第13話 「あの場所」

 遠くから鐘が鳴る音が聞こえた。規則的に五回。それを三度続けた。リリはうたた寝から起こされたように鐘の鳴る方へ顔を向けた。それ程テオの話に聞き入っていたようだった。それから自分の手元にあるカップに目を向け、残り少ない紅茶を啜った。


「それからずっとここにいるんですね」


リリがそう言うとテオは「そう」とだけ一言答えた。


「これからもずっとここに居続けるんですか?」


次にそう聞いた時、テオは少し上を向き、「たぶんね」と答えた。


「もうそうそうに気が変わることもない。私にはこれがもう日常なんだ」


 テオはそう付け加えた。


 リリはもう一つテオに聞きたそうな顔をしたが、やめた。このタイミングでそのことを聞くのは良くないのかもしれないと判断した。テオはそれらの表情の小さな変化には気付いていないようだった。


「さぁ、そろそろ君を村へ送っていかないといけないな。私は死ぬまでここに居るつもりだが、君には未来がある。ここに留まるより、村へいや村の外へ出ていろんなものを見た方がいい。」


テオは重い腰を上げて立ち上がった。


「私もそう思っています」


リリは笑顔でそういった。


「そうだったな。すまないすまない。じゃあちょっと準備をするから待っておいてくれ」


テオはケタケタと笑いながら部屋の奥へ行った。それを見てリリは少しホッとした。テオがここに住むことになった理由を話す時、ずっと辛そうな目をしていたからだ。


 リリは改めてここまで来た経緯を考えた。サラ、タム、ヤン、アメリアの五人一緒にちょっとしたピクニックに行くつもりでその「下見」に来たはずだった。ちょっとした冒険で途方に暮れることもあったが、リリ自身、ここに来てからは心に余裕ができたのか、少し楽しかったと思えるようになっていた。とはいえ他の四人にここに行こうと誘うのは少々酷なことではあるが。


「さぁ、そろそろ行こうか」


 テオが準備をしてリリの元へやってきた。頭の上には懐中電灯のついたヘルメット、右手にはピッケル、背負うリュックにはまとめられたロープが顔を出している。まるでこれから険しい崖登りをするような格好だった。


「はい。君分のヘルメットだ。多少危険な道を通るのでね。サイズが合うかどうかわからんが、顎のベルとでなんとか調整しといてくれ」


そう言ってリリにヘルメットを手渡した。


「あっそれから…」リリは追い切ったように切り出した。


「この焼き菓子なんですが、まだ残ってるんでみんなテオさんにあげます。美味しく食べてくれていたので」


リリはリュックの中から三切れ分ほどの例の焼き菓子をテーブルに置いた。


「そうか…ありがとう。美味しくいただくよ」


テオがもう一つ何か言いたそうな表情だった。が、こちらも思い切ったように切り出した。


「あの…ラダさんは…今も元気がかい?」


「…はい。最近、あまり出歩かなくなりましたけど」


お互いに腫れ物が取れたように表情が緩んだ。それだけでお互いにそのことについて言葉を交わす必要はなかった。


********************


 空が赤らんでいく頃、村で一番大きい広場では男たちが数人、そろって真剣な顔をしながらで何かを話し合っていた。その中にはペトロ先生も含まれていた。


「一度あの場所へ向かう必要があるんじゃないか」「いや、できればあの場所へは行きたくない」「しかし、あの場所に居たらどうする」「鐘を鳴らしてみたが反応が無い。あの場所へ行ったと決まった訳ではない」


 皆「あの場所」のことについて話していた。大人たちは「あの場所」についてなにやら知っており、子供達には知らされていない。子供達がそれについて聞こうとすると、うやむやにされるか、「そのことを口にしてはいけません」とたしなめられる。子供達からすれば、知らされないまま大きくなり、大きくなってから急に知ることとなり、困惑したり振り回されたりする。そんなことを思いながらヤンは広場の大人たちを眺めていた。あるいは、同じく大人たちを眺めていたサラやタム、アメリアも同じことを思っていたのかもしれない。


「リリのことを喋ってるんだよね」


サラが男たちを眺めながらそう口にした。


「いくら探しても見つからないから、とうとう『あの場所』へも探しに行かなきゃならないかもしれないってママが近所のおばさんと喋っているのを聞いたわ」


アメリアが俯きながらそう呟いた。


「あの場所って?」


「そんなの知るわけ無いじゃない。大人たちは何も教えてくれないんだから」


タムの問いにアメリアはそう呆れた表情をしながら答えた。


 彼女自信が立候補したとはいえ、ヤンはリリを「ピクニック」の下見に行かせたことを心の底から後悔していた。心配なら止めればよかったのに、なぜ止めなかったのかと自分を責めた。


「あの場所でもその場所でもいいから探してないところをくまなく探せばいいのに…」


 そう口にしたアメリアも内心では、この状況で何もできない自分を責めていた。こんなことになるくらいなら、一緒に行ってもよかったかもしれない。


 大人たちは会話の中で巧みに「誰を」探しているか名前を伏せるようになっていた。つまりは探される側もそれだけの日数が経っていることになる。


「あの場所に…あの場所に行けばいいのね」


 アメリアは絞り出すように呟いた。他の三人が同時にアメリアの方を見た。彼女にとっての「あの場所」は他の三人にとっても「あの場所」だった。


「ちょっと待って、今から行く気?それは流石に危険すぎない?」


「じゃあサラはこのまま待ってろっていうの?もう三ヶ月も経ってるのよ!」


サラはアメリアの返しに黙ってしまった。そうなのだ。今からでも探しに行きたいのは皆同じなのだ。


「わかった。だけど、ちゃんと準備をしてみんなで行こう。行くのは明後日だ。それで文句はないだろう。アメリア」


アメリアは静かに頷いた。頬には細く光るものが見えた。

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