第4話 デシベルの家
聞いた情報通りに、ノアはパイシースの北にある高台へと向かう。
移動中に街の様子をうかがっていたが、どこも変わらず暗い。さらに、すれ違う人はわずかにいたものの、動物の姿を全く見かけない。
犬や猫、鳥も含めてだ。
まだ日も昇っている時刻。鳩でもカラスでもスズメでも、何かしら飛んでいておかしくない。
あまりにも生き物がいない街に、首をかしげながらノアは高台のふもとにたどり着く。
「ここには何にもいないなぁ……逃げたのかなぁ? まあ、それは置いておこう。まずはデシベルさんの家はーっと……」
気持ちを切り替え、デシベルの家を探す。
パイシースの街を見下ろせる高さがあるここには、建物がずらっと並んでいた。しかし、そのほとんどが破壊されており、柱が折れてむき出しになっていたり、壁が崩れ落ちていたり、黒炭になるまで燃えた跡が見られる。
その中で無傷で残っている家は一軒のみ。
店員の話に聞いた家はここであると確信した。
木造の扉の前に立ち、軽くノックをする。あまりにも周囲が静かなせいで、コンコンッと音が辺りにも響くほどに。家の中にいようが、近くで作業していようが、この音は耳に入るだろう。
「……出てこないな?」
ノックしたにも関わらず、家の中から人が現れることはなかった。
ノアは半歩下がり、二階の方を見上げる。曇った窓がそこにあり、一瞬ではあったものの奥に人影を確認できたが、すぐにカーテンが閉められる。
中に人がいて、自分と会うことを避けた行動であるとわかったノアは、頭を悩ませた。
おそらく見えた人物は、デシベルの孫。話を聞きたくても、このままでは無理だろう。
どうしたらいいものか。
ノアは低く「うーん」と唸った。
頭を使うことが苦手なノアでも、考え得る方法が二つある。
一つは強行突破。
体だけは丈夫なノアだ。体力もパワーも余っている。これを活かせば、家の扉も破壊することだってできるし、やろうと思えば壁をよじ登って二階の部屋に突撃することもできる。
ただ、そうすればノアは悪人と見なされるだろう。悪人に話すことなどないとバッサリ切られてしまえばそこまでだ。
父の情報を得ることは難しくなる。
第二の方法は、ひたすら出てくるのを待つこと。
中にいる人物が、永遠と家の中に閉じこもり続けることは不可能だ。なぜなら食料を調達しなければならないから。いつかは外に出なければならない。
もし、外部の人がそれを行っているとすれば、屋外から中へ搬入擦る際に扉は開かれる。その時には、中の人物の顔を拝めるだろう。
街で噂されているように、夜中に出歩いているのであれば、出てきた時に顔を合わせることができる。
この方法の欠点といえば、扉が開く時間が、今日なのか明日なのか、はたまた一週間先なのかわからないということ。
いつまで待っていればいいのかわからないとなると、かなりの根気が必要になってくる。
この二つを考え、どちらにするか悩んだ結果、ノアの頭は限界を迎えた。
「うう……くっそー。頭痛くなってきた」
深く考えることは大の苦手だった。
ノアは頭を抑えながら、眉間にしわを寄せつつ腰を下ろすことができる場所がないか辺りを見る。
もちろん周囲は廃屋ばかりでベンチはない。
よってノアは地面に倒れた近隣の家の柱に座った。
そして膝に肘をついて、人が入るのに誰も出てこない家を見つめては深いため息を吐いた。
このまま待ちぼうけしようかと思った時、街の中心部の方から、建物が揺れ傾くような地響きが聞こえた。
「な!?」
ノアは立ち上がり、街を見下ろす。
そこから見えたのは、黒い煙。朱く燃える様子は今は見えない。
だが、安心はできない。
たとえ火がなかったとしても、今後火災が起きるかもしれない。そうなったら、多数の怪我人や死者が出る可能性がある。
見捨てることなどできないノアの足は、自然と音のした方へ向かっていた。
「はあっ、はあっ……」
体力はあれど、重い荷物を背負って知らない街を駆ければ、それなりに疲れが残る。
ノアさ少し息を乱しつつ、誰か要救護者がいないかを確認しながら街の中心部へと移動した。
「ひっ……!」
壊れた噴水のある広場に着いたとき、体中の血液が逆流するほどの恐怖がノアを襲った。
ノアの視線の先には、恐怖の源である異形の存在。
二階建ての家ぐらいの大きさがある、真っ黒な手が地面から生えている。そしてその手には、いくつもの赤い眼がぎょろぎょろと周りを見ている。本能的にノアは、その眼に捉えられるよりも先に、死角となる建物の影に隠れることが出来た。
体を石のように固くし、息を潜める。
異形の手は、ノアに気づくことなくゆっくりとノアから離れるように動いていく。
あの手に掴まれたら、人なんてすぐに潰されてしまう。今まで命の危機に瀕することなどなかったが、この時初めて死を感じた。
気配が遠ざかっていくにつれて、ノアはホッと胸をなで下ろす。
早く逃げよう、そう思ったものの、異形の手が向かっていった先に嫌な予感がした。
何故ならその方向には、ノアの故郷であるエリースがあるのだ。
異形の手がエリースへ向かうかもしれない。
エリースでのんびりと暮らす人達は、戦う術などない。
失いたくない沢山のもので溢れる故郷エリースを守りたい。
ノアは強くそう思ったときだった。
「たっ、た……助けてくれぇ!」
「!? あの人……! 」
怯えた犬のような悲鳴に似た声が耳に入った。
異形に気づかれぬように細心の注意を払いながら影から顔を出し、声の主を探せばすぐに見つかった。
異形の姿のその先に。
声の主は、ノアがパイシースにやって来た時、あれやこれやと話してくれた男だった。
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