寛解

 ムロウは荷物の入った紙袋を持って繁華街を歩いていた。冷たい街の住人の視線を浴びながらお使いをこなす。

 だが以前とは違ってそれに対する嫌悪感をは減っていた。慣れもあったかもしれないが、一番影響したことはイルバナの奴隷として生きていくと決めたからだ。


 二人の仲は格段に良くなった。外面はご主人様と奴隷という関係に見せているが、二人きりになるとお互いの愛を確かめ合っていた。ムロウはイルバナの前ですらあまり表に感情を出さないが、イルバナを愛する心は強かった。

 イルバナの話だと、どうやら雇い主と奴隷が恋仲になるのは珍しいがその話を全く耳にしない程ではないらしい。貴族のご子息が奴隷とそういう関係になることもあったとか。

 ただ国から奴隷との恋愛禁止のお達しが国中に出されていた。仮に気付かれたとしても空気を読んで街の人達が国に告げ口することはないのだが、建前的にご主人様と奴隷の関係を守るように心がける。


 あの日以来キスもするようになった。ムロウにはもう侵食される恐怖など無く、むしろムロウから誘うこともあった。イルバナが不意に流れでキスするのに対してムロウはいちいちぎこちない断りを入れてからキスをする。

 ムロウはいつもキスし終わった時にふとかげるイルバナの顔を見る。その顔の理由が分からないので少し悶々としていた。


 最近の2人は一緒に買い物に行くようにもなったが、今日は事情があってムロウ1人だけが買い物に出ていた。帰ってきたムロウが袋をそのままに寝室に直行した。

 寝室のベッドにはイルバナが苦しそうに寝たきりになっていたが、ムロウが帰ってくると嬉しそうに笑った。


「ただいま」

「おかえり!」


 イルバナの声は覇気があったがそれが空元気なのがムロウにも伝わってくる。

 イルバナが高熱を出したのは昨日の朝からだった。その前日にクエストがあったのだが、ムロウから見てそれは特に問題なく取り組んでいた様子だった。

 ムロウが呼びに行って駆けつけた医者によると死に至る病じゃないが猛烈な発熱に苦しむ病気らしい。魔力による状態異常では無いのでポーションなどで治せず、医者から貰った薬を飲んで大人しくするしかない。


 獣人族は生まれながらにして病気に対する耐性があるのでムロウが移ることは考えられないが、医者から大事を取って離れるように言われた。


「頼まれたもの買ってきたよ。あとクエストのキャンセルもしてきた」

「ありがと……」

 イルバナが身体を起こそうとするとムロウが駆け寄った。

「いいよいいよ! 寝てて」

「ああ……そう」


 とイルバナは言われるままに背中をベッドに戻した。


 買ってきた物は病人のためのスープの材料だ。料理下手なムロウだが昨日はスープを作って振舞った。

 そして今日も出来たてのスープをムロウが寝室に運んでくる。身体を起こしたイルバナが皿をスプーンで掬って一口飲む。


「美味しいよ、ムロウ」

「なら良かった」


 素っ気なくそう言うムロウ。しかし内心は心を込めて精一杯作ったスープをイルバナに褒められた嬉しさでいっぱいだった。

 ゆっくりとスープを味わうイルバナが、ふとスプーンを皿にカチャリと置いてムロウに語り出した。


ばちが当たったのかもね……」

「えっ?」


 急に言われたことがよく分からず思わず聞き返す。ムロウの目に写るイルバナはどこか悲しそうだった。


「なんの罰なんだ?」

「ムロウをこうして縛り付けてること。イルバニエル様が怒っちゃったかも」

「イルバニエル様?」とまた聞き返した。なんだかイルバナと名前が似ているのが気になった。

「平和を愛する優しい女神様なんだ。イルバニエル様が降り立つと、どんな争い事も諌めて終結させられるから平和の宣告者って呼ばれたりもする。……私の名前の由来だよ」

「それがなんで怒ったりするんだ? 縛り付けてるだなんて……。私にはもうイルバナしかいないんだ」

「こんな事する私にこの名前は相応しくないって思われたのかもね……」

「暗くならないで、元気出してよ。イルバナ」


 イルバナがより暗い顔をして、まだスープが入ってる皿をムロウに渡した。それをムロウが受け取る。


「ごめんね……美味しいんだけどあんまり食欲が無い」

「いいんだ。無理しないで」


 ムロウが皿を片付けに台所に行って戻ってくるとイルバナが身体を仰向けに戻していた。ムロウがベッドの近くに椅子を置いてそこに座った。


「ムロウ。手を出して」


 言われた通りに手を出すムロウ。心配だからか頼み事に対して深く考えない。するとイルバナが弱々しい力で手を握った。


「ありがとう。助かるよ……」

「何が?」

「だって、楽になるから」

「だといいけど。そうだ、私りんご持って帰ったけど明日でいい? 食べるの」

「うん。でもどうしてりんごなんて……?」

「お土産というかなんというか……。でも生えてるのそのまま取ってきたわけじゃないから」

「分かってるよ。嬉しい。ありがとね」


 苦しんでいるはずなのに気張って笑顔を作るイルバナ。その姿を見て、ムロウはイルバナの回復を願う気持ちがさらに強まり、思わず手を握る力が少し強くなった。



 発熱の症状はその後3日間続いて、3日後の夜にピークに達した。それを超えると今度はだんだんと落ち着いてきた。その時の医者の話ではあと10日くらい安静にした方が良いらしいので、言われた通りにイルバナは家の中で10日間安静にした。

 その間ずっとムロウが気を抜かないで懸命に看病してきた。苦しみに耐えている時はずっとそばにいて励ましの言葉をかけ続けてきた。

 もうイルバナに身体の不調が無くなってきたが、一応ぶり返さないようにベッドから出ないで過ごす。


「もう大丈夫そうだな」とムロウが話しかける。

「ムロウのおかげだよ、全部」

「そんな事ない。私はなんにもしてない。イルバナが頑張ったんだ」

「優しいね、ムロウ。愛してるよ」


 イルバナは熱がピークの時の夜を思い出していた。呼吸が荒くなってきて頭がガンガンして、それを耐えるために全ての体力を使うので指を動かす気力も無かった。

 横にはムロウが座って、片方の手でイルバナの手を握ってもう片方の手でイルバナの額を撫でる。そしていつも感情を表に出さないムロウが心配そうな表情を隠さないでいた。


『はあっ。はあっ。ムロウぅ……』

『ここにいるよ。ほら。大丈夫だから』

『苦しいよ……はあっ。私、どうなっちゃうのかな……』

『大丈夫だから!頑張って。私がついてるよ』


 イルバナの手を握るムロウの手が力んでしまう。イルバナはそれが逆に心地よかった。


『はあっ。ムロウ、ずっとそこにいて……』

『分かってるよ。離れないから。ずっと』


 と頭を撫でながらムロウは付きっきりで声をかけ続けていた。

 熱は辛かったが、かけがえのない思い出ができたのは怪我の功名だとイルバナは思った。


「ムロウ。明日にでもクエストに行けそうだからギルドの人に伝えてくれないかな」

「そうなのか? 無理してない?」

「大丈夫だよ。それに明日はクエストをやるんじゃなくて報告に行くだけさ」

「……分かった。でも本当になにかあったらすぐに言ってよ」

「分かってるって」とイルバナが微笑む。


 イルバナから見てもムロウは心配性だった。それは何より優しさからだろう。その心配をムロウにされてもらってるのが嬉しかった。


 ムロウはギルド施設に入った。多種多様なミラゴラス街のギルドメンバーがいる中をかき分けて受付カウンターがある所まで行くとムロウは1つの受付を選んだ。


「あら、腰巾着じゃない」

 あの毒舌の受付嬢のところだ。

「イルバナ様が明日にでも復帰できそうです。それを伝えに来ました」

「そう。よかった。イルバナのいた学校から冒険者になる人は珍しいからね。ギルドうちのためにもっとクエストをやって貰わないとねぇ」

「……りんご、ありがとうございました。イルバナ様も美味しいと仰っていました」

「ああそうかい。私のことは言ってないだろうね?」

「もちろんです」


 イルバナが病気になってギルドへクエストのキャンセルをしに来た時、ムロウが選んだ受付の受付嬢がたまたまこの人で、事情を説明すると毒舌を吐かれながら押し付けられるようにりんごを貰っていた。欲しいとは言ってないのだが名前を出さない条件で受け取った。


「ところであんた、あのお気楽者と気持ち悪いくらいに仲良くなったね。なんかあったのかい?」


 そう言いながら受付嬢は見せるように小指を立てた。

 どうやら受付嬢はイルバナとムロウの主従関係を越えた関係に勘づいていてこれはそのサインだと言うことがムロウに伝わった。わざわざサインを出すあたり周りの耳に気を遣ってるというのもムロウは感じ取って、敵意で察してる訳では無いと判断した。


「いえそれは……。ただ、家族が死んだ私に行く場所が無いと気づいただけです」

「そうなの? あんたも大変だね。この国はほんとにねぇ。ここ数年戦争しないから、土地の侵略ばかりして」

「は……?」


 ムロウの無表情の顔が思わず驚きに染まった。

「ん? どうしたのよ」と受付嬢も若干困惑する。

「え、いや、私の家族は兵隊にされたはずで……隣国との、山の取り合いで……」

「いつ? あんたが捕虜にされたのは」

「九ヶ月くらい前ですけど……」

「誰に吹き込まれたか知らないけど、その戦争は五年前に終わったのよ」

「えっ……」


 ムロウは何がなんだか分からなくなってきた。

王国こっちの勝ちでね。それ以来戦争してないからあんたの家族を兵隊になんかしないよ。」

「……ありがとうございました」


 放心状態だったが何とか顔を無表情に戻して、冒険者を掻き分けて去って行った。

 受付嬢はその後ろ姿を眺める。あの奴隷商人がそんな情報で調教するとは思えないので一体誰が吹き込んだか考えていた。


「悪いことしちゃったかしら」

 受付嬢はそうポツリとこぼした。



 ムロウが帰ってきて早々寝室のイルバナの元へと向かった。

 イルバナが微笑みながら「おかえり」と言ったところでムロウの様子のおかしさに気づいた。


「どうしたの?」

「正直に答えて欲しいんだけど……山の取り合いの戦争って嘘だったの?」


 イルバナは血の気が引いた。ショックで病み上がりの心臓に負担がかかる。


「どうして……?」

「いいから! 嘘か嘘じゃないかだけ」


 これまでに無いほどの鋭い目をイルバナに向ける。確証があって聞いてるのだとイルバナは悟った。


「そうだよ。嘘だったんだ。あなたの家族も兵隊になんかなってない」

「やっぱり……」

「だけどあなたのためなんだよ! 国のことは本当なんだ。このまま自由になったらあなたは家族を助けに行くんでしょ? きっとムロウは無事じゃすまない。前にも言った通り敵が……」

「いらないよ。言い訳なんて」

「……ごめんね」


うなだれるイルバナにムロウが諦めたようにため息をついた。


「私だってリバス城でアンタを騙したんだ。そう考えれば同じことされただけ。私になにか言う資格は無いよ」

「えっ? ……許してくれるの?」

「はぁ?」


 ムロウの視線には怒りに似た激しい嫌悪感があった。それがまっすぐイルバナに注がれる。

 凶悪な獣のようになってしまったムロウの鋭い目にイルバナが萎縮する。イルバナの心臓に針を刺されたような痛みが襲いかかる。


「アンタは私の家族をダシにして私の心を騙したんだ。私の家族愛を利用して私の心を折ったんだ」

 ムロウが歩き出して寝室のドアの取っ手を握る。

「ただでさえキモいのに何で許されようとしてんだよ。……気持ち悪い」

 そう言い残してドアを開けたムロウは寝室から出ていくと勢いよくドアを閉めた。激しい音のショックでイルバナの心臓につんざくような負担がかかった。


 ムロウはゆっくりと壁伝いに床に腰を下ろした。

「くっそ! はぁっ……! ウゼェ……!」

 ムロウは行き場の無い感情が自然と口から漏れる。

 首輪を外してくれない敵だったはずのイルバナに騙されてイルバナを愛してしまった自分に腹が立った。そして家族の生死を使って心を折るやり方を取ったイルバナにも無性に腹が立った。

 そして、愛して信じたイルバナに裏切られたのが辛かった。もうイルバナを愛せないのが辛かった。


 漏れる声の感情は大多数が怒りで残りがその辛さだった。寝室にまで聞こえるその声は、イルバナの心臓を強く強く締め付けていた。

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