第12話 テオによる述懐 その二

 ヤンタリウムで「発電」された時、緑色をした粒状の発光体が飛散することはヤンタリウムが発見された頃から確認はされていた。古い言葉で「草の埃」を意味する「グラス・ストゥブユス」と呼ばれ、徐々それが短く略され「グラストゥ」と呼ばれるようになった。その頃は木を燃焼した時に出る煙のようなもので、グラストゥについても「発電」の副産物のように思われていたようだ。このグラストゥの解明についてようやくお動き出したのが百年ほど前とされている。


 枯れ木の下に積もった赤茶の落ち葉の一部に未だ落ちたばかりのような緑色の葉が水溜りのように集まっているのを当時の村人が発見した。その落ち葉の周辺にはグラストゥが浮遊していた。それを聞いたエフ社の研究者(仮名:ヒチル)が様々な生き物、物質を使って実験を重ねた結果、グラストゥの浮遊する周辺は時間の進行を遅らせることが発見された。発見したヒチルは研究所にいる研究員にのみこのことを打ち明けたが、まともに取り合ってくれなかった。だがそれは徐々に他の研究員にも認めざるを得なくなる。

それはごく単純な理由だった。ある日ある研究員(仮名:バレク)が彼にこう聞いたのだ。


「君は髪の毛が伸びるのは遅い方なのかな。それとも結構な頻度で床屋に行っているとか…」


すると彼はこう答えた。


「そう見えるかい?僕は半年髪を切ってないよ」


 バレクはその時、彼の下手なジョークだと思っていた。が、もう一月経ち同じ事を聞いた時に彼もまた同じことを答えたのだ。そこでヒチルの言ったことをある程度理解した。遅らせるとはそういうことかと。しかし、バレクはいい意味で、研究者としては並の人間だった。良き社員であり、ヒチルにとっての良き相棒だった。これを何かに活用出来はしないか。そんな言葉を、そんな発想を、危惧した本人が身をもって見せた事例を前にして言えなかったのだ。


 時を同じくして似たような報告と懸念の報告が社内から多くもたらされた。そのなかには私が「発電機」の側で育てている植物に関することも含まれていた。その後多く社員が辞職した。そして、辞めていった元社員のリークによりヒチルの研究結果は村や村の外にまで波及し、ヤンタリウムによる電力供給に世論は疑問符を投げかけ、やがて一部の大規模施設を除き縮小の一途を辿った。鉱山の採掘規模も最盛期の一割を切る有様だった。


 そんなゴタゴタの間に、やっとの思いでラダにデートの約束をしようと画策していた私は、終業時間も近くなった頃、同じ建物の外商課の階へ向かった。今回は仕事で赴くものではない。人もまばらな外商課にいる事務員に彼女の所在について聞いた。するとなんとも残酷な返事が帰ってきた。


「ラダ・マイエルさんはもう先週付けで退職されましたよ。なんでもうちでこんな状態で、希望退職を募っている時に村外でいいし働き口をみつけたらしいんです」


私は頭が空っぽになった。唐突に大声で笑いたくなったくらいだ。


「本当にちょうど先週の今頃に『お世話になりました』と挨拶をして去っていったんです。入れ替わりというやつですね」


事務員は私が彼女に何を伝えたかったかとまるで判っている風な言葉を返したものだから、私の中で本当に笑いが込み上げてきて、事務員以外で残っているし社員もち遠巻きになるくらい大声で笑ってしまった。ヤンタリウムとグラストゥは時間の流れ以外にも私の大切なものを奪っていった。


 その後、エフ社が募った希望退職者が次々に辞めていく中、私は社に残る決心をした。ラダへの失恋の数ヶ月後、私は「発電」の事業縮小の中続けられていた大規模施設(ここでは社内機密のため『どこへ』なのかは言えない)へ送電される発電所へ配属された。とはいえヤンタリウムがかってに発電するわけである。こちらはそれを監視し、何か異変があれば本社へ連絡するという以前と比べれば、とてもわかりやすい仕事だった。驚くべきは一緒に働くことになった仲間の方である。研究所から飛ばされたヒチルとバレクだった。発電所への初出勤の時に、私は面識はあってもそれほど深く関わりがあったわけではない彼らにあいさつを交わしたが、両者ともどこか魂が抜けているというか、意気消沈という言葉が一番合う表情をしており、グラストゥに関する騒動で彼らが受けた仕打ちが相当なものだったことを物語っていた。特にヒチルは髪もボサボサで髭も手入れをしていないようだった。


 総務部の頃と比べると発電所の仕事は退屈そのものだった。何も起こらないのである。私たちは交代でヤンタリウムが入った大きな発電機器とその手前にある計器類と日々睨めっこをし、日報にただ「異常なし」と書いて退社するのだった。その間に誰かが訪れることもない。交代の引き継ぎの時に言葉を発するくらいであとはずっとだだっ広い部屋で何も喋らない。


 ある日、私は迫る退勤時間の手前で日報を手にしていた。珍しく三十分程早く出勤してきたヒチルも同じ部屋にいた。私はそこでいつも通り日報に「異常なし」と記した。するとそれを見たヒチルは耳をそば立ててやっと聞こえるくらいの声でこう呟いた。


「嘘だ。ずっと異常だらけじゃないか」


 私はその言葉に聞こえないふりをしてその場を立ち去った。だが、かすかに聞こえたその言葉は私の頭の中を居座り、寝る間際のベッドの上ですら泳ぎ回った。そうだ。毎日グラストゥの囲まれた中で「異常なし」と書いていることの方が異常なのだ。


 次の日、私が出勤するとバレクが見たこともない形相と慌てふためいた様子で私に話しかけてきた。


「おい。ヒチルが死んだ。制御室の外で首を吊っていた。書き置きもあった」


私は驚きのあまり言葉が出なかった。少ない形式的な言葉を交わすのみの関係ではあったが、お互いに仲間意識のようなものは造られつつあったのだ。遺体は普段休憩室に使われる小さな部屋に安置された。バレクは通報したのに警察が来ないとイライラした様子だった。次の日、警察官と諸々の手続きを済ませ、チヒルの遺体は家族の元へ引き渡された。後にわかったことだが、発電所ここが現場だとわかった時、どの警官もここへ来ることを躊躇したらしい。ここにヒチルが自ら命を絶った原因があるのではないか。私自身も村にある自宅へ帰る途中、すれ違う村人から奇異の目で見られることは多々あった。その数日後、「すまない。もう耐えられない」という書き置きを残し、バレクもここへ来なくなった。


 グラストゥの身直に身を置く人間への村人の目は二人の人間を発電所から立ち去らせた。私自身も例外では無くなりつつあった。ここに居続ければ人が人じゃなくなる。そんな意識が植え付けられ、異常な速さで成長し続ける。


だが、私自身の変化より残酷なのは世間だった。


 休みの日、私は久しぶりにリンガン村にある行きつけの商店に足を運んだ。そこでは毎回三ヶ月分の紅茶のティーバッグを買って帰るのが習慣になっていた。引き戸を開ける生活雑貨と食料品が並ぶ棚の奥に店主のマダムがレジ番をしていた。これもいつもの光景だった。マダムは以前来た頃と比べると少ししわが増えただろうか。


「やぁマダム。紅茶の百パック入りを十箱、今回も頼むよ」


私はいつもの調子で紅茶を頼んだ。ただ、その時のマダムはどうも様子がおかしかった。愛嬌の良さが売りのマダムがこちらを見ず顔を逸らし続けるのだ。マダムは私が注文した商品を出し、こう言った。


「悪いけど、もうこれっきりにしてもらうよ。こちらも商売をやっているんでね。風評被害が出ちゃ困るんでね」


私はマダムの言っている意味がわからなかった。風評被害とはどういうことか。


「どういうことです。お店に対して何も悪さなんてしてないですし、風評被害なんて言われる筋合いはないでしょう」


「とぼけるんじゃないよ!あんた、エフ社のところ社員だろ。グラストーってのに冒されてるのは知っているんだ。そんな人間がこの店を出入りしているなんて村の人間に知れたら、こちとら商売あがったりなんだよ」


私は言葉が出なかった。様々な情報が駆け巡り、突然すぎる今の状況に対処できないでいた。


「確かに私はグラストゥに囲まれた環境の中で仕事をしています。しかし、それだけでなんでこんな仕打ちを受けなければならないんですか」


「そいつに囲まれたところにいると、時間が遅れるというじゃないか。そして関わった人間も含めてゆっくりと体を冒されて死ぬそうじゃないか」


外部のへリークされた情報はめ世間に巡り巡った結果、いらぬ分厚いこけまといながら村中を転がっていたのだ。


「こんな状況だから言いますが、死へ追いやるなんて研究結果なんて出てません。実際にそれらの情報はどこから出たものなんですか」


「ふん。村を出るという元社員から話を聞いたし、村のみんなもそれに似たことを聞いたと言っている。あんたらの会社は私たちにいろいろと隠しているだろう。実際はもっと悪いことが起こるんじゃないのかい」


人は良い知らせと悪い知らせなら悪い知らせの方を信じる。悪い情報を知って現実を知ったふうになりたがるものだ。そんな人のさがに呆れる気持ちと、今までのマダムとの関係に戻したい気持ちもあって必死に弁解方法を考えたが、気持ちがたかぶって逆に何も言葉が出ない。


「とにかく、代金はいらないから商品を持って出ていっとくれ」


私はレジのカウンターに半ば叩きつけるように紅茶の代金を置いて早々と出て行った。マダムが引き戸をきつく閉めた音が外いっぱいに響いた。冬の風が体にしみいる頃だった。


 家への帰り際、どの商店にも「エフ社の社員お断り」という趣旨の張り紙がしてあった。


 町の規模であれば締め出しを訴えるデモがあったかもしれない。だが村にはデモよりよっぽど効果的な「村八分」という締め出し方法があるのだ。


 ヒチルもバレクも、今まで親しかった人たちにこんな仕打ちを受けたのかもしれない。それは逃げたくもなるだろう。死さえ選んでしまうだろう。私は帰路、涙が止まらなかった。悔しさと悲しさが入り混じっていた。


 ただ、私は村の外に逃げることも死を選ぶこともしなかった。私自身、このリンガン村で生まれ育ち、この一見のどかで風の絶えない村を愛していたからだ。だが、もう村で住む気持ちにもなれなかった。村人にも会う気になれなかった。そうなると選択肢は一つしか無かった。それは管理棟に住むことだった。衣食住を出来るだけ周囲で賄えるように準備をし、よっぽどのことがない限り、村の方へは降りないようにしたのだった。

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