第2話
「あ、死んだ」
ルイン・ガルーは低い声で言った。
森の中からひっきりなしに鳴り響いてきた銃声が、ぱったり止んだのだ。
彼は甲板上に置いたビーチチェアから体を起こすと、胡乱げに森を見た。
二十代も終わりに差し掛かろうとしている青年は灰色髪をかき、狼を連想させる鋭い双眸をより細めた。
「運が悪かったな、あいつら」
などと呟いていると、唐突に揺れが始まった。小型で旧式、今にも崩れそうなオンボロ輸送艇サ・イラ号が、地面の上でユラユラ揺れて、陸地に下ろした錨が、嫌な音を立てて軋んだ。
揺れは10秒後、唐突に収まった。
また辺りがしん、と静まり返る。
「……こっちに来るか?」
舷側に駆け寄ったルインは、前方で壁のように広がる巨大な森をにらんだ。
かつての大荒廃から立ち直るように、この世界の自然はたくましく育っている。
いや、たくまし過ぎた。
森を彩る木々は廃墟群のビルに匹敵するほどの背丈を誇り、原生生物に至っては、人間など最早歯牙にもかけていない凶暴ぶり。
そのような脅威に対する最善の手段は限られている。
ルインはシャツの胸ポケットに突っ込んでいた略帽を頭に載せると、甲板の伝声管に飛びついた。
「機関室。エンジン始動!」
〈おい。客はどうしたんだよ。みんな船に戻ってきたの?〉
返ってきたのは少年の声だった。
「あいつらは戻ってこない。永遠にな。代わりに別の客が来る」
「ちくしょう」
口汚い言葉と共に、サ・イラ号のエンジンが吠えた。
ルインは操舵室に戻ると、舵輪周りのレバー類を乱暴に動かし始めた。
やがてくぐもった機械音が船中を包みだす。続けて煙突から不規則な間隔で排煙が吹き、嫌な振動が足元から伝わってきた。
「こいつは、ヘヴィだな!」
ルインは手元の伝声管に顔を近づける。彼が言葉を発するより早く、機関室から悲痛な報告が届いた。
〈アニキ。タービンの様子がおかしい。ちっとも回転が上がらないんだ〉
「このポンコツ!」
ルインは怒りに任せて舵を殴った。
「ここで死んだら、今度こそスクラップにしてやる!」
矛盾した内容ではあるが、効果はあったらしい。前触れもなく機械音がキレイになり、排気も規則正しものへ変化していった。
「これだから中古は……」
ルインの口が止まる。
外が船以上に騒がしくなっていた。
森に住む形態様々な鳥達が、慌ただしく空へと逃げている。そして肝心の森は、大きな土埃を挙げ、激しく揺れ動いていた。
「次から次へと」
ルインは腰元のハンドルに手を伸ばした。彼がハンドルを回す度に、ガラリ、ガラリと錨が巻き上がっていく。
「ザナ、何かに掴まっていろ」
ブレーキ解除。手元レバーを手前に引いて、離陸を試みる。
徐々に船底が浮き上がり、サ・イラ号は陸地からゆっくり離れた。
大戦争よりも昔、人は陸の上にも艇を走らせる術を生み出した。地面効果なる原理によって船体を空中に浮かばせて、高速で進むのだ。
それはさておき……。
危機的状況に置かれたルインは、足元のペダルを雑に蹴飛ばした。
無理やり増設した緊急加速装置だ。サ・イラ号は、船尾から白煙を噴いて飛び出す。
地面からわずか10数メートルの高度で、弾丸のように突き進むサ・イラ号。
……その背後で大木の壁が爆ぜた。
木々の破片や土埃を払って、客人が姿を見せた。数十メートルは優に越える体に黒緑の苔をびっしり生やして、鉄塊じみた巨大鋏が大地を削る。そして背負っているのは、見上げるほどの高さを誇る大巻貝。
「アニキ!」
船室になだれ込んできたのは、背の低い少年だった。機械油のついた褐色の顔はまだあどけなく、少女のような丸みも帯びていた。
「ザナ。武器と弾薬をかき集めろ。カウナだ。しかもありゃあ、ヌシ級だぞ!」
ルインは舵を片手に持ち、船窓から後方を伺い見た。
カウナ。地上最大級の甲殻生物。
普段は大森林の奥地や塩湖の底で、
だが稀に目を覚まして動きだすと、土地や街を寝ぼけて踏み潰し、通り過ぎてしまう。
故に人々は、カウナを「歩く災害」とみなして畏れていた。
そしてサ・イラ号を追うカウナは……怒っていた。進行を続けながら、鉄塊じみた巨大鋏を地面に突き立て、進路上の廃墟や岩を薙ぎ倒している。
「怒りで我を忘れていやがる」
「どうして?」
船室の床を開けながらザナが尋ねた。
「おおかた、客人達が怒らせたんだろうよ。銃を撃って眠りから覚ましちまったとかさ。それより早く、ランチャー寄越せ!」
「弾は?」
「榴散弾」
「あいよ」
ザナは長銃を改造した「ランチャー」や専用弾を、テキパキとルインに渡していく。ルインは傍の台に長銃を乱暴に置くと、片手で弾を装填した。
「よし。機関室に戻れ」
ザナを追い出したルインは、後方確認用のミラーを覗いた。歪んだ鏡面に映った歪なカウナの影が、土煙を噴いて迫っていた。
猛り狂うカウナは、己が肉体を破壊しながらでも暴走を続ける。その速さ、その破壊力は、大洪水より恐ろしく、凄まじい。
その証拠に、じわりじわりと両者の距離は詰まり始めていた。
いずれ追いつかれる。ルインは動きの鈍い速度計を睨んだ。
速度が上がらない。おそらくエンジンの不調によるものだ。
(こんな時に!)
ルインが唇を噛んだ、次の瞬間……。
視界にチラリと光が飛び込んだ。
前方で何かが光った。
姿を捉えようと眼を細めたが、無駄に終わった。次の瞬間、魚雷艇を上回る速度で、光弾がすぐ真横を通り過ぎていったのだ。
光弾はカウナの両鋏の隙間を通り抜け、苔の繁茂する顔面に直撃。橙色の炎が破片を撒き散らし、花のように四方へと広がる。そこから少し遅れて、くぐもった砲声が追い付いてきた。
「大砲。いったい誰が?」
瞠目する間に、光弾はサ・イラ号の頭上を通過。今度はカウナの巻貝に命中するも硬い殻を貫けず、明後日の方角に弾かれた。
巻き添えを食らうまいと、サ・イラ号は転舵。取舵でカウナの進行方向から針路をずらした。
更に砲撃。今度は音が違う。砲弾そのものが、耳を震わせる笛の高い音色をまとっているようだった。
「くそったれ!」
嫌な予感を覚えたルインは、カウナから目を背けた。
砲弾はカウナの両鋏の間で破裂。眩い閃光と鋭い高音が暴走生物を襲う。
どうやら光弾より効果はあったようだ。それまで、大地を削り進んでいたカウナの動きが、急に鈍り始めたのだ。
「カウナを止めやがった」
ルインが驚いている内に、サ・イラ号は光弾の発射地点に再び舵を切った。
「な、何が会ったんだよアニキ!」
再びザナが操舵室に飛び込んできた。
「……カウナが森に帰る」
ルインは呆然と呟いた。
カウナがゆっくりと方向転換を始めていた。怒りより感覚器官を襲った痛みの方が優ったのだ。
その間にサ・イラ号は高度を落とす。ルインは船窓から顔を出して、射手を探し始めた。
「アニキ、何かがいる!」
不意にザナが叫んだ。目を向けると、点在するタコツボ状の穴の一つに、少年の言う「何か」が隠れていた。
穴の上に草木を張り巡らし、機械仕掛けの柱だけを外に伸ばしている。
否……柱ではなく、砲らしい。
やがて草木の覆いが剥がれて、ようやく射手が姿を晒した。
現れたのは車輌ではなかった。全身を濃緑色の機械鎧で固めた、鉄の戦士だった。
そして砲だと思っていたものは、よく見てみると、身の丈以上の機械槍だ。先端が尖っておらず、砲口のようになっている。
そしてもう片手には、背丈と同程度の分厚い大楯を持ち、城塞のように佇んでいた。
呆気にとられつつも、ルインはサ・イラ号を着陸させた。
エンジンはそのまま、最悪ザナだけでも逃がせるよう、少年を船に残した。
ルインはランチャーを手に、鎧の戦士へ近づいた。内心は気乗りしないし、今すぐここから逃げ出したい気分だった。
だが、逃げるのも良い手とは思えない。
距離が詰まるにつれて、上背も横幅も、遥かに自分より大きな事に気付いた。
鎧の大巨人だ。
そしてルインは、鎧戦士の顔が見える位置まで到達した。顔といっても直接見えるのは、骸骨じみた武骨な兜だけ。肝心の素顔を伺い知る事はできない。
(好き好んで見たいとも思わねえけどな)
ルインはそう考えながら、生唾を呑んだ。
彼も鎧戦士も、自分から口火を切ろうとはしなかった。ルインは口を真一文字に結び、鎧戦士は兜から、シュウシュウという微かな呼吸音を発して、押し黙っている。
両者の間を荒野の乾いた風が通り抜けた。
「まずは礼を言っておく。助かった」
意を決して、ルインは話しかけた。ぎこちなくではあるが、笑みも混ぜて。
すると、微動だにしなかった鎧戦士が動きだした。両手の武装を地面に突き立てると、人間でいう延髄に手を伸ばして、何かに触れた。
すると兜が白い蒸気を吐いて動き出した。慄くルインの目の前で、口から上の部分からせりあがる。連動するように、両頬の覆いも横にずれていく。
そして露わになったのは、若い女性の顔だった。
柔らかな曲線を描いた顔に、穏やかな微笑みを浮かべ、鶯色の目でルインをまじまじと見つめている。
その容貌からは、物々しい鋼鉄の鎧には似つかわしくない、慈愛と気品が溢れていた。
あまりにも予期せぬ出会いに、ルインは大いに戸惑った。
「お怪我は無いようですね」
女は静かに尋ねてきた。落ち着き払った麗かな声色である。
「あの森には近づかない方が良いですよ。最近まで大きな戦いがあって、森の生き物達は酷く怯えています」
ルインは胡乱げに辺りを見回した。
待ち伏せ用の蛸壺、消炭になった車両の残骸、砲撃で抉れた大地……。
どれもまだ、最近になって出来たものばかりだった。
「そうらしい」
相づちを打つルイン。
「客の兵隊から聞いた。魔導兵器相手に、軍隊が派手にやられたって。それで姫騎士様が一人残って、仲間を逃す時間稼ぎをしたとか……」
ふとなにかを思い出したのか、軽く手を叩いた。
「お宅の着ているそれ、もしかして、ヘビードレスって言うんじゃあないかな。ほら、姫騎士が使う鎧」
「そうです。よくご存知で」
女が頷く。するとルインは深くため息をつき、地面に座り込んだ。
「あの?」
「……すると御宅、ラトナ・クワドリガ? ヘビードレス使いの姫騎士。例の殿の子」
「え、ええ。はい、そうです。ご察しの通り、騎士をやっています」
女……ラトナはおずおずと答えた。
ルインは顔を上げると、口の端に疲労混じりの笑みを作った。
「俺はルイン・ガルー。見ての通りの船乗り。アンタを助けに来た筈だったのに、逆に助けられちまった」
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