再び生えた牙

 イルバナが寝室で起きた。両目には涙の跡があった。寝てる間に自然と流れていたらしい。その湿り気を手で拭き取った。病気の時にムロウは同じベッドで寝ないと決めていたのでムロウに知られることは無いだろう。

 だが杞憂かもしれないとイルバナは思った。知られたとしてもムロウは何も感じないかもしれない。第一、昨日同じベッドで寝なかったのは別の理由がある。


 一応ムロウは昨日、夕ご飯を作って持ってきていた。その時に交わされた会話は無く、ムロウは淡々と帰っていった。

 イルバナはベッドから身体を離して立った。今まで寝たきりだったので立つのはずいぶんと久しぶりな気がした。そしてイルバナは、その先にムロウがいるドアへと手をかけて開けた。


 リビングには料理の匂いが漂っていた。机の上を見ると、2人分の皿の上にウィンナーや卵などを使った料理があった。

 2つの椅子の片方に座って、まだ目の前にある食事を食べていないムロウがイルバナに反応する。


「昨日はごめん。言い過ぎた」

「私が悪いんだよ。謝らないで」

「それから……病気治っておめでとう」

「ありがとう」


 二人の会話に覇気が無い。ムロウはあんな事を言った手前まだ接し方が分からずボソボソという風に声を出す。イルバナの方も距離感が掴めず接し方が奥手になってしまう。

 二人は一緒に食べ始めたが、その食事に会話は一切ない。耐えられなくなったイルバナが話しかける。


「ムロウが作ったの?」

「うん……」

「よく出来てる、よ」

「ありがと……」


 そこで会話が途切れた。そしてもう食事中お互いに会話することは無かった。二人とも気まずく辛い気持ちを持っていたのは同じだった。

 朝食が終わるといつも通りにムロウが皿を片付ける。しかしいつも交わしていた何気ない会話は無い。ただ淡々とムロウが皿を台所に戻しに行った。

 そのままムロウが台所で皿を洗い出す。大きな桶に水を張らせてジャブジャブと手洗いをする。

 イルバナが台所をドア越しに話しかける。


「ムロウ、ちょっと出かけてくる」

 ムロウはそれに返事をしない。寂しそうにカツカツとドアから離れる足音がムロウに聞こえ、心の中を誤魔化すように皿を洗う手が早くなった。



 イルバナはギルド施設へと足を運んだ。ギルドミッションをチェックしに来たのだ。クエストが貼られている横長の掲示板の前に立った。

 復活したてなのでなるべく簡単なのがいい。Aランク以上限定のような高難易度クエストはしたくないし遠征クエストもやりたくない。ウォームアップとなるようなクエストを探していた。

 イルバナが1人の時にやっていたようなクエストの数々を眺めて、どれにしようか、と悩んでいると後ろから声をかけられる。


「イルバナ! 元気になったか!」


 その男の声で振り返ると、そこには以前イルバナとパーティとして組んだことがある三人がいた。Sランクのパーティで皆イルバナと引けを取らない強さを誇っている。

 声をかけてきたのはその中でリーダーとなっている髭面の大男だ。


「あっ、お久しぶりです」とイルバナがにこやかに答える。

「心配したぞ? 高熱って聞いたからな」


 そう大男が言うと女のパーティメンバーが入ってくる。


「うちの知り合いのお父さんは風邪で死んだからもう焦っちゃったわよ。イルバナ死んじゃうの〜って思って」

「いえいえ大丈夫でしたよ。なかなか歯ごたえはありましたけどね」

「あれ、いつも一緒の奴隷がいないな。どうしたんだ?」ともう1人の細身の男が言う。


 その質問についドキリとしたが冷静を装う。


「看病で疲れただろうし休ませてるんです。ずっと付きっきりで看病してくれたので」

「はー。奴隷と仲良いんだね。俺なんて奴隷と家で話すことなくて気まずいんだよ」と細身の男が自虐する。

「ははは。根気ですよ、そこら辺は」とイルバナは笑顔を絶やさない。


 大男が思い出したように口を開いた。

「そうだ、イルバナ。こんな時にする話じゃないかもだが、もしまだ戻る気があるならいつでも声をかけてくれよ」

 大男がそう言うと女が続いた。

「そうよ。イルバナなら大歓迎だからね」

「ありがとうございます。考えておきますね」


 それを聞くとSランクのパーティは去っていった。細身の男が軽く手を振ったのでイルバナも振り返す。

 考えておくとは言ったものの、パーティというものにしっくり来なかったイルバナに戻る意思はあまり無い。

 そんなことを考えているとふと頭の中で自分の発言を思い出していた。


『ははは。根気ですよ、そこら辺は。』


 イルバナはパチンと両手で両頬を軽く叩いて気持ちを引き締めた。


 イルバナが帰ってくると机で本を読んでいるムロウと目が合ったがムロウは無愛想にすぐ本に目を戻した。

 その様子を見て、イルバナはムロウにもうほぼ嫌われてることを感じ取る。


「ムロウ。明日のクエストを取ってきたよ」

「分かった」とボソッと呟くように言う。

 イルバナは笑顔を作ってムロウと向かいの椅子に座る。そして明るく話しかけた。

「あっ。その本いいよね。戦争モノだけど切なくて」

「うん」

「私はアレかな、あの、上官と息子の関係が好きでさ〜……」

「……そうだな」

「あと、あの……」

「なに?」

「えっと…………」


 イルバナの顔からだんだんと笑顔が消えていき、ついに声を出さなくなった。ムロウはあえて意識してないのか黙ったままだ。

 二人はしばらく本のめくる音しかしない部屋の中で向かい合った。するといきなりムロウが話しかける。


「あのさ……」

「ん? なに?」


 食い気味に身を乗り出して話を聞くイルバナ。ムロウは不自然さを感じるくらい頑なに本から目を離さないで喋る。


「クエストって何やるの?」

「ああ、そのことか。ええっとね、北の方の森でニジキノコを取ってくるんだ。その森は毒とか麻痺になりやすくて、モンスターよりもそこの部分で苦戦するよ」

「ニジキノコ?」

「悪いけど、植物は専門外なんだ。ごめんね」

「いや、謝ることじゃないから」

「そっか、ははは……」


 またしてもリビングに静寂が訪れた。ムロウが逃げるように本の文字を追うのをイルバナは眺めていた。



 翌日、二人は北の森に着いた。街から歩いて二時間かからないくらいにある距離の森だった。すぐ近くに町があったのでそこで十五kgほどの荷物を軽く点検した。

 その点検の時も必要な会話以外しなかった。それどころか、昨日の荷物の準備でも朝起きた時も移動中でも必要じゃない会話なんて無かった。


「ムロウ、気を付けて行くよ」

「うん」


 2人は森の中をどんどん進んで行った。その間ももちろん無言。

 時折遭遇するモンスターを倒しながらニジキノコを求めてだいたい1時間くらいだろうか。あるところでイルバナがふと話しかける。


「暗いね。探しづらいなあ」

「そうだな」

「……ムロウ、足元大丈夫? ここは特に転ぶと危ないらしいんだ」

「大丈夫」


 ぶっきらぼうに応じるムロウを見てイルバナは出会った時のムロウを思い出す。

 やはり今も裏切りを画策しているんだろうか。その考えがイルバナの頭に降りてきたが、イルバナは即座に振り払った。


(いやいや。私がムロウを信じなくてどうする。ムロウは私を信じてないのに、私が信じなかったらもう私たちが仲良くなるなんて出来ないんだ)


 イルバナがムロウとのことを考えながら歩いていたのでつい足元が疎かになってしまった。イルバナがふらついてずっこける。

「イルバナ?」とムロウの素が出てつい声をかけた。手を伸ばそうとまでしたがそこで己の感情が食い止めた。


「転んじゃった。気をつけてって私が言ったのにね」


 イルバナは自嘲しながら立ち上がろうとする。しかし足が思うように動かずまたコケてしまった。イルバナが自分の身体をよく見ると手や膝が擦りむいて血が出ていた。

 この森の草は麻痺の効果がある。直接触れてもなんともないが傷口から入り込めば麻痺になってしまう。

 植物の魔力による麻痺なので麻痺ポーションで魔力を取り除けばすぐに解除できる。


「麻痺になったみたいだ。ムロウ、ポーションを出してくれ」

「……」


 それを聞いたムロウはただ見ているだけで何もしない。いや、動けないイルバナの様子を見て考え事をしていた。

 イルバナはリバス城の時のことを思い出した。あの時のムロウのように顔をしかめてないが、今のムロウの雰囲気はその時と似ていた。

 イルバナは優しく語りかける。


「ムロウ、頼むよ。信じてるんだ」


 ムロウはまだ考え事をしているのでまだ無言のままだ。

 イルバナの中でムロウは必ず助けてくれると思っていた。そう信じていた。だがムロウから出た言葉はそれを裏切るものだった。


「そういえばさ……雇い主が死んだら首輪ってどうなるんだ?」

「え……?」

「確かこの世に所有者が居なくなった魔力は消えるんだろ?私の考えでは、首輪の魔力が自然と消えて勝手に取れると思うんだ」


 呆然とするイルバナをよそに話を進めるムロウ。


「よく考えれば、リバス城の時も我慢比べなんかしないでそのまま逃げれば良かったかなぁ……。いや私だけじゃ城から出れないか。ここと違ってあそこはモンスターが強い」

「…………そうだよ、ムロウ。私が死んだら首輪は取れる。でも、本気なの?」

「うん。家族が待ってる。アンタはどうしたって外してくれないんだろ? アンタを助けるって条件で外して貰っても、イルバナは無理やりに首輪をつけてくる」

「やめてよ。だって死にたくないんだ」


 必死だったイルバナだがあくまで笑顔でムロウに接する。その笑顔と言葉の内容のギャップが意図せずムロウの判断を鈍らせる。


「ムロウはさ、私のこと死んでもいい人間だって思ってるの?」

「…………」


 ムロウがイルバナから目を逸らす。ムロウが頭の中で必死に覚悟を決めていた。『善人を意図して見殺しにする選択』をする事になるなんて奴隷になるまでは思っても見なかった。


「正直に言う。イルバナは優しいよ。いい人だ。仮にも私が愛したくらいには……」


 ムロウの抵抗の心が自由を求める心に徐々に屈服する。脳裏にはイルバナの笑顔より家族の笑顔の方が写るようになった。ムロウがイルバナの笑顔を家族の笑顔で無理やり塗りつぶしている。

 少しの間を置いて、ムロウの決死の鋭い目がイルバナに向けられた。


「だけどあの嘘は許せない。……ごめんよ」


 その言葉は力強かった。しかしそれを聞いてなおもイルバナは笑顔を張ったままだった。

「ムロウ。お願いだよ」

 ムロウはその言葉を無視して森の外へと歩いていった。イルバナは、歩く振動で大きな耳を揺らすムロウの後ろ姿を呆然と眺めていた。


 ムロウの姿が見えなくなってからイルバナは行動を起こした。左手の手袋の手首に備えつけていた錠剤型の小さい麻痺ポーションを飲む。

 こういったクエストをイルバナはムロウと出会う前までやっていたのでこの森にも何回か来たことがあり、一人で助けが無い時に麻痺になった場合の備えはしてあるのだ。それがイルバナのつけている特注の皮手袋で、麻痺になった時でも少ない力さえあればすぐ飲める。


 と言ってもムロウと出会ってから手袋に錠剤を仕込んだことはないのでムロウはその存在を知らなかった。

 イルバナはムロウを信じていた。だが万が一を想定しない馬鹿では無かった。

 イルバナはゆっくり立ち上がった。


「ムロウ……。行かないで、待ってよ……」


 イルバナがふらふらと森の外を出る。満足二太陽の光を浴びられたその時、心臓に突然襲ってきた大幅な負荷がかかる感覚を最後に気絶し、その場に倒れ込んでしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る