小隊に入ってたんですけど」


「なるほど、その小隊からは追放され、家では結局あの母親の介護。それで私の提案を断って、死にたがったの? 今の日常から逃げるために」


「えぇ……。小隊であっても、家であっても。本当の自分の居場所を感じられないような苦しい日常、代わり映えしないこんな日々が続くくらいならいっそ……」


 そう言いかけたとき、女神は割り込むように「ふふっ」と笑った。


「何がおかしいんですか?」


「いやー、君は優しいなって」


「優しい?」


「優しいじゃん。私だったら多分めちゃくちゃにしているよ、こんなところ。でも、君はどう? 他人を傷つけず、むしろ自分が傷つこうとしている。とっても優しいじゃない!」


「でも、『優しさ』だけじゃ何もできないんです。今を変えることだって……」


「だから」


 腕輪の神の瞳の部分が一層、輝いた気がした。


「だからこそ一緒に戦おうって言っているんだ」


「え」


「ちょうどいいじゃん、君の優しさと私の身体。二人で力を合わせれば、何だって乗り越えられる気がしない?」


「でも僕は……」


 そう言いかけると、もう出せる言葉が限られていることに気づく。

 

 口元が締まる。体は沸騰しそうなほど熱い。なぜか涙が出てきそうだった。


「分かりました。あなたとともに戦います」


 その時。

 

 爆発音とともに家が大きく揺れた。タンスが倒れ、埃が舞う。揺れは10秒ほどで収まったものの、何かが歩くような音とともに、何度も家がきしんでいる。窓の外を見ると、カフェを襲ったキメラが街に現れていた。


「来たな」


 腕輪から女神の声が聞こえた。


 家を慌てて飛び出した僕、その数百メートル先には巨大なキメラ。それが足を踏み出すたびに、まともに立っていられないほど周囲が揺れる。


 建物が崩れる轟音と逃げ惑う人々の悲鳴が街に飛び交っていたが、その中でも腕輪からの声ははっきりと聞こえた。


「すぐに変身するんだ」


「どうすればいいんですか、女神様?」


「女神様じゃない、私の名前はアトラス」


「えっと、アトラスさん」


「さんもいらないよ、これからはタメ。そっちのほうがやりやすいでしょ?君のことはなんて呼べばいい?」


「僕は、布令で……」


「わかった。布令、その腕輪を空に掲げて」


 こう?と首を傾けながら僕は右腕を上げた。


「そして言うのよ、アトラスと」


「わかりました」


 僕の覚悟に答えるように、腕輪が一瞬輝いた。僕は腕を空に掲げたままつぶやく。


「アトラス」

  

 その瞬間、僕の身体は腕輪から放たれた緑色の光に包まれてゆく。身体中に力が満ちていき、それが手足のすみずみまで広がっていくのがよく分かる。格好も背丈も、より大きく変化してゆく。筋肉質で美しい肢体と肉体、風になびく白い布。


 あの時の姿。いや、それよりさらにずっと大きい。目線は高層ビルを軽々と越えてゆく。


「これが、本当の姿だ」


 アトラスの声が聞こえる。


 僕の身体は100mを軽く超える大きさとなっていた。

 まぎれもない巨人。いや、巨神。


 僕は神と化していた。


 キメラはこちらに気づくと、威嚇するように雄叫びを上げる。


 恐れるものはない。新しい世界にただ一歩を踏み出すだけ。


「行くよ、布令!」


 僕らはキメラに向かって走り出した。

それに対してキメラは、その口からこれまで見たことない火球攻撃を放ってくる。


 それを次々にかわしながら近づいていった。巨体にもかかわらず素早い身のこなし。アトラスと僕、二人で息を合わせて身体を動かしていた。


 一心同体。


 まさしくその状態に至った。


 キメラとの距離が近くなると、今度は拳を構え、足を大きく踏み込む。飛んでくる火球を次々と撃ち落としながら、じりじりと更に近づいていく。


 攻撃がまるで効かないことに警戒したのか、キメラは翼を広げ空へ逃げようとする。今度は逃がすものか。僕らも勢い良く跳び上がり、そのままキメラの顔面に叩き込む。


 音速を超える拳の一撃に、キメラの体は勢いよく地面に叩きつけられた。

 その一撃にふらつきながらもキメラは立ち上がると、その羽を広げ、地面から離れてゆく。

 浮かんだ位置から羊の頭を突き出すように、こちらへまっすぐ飛んでくる。


 僕らはそれを恐れることなく、ただ、そのキメラの攻撃を待つ。


 そして、向かってきたキメラに向けて、回し蹴りを繰り出した。その蹴りは羊の角を破壊し、頭部を吹き飛ばす。蹴りは突き刺さるようにあたり、キメラの肉体は刃物に触れたように頭部から真っ二つに離散する。


 瞬間、キメラの肉体は謎の粒子となって空に溶けていった。

 繰り出した足をゆっくり落とした僕と彼女の身体は、沈んでいく夕陽に照らされる。


 誰かの歓声が聞こえるわけでもない。ただ、僕の手を見て「勝ったな」というアトラスの一言がうれしかった。


「あっ、時間だ」


 彼女がそう言った瞬間、身体が元の姿に戻ってしまった。

 呆気なく終わった一連の出来事に驚きつつも、僕は不意に「楽しかったよ。ありがとう」と腕輪に呟いていた。


「こちらこそ!けど、いちいち礼をしていたらキリがなくなるよ?」


 違和感のある返答を聞き、我に返る。


「えっ、キメラは倒したよね?」


「キメラは倒したけど、天上世界の怪物たちはまだ倒し終わっていない」


「え?」


「残りあと14体、忙しくなるぞー!」


「えぇ……」


 口ではそう言いながらも、僕の胸は高鳴っていた。これからどうなるのかという不安よりも、何が起こるんだろうという期待感。


「こんな日々なんて」


 皮肉ってみせたが、自然と自分の表情がほころぶのが分かった。




【あいさつ文】

 お世話になっております。やまだしんじです。

 ここまで読んでくださりありがとうございました。よろしければ、作品のフォローや↓の☆☆☆を★★★にする、または応援レビューなどをしてくださると大変うれしいです。執筆のモチベーションにもつながります。

 これからもよろしくお願いいたします。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る