放水

 便座が上がっていた。田辺はそういうやつなんだ。人懐っこくて気遣いができて従順。それでいてこういう細かなところでボロが出る。可愛いやつめ。

 私を泥酔していると心配する田辺を他所に私はトイレのドアを閉め、便座を下ろした。

「海美さーん!大丈夫ですか?」

なんだお前まだそこにいたのか。トイレの扉一枚隔てた空間から田辺の声がした。どこまでも鈍感で純粋で真っ直ぐな男だ。

 "やってやろう"

やってやろうじゃないか。すぐそこに田辺が待っていることを十分理解した上で私は音消しもせずに一気に放尿した。

 「シュイーーージョボジョボジョボーーシャーーー」

 私の陰唇から解き放たれた尿はけたたましい音色を奏でた。

 「ピチャッ」

 尻に伝った尿が便器に落ちる音で私はふと我に返った。なんてことをしてしまったんだ。扉の向こうには歳下の男が待っている。すぐそこに。それなのに私は・・・。顔が熱っていくのがわかった私はこの羞恥を誤魔化そうと必要以上のペーパーを巻き取り陰部に押し付けた。

 扉を開けると田辺と目があった。彼にアブノーマルな性癖があるか否かに関わらず、確実に私の放尿音は届いているはずだ。私の放尿音を確実に耳にしたその男はトイレから出てくる私を抱き抱えながら「大丈夫です?あ!ちゃんと手洗いました?」

なんなんだお前は。そういうとこだぞ。

「洗ったよ。何言ってんの。」

 息を吸うように嘘をついた。先程の動揺で手など洗う余裕はなかった。私は利き手の右手を彼の腰に回し、リビングへ戻った。

 気づけばアメトーークは終わっていた。それにしてもこの男、いつまでいるんだろう。いつまでいてもいいのだけど。

 「泊まってく?」

 正直すぎるセリフが出たことに私が1番驚いた。田辺はにこにこ笑いながら「家すぐそこなんで帰りますよ〜」と言いつつ缶チューハイの栓を開けた。嘘つけ。お前帰る気ないだろ。

 「そっか」

 素気ない態度を取りつつ、私は田辺に寄りかかり、彼の腰に手を回した。



 「ジョボジョボジョボ」

 流水音で目が覚めた。どうやら私はあの後すぐに眠りについてしまったようだ。田辺に抱きついて眠り、田辺の放尿音で目覚める摩訶不思議な1日だった。

 「おはようございます。勝手にトイレ借りちゃいました」

 トイレから出てきた田辺が照れながら朝の挨拶をしてきた。私は男と一つ屋根の下で一晩を過ごしてしまったのか。揺るがない事実だけが転がった。部屋を見渡すと昨夜の宴の抜け殻たちの痕跡はなく、代わりに部屋の隅の方に空き缶がまとめられたビニールが鎮座していた。田辺の仕業だ。

 「じゃあ俺バイトなんで帰りますね。お邪魔しました」

 逃げ足が速いのか遅いのかわからない男はそそくさと出ていった。

 「やっぱりわかんないわこいつ」

 人類に田辺は早すぎたのかもしれない。早すぎた男。私に田辺を理解できる日は来るのだろうか。そう考えているうちに尿意を催した。そういえばあの後また飲んだような記憶があるような、ないような。思えば頭もくらくらする。少し飲みすぎたかな。そんなことを思いながらトイレに入る。

 便座は上がっていた。

 

 

 

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横顔 @umichan_pee

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