第11話


「……む、向こう十年分は走ったね」

 舷側に背中を預けたマルダーは、ゼエゼエ息を切らして言う。魔女の装いも汗でぐっしょり濡らし、何とも残念な様相を呈している。

「俺もっと走った。魔女の分まで、いっぱい」

 同じく疲労困憊なグリレも途切れ途切れに言葉を吐く。彼は途中からマルダーを担ぎ、実質二人分走っていた。


 陸タガメの襲撃から間一髪で抜け出したサ・イラ号。一同は激走と激闘の疲労に心底参りつつも、ようやく訪れた平穏に安堵していた。


「そちらは大丈夫でしたか?」

 ラトナは見張り台のルインに尋ねた。

「船以外は無事。あのクソ虫共、船体に爪たてやがって。おかげで傷だらけだ」

 見張り台から不機嫌顔のルインが降りてきた。

「どうなっていやがる、この街は。あんな数の陸タガメ、見たことが無いぜ」

「陸タガメどころか、ダソクもいたよ。どちらも人里までやって来るような獣じゃない。ますますヤバい話になってきたじゃないか」

 そう言ったのは、呼吸を整え終えたマルダーである。


「ああ、そうだ。実はお宅らに見せておきたいのが……」

 思い出したように話しだすルイン。しかし彼の言葉を遮って、先に魔女が話し掛ける。

「船乗り。できる限りで良い。最初に見かけた、デカい魔導獣の死骸の辺りまで飛んでくれないか?」

 ルインはこめかみを抑え、低く唸る。生存と原因究明どちらを取るべきか。迷っているのだ。

「……長居はしない。ヤバいと思ったら、俺の判断で離れる。良いな?」

 ルインは略帽を被り直すと、操舵室に入った。


 …………


 それからサ・イラ号は、可能な限り高度を取った後、マルダーの指定した地点へ舵を切った。

 目当てである大型魔導獣の死骸に近くにつれ、眼下の街の惨状は、ますます酷くなっていた。


 獣との激しい戦闘があったのか、道路には即席のバリケードが巡らされ、おびただしい量の血痕が残っていた。

 加えて建物の大半は崩れ落ち、区画丸ごとガレキの山と化している場所まである。


 それなのに、どこにも死体が無いのは例によって陸タガメのせい。しかし、ここが生息地では無い彼らが、一体どこから来たのか。それを敢えて発言する者は現れなかった。


 一行は口を噤み、不安と警戒を強め、ますます大きくなる死骸を注視した。


「牛蜘蛛ってんだ、あの死骸はね。牛の頭に蜘蛛の胴と脚。こんな気持ち悪い生き物が、大戦争以前からうじゃうじゃいたらしい」

 と、マルダーが言う。残りの面々は奇怪な魔導獣が放つ異様さに、つい顔をしかめた。


 その牛蜘蛛は全身が焼けただれ、背中からは鉄骨が生えていた。鉄骨が胴を貫き、それが致命傷になったのだと、魔女は皆に所感を伝えた。

「ここだけ、焼け跡ひどい」

 グリレがポツリと言った。彼の指摘通り、牛蜘蛛の死骸周りだけ、建物の焼け具合が異なる。明らかにここで、大きな火災が起きていた。

 ルインは皆の動向をチラチラ見ながら、やがて口を開いた。

「あのさ、ご一行様がたよ。こんな時になんだが、実は見てもらいたいのが……」


「皆、下を!」

 唐突にヘッツァーが声をあげた。ラトナ達は舟窓に張り付き、彼の指した先を見下ろす。

 牛蜘蛛の足元に散らばっているのは、激しく焼け焦げた無数の残がいだった。

「……たぶん船だな。墜落して、焼けちまったらしい」

 と、ルインも下を覗きながら言う。またも言いそびれた事で、狼顔がますます不機嫌に歪んでいた。


「まさか船の積荷が魔導獣だったと?」

 ラトナはルインの背に顔を向けた。

「残がいと一緒に転がっているんだ。そう思って良いだろうよ。んで、さっきからお預けを食らっていた話がここで生きる」

 ルインは舵を手にしたまま、振り返った。

「テメエらが来るまでの間に人間を拾った。といっても……いつコト切れるか分からん、虫の息だがよ」

 ええ、とリガーリェの民達は揃って驚きの声をあげた。


「どうして早くそれを言わないんです!」

 と、ラトナがプリプリ怒る。

「だぁから! さっきから言おうとしてたんだよ!」

 たまらずルインは反論した。


 …………


「……この人が生存者さん?」

 ラトナは目の前に横たわる人間を、おそるおそる覗き込む。他の面々も、張り詰めた表情で、伺い見ていた。


 街から離れ、山の反対側に着陸した一行は、船倉に収容された人間と対面した。


 ルインが拾ったというその人物は、麻の敷布に横たわっていた。全身至る所に傷を負い、顔の殆どが火傷によって爛れてしまっている。

 そして今、彼は……。


「元生存者。色々と聞き出せるかと思ったんだがな、もう手遅れだ」

 ルインは男の傍にどかっと腰を下ろす。

 船乗りの言う通り、生存者の男は息絶えて、物言わぬ骸と化していた。


「こいつ街の人間かな?」

「いや、こ奴は……」

 ヘッツァーは片膝をつき、残っている衣服や装飾品をあらためた。そして、首筋から肩にかけて彫られた、赤いまだら模様の刺青を認めるや否や、急に目の色を変えた。


「姫、この者は『シュイクの民』です。このまだらの刺青が何よりの証」

「シュイク? 何者なんですか?」

 ラトナは尋ね返す。

「魔導獣の繁殖やら、品種改良やらを民族ぐるみで生業なりわいにしている、魔術界の異端共さね」

 マルダーが困惑気味に説明した。


「そんな人たちがいるなんて……」

「ラトナが知らないのも無理はないか。だいぶ昔……あたしが生まれる少し前かな。連中の国はドゥクスに滅ぼされたんだ。戦後、獣に関する魔術知識も禁術と見なされ、民草諸共、徹底的に根絶やしにしてしまったのさ」

「なぜ? そんな事、した?」

 グリレが素直に疑問を呈する。


「そうさね。もしカウナを自由自在に操れたらどうする?」

 マルダーが皆に尋ねる。


「……食べる?」

 真剣な顔で答えたのはラトナであった。

「だ、だって。ダソクだって食材になるんですよ。あのカウナはどんな味がするのか、どんな料理が良いのか、少しは気になるじゃないですか!」

 他の面々が呆れたり、頭を抱えたりする中、姫騎士は大真面目に主張してみせる。

「カウナはたぶん、殻を剥いてフライにすれば、美味しく食べれると思います!」


「ンな事を考えるのは、姫さんだけだ」

 即座にルインが否定する。

「船乗り正しい」

「……姫。誠に申し訳ございませんが、某も皆と同じ意見です」

 グリレとヘッツァーも同調。

「そんな……」

 絶句するラトナを無視するように、マルダーは話を戻した。

「簡単に言えば、世界の理を左右しかねない危ない力なんだ。何しろただでさえ危険な魔導獣を、害なく御せるんだからね」


「ドゥクスは大国の立場を脅かす力を、先に摘んでしまいたかった。だから国を滅ぼすだけでは飽き足らず、大粛清に及んだ……という事ですな」

 と、ヘッツァーが続けた。


「んでこの可哀想な死体は、哀れなシュイクの数少ない生き残りだってのね」

「その通りだ、ルイン殿。ドゥクスの迫害から生き延びた者共は、やがて森深くで外界との繋がりを絶ち、魔導獣と共に暮らすようになった。禁術は絶えておらず、密かに継承されているとか」

 答えたのはヘッツァー。傷顔には深刻な色がはっきり浮かんでいた。


 するとマルダーは片目を細めて言った。

「でもそんなのが、どうしてこの街にいるのかね。手前らで育てた獣を、船で運んでいたっての?」

「そうだな。有力なのは、船の中で獣が暴れて弾みで落ちたってだろう。下の住人にとっちゃ、迷惑な話だがな」

 そう言うと、ルインは略帽を目深に被り、目を伏せた。


「だけどどうして? ヘッツァーの話では、外部との接触は避けているのでしょう?」

 真面目に戻ったラトナが疑問を口にする。

「それは……」

 彼らの思案は、頭上で響く非常ベルの音によって遮られた。反射的にルインは船倉から飛び出して、甲板に出た。


「気球だよ、アニキ。見たこともない気球がこっちに来る」

 見張り台からザナが叫ぶ。もはや双眼鏡を使うまでもなかった。ケルクの街の方角から、大きな気球の影が山を越えて、こちらに近づいて来ていた。

「これ以上の厄介ごとはゴメンだぜ。機関始動、すぐに逃げる」

「待って……発光信号!」

 ザナは双眼鏡を目にあてた。


「……自分らはシュイクだって名乗ってる。何なんだい、それ?」

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