第15話 ライスカレー ①―①

 ノブユキは、料理の合間をぬって、厨房からフロアの様子をうかがう。

 ちょうどリーネがお客から注文をとっているところだった。


「『トマトケチャップご飯に玉子焼きの薄皮をかぶせたお月さま』半熟で」

「かしこまりました!」


 大衆食堂『りぃ~ね』は、今日も平常運転。

 しかし、昼のゴールデンタイムだというのに、やや空席がある。

 リーネが過労でぶっ倒れた事件のせいか、常連客は遠慮がちになっているようだ。


 リーネはリフレッシュが済んだようですっかり元気にしている。

 というか空回りしている。


 店内の接客に隙ができると、入り口に行って、両開きの扉を開け放ち。


「大衆食堂『りぃ~ね』営業中でーす! よろしければお立ち寄りくださーい!」


 声を張り上げて、お客の呼び込みをしていた。

 その甲斐があってか、「お、空いてんのか。なら食わせてもらおうかな」とお客がぽつぽつと入ってくる。

 そして、同じくらいの早さで「おいしかったですわ」とお客が店内から去る。会計もリーネがやっている。ノブユキからすれば、見ているだけでも、恐ろしくなる早さでお客をさばいてゆく。


「ありがとうございました、またどうぞー!!」

「リーネちゃ~ん、早速だけどオーダーいい?」

「はーい、お待たせしました。いかがなさいます?」

「……リーネちゃん張り切りすぎじゃない? また倒れたりしないでよ?」

「あっはっは。それ、うちの料理長にも言われてますが平気です!」

「無理しないでね。『トマトケチャップご飯に玉子焼きの薄皮をかぶせたお月さま』固めで」

「かしこまりました!」


 すたたっ!

 普通ではあり得ない敏捷さで厨房へとやってくるリーネ。

 身体強化の魔法とやらを使っているのだろう。エルフだし魔法はお手のもの、ってのは勝手な想像をしすぎかな、とノブユキは思う。


「ノブユキくん、5番カウンターさまオーダー。『トマトケチャップご飯に玉子焼きの薄皮をかぶせたお月さま』固めよ」

「……」

「ノブユキくんったら、オーダー!」

「……リーネさん、お客からも言われてましたけど、無理してません?」


 するとリーネは、腕まくりをして、むんっと力こぶを作って見せてきた。ノブユキよりもよほど腕力がありそうで、それに肌の色もいい。


「わたし、仕事をしている時のほうが調子いいのよねえ」

「……俺の元いた世界にリーネさんが転移したら、重宝されますよ、それ」

「え、なになに? いっぱい働ける世界なの、その世界って? パラダイスかしら」

「……俺の価値観ですみませんが、その真逆ですから」


 年がら年中、料理に時間を費やしてきたノブユキでも、元いた世界の社会にあまりいい話を聞かないのは知っている。いわゆるブラック企業というやつだ。やりたくもない仕事を寝る間もなくさせられ続けるのは、つらいに決まっている。

 ノブユキの環境もブラックと言えるかもしれないが、自分の好きでやっていたことだし、ノーカウント。


「ほんと、あり得ないくらいつらいですから」

「ふーん、まあいいわ。それよりノブユキくん、オーダー早くしてちょうだい」

「あ、はい。《レシピ》オムライス固め」


 いつものように、木皿の上に欠けたお月さまを思い起こさせる、こんもりとした山が出現した。

 そして、調理台に、ことり、と置かれる。ノブユキは、盛り付けが崩れないように手に取って、リーネに差し出す。


「どうぞ」

「ん、ありがと」


 そう言って、すたすたっ、とリーネはフロアへ戻っていく。

 ノブユキは次のオーダーまで、厨房から顔だけ出し、フロアの様子をうかがう。

 うん、みな、幸せそうに食べていて、自分も嬉しくなる。そして、胸がぽかぽかと温かくなるのを感じる。これが『希望』を与えている、あるいは受け取っているってことなのかどうかは、わからない。


「5番カウンターさまお待たせしましたー!」

「ひゃっほう、これこれ! たまごの甘みとケチャップの染みこんだライスがたまんねえんだよなあ!」

「ふふふ……どうぞごゆっくり」


 リーネも幸せそうである。

 が、ノブユキにはちょっとした懸念があった……。


 ――オムライスに頼り切っている現状は『停滞』しているのではないか?

 この世界の、特に王都の料理人における停滞は、脱落に等しい。

 そんなことを言われたっけ、とノブユキは思い出していた。



 ◇  ◇  ◇


 そして、昼の営業が終わり休憩時間となった。

 2人は、いつものテーブル席で、いつもの位置取り。


「『トマトケチャップご飯に玉子焼きの薄皮をかぶせたお月さま』もそろそろ飽きてこられると思うのよねえ……」

「ですよね」

「あら、ノブユキくんも感じていたのね。すっかりこっちの世界に馴染んだみたいでお姉さん嬉しいわ」

「まあ、1年にもなりますからね」

「と、いうことで、新メニューを考えようと思います!」

「あ、俺も同意見です」


 リーネは、驚いた様子で椅子を引いた。


「ほんとうにどうしちゃったの、ノブユキくん!」

「なにがです?」

「いつもなら、しぶって反対するところじゃない!?」

「俺をなんだと思っているんですか……。リーネさんに合わせていたら、自然とこうなりますって」

「ふっ、どうやら、わたしという素晴らしいお手本を見て成長したようね。いいわ、ノブユキくん。特別にわたしを『師匠』と呼ぶことを許可しましょう!」

「はいはい。で、リーネさん新メニューですが」

「スルー!? ちょっとノリが悪いわよ!」

「漫才師に転職するなら師匠って呼びますよ」

「ノブユキくん!? 図太くなりすぎよ!?」


 ノブユキは取り合わずに進める。


「『ライスカレー』なんてどうでしょう?」

「『ライスカレー』? それって『カレー』に関係あるかしら?」


 リーネもお仕事モードに戻ったようだ。

 椅子に座り直し、真剣に聞いてくる。


「ねえ、ノブユキくんったら!」

「あのぉ……こっちの世界にあるんですか、カレー」

「ええ。固形にしたものを仕入れることはできるわよ」

「なんだか……普通ですね。俺の元いた世界と変わらないようです」

「普通ですって? カレーが? ふっ、そんなことないわ!」

「?」


 ノブユキは首をかしげて、続きを待つ。


「カレーを固形や粉末にしたもの――カレールーの製法は、カレー職人しか知らないのよ。料理人ギルドを通して、仕入れさせてもらわないといけないからね。わたしの店みたいな場末の大衆食堂には、まったくといっていいほど扱わせてくれない高級品なの」

「な、なるほど……」


 さすがは天下のライスカレー、およびカレーライスさんである。

 元いた世界だけでなく、こちらの世界でも特別な扱いとは……。かくいうノブユキも、ライスカレーはカレールーを使用していたので、調味料から作ったことはない。

本格な店で食べたことはあるのだが、やはり味の好みは分かれると思う。


「こっちの世界ではライスカレーのこと、なんて呼んでいるんですか?」

「『様々なお肉や野菜とカレールーを加えてじっくりコトコト煮込んだご飯』よ」

「……」


 ――わぁお、覚えるのが大変なくらい長い名前!


「挑戦してみる?」

「え?」

「その『ライスカレー』っていうの。こっちの世界とどう違うのか気になるわ」

「本気で言ってます?」

「ふっ、このリーネ。料理における妥協? 否、否、いな! そんなものは犬だって食べないわ! してたまるもんですか!」

「でも高級品だって……」

「お金ならたんまりあるわよ。そう、今までノブユキくんに支払っていなかった給料も含めてね!」

「うぉい!」


 いや、そりゃ、なんでお金くれないのかな、とか。

 きっと管理してくれてるんだろうな、とか。

 いつか支払ってくれるんだろうな、とか。

 色々と考えてはいたけどさ!


 まさか、高級品を購入する時のために取っておいただと?

 くっそ、なんだか俺、もやもやするぞ!

 でも異世界でライスカレー作りてえ!


「《金庫・リーネ》」


 おもむろに、リーネは魔法を唱えた。

 紫色の大箱が出現し、両開きになっている蓋がぱかっと開く。中には小さな円形の金属がいくつも見える。表面には細かく刻まれた何らかの模様。こ、これは!


「さあ、どうするかしらノブユキくん? この金と銀と銅に光る硬貨か、きみが作る希望にあふれた異世界の料理か選んでちょうだい?」

「くっ」

「あら? 物欲しそうな顔ね。そんなに作りたいのかしら? わ・た・しと」

「変な言い方はやめていただきたい!」

「そんなことを言っても身体は正直ね、口から垂れる透明な液体はなんなのかしら」

「ああ、はいはい、作りたいですよ!」

「どっちを?」

「どっちって何がです!? ライスカレーに決まってるでしょう!!」


 ノブユキが大衆食堂『りぃ~ね』で働きはじめて、約1年。

 最も大きな怒号が店内に響き渡ったのだった。

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