(2)

《良かったのかェ?》

 息を潜めるかのごとく寝静まった町中に、笑みを含んだ艶のある声が静かに響く。

 対する椿は、

「何がだ?」

 自分以外に誰もいないというのにも関わらず、当たり前のように問い返す。

 お陰でますます愉快そうな気配が強まった。

《あの人の子は、何やらそなたに興味があるようではなかったか?》

「下らない」

 取り付く島もなかった。

《下らないとはまた手厳しいのォ。あれほど強い熱を持った眼差しを向けられて、心動かぬ娘が居ろうか》

「ここにいるだろ」

《椿よ……》

「なんだ」

 溜め息交じりに名を呼ばれ、少しばかり苛立ちを込めて椿が返せば、

《確かに妾はそなたと契約を結んだ。じゃがな、常に妾を振るう剣士である必要はないのだぞ?》

 労わりの籠った声に、椿は答えを返したりはしなかった。

《そなたも人の子。随分と娘らしく美しく育った。ならば、人の子のように人並みの幸せを謳歌しても良いのだぞ?》

「必要ない」

《妾のせいか?》

「自分の意志だ」

 きっぱりと否定する。


 事実、妖斬妃の力を受け入れて、村を蹂躙し、村で秘匿し続けて来た【揺り籠刀】をすべて取り戻すと誓ったのは齢十のときの椿。

 椿が村の御神刀である【妖斬妃】の適合者だったと知った、村長であり椿の父親は、妖斬妃を背後に従えた椿に対して膝を折り、頭を下げた。

 その時の光景を椿は今も忘れていない。

 あの日、六年前のあの日、突如日常を奪われたあの夜。

 それまで知らない世界と存在を知ったあの夜。

 椿は二番目の兄を失った。

 いつも椿のことをからかって来る兄だった。

 いつも、いつも、椿のことを怒らせることばかりする兄だった。

 だが、父親や母親から叱られたときは、誰よりも先に庇ってくれる兄だった。

 腹は立つが大好きだった。

 いつも笑っている兄だった。何のための剣術の練習なのか当時の椿には解らなかったが、刀の振り具合を確かめてるんだよ――と言って、楽しそうに笑って刀を振る兄の姿は贔屓なしに輝いて見えていた。

 温かい存在だった。頼れる存在だった。

 いつも楽しそうだった。叱られてもへこたれないし、それ故に更に叱られたとしても膨れて見せるだけで凹みはしない。

 強い兄だった。

 それが、恐ろしい顔をして、あの日現れた。

 その夜。椿は知らない単語をたくさん聞いた。

 後日。知らないのは椿だけだったと知った。

 兄は、妖刀使いだった。

 妖が封じ込められた刀。その刀は強い妖力を宿し、剣の腕さえあれば誰であれ妖と渡り合える力を得られる刀であり、封じ込められた妖との相性によっては、その存在そのものを具現化させ戦力にすることも出来るというもの。

 あの日、椿が見た兄の傍に現れた存在。アレが妖斬妃同様、刀に封じ込められていた妖なのだと。そして、特別に強い力を有する妖そのものが封じられた刀こそが【揺り籠刀】と呼ばれているものだということを椿は知った。

【揺り籠刀】の威力は封じ込められている妖の強さに比例する。それは強さを求めている人々の間で高値で取引されているということも知った。

 だからこそ、村は狙われたのだと。

 村は、【揺り籠刀】や妖の血を染み込ませることで妖と渡り合える力を有した【白刀】と呼ばれる、戍狩や網目衆たちに支給している刀や、護身刀を作る八匠(はっしょう)の一つ【火炎】の一族だということを知った。

 あの日、父親たちが納めに行った刀は、ただの刀だとばかり思っていたが違っていたのだ。

 父親たちが納めに行ったのは【白刀】。

 その存在が、妖刀を用いて悪事をなしていた者たちにとって目障りだったのだろう。

【白刀】を作る場所を潰してしまえと団結され、あの日、決行された。

 それらのことを、椿は初めて妖斬妃に体を貸し与えて暴れに暴れ、村中の妖を狩り尽くした後に意識を失っていた五日間の間に妖斬妃によって教えられた。


 知らないことばかりだった。

 実感のない話ばかりだった。

 眠っている間の会話だった。

 綺麗な人だと思った。子供ながらに椿は胸を高鳴らせて妖斬妃に見入っていた。

 柔らかな膝枕をされ、優しく椿の頭を撫でながら、耳に心地よい声で噛み砕いて話してくれる妖斬妃は、妖たちに向けていたものとはまるで違う、母親のような慈愛に満ちた顔で見下ろしていた。

 だから椿は泣いた。村を蹂躙し、数多の命を奪った妖たちを退治してくれたことを、泣きながら感謝した。

 そして、今度は妖斬妃の願いを叶えると誓った。

 村を襲った妖刀使いたちは、屋敷にあった全ての《揺り籠刀》を盗み出していた。その数二十八振り。そのほとんどが妖斬妃の眷属となることを誓った、古くから共にある妖たちが封じられた刀だと知らされて。

 妾にとっては子であり友であるものたちだったと。それを奪った輩は決して許さぬと、怒りを露わにする妖斬妃が、何よりも悔しかったのは、自身を扱う者がいなければ何もできないことだと言ったから。

 適合者が現れない限り、自身では動くことは叶わない。それだけが悔しかったが、椿がいた。齢十の幼い童。刀身とほぼ変わらぬ背丈しかない椿に刀を揮えと言う方が土台無理な話だったが、頼まれてくれるかと問われれば、椿は頷いた。必ず役に立ってみせると。いくらでも体を使ってもらって構わないと。自分も村で大切にしまっておいた刀を取り戻したいと。


 そして目が覚めたとき、椿は家族に囲まれていた。

 村を出ていた父親と長兄。母親と姉たちが揃っていた。

 いなかったのは次兄だけ。

 次兄の姿はなかった。

 次兄の揮っていた【揺り籠刀】も消えていた。

 二度と次兄を見ることはないのだと、椿は知った。

 静かに静かに、噛み締めた。

 涙が目尻を伝ってこめかみに向かって落ちた。

 何があったのかは、母親たちから聞いていたのだろう。父親は――『椿さま』と、頭を下げて椿を呼んだ。

 そのよそよそし過ぎる物言いに、椿は一瞬誰のことを呼んだのか理解できなかった。

 だが、顔を向けてみれば、家族の皆が頭を下げていた。

 八匠が一つ【火炎】。その名を有する【火炎】の本家に祀られていた護身刀【妖斬妃】。

 かつて日ノ本を我がものとしていた【八妖はちよう】と呼ばれる妖たちの、王の片割れとも呼ばれる存在が、気まぐれで人に下ってやってから数百年。【火炎】の一族の刀作りに協力してきてやった【妖斬妃】を身に宿した者は長らくいなかった。

 満足に声を聴くことが出来る者も少なく、【火炎】の一族の長となる者は、その声を聴く男と決められていた。そこに分家も本家もありはしなかった。声を聴く者が本家の長に納まった。

 そんな【火炎】を率いる父親にとって、声を聴くだけでなく、その身に宿して妖斬妃の力を遺憾なく発揮した末の娘は、既に娘ではなかった。

 御神刀として祀られていた【妖斬妃】のごとく、神として崇めるべき存在となっていた。

 ああ、そうなのか――と。椿は悟った。

 自分はもう、家族ではないのだと。

 一線が引かれていた。

 目に見えないが、しっかりと見えていた。

 越えられない溝が出来ていた。

 見えない壁が存在していた。

 それをいつも乗り越えて、打ち壊して、当たり前のように手を差し伸べてくれた次兄はもういないということを、椿は心から噛み締めた。

 同時に、そんな大切な兄を奪った存在に、身を焦がすほどの怒りを覚えた。

 許せなかった。許してはならなかった。

 兄を殺した存在を。村を蹂躙し、沢山の人間を殺した存在を。自分から家族を奪い、妖斬妃から仲間と子供である【揺り籠刀】たちを奪い去って行った存在を。

 絶対に許してはならないと、椿は思った。

 絶対に全てを取り戻すと、椿は誓った。

 だから椿は、父親たちに告げた。

 奪われた【揺り籠刀】の全てを取り戻してくると。

 父親たちは驚きに目を見張ったが、悪いがそうさせてもらうと妖斬妃が告げれば、父親は一人、深々と頭を下げて承った。

 刹那、母親が何か言いたげな顔をしたが、結局は何も言わずに俯いた。

 この場には、誰一人として椿の行動を止める者はいないということだった。

 次兄の顔が浮かんだ。

 そんな危ないことする必要はないだろと、しかめっ面で反論し。

 お前なんかに出来るわけないだろと、椿のおでこを小突いて馬鹿にする。

 涙が滲んだ。

 強く、強く、目を閉じて、泣くまいと懸命に勤める。

 そして椿は旅に出た。

 腰に差しては引きずる【妖斬妃】を背中に背負い、椿は一人、村を出た。

 目的地は妖斬妃が案内をした。

 妖斬妃の眷属たちが――その力を宿らされた【揺り籠刀】や妖や、【火炎】の分家から情報を得ながら移動した。

 道中、椿は様々な恐ろしい体験をした。齢十の女童が、身の丈に合うわけのない太刀を背負って一人旅などをしていれば、金づるだと目を光らせる輩は次から次へと現れた。

 現れたのは人だけではなく、妖までもが椿を狙った。

 村や家族という庇護を失った椿は、命と刀を狙われ追い駆けまわされた。

 妖斬妃は、日中でも話はしてくれたが、夜にならない限り力を発揮することが出来なかった。

 故に、協力者だと分かる者に保護されない限りは、助けてくれた者に騙されたり、【妖斬妃】を盗まれそうになったり、これまで体験したことのない恐怖を味わうこととなった。

 他人が自分を騙してくるなど想像したことがなかった。

 人が優しいものではないということを初めて知った。

 自分に力がないために、一度は【妖斬妃】を奪われた。幸い、協力者がいてくれたおかげで取り戻すことも出来たが、死ぬほどの恐怖を覚えた椿は、それをきっかけに強くなることを誓った。

 子供だからと、女だからと侮られてはいけないと。

 守ってもらうだけでは不十分だと。

 手に豆をたくさん作り、破れて痛みに涙を溜めながら、歯を食いしばって努力をし続けた。

 当然のことながら、すぐに強くなることはなかった。

 思うようにならない自分に腹が立った。

 力をつけなければならなかった。甘えは一切許されなかった。

 擦り傷も切り傷も打ち身も打撲も、時に骨折しながらも、椿は強くなるために努力をし続けた。

 甘ったるい喋り方も変えた。愛想を振り撒くこともやめた。近づいてくる者を敵とみなして考えるようになった。

 用心に用心を重ねた。二度と【妖斬妃】を奪われないように。

 妖斬妃に体を貸しているとき、初めはただ使われるがままに使わせていたが、足の運び方、体の使い方を意識していくようになった。

 日中は、その時のことを思い出して、何度も何度も反復した。

 そして椿は、強さを手に入れていた。

 女を捨てた。着飾ることを捨てた。人付き合いを捨て、目的を遂行するためだけに行動した。

 だからこそ、自分に想いを寄せる者が現れたと妖斬妃が揶揄って来ても、毛ほどの興味も湧かなかった。

 六年かけて、見つけた【揺り籠刀】はまだ十本。たった十本。

 欲に目がくらんだ醜い人間たちをたくさん見て来た。

 村にいたら知ることのなかった、人の闇を嫌というほど見て来た。

 封じられた妖を取り込み具現化させ悪事を働く者。意思疎通など出来ずとも、ただの刀よりも切れ味鋭い【揺り籠刀】を使い、人々を苦しめていた者。その力を無理矢理利用され、疲弊していた【揺り籠刀】もいた。点々と転々と情報を頼りに各地を回り取り返して来た。

 見つける度に村に戻っていたために時を無駄にしていたと言っても過言ではない。が、他人に託せるものではなかった。

 腹が立っていた。何もかもに。弱い自分にも、心から信用できる仲間がいないことにも、無駄な時間を使わなければならないことにも。そして、奪われた本数の半分にも満たないことに、椿はますます心を殺していった。

 次兄の持っていた【揺り籠刀】。【沈根しずね】もまだ見つかってはいなかった。

 目の覚めるような青空のごとき刀身の【沈根】。

 あのどさくさで消えていた。破壊された残骸も見つからず、持ち去られたとしか思えなかった。

 今度こそは。今度こそはという思いを抱きながら、この町までやって来て、とうとう椿は見つけたのだ。目の覚めるような青空の色を宿した妖刀を。

 もしかしたらという思いを押しとどめることは出来なかった。

 すぐにでも、その力を与えたという男を見つけたかった。

 だが、人の身には休息が必要だった。腹ごしらえが必要だった。

 不要であればどんなにいいかと椿は思わなくもない。

 だが、無理をしては実力を発揮できなくなる。

 標的を前にして、むざむざと逃げられるわけにはいかない。

 だからこそ今、椿は妖斬妃に誘導されるがままに、この町にいる妖斬妃の眷属たる妖が封印されし【揺り籠刀】の持ち主の元へ向かっていた。

 年頃の娘が浮かれるような恋話になど欠片も興味などなかった。

 椿が探し求めているのは奪われた【揺り籠刀】たち。

 そして、次兄が心を通わせた【沈根】――どんな【揺り籠刀】よりも取り戻したいと願うもの。


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