第17話
「同胞達はまだ戻らんのか?」
シュイクの大型武装船の船橋は、刻の経過と共に空気が重苦しくなっていた。
先行した陸上部隊が、辺境のリガーリェなどという郷に入って、だいぶ時間が経つ。逐次飛んで来た伝令用の魔導獣達は帰ってくる数が減り、遂には一羽も戻って来なくなった。
「何をぐずぐずしているんだ?」
集団の長なのだろうか、えんじ色の法衣を纏った青年が、持ち場と窓を行ったりしている。
「苦戦しているのかも」
髭も生えていない若者がポツリと言う。
法衣の青年も含めて、船橋のクルー達は皆、若者ばかりだ。
それだけではない。今回の遠征に加わった総勢800人の殆どが、シュイクに伝わる成人の儀を迎えて間もない若い男、その家族である女子ども達であった。
「そうだろうな。だからどうした。苦戦しているのなら、覆してやれば良い」
法衣の青年は不機嫌に答える。眉一つ動かぬ鉄のような顔だが、口調や態度は明らかに苛立っていた。
「船をこのままリガーリェに進ませろ。同胞が苦戦しているのなら援護する」
「分かった、イルプ」
青年、イルプの命令はすぐ様、船の各所に伝えられた。
「いいか。止まらずに進め。他の道はない。いや、選ぶなど愚行の極みだ」
三の氏族は、この数年で森の外との繋がりを強めてきた。かつてドゥクスに故郷を追われた獣使い達の禁忌を、彼らは破ったのだ。
その先頭に立ったのが族長の息子イルプ。彼は古い慣習を忌む急進派の最先鋒でもあり、シュイクの同志を集め、外部勢力との密貿易を繰り返した。
森で採れる嗜好品から生きた魔導獣、果ては古の魔導具や技術まで「商品」として流した。一方で外の勢力からは、軍需から生活物資、外貨を密かに手に入れていた。
こうしてイルプ達は、他の氏族はおろか、自らの族長や政を司る老人達さえ欺き、力を蓄えてきたのである。
全ては長きに渡る流浪の生活を捨て、亡国のあった土地に戻る為。大国ドゥクスに追われ、森に隠れて暮らす今のままでは、いずれ袋小路に行き当たる。
そうなる前に国を取り戻し、再び繁栄せねばならない……そのようにイルプは考えていた。
そして、時期が来たと確信したイルプは、とうとう叛乱を起こした。
族長以下氏族中枢の面々を粛清、主導権を奪った。そのまま他の氏族を襲い、船や装備、獣を奪って森の外へ飛び出したのである。
後は船で亡国のあった地へ戻るだけ……そのような目論見は、すぐ暗礁に乗り上げた。
道中で仲間の船が街に落ちたのだ。船内に押し込んだ、十四の氏族の牛が暴れたのだと、すぐに見当はついた。
多くの仲間が死んだ。
イルプは法衣の懐に隠した両拳を、血がにじみ出るまで握りしめる。
そして、船窓に薄っすら写る、頭巾をまとった己の顔を睨んだ。
青黒い顔に表情はなく、落ち窪んだ目は光を通さぬ程に暗い。
幽鬼……死人の顔だ。
死に物狂いで全てを投げ打ってきたんだ。こんな顔にもなると、若き指導者は心の内で呟く。
進まなければ道は拓けない。
たとえ、敵味方問わず、幾千の尸を積んだとしてもだ。
忌々しいドゥクスに踏み躙られた、長い歴史を取り戻す。それこそがシュイクが未来永劫残る唯一の手段。
「やるぞ、オレは」
言い聞かせるように決心を固めた矢先、遥か前方で何かが光った。
次の瞬間、船体の右舷側に光弾が命中。装甲板の一部を粉々に吹き飛ばした。
衝撃で船は大いに揺れ、片側に傾く。
「敵襲。正面から!」
船員が半狂乱になって報告する間にもう1発、船の上方を通り過ぎていく。
「前方の丘から飛んできたぞ」
「船か? それとも自走砲?」
「ダメだ。丘向こうにいるせいで、姿が見えない!」
イルプはほぞを噛む。しかし、即座に沸き上がる怒りを堪え、各所せの指示を飛ばした。
「後ろの筏は切り離せ。女子どもを遠ざけろ。応戦するぞ。敵は次も撃ってくる、よく目を凝らして、探し出せ!」
………
「外れたわね」
ラトナは十字線の真ん中に捉えた武装船を、細い目で睨んだ。
彼女は丘の稜線にヘヴィドレスを隠し、機械槍による狙撃を敢行した。
「砲身が暖まって、弾道がズレてしまったのかしら。だとしたら修正幅は……良し」
ラトナはモニタに表示される風向きや、船との距離を基に、照準を修正する。
「徹甲弾、装填完了。次弾も同じ」
機械槍を構え直して発射態勢に入る。この一発で、敵はこちらの凡その位置を割り出す。わざわざ小さな的に、狙いを付ける手間を掛けては来ないだろう。
ラトナは息を止めて狙いを研ぎ澄まし、そして機械槍を放った。
今度は光弾ではなく、オレンジ色の砲弾が放たれた。
ラトナは命中を見届ける前に動き出した。
ドレスが砂じんを巻き上げながら、全速後退を始める。
次の瞬間、甲高い笛の音が頭上で響き渡る。それも一つ二つ所の話ではない。
ラトナは顔を上げて空を見た。
頭上で光る大量の曳航弾。
敵の砲撃だ。
「来た」
ラトナは慌てる事なく、戦いの前に見つけた窪地へ、後ろ向きに滑り込んだ。
そして大楯を頭に被り、降ってくる弾雨に備えた。
弾着!
無数の砲弾が地面を殴りつけて掻き乱す。硝煙が、土が、弾の破片が、極地的な嵐となって吹き荒れた。
ラトナのすぐ目の前にも弾が落ちてきた。大地は絶え間なく揺れ、跳ね飛ぶ大きな破片が、ドレスの装甲にぶつかる。
(大丈夫。お祖母様が守ってくれる)
先代姫騎士のドレスを信じて耐えるラトナ。
敵の砲撃は十秒近く続き、やがてピタリと止んだ。
急ぎドレスの損傷を確認する。
弾着の衝撃で、ニキシー管など一部計器類が故障。しかし、ドレスそのものは全くの無事だ。
まだ戦える。
「行きます!」
ラトナはドレスを引き起こして窪地から出た。対する武装船は、彼女に舷側を向けて航行。ズラリと並んだ火砲を全て、ラトナのドレスに向ける。
「船長さんの真似ではないけれど……やってやろうじゃないの!」
姫騎士は稜線に身を隠したまま前進。同時に、機械槍を構え直した。
「弾はたっぷり持ってきたわ。存分に味わいなさい!」
槍が火を噴き、徹甲弾が武装船に穴を穿つ。それでも負けじと撃ち返す武装船。
砲の数だけでいえば、武装船の圧倒的有利だった。わざわざ狙う必要もない。ラトナの隠れた丘向こうへ、集中攻撃さえすれば、自ずと当たるのだから。
しかし……。
「この程度の豆大砲で、私とお祖母様のドレスを倒せるとお思いで!?」
ラトナは退かない。弾雨の中を激走し、落ちてくる砲弾を盾で逸らしながら、機械槍を放ち続ける。
狙いは船乗りルインが具申した船体尾部……ではなく、舷側の砲。その一つひとつに狙い定めて、確実に潰していく。
「もっとです。もっと撃ってきなさい。敵は、ここにいる私よ!」
と、ラトナは叫ぶ。
やがて機械槍が弾切れになると、姫騎士は後ろ腰の弾薬庫に手を伸ばした。
取り出した円形の弾倉を、走りながら機械槍に装填。砲撃戦を再開させる。
やがて丘が途切れて、ヘビードレスは稜線から飛び出してしまう。武装船は好機と見なし、残った砲の照準を全てラトナに向ける。
姫騎士ラトナは足を止めて、武装船を正面に見据え直した。
………
「おお……来おった」
具足に身を固めた、太い兵士が薄暗い空を見て言う。覚悟を決めて引き締まった面構えではあるが、目の奥で恐怖が揺らいでいる。
そんな彼の傍に控える仲間たちも皆、強張った表情で、沢沿いの草木に潜んでいた。
彼らが見上げる先にいるのは、シュイクの武装船だ。ラトナとの壮絶な砲撃戦を繰り広げながら、ゆっくり頭上を通り過ぎようとしている所だ。
「ちくしょう。体が震えてきた」
犬面の青年が小さく口走る。
「……これは武者奮いだかんな」
「分かった、わかった」
「口開けてると、破片入っちまうぞ?」
宥めているこの瞬間にも、彼らの頭上では砲弾が飛び交い、焼けた破片が、バラバラと落ちてきている。リガーリェ兵達は降り注ぐ破片に警戒し、首を引っ込めて耐え続けた。
「お爺。そろそろ良い?」
熊の毛皮を被った大男が、白髪のお化けに顔を向けた。
「待つのじゃ、皆の者。まだ撃つで無いぞ」
フンメル老は低い声で制した。
「じっと我慢の子であるぞ」
老戦士は豊かな白いまつ毛の下から、狐目を光らせる。
……やがて船の尾部が通り過ぎた所で、フンメルは硬鞭を軽く振り、合図を出した。
「槍を立てい。そっとじゃぞ」
若者達はヘビードレス用の機械槍を、重そうに持ち上げ、先に組み立てた三脚へ載せた。
そして、好戦的な光を目に宿した犬面が、機械槍に一発の赤い砲弾を仕込んでいく。
「へへへ。リガーリェ印の五式弾だ」
「谷の鉄屑溶かして拵えた、オラ達特製の炸裂榴散弾」
太った兵士も鼻歌混じりに五式弾を装填。
「遠慮はするな。たんと召し上がれ」
熊皮が槍側面の給弾レバーを引き、弾を薬室に送り込んだ。
「皆の者。これは姫様の稼いだ好機じゃ。仕損じるでないぞ」
「応」
三人の射手が快く答える。その傍に控えるのは、ドレスから転用した照準器を覗き込む分隊員たち。
彼らは進行方向、船の速度や狙うべき部位を伝え、槍の狙いを修正させた。
それら全てを終えると、射手は静かに安全装置を外した。
やがて頭上の砲撃が止んだ。
ラトナが稜線から飛び出して、武装船の前に姿を晒したのだ。
武装船は好機と見なし、狙いを再修正。この瞬間、彼らの視点は姫騎士に集中し、下方に対する隙が、ほんの僅かだけ生まれた。武装船側にとっては些細な間。しかし、フンメル達にとっては、待ちに待った絶好の刻であった。
フンメルは硬鞭を振るった。
「放てえ!」
三本の槍が白煙を噴き、三つの赤い砲弾を飛ばした。砲弾は螺旋状の軌道を描いて飛翔。
一発は武装船の舵を、もう一発は尾部船体に当たって炸裂。
そして最後の一発は途中から捻くれた軌道を描き、船底中央に命中……炸裂せず、弾頭が突き刺さって止まる。不発弾だ。
「畜生、外れた!?」
犬面が悔しそうに毒づく。
「弾が腐ってたんだなぁ。カカカッ」
太い男が太鼓腹を揺らしてのんびり笑う。
「笑うんじゃあねぇよ。なあ、お爺。もう一発撃たせてくれや」
「馬鹿者。その未練が死を招くのじゃ。退却、退却じゃぞ」
熊皮男に抱っこされながら、フンメルは諭した。
奇襲部隊は槍をその場に捨て、急ぎ沢から這い上がる。彼らは戦果に背を向けて、全速力で離脱を図った。
一方の武装船は、損傷箇所から甲高い悲鳴にも似た擦裂音を響かせ、ゆっくり下降を始めていた。推進機関を壊され、浮力が落ちてしまったのだ。
「おおう、やった。やったぞ!」
大男の腕の中でフンメルは歓喜した。
「でもよ、大して落ちてねえぞ?」
チラチラ後ろを見ながら犬面がボヤく。彼の指摘通り、武装船は数メートルだけ下降した後、ピタリと止まってしまった。
「し、失敗かね?」
最後尾の太い男が息を切らせて言う。
「……いいえ、まだです!」
姫騎士ラトナは機械槍を頭上に向けた。そして号砲を一発、撃ち放った。
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