最終話


「今だ、アニキ!」

 ザナの合図を聞き、ルインは即座に加速装置のペダルを蹴飛ばした。

「マルダー。一気に吹かせ」

 機関室に指示を飛ばす。


「あいよ!」

 マルダーは起動した加速装置の操作盤に触れ、安全弁を解除。続けてタンクの残り燃料を一気に点火させた。

 爆発的な加速を得たサ・イラ号は、白煙を吹き、土砂の暴風雨の中を弾丸めいて進む。


「抜けろ、抜けろ。頼むぜ、あともう少しなんだよ!」

 ルインは略帽を殴り捨てて前を睨む。急激な加速で速度計が割れ、床をはしる蒸気ポンプも折れて板を突き破る。

 だが止めるわけにはいかない。高度800……900……1000メートル……サ・イラ号はぐんぐんと上空を目指して進み続けた。


 やがて視界が晴れて、夕焼けに染まる高原が、目の前に広がりだした。

「脱出した?」

 ルインは後ろを向いた。

「まだ生きているのか、俺?」

 信じられないという面持ちで、船乗りはあちこちを見回した。


 同じ頃、船倉の面々も戸惑いと実感の無い喜びによって、うわついていた。

「オイラ達、助かったんだよな?」

 と、ザナが皆に尋ねる。

「そのようだが……」

 フンメルがモゴモゴ言い淀む。そこに血相を変えたマルダーが来た。隻眼の魔女は、機関室の煤と排煙によって真っ黒に汚れていた。


「ラトナは無事かい!?」

 魔女は答えを待たず、仰向けになって固まるヘビードレスに駆け寄る。震える手で後ろ首のパネルを剥がし、搭乗口を強制開放。


 そして露わになったのは、傾いで項垂れる、姫騎士ラトナの蒼白な顔であった。

 最悪の事態を頭によぎらせた一同は、固唾を呑んでドレスを取り囲む。


「……あら?」

 ラトナのまぶたがゆっくり開いた。彼女は気怠げに顔を上げ、仲間たちを見回す。

「ごきげんよう」

 疲労困憊の顔に、微かな微笑みを浮かべる。


 ようやく皆の間に歓喜の波が起こり、船倉は盛大に沸いた。


 ………


 それからしばらく後。

 長かった砂嵐も収まり、やっとカウナの姿がハッキリ見えるようになった。

「デケェ」

 着陸後、甲板に出たルインが呻いた。

 現れた巨大カウナは、ただでさえ規格外な通常個体を更に上回る、とてつもない大きさを誇っていた。鋏だけでも一匹分。胴体に至っては、もはや一つの山である。


 そんなものが地上に現れたせいで、高原には巨大な陥没穴が生まれていた。そこを起点に、地表は波のように浮き沈み、草木は皆、肥沃な土の中に埋もれてしまっていた。


「あんなのがいるんだな」

 傍のザナが呆けながら言う。一難去った今、一行は甲板に上がり、不動のカウナを不安げに見守っていた。

「カウナはこの世のどの生き物よりも長命で、歳を取るにつれ、ますます大きくなるという。しかしアレは、どれだけ長生きしておるのだろうな」

 フンメル老も感慨深げに言葉をもらした。

「少なくとも、お爺よりずっと長生きだ」

 犬面のリガーリェ兵が、茶化すように言葉を続けた。

 仲間たちが顔を見合わせて笑う中、フンメルは、

「そうか、そうか。アレに比べたらワシもまだ若造かのう」

 と、満更でも無いような呟きを発した。


 そんな中、獣使いのアルプが、双子姉妹に抱えられて、皆のもとにやってきた。

 青白い顔には血涙の痕がクッキリ残っている。喀血もしたらしく、装束が血まみれだ。

「アルプさん!?」

 青ざめたラトナが獣使いに駆け寄る。

「……少し血を流しすぎた」

 アルプは虫の羽音よりもか細く、弱々しい声で答えた。

「少しって量じゃないよ。重傷じゃないか。手当てしてやるから、大人しくしなよ」

 と、マルダーも心配そうな目で言った。


「あのカウナを呼んだのですね?」

「そうだ、姫騎士。近くにいる獣に、助けを求めようと、原生林に向かった。そこで運良く『彼女』が、地下深くで眠って、いた」

 アルプは息も絶え絶えに話す。

「彼女って……アレは牝なのかよ」

 ザナは見開いた目をカウナに向けてボヤく。


「驚いた。あの大戦争よりも、遥か昔の頃から、ずっと、惰眠を貪っておった。呼び覚ますのには苦労した。外の世界には、何ら関心を持たない。たとえ再び世界が滅んだとしても、我関せずで眠るつもりでいたらしい……だが、最後には応えてくれた……何の、気紛れかは、知らんが」

 そこまで言うと、アルプの体が更に傾いだ。双子姉妹は労りながら、族長を床に寝かせた。


「カウナを呼ぶのは容易い事では無い。獣使いが束になっても、一体を御せるかどうか」

「それに人数や準備を整えても、術者の体には大きな負担が掛かる」

 双子姉妹が順番に話す。


「そういう……ことだ。これは滅多に使える術でも、無い。生涯に一度きり、己が魂を削ってようやく使える。しかし、お陰で、どうだ。船は止まった」

 もがり笛を吹きながら話を続けるアルプ。衰弱してはいるが、彼女の語り口はどこか誇らしげであった。


「もう喋るな、テメエは良くやった。だがら、大人しく休んでろ」

 と、ルインは強めの口調で止める。しかしアルプは薄ら力なく笑い、尚も言葉を続けるのだった。


「……きっと、あてられたのだろう、平原に吹く勇敢な風に。力強い草の力に……だから、まだ死ぬつもりは無い」

 アルプは首だけを動かして、カウナの巻貝に挟まって座礁する武装船を睨んだ。

「やる事がたくさん、ある。族長としての務め……残したまま、死ねるか」

 不意にラトナはアルプの傍にしゃがみ込むと、獣使いの細く小さな手を握った。


「その意気です。きっとあなたなら、全てやり遂げてくださいます」

 ラトナは温和な笑顔で同胞に言った。


 ………


 ……一時間後。

 リガーリェの方角から、ようやく本隊が追いつき、三の氏族の武装解除が行われた。

 カウナや筏船から降ろされた数百人の生存者達が一箇所に集められ、十四氏族の戦士達によって、見張られる事になった。


 ルインは打ちひしがれ、疲労でやつれる捕虜達を、遠目に眺めていた。

「どいつもこいつもまだガキじゃねえか。あんなガキ共と戦争やってたのか、俺らは」

 驚きのあまり、つい本音が出てしまう。戦士と思しき男達はおろか彼らの妻子達まで、その殆どが若年者で占められていた。


「ヘヴィだぜ、全くコイツは」

 略帽を傾けて目元を覆う。

「戦に年齢も性別もありません。戦場に立ち、武器を持ったその時点で、戦士ですよ」

 ラトナが声を低くして言う。リガーリェの姫騎士は硬い表情を保ち、まっすぐ、捕虜達を見据えていた。


「貴様らの指揮官は?」

 フンメルは捕虜達に尋ねる。彼らは気まずげに俯き、口籠っていた。


 やがて一人が怯えながら答えた。

「死んだ。俺たちを指揮していたイルプは、自分の手で首を裂いて死んじまった」

「骸はどこじゃ?」

「ふ、船の中に置いて来た。イルプが死んで、どうしたら良いか、みんな分からなくて」

「……だとよ、アルプのお嬢ちゃん。どいつもこいつも、無責任な奴らだ。後始末は時間が掛かりそうだぜ?」

 と、ルインは後ろを向く。マルダーの手当を受けたアルプが、絨毯の上に寝かせられていた。

「元より直ぐに終わるとは思っていない。一つずつ、ゆっくりやるとしよう」

 そう言うと、クニャリと不器用な微笑みを作った。心なしか顔色も良くなっている。それだけ治療したマルダーの腕が良かったのだろうと、ルインは思った。


 しばらくして、傷だらけの揚陸艇が、慌ただしく着陸してきた。そして開放扉から、全身に返り血を浴びたティーゲルが降り立つ。


 手隙のリガーリェ兵達は規律正しく並び、国守に傅いた。

「皆の者。誠に大義であった!」

 そして、フンメル達待ち伏せ部隊を見つけるや、自ら足を運び労いの言葉と、万力の如き抱擁を始めた。


 案の定、逃げ遅れたルインとザナも、彼の熱い抱擁の餌食となった。ザナは汗と血の混ざった漢のニオイに包まれ、軽く失神しかけるほど苦しんだ。一方、リガーリェの漢達はというと、熱苦しく抱き返して喜びを分かち合ったり、歓喜の涙で顔を濡らす者さえ現れる始末であった。


「……コイツら普段からこんなに暑苦しいの?」

 漢の輪から命かながら抜け出したルインは、そっとマルダーに尋ねた。

「そりゃあもう。年がら年中、あんな調子で漢臭い奴らよ」

 マルダーがげんなり答える。隻眼の先には、漢の輪に飛び込み、家臣と共に喜ぶラトナの姿があった。

「郷の中でもラトナぐらいじゃないかね。あのむさ苦しい空気が平気な女は」

 呆れ半分にマルダーは言う。そんな魔女の声も、ラトナの耳には入って来ない。迅る感情に背中を押され、父親の胸の中に飛び込んだ。


「お父様。私……私、やりました!」

「そうであろう、そうであろう! よくやってくれた! よくぞ成し遂げてくれた!」

 ティーゲルは娘を太い剛腕で包み、強く抱きしめた。厳つい四角顔はくしゃくしゃに歪み、大粒の涙がとめどなく流れていた。


 姫騎士といえども、戦いから離れた今は、一人の乙女。父親との再会に喜ぶ娘。


「悪くないかもな。帰る所があるってのも」

 不意にルインが口走る。

「……アンタは?」

 尋ねた後、マルダーは船乗りの横顔に浮かぶ、憂いの色をみとめた。

「俺の戻る所……いまはサ・イラ号くらいかな」

 そう言い残すと、彼は駐機してあるサ・イラ号へ歩いていく。


 拠り所の魚雷艇は酷く傷ついていた。撃たれながら、心臓が裂けそうになるくらい走り続けたこの船には、長い長い修理が必要だ。


「しばらくは仕事もできねぇな」

 呟くように言い、開けっ放しのハッチから船倉に入る。

 そして傷だらけのヘビードレスの前に立ち、じっと見つめた。

 このドレスも激闘を潜り抜け、持ち主を生きたまま連れ帰ってきた。

「天晴れ、姫を守った殊勲者……ってか」

 独り言が口からこぼれ落とした後、感傷的な己に苦笑した。

「疲れているんだな、俺も。マジで色々あり過ぎたから」

 姫騎士とヘビードレスに出会ってまだ数日。これまでの過去が霞むくらい、様々な騒ぎに巻き込まれ、それでも生き延びた。

 これは悪運の強さによるものか、それとも勝利の女神を拾ったからなのか……。

「船乗りなんて、長く続けるつもり無かったのによ……ヘヴィだぜ、まったく」

 そう言うと、彼は略帽を目深に被り直した。

「ルイン、どこ? みんなが待ってますよ!」

 遠くからラトナの元気な声が聞こえてくる。

 船乗りは口元に皮肉っぽい笑みを作った。

「……みんなが待っている。良い言葉だな」



 ………


 世界を崩壊させた大戦争から百年。

 人類は辛うじて生き残り、今日も己の生存を掛けて戦い続けている。

 かけがえのない平穏の為。守るべき居場所の為。そして、大切な仲間たちの為に。


(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

姫騎士よ、鋼のドレスで駆け抜けろ! 碓氷彩風 @sabacurry

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ