#30 やっと会えたな秋乃




翌年の冬。




『堕ちた少年の肖像』という一冊の本が出版された。

あの秋から約一年が過ぎてそれを受け取ったわたしはおずおずとページを捲る。



ばっさりと切った髪は割と好評。

夏音ちゃんと一緒に美容室に行ったのがもうすぐ一年になるなんて早いな。



はじめに。


倉美月春高という少年がいた。

幼少時から子役として活躍をしていて、その時期に氷雨秋乃と出会った。

初共演を果たしたドラマの視聴率は低迷のままだったが、その後の彼らの物語に深く影響を与えたことは否めない。

倉美月春高と氷雨秋乃は同じような境遇を経験し、価値観を共有する友として現在も親交を深めている。どうぞ二人をそっとしておいて欲しい。

なお、倉美月春高と氷雨秋乃以外の人物は仮名とする。



冒頭を読み返して、改めて過去のことを思い出した。



読み終わった感想として。

脚色がなく忠実に事実がつづられていた。事細かい取材が何の役に立つのだろうなんて思っていたけれど、こうして読んでみるとノンフィクションなのにドラマチックに描かれている。紫龍立樹が売れる理由が分かるわぁ。



歌は……実はボイトレはまだ続けている。何かを狙っているわけではないけど、習慣だからやらないとムズムズしちゃう。それにダンスも。

春高さまは相変わらず憎まれ口を叩くけど、すごく優しいんだ。

出会った頃が嘘みたい。



母屋に上がってリビングでくつろぐ春高さまのとなりにさりげなく座った。

チラッとこっちを見たけど、何も言わなかった。



「あれから一年かぁ~早いような」

「だな。なあ」

「うん?」

「SNS見たか?」

「うん」

「あの本、割と反応すごいのな」

「読み終わった?」

「ああ。まあ、今更どうでもいいよな」

「そうだね。なんだか忙しくしていたのが嘘みたいだもんね」



共通の趣味を持つわたし達は互いに無言で読書をする時間が増えた。となりにいるのが当たり前のような関係で、まったりと毎日を過ごしている。



『あの本に書かれていることが事実だとしたら、花月雪さんはすごい人ですよね?』

『ええ。証言も取れているとのことですし。経過を追いたいと思います』

『倉美月くんの事故の件もSNSを中心に同情の声が上がっていますよね? その辺の見解も——』



春高さまがテレビの電源をプッツンと切った。今朝から何度も見ている情報にうんざりしているのもあるけど、それ以前に誰かをけなさないと済まない社会の声に耳を傾けたくないって春高さまが漏らしていた。



「読書の邪魔だしな」

「そうだね。ねえ、アイス食べに行きたい」

「これ読んだらな。ああ、そうだ。今更だけど『君負け』のMV再生回数が花月雪の全曲を合わせた再生回数を抜いたらしいぞ。記録的爆進とかなんとか」

「今更だよね。わたしは別にいいや」



花月雪に逆風が吹き荒び、彼女は風前の灯火らしい。

このままフェードアウトするだろうって社長は言っていたし、天野星陰は女性関係で不倫がバレて謝罪に追い込まれている。

致命的なのは、作曲した楽曲が結婚情報誌のCMに使われていたことだ。

契約問題で賠償金を支払う羽目になったとか。

もう興味ないけれどね。

わたしも、春高も。



木枯らしが吹きすさぶ。

いやぁ。寒いよぉ。



「このクソ寒いのにアイスとか頭のネジ外れてないか?」

「でも、春高だって食べたいんでしょ?」

「食いたくねえ……」

「そう言って結局食べるじゃん」

「お前が無理やり食わせるんだろうが」



ネーキッドオータムカフェで二人で三つのアイスを食べて、さらに身体が冷えてホットカフェラテを飲んで。



帰りのバスの中で何を血迷ったのか春高さまは「なあ、俺ユーナのことたまに思い出していたんだ」なんて言い始めた。でも、よく考えたらあの本を読んだからだよね。

わたしも、思い出して胸が苦しくなったし。

春高さまはわたしなんかよりももっと感慨にふけっているはず。




「もしかして好きだったとか? 初恋とか」




茶化して言ったつもりだった。

昨年、プールに行ったときに夏音ちゃんがチラッと言っていたことが本当ならわたしにも一縷いちるの望みがあるじゃん、なんて。期待なんてしていないけどさ。



「ああ。好きだった」

「——え?」

「あの頃のお前はなんだか弱々しくて、俺が守らなきゃなんて思っていた」

「そ、それって、桧山友奈ひやまゆうなのことをだよね?」

「ああ、実際そうしたし、お前を大切な存在だと思っていた」

「……うん」



自分でも呆れるくらい混乱を極めた。

わたしが桧山友奈なんだっけ、とか。

わたしと誰かを間違えていない、とか。

悲しいくらいに自己肯定感が低空飛行しているから、余計にそう思っちゃう。

だって、あの春高さまからまさかそんなことを聞けるなんて思わないでしょ。普通。



「そうだ。なあ一回しか言わないから聞いてくれ」

「う、うん」

「俺……秋乃の……」



こ、こんな場所で告白なんて。

待って、心の準備が。

どうしよう。どんな顔したらいい?



バスの中で告白なんて斬新すぎる。

やばい。顔が熱い。あんなに冷えていたのに火が出るくらい熱いッ!!

ちょっとはシチュエーション考えてよ、もうッ!!




「秋乃のラノベ……にコーヒー零した……す、すまん」

「は? はああああああああ?」




バスの中はお静かにお願いします。という張り紙があるにもかかわらず、声が出てしまった。乗客が誰もいなかったことが幸いしたけど。

いや、なんなのそれ。じゃあ、桧山友奈のくだりはなんだったわけ!?



こっちは身構えていたのに、あんまりじゃない?



「昔のよしみということで、許してくれるよな?」

「ぜっっっっーーーーーーーーーったい許さないッ!! 今日こそ許さないからッ!!」

「分かったよ。仕方ねえ。買って返せばいいんだよな。一三〇〇円か、クソッ!!」

「クソとは何よ。ほんっとに最低ッ!!」

「はあ? 最低なのはお前だろうが。昨日の風呂掃除サボって忘れたフリしやがって」

「それは春高が順番間違えたから、敢えて戻そうとしてでしょッ!!」

「知らねえよ。お前はジャイアンかよ。勝手にルール作んなッ!!」

「そのお言葉そのままお返しします」

「「ふんッ!!」」



距離感が近い。

喧嘩するほど仲が良いとはこのことで、睨み合っている距離はもう少し近づけばキスができちゃうくらい。

春高さまは……とは、これくらいでちょうどいいのかも、なんて思い始めている。



「秋乃。この味噌汁不味い」

「知らないわよ。だって味噌が減塩のしかないんだから」

「味噌じゃなくて、出汁だしが効いてねえ」

「わたしは充希先生じゃないからね? 春高の好みなんて分かるかって」

「俺の当番のときは美味いのに、お前の番は地獄だなッ!?」

「な、何様よコイツ! この料理オタクッ!!」

「黙れ、この不器用女ッ!!」

「「ふんッ!!」」






その夜、最近帰ってこない社長からわたしに直接電話があった。

内容を掻い摘んで話すと。





復帰しないか?




ということだった。

今度は無条件。ただし、住居は東京に用意するというものだった。

つまり、高校卒業と同時にこの家を離れることとなる。





どうしたらいい……?





春高さまに想いを告げないまま……出ていくことになるなんて。

なら、歌とダンスは諦めて。このまま過ごすのも……。





いや。






春高さまは絶対に背中を押すだろうし、わたしがくすぶったままでは叱責しっせきするだろうな。

ぬるま湯に浸かったような今の生活に……いよいよ終止符を打つときが来たらしい。



あれ、なんで。

こんなに目頭が熱くて。




涙が止まらない。




離れたくない。

もっと、いっぱいお話したい。

もっと、いっぱい見ていたい。




君が味方なら、僕は負けてもいい。




その言葉の意味は……違う。

君が味方なら勝利なんだ。勝負はあくまでも君と一緒にいること。

だから、他のことをないがしろにしても、君と一緒にいたい。



けれど、きっとこのままでは一緒にいてくれない。



離れたくない。




もっと一緒にいたかった。









卒業式の日を迎えて、いよいよわたしは旅立つ。

桜はまだ蕾のまま。ポカポカと温かい陽気の中、家の庭には桜の木と梅の木が並び立つ。

梅の木はきれいなピンク色の花を咲かせて、小鳥たちが止まって鳴いていた。




「わだじ……ごめん。いきだくない」

「ばか言え。今度こそ成功しろよ」

「はるだがぁぁぁ」




溢れる涙をそのままに、春高さまに飛び込んだ。仕方ないやつだなって言ってわたしを受け止めてくれた春高さまは、恐る恐るわたしの頭を撫でてくれた。

初めてだね。




撫でてくれたの。




「またいつでも来いよ」

「うん。毎週来るから」

「そんなに暇があるわけねえだろ。まあ、時間に余裕ができたら来いよ」

「うあああああああああああああああああああああん」

「泣くんじゃねえ。ったく」



そういう春高さまも声が震えていた。

充希先生と春夜先生は気を使って家の中に入っていったけど、どうせ視界に入らないからいてもいいのに、なんて思ってしまう。



色んなことがあったな、って思う。まるで夢のような時間だった。

憧れの倉美月春高という人がいて、優しい家族がいて。

罵りあって、パフェを食べて、アイスを食べて。

幾度となく、一緒に登下校してくれて。



ああ、わたしを守ってくれたんだよね。あのときは男らしいなって本当にカッコよかった。

一緒にダンスをしてくれて。

きっと辛かっただろうに。




いつも、わたしの残すアイスを食べてくれて。




大好きだよ。春高。

わたし、ここで過ごした時間絶対に忘れないから。




「秋乃」

「……はい」

「待っているからな」

「バカッ!!」

「なんで怒るんだよ」

「こういうときは優しくしないで」

「……好きだ」

「え?」





——お前のこと好きだ。





春高が髪をくしけずった。優しく。わたしの前髪を。

風で乱れた髪を直してくれて。




君から視線を外すことが出来なかった。

目を離したら……いなくなっちゃう気がして。




「わたしも……春高のことが好き」

「バカだな」

「なんでバカなのよッ!?」

「いや、俺のことだ。もっと早く気持ちを伝えれば良かったのに」

「……ごめん。わたしも」




春高は腕を伸ばしてわたしを引き離した。




「もう行け。これ以上は辛くなる。じゃあな。元気でな」

「春高も、大学がんばってね」

「お前もな」





迎えに来た車の窓を開けて、手を振る彼が見えなくなるまで手を振り続けた。








三年後。




氷雨秋乃のステージにサプライズゲストが登場した。

ゲストは世界的に有名なパフォーマンス集団に属する、今や世界を駆けるダンサー。



氷雨秋乃のステージが沸いた。



彼が姿を見せたのは約二年ぶり。ネットニュースのトップに躍り出るほど人気を博す彼がまさか氷雨秋乃のステージに現れるなんて誰も想像し得なかった。



久々の再会を秋乃は心待ちにしていた。




「よぉ。秋乃久しぶりだな」

「元気してた? 春高」



会えない時間は毎日ラインをして。

少しの時間でも声を聞いてくれて、聞かせてくれて。

電話越しに罵り合って。



喧嘩して泣いて。謝って。笑って。

彼女が居候していた時間よりも長い期間会うことが許されなかった。



本当に長かった。



二人はそれでも互いを思いやった。




観客が見ている前で、けれど抱き合った。

それも一分近く。

永遠にも長く感じた。




彼が現れた理由は……。




「俺と結婚しよう」

「はい、喜んで!」





その後、二人は恋人となりやがて結婚をして、引退。

今は慎ましくダンススクールを開いてまったり生きているとか。








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大炎上中の推しがなぜか家に住み着いて色々と困っています。誰か引き取ってください。【元推しはプロデューサーにNTRのようなので乗り換えます事案】 月平遥灯 @Tsukihira_Haruhi

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