第6話 地面の唸り声

 リリは今まで駅というものをその目で見たことがなかった。社会の授業で調べものをした時に資料集の本に載っていた写真が駅の知識だった。たくさんの行き交う人、高い天井に日光で映えるステンドグラス、案内板に表示されるいろんな都市の名前。出発時間までに切符を買い、その列車に乗れば、その場所から知らない場所だって行ける。リリにとって夢みたいな場所だった。


 この村の規模を考えれば、本に載っているような駅が存在するには無理があるとはいえ、少し大きな家の門のような入り口とその先に続く降り階段にリリは本当にここが噂の廃駅なのかすら疑わしくなってしまった。石造りの入り口の右側には分厚い銅板の看板が無造作に置いてあり、そこにはこうか書かれていた。


『ユス・バイラン駅』


「ここか……」


 リリは身震いがした。未踏の地を踏む高ぶりと、入り口の向こう側が暗くて先の見えない恐怖、両方の震えだった。ただ、リリの心の中に危険そうなので引き返すという選択肢は無かった。危険かどうか、皆を連れて来られるかどうかは中に入ってから判断すればいい。リリは一歩を踏み出した。


 石造りの階段はカーブの形を描きながら暗がりへ導いてくれた。降りるにつれてカビと埃の臭いが強くなり、それを拒否するように光の量が次第に少なくなっていく。リリは途中、懐中電灯で光を灯した。周りは壁だらけで、時々ヤモリが天井へ這っていく。このまま行き着く先は倉庫のような無機質で薄暗い空間であって駅など元々無かったのかもしれない。坑道と同様、ある場所へ通す役割を持つだけでその道中に通る人を楽しませたりさせるような仕掛けが一切無いこの階段の道は、そう想像させる説得力を十分持っていた。途中で階段が何かが原因で抜け落ちているかも知れない。そんな理由でリリは念入りに足元とその先にある段を灯しながら進んだ。もし仮に穴のようなところがあって落ちたりすれば、下見どころか大怪我をしてしまう可能性だってある。懐中電灯の光を階段に灯すとポツポツと小さな石ころが落ちている。天井に光を当てると、かつて天井から明かりを灯していた電球の居場所になる傘が等間隔で階段の進路沿いに連なっていた。階段の隅には湧水が漏れて適当に書いた筆書きのようにくねった線を描いている。


「何しに来たんだろう……私は」


 小さな光で足場を確認しながら進むリリに周りを眺めながらノスタルジーに浸る余裕はなかった。何せ自分の周りより向こうが見えなかった。少しでも視界があればそこからどう進むかの目測ができるが、それすらもできない。自分の足音が重なって響く。歩いて前へ進むことが、これほど手間がかかり困難な作業だったことか。


 大きなカーブが一回りする頃、階段の先に一筋の光が見えてきた。自分の頭に乗っかった小さな懐中電灯の光以外の、明らかに太陽から差す光を見つけてリリは安堵を感じた。この先に何かある。あるとすれば駅の施設、プラットホームや詰所、線路など。そんな想像をするとリリの心の中は、ちぢみきったスポンジに一滴の水を垂らした時のような、わずかな期待を湿らせることができた。


 階段のトンネルを抜けると、先ほどまでの狭苦しい道と違い、二階建て程の高さのある天井、木造の三つの窓口、二つの囲い式の改札口があった。その奥には一本の長いホームに二本の乗り場があった。ホームの側には切符売り場と繋がった、木造の駅舎が建っていた。その先は薄暗い、トンネルへ続いているように見えた。


「ここがユス・バイラン駅だった場所か」


 埃臭い、実際に埃だらけの廃駅をリリは見渡し、感嘆の吐息を漏らした。本で見た駅とは規模も違うが思っていた通りの駅なのかもしれない。


 ここまでならみんなで冒険気分とちょっとしたノスタルジーなら味わえるかもしれない。リリはここで一旦引き返し、改めて駅と山道を結ぶ暗いトンネルの中を確認して帰ろうと考えていた。


 そのとき、震える低い響きをリリの全身を襲い、さっき降ってきたトンネルの方から岩の崩れる音がした。音は人ひとりの足音も声すらもかき消して、切符売り場と改札口のある方へ目掛けて突進する。落盤の岩は駅へ直接流れ出ることはなかったが、砂埃と多少の石ころによってその存在感を示した。リリはトンネル内の階段を降りる途中に見たまばらに落ちる石ころを思い出した。そして、今自分が置かれている状況を察知した。


「どうしよう……」


リリの足は震えが止まらなかった。が、次の瞬間、出口らしき場所を探すために駅の奥に進む判断を自らに下した。この時ばかりは、自らの放浪癖で身についた冷静さに感謝すべきかもしれない。彼女は心の中で少し笑った。

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