第2話鉄条網2

 意識が戻ると、目の前にあったはずの、トゲトゲの爪を編んだような柵は見えなかった。

何故いつものように、布団の上で目が覚めないのか、私は困惑していた。


 さっきまでいた、あの場所とは違うということだけはわかる。

あたりはどこまでも、コンクリートを流したような灰色で、後を振り向いても、街の灯りのようなものは見えなかった。


 ここでもまた、後へは数十歩で透明な壁に突き当たり、その先へ行くことはできなかった。


前に進むしかないようだ。


 ここに立っていてもしかたがない。先へ進んでみることにした。

布団に寝ていたままの服装なので、薄いパジャマに裸足だった。足裏からはゴツゴツした石の感触が伝わって来た。


 明かりもなく、あたりには灰色の闇が立ちこめているだけ。何も見えなかった。何の音もせず、静まり返っていた。


 両手を前に突き出して周りを探りながら、のろのろ歩いた。

一歩進むごとに、不安が増えて行く。


 どこへ向かっているのか、どの方角へ進めば良いのか、まったくわからない。何分歩いたのか、何時間進んだのか、時間の感覚もなくなっていた。


 空腹も乾きも感じなかったが、体だけはひどく疲れた。

ひたすら歩いた後で、もうこれ以上歩けなくなった時、その場に寝転がって休んだ。


 横になっても眠れるわけではないのだが、再び立ち上がる気力が出るまで横たわり続けた。

ぞして、それを一日の始まりと決めた。


 半年、一年、二年…… 日にちを数えるのも億劫になるほど、私は灰色の闇の中をさまよった。


 汗をかくこともなく、あたりに埃が飛ぶこともなく、そう言えば排泄することもないのだけれど、着たきりで洗濯するすべもなく、換えもないパジャマは着心地が悪かった。


 もうこのまま、この灰色の空間に閉じ込められてしまうのだろうか、出口とは違う、間違った方へ進んでいるのだろうか…… それとも、同じところをぐるぐる回っているだけではないのか……


 悪い方へ、悪い方へと思考が引きずられて行く。いつも、いつでも、死を考えるようになった。

ここで命が尽きれば楽になるだろうか。



 このままでは狂ってしまう。



 ふと顔を上げると、はるか彼方に,

薄らと横に伸びる、線のようなものが見えた。

灰色がその部分だけわずかに濃く感じられるのだ。


 あそこに、何かあるのかもしれない。

あてもなく歩き続けた果てに、目的地が決まっただけでも気持ちが楽になった。


 あの灰色の濃い場所へ、あそこへ行けば助かるかもしれない。

何の保証もない考えだったが、それはやがて、希望に変わり、一方的な確信に変わった。


 のろのろとしていた歩みが、少し早まった。

理性で、体の動きがコントロールできないのだ。心の裏にある隠れている部分、本能に近いような、同時に精神世界にある別の自分のような、不思議な感覚が私の体を支配していた。


 それから幾日歩いただろうか、目的地はなかなか近づかなかった。

歩みはさらに早くなり、ゴツゴツした石が、裸足の足を傷つけた。

おそらく血が流れているのだろう、灰色の闇に紛れて見ることはできないが、チクチク鋭い痛みが、足裏をさいなんでいた。


 ハアハアと、息が上がってきた。胸が苦しい。

酸素を取り込むのが間に合わないほど、無我夢中で歩いていた。



 そして、ようやく、たどり着いたのは、見覚えのある、トゲトゲの鋭い爪を編んだような、鉄の柵の前だった。


 ハアァと、ため息がもれた。


ここで、何をしたら良いのかは、すでに理解していた。

そう、私は身をかがめて、柵の下のすき間をのぞき込む。


 向こう側には、アーモンド型の瞳が、驚いたように見開かれていた。


やっと、ここまで来られた…… 私は唇の両端を上げて、笑みの形を作った。


向こう側からは、息を呑むような気配が伝わって来た。


 気が急いてたまらない。期待に満ちて胸が高鳴る。



コンクリートのような灰色の闇をかき分けて、ゆっくりと。

私は、トゲトゲの柵の向こう側へ手を伸ばした。


(終)

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鉄条網 仲津麻子 @kukiha

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