第2話 風

「何なのこの状況? 何がどうなってんの?」


 白目を剥いて倒れている裸男をそのままにして、貴子は情報を得るため泉を出て周囲を観察した。

 その最中で、男に襲われそうになっていた、綺麗な容姿の子供と目が合った。


「そうだった。おーい、美少女ー」


 子供に気づいた貴子がそちらへと向かった。


「大丈夫? 変なことされてない?」


 声をかけながら、子供のそばへとやってきた貴子。

 隣にしゃがみ、無事かどうか子供の体を確認した。


 金色のサラサラボブヘアーで、アーモンド形の大きな目、青い瞳、白い肌。

 年の頃は十歳くらいの、綺麗な顔立ちの子供。


 泥で汚れた、腿丈の白いチュニックのような服を着ており、腰には帯を巻いていて、足元はサンダル。

 古代の地中海周辺に住んでいた人たちみたいな格好だった。

 細身の体は女の子のような丸みはなく骨張っている。


「あれ?」


 マジマジと子供を見つめる貴子。


「もしかして君、男の子?」


 目の前にいる子供は、美少女ではなく美少年だと気づいた。


「ほえ~」


 貴子は、感嘆のため息を漏らし、


「めんこい子だな~」


 頭をなでなでした。

 一方、されるがままになっている美少年は、貴子を見てからというもの、ずっとびっくり眼で口をポカンと開けたまま変化がない。


「ハロー。ねぇ、ここどこかわかる? 君の名は?」


 貴子がぷにぷにのほっぺをツンツンして尋ねると、


「……マァリヤ?」


 ようやく喋った。


「マリア? それ、君の名前?」


「ディ シウ エ マァリヤ?」


「……う~ん。君も日本語ダメか」


 多分言葉が通じていないし、こちらも少年の言っていることがわからない。

 どうしたもんかと貴子が渋面を作っていると、


「シア デト!」


 少年が慌てた様子で貴子の後ろを指さした。


「しあでと?」


 貴子が振り返る。

 そこには、ヒゲ面の全裸男が立っていた。

 さっき貴子が倒したはずの男だった。


「ゾォ デイオ!」


 男は、怒声を上げると、貴子の胸ぐらを掴んで地面から持ち上げた。


「ぐえっ」


 足が宙ぶらりんの状態になり、貴子が苦しげな声を漏らした。


「ジュウ オク ダ エィグ ディ シウ!? ビュセ!? ハァン!?」


 男が声を荒げ貴子をガクガク揺さぶる。

 貴子の頭から黒いとんがり帽子が落ちた。


「ぐうぅぅ~」


 首がしまり、呼吸がままならない貴子が足をむやみやたらにバタつかせる。すると、


「グガッ」


 貴子の膝が男の顎に当たった。

 男は、貴子から手を離し、後ろへ数歩よろめいた。


「うげっ、げほっ、げほっ、げほっ」


 地面に落ちた貴子がその場に膝をつき、首を押さえて咳き込む。


「マァリヤ!」


 少年が不安を表情に出して、貴子が着ている黒い魔女のローブを掴んだ。


 男は、ふらつく頭を左右に振ってクリアにし、藪のほうへと走って行き、草むらに手を突っ込んだ。

 何かを見つけて男が草むらから手を引き抜く。

 そこには、斧が握られていた。


「テビ シィギン シャテレオ! テビ シィ ゴォタ ソォフ ラゼェネフィン ピェブ ロタ ピェブ!」


 男は、目を吊り上げ、口元に薄ら笑いを浮かべた危ない表情で貴子のほうへと歩き出した。


「げほっ、お、斧って、な、何考えてんだ」


 相手の正気を疑う貴子。


「げほっ、げほっ、に、逃げて」


 貴子が少年の胸を押して逃げるよう促した。

 少年だけでも助けようという判断だ。


 しかし、少年は、貴子の前に立って、男へ向けて両手を広げ、


「ア、アシィ タァキエィ!」


 裏返った声で、しかし、語気を強くして言った。

 少年も少年で貴子を助けようとしていた。


「あ、危ないから、げほっ、は、早く」


 貴子が後ろから少年の肩を引く。


「ネェン!」


 少年は、首を横に振り、頑として動かない。

 そうこうしている間にも男がどんどん近づいてくる。


「くっそ……」


 貴子が少年越しに男を見て、この状況をどう切り抜けるか思考を巡らせるが、良い案は出てこない。


「ダメかも……」


 全てを諦めたように貴子が視線を下げると、そばには、頭から落ちた魔女のとんがり帽子が転がっていた。

 貴子がそれを拾い、現実逃避するように夢想した。


 私は、魔女になりたかった。

 魔法が使えるようになりたかった。

 しかし、叶わなかった。


 私が魔女だったら。

 魔法を使えたら。

 格好だけでなく、本物の魔法使いだったら、こいつを吹き飛ばすことも出来たろうに。


 悔しさに帽子のツバを握りしめた貴子が、頭の中に男が風の魔法で飛ばされるイメージを描きだした。

 すると貴子の胸の中に熱い塊のような何かが生まれた。


 貴子が項垂れている間にも、男は貴子たちとの距離を詰め、二人の目の前に立ち、


「へへ……」


 不快な笑みを浮かべて、斧を振り上げた。

 少年は、目をきつく閉じ、貴子は、気力を振り絞ってバットの柄を握りしめ、男に抵抗しようとした。


 その時、ゴウという音を鳴らし、突風が貴子と少年の横を通って前方へと吹き抜けた。

 貴子は、


「わっ!?」


 飛ばされそうになる帽子を手で押さえ、少年は、


「ヒャ!?」


 驚いて身を縮め、男は、


「ホァッ!?」


 風の力を正面からまともに受け、


「ウアァァァァァッ!?」


 背後から見えない力で引っ張られたかのように後ろへ吹っ飛び、


「ガッ!?」


 木の幹に背中を強かに打ちつけ、


「グ……ウゥゥ……」


 ズルズルと地面に落ち、昏倒してしまった。

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