第23話 麻婆豆腐 ①―④

 祭りがはじまって3日目。


 今日も大衆食堂『りぃ~ね』は昼前から営業をはじめた。

 魔法で王都を映し出しているモニターを見ると、お客は高級店だけでなく、あまり評判を聞かない店舗にもおもむくようになっている。

 それは『りぃ~ね』も同様で、新規のお客がぽつぽつと入店するようになってきたことに、ノブユキは喜びを隠せない。


 さらに嬉しいことに、また常連客もやってきた。新規のお客はライスカレーを所望しているが、常連客は昨日すでに味わったのか、『新作』を求めてやってきたようである。

 慣れた様子で、リーネに注文をしている。


「リーネちゃん、新作を食べに来たよー」

「ふふふ……秘密の一品、味わわせていただきますわ」

「とりあえず美味けりゃなんでもいいや。『様々なお肉や野菜とカレールーを加えてじっくりコトコト煮込んだご飯』はさすがにお腹いっぱい……」


 麻婆豆腐の宣伝は不十分だと思ったが、いったいどうやって広まったのだろう?


「アデルドさまや、ドランさま、それにミッフィさんから話は聞いていますよ」

「うん、『様々なお肉や野菜とカレールーを加えてじっくりコトコト煮込んだご飯』

よりも旨みが強くて、辛いらしいね。慣れてきちまった舌に刺激を与えてくれそうで期待しちゃうよ」

「なんでもいいから早く食いてえぜ」


 どうやら顔なじみ3人組が気を利かせてくれたようだ。

 正直、ありがたい。


 いよいよだ。

 麻婆豆腐で一気に巻き返す頃合いである。


 リーネが接客をしながら、さりげなく宣伝をしている。


「はい、新作の『ひき肉や調味料や香辛料で味と匂いを楽しむ豆腐の煮込み』をぜひご堪能ください!」


 新規のお客も、がやがやと騒がしくなり始める。


「『ひき肉や調味料や香辛料で味と匂いを楽しむ豆腐の煮込み』だって?」

「『様々なお肉や野菜とカレールーを加えてじっくりコトコト煮込んだご飯』が主力料理じゃなかったとおっしゃるの?」

「『ひき肉や調味料や香辛料で味と匂いを楽しむ豆腐の煮込み』ってどんな料理?」

「『様々なお肉や野菜とカレールーを加えてじっくりコトコト煮込んだご飯』に似た旨みと辛みとは聞いているが、俺様もよく知らん」


 そして、いっせいに。

 食いてえええええええええええええええええ!!

 という、叫びとも取れる声が店内に響き渡った。


 リーネがさらにお客の購買欲をかき立てるひとことを放つ。


「ちなみに料金は同じで銀貨1枚となっております!」


 うおおおおおお、マジかああああああ!!

 などと、声を荒げて興奮するお客たち。

 すると、続々と麻婆豆腐の注文が入るようになった。


 ――ったく、うちの給仕長はすげえぜ。

 心から感心するノブユキである。



 ここからは、ノブユキの仕事だ。

 切り替わった注文に応えるため、頭をすっきりさせる。自分で麻婆豆腐を食べて、濃い味と辛みで意識を覚醒させるのだ。ずっとライスカレーを作り続けていたので、ひょっとしたらイメージを引きずって、とんでもない料理が召喚されてしまう可能性もある。


「《レシピ》麻婆豆腐」


 召喚された麻婆豆腐だが、焦げ茶色なんて見ようによっては泥にも似ている。それでも厨房の窓から入る夏の陽光に照らされて宝石のごとき輝きを放ち、高貴な品だと言われても不思議ではない配色に変貌する。視線が釘付けになっても、おろかなどと警告するやつはいないだろう。

 召喚主であり、料理人であるノブユキでさえ圧倒されるのだから、普段から見ないお客にとっては、とんでもなく美しく映るはずである。


 気付けに一皿。


「うっわ、濃い! かっれええええええ!!」


 ノブユキはしゃっきりした。

 リフレッシュ完了。これでライスカレーのことは一旦、意識から遠のいた。


 と、フロアからリーネの声が飛んでくる。


「ノブユキくーん! 料理まだー!?」

「はい、ただいまー!!」


 麻婆豆腐をいくつも召喚する。

 できあがったことを告げると、リーネがすっ飛んできて皿を抱えてフロアへ戻る。フロアでお客に皿を出すと、また厨房に戻ってきて皿を持ってフロアへ。すごい往復運動である。


 果たして麻婆豆腐を口に入れたお客の反応は……。


「うっわ、なんだこれ! めっちゃうめえ! だあああ、かれえええ!!」

「口のなかで旨みが弾けますわ! 辛みがさらにそれを押し上げておりましてよ!」

「……」

「おい、なんとか言えよ! って泣いてんじゃねえか!?」

「銀貨1枚でこれだけの料理を出すのか。この店は潰れたりしないよな?」


 おおむね好評のようである。

 よしっ、とノブユキは手応えを感じた。やはり、麻婆豆腐も準備しておいて正解。なかったら、上位陣の店舗が出すライスカレーに押されて、目標に届かなかったかもしれない。……いや、まだ最終結果が出るまで気を緩めたりはできないけど。


 フロアから戻ってきたリーネが、ノブユキにひとこと告げる。


「この調子でどんどん行くわよノブユキくん!」

「はい、リーネさん!」


 流れが変わりはじめる。


 どうやら、麻婆豆腐を用意していたのは、うちの店だけのようだ。それもそのはずかもしれない。なにせ、ライスカレーの原料となる香辛料は高級品なのだ。一品だけでも勝負に賭けるには充分なはず……だった。

 それをノブユキ、そして料理魔法というイレギュラーが、くつがえした。まさしく無双状態。ノブユキは今、異世界の一国において、無双しているのである。本人すらこのような状況になるとはまったく思い至らなかっただろう。


 と言ってもノブユキだけでは成立することはなかった。

 リーネという、最高のパートナーを得たからこその熱狂と言える。互いが互いの力を引き出し、力はお客の幸福へと還元される。素晴らしい連鎖反応だ。



 ◇  ◇  ◇


 昼と夜の営業が終わり、いつものようにフロアでくつろぐ2人。

 リーネおすすめの、アルコール度数が低いぶどう酒で、ささやかな乾杯をした。


「作戦は成功したみたいね、ノブユキくん」

「ええ。うまく他の店舗を出し抜くことができました」

「口コミの広まりもあるでしょうし、明日からはさらに忙しくなるわよ」

「望むところです」


 ノブユキは視線をリーネに向けたまま、自分の胸を拳でとんっと軽く叩いた。

 それを見たリーネはくすりと笑ったが、すこし心配そうな表情に変わる。


「頼もしいわね。ところで、魔力は大丈夫? 保ちそう? 自然回復で間に合う?」

「ここのところ調子がいいんですよねえ……」

「そうなの?」

「はい、むしろ使っていないと逆に魔力総量が落ちてしまいそうな気がします」

「不思議ね。普通は使えば使うほど疲弊していくはずなのに……」


 これはノブユキの憶測なのだが。

 料理魔法でお客に『希望』を与えることが関係している気がしていた。言っていたのはドランだっただろうか。人々に希望を与えるほど、ノブユキにとって身体に良いらしいのだ。

 油断は禁物だが、料理を魔法の召喚で行うことは、間違っていないように思える。まあ、たまには自分の腕を振るいたい気もするけれど。


 ノブユキがそんなことを考えて、神妙な顔をしていると。


「ノブユキくん、きみは料理のことだけを考えて。『ひき肉や調味料や香辛料で味と匂いを楽しむ豆腐の煮込み』の宣伝と呼び込みは、わたしがやるから」

「はい。よろしくお願いします」

「うん、素直でよろしい!」


 祭りも3日目が終わり、ノブユキもだいぶ雰囲気に慣れてきた。

 熱気、狂気、歓喜。さまざまな感情が入り乱れる、いつもの王都とは異なる興奮に満ちた、新しい環境だ。


 祭りの環境には合わせる。

 だが、空気には呑まれず、いつも通り料理を提供する。

 改めて、ノブユキは自分の在り方を決定した。


 ノブユキが何を考えているのか知らないリーネは、笑顔を絶やさず見守っていて。

 やさしい声音でつぶやく。


「さて、じゃあそろそろ寝ましょうか、ノブユキくん」

「そうしますか」


 2人は静かな酒宴を終えると、それぞれの自室に戻り、眠りについたのだった。

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