桜木譚

黒崎化燐

桜木譚

「○×公園の桜の木を凝視してはいけない」


 ○×公園周辺住民の間では常識となっているが誰もその理由を知らない。私が引っ越してきた時点でこれは暗黙の了解となっており、私以前に引っ越してきた住人も何となく受け入れているようだ。私の育った地元にもお盆を過ぎたら海に入ってはいけない、なんて話はあったから、最初は何の疑問も持たずに受け入れた。


 しかし……このSNS全盛の時代、写真映えする公園の桜の木は○×公園周辺住民以外の人間が写真を撮りにきたりするだろう。そう言った人たちはどうなるのかという素朴な疑問に端を発して、この桜の木を凝視したら何が起こるのだろうかということが気になり始めた。


 幽霊的な何かなのだろうか、厄介な住人がいて絡まれでもするのだろうか。どちらにしても面倒ごとになりそうだが、私はどうしても気になって桜舞う季節、私はその桜の木を凝視してみることにした。


 夜桜を艶かしく街灯が照らす午後九時。私は公園に行って桜の木を十メートルくらい離れたところから凝視してみた。一分……五分……一向に変化はない。

 もしかしら桜を見た後に何か起こるのだろうか?そんなことを考えながら木を凝視する。生ぬるい夜風に揺れる桜は見ているとだんだんピントが合わなくなってきて、何度も焦点を合わせる。それを繰り返しているうちに桜の木の下にぼんやりと人影が浮かんできた。


 その人影はこちらを見ている、気がする。厄介な住人が現れたのだろうか?ざわざわと揺れる桜の木に対してとてもおぼろげでそちらに焦点を合わせようとしても合わない。桜の木に焦点を戻すとその人影がだんだんはっきり見えるようになる。


 その人影は髪の毛は短いが少女のようだった。この時間に公園に少女が一人きりなのは若干妙ではある。しかし彼女も夜の散歩かもしれないし、私と同じように桜の木の噂を検証しにきているだけかもしれない。


 ……いや、本当は心の奥底では彼女は人間ではないと思いつつある。なぜなら桜の木を見ている時しか彼女は見えないからだ。桜の木から焦点を外すと途端に見えなくなる。しかも心なしか正常な人体のバランスではなく、首がやや長い。


 ぞわ、と不気味な感覚に襲われる。しかし桜から目が離せず、そうしていると段々朧げな輪郭がはっきりとしてきた。これ以上桜を見つめ続けるとまずい、そう思うのに目が離せなくなっている。そうこうしているうちに人影は完璧に少女の形になった。黒い服を着た、髪の毛の短い中学生くらいの少女だ。肌は土気色でまるで――死体のようだった。


 桜の木から十メートル離れたところから見ているので、桜の木の真下にいる少女との距離もそれくらいなのだが、少女の肌の色を悟った時点で、とにかく逃げなくてはと心臓が早鐘を打つと同時に、両脚は石の如く動かなくなっていた。


 逃げなきゃ、逃げなきゃ――「アレ」は良くない。

 直感が告げる。アレは非常に良くない。何故かはわからないけれど。具体的にはもうすぐ雨が降りそうだな、とか、もうすぐお腹が痛くなりそうだな、という不穏な感覚。所謂凶兆というやつだ。それもとびきりの。


 全身の肌が粟立つ。その瞬間。



「ねえ、首吊らない?吊ろうよ、首、吊ると伸びるんだよ、面白いよ、吊ってみようよ」



 耳元で掠れた声がした。……視界からアレが消えている。おそらくこの声はアレのものなのだろう。

「首吊ろうよ、楽しいよ、脳に血がいかなくなるか、頚椎が折れるか、どっちで死ぬかはお楽しみだよ。首吊りはとっても楽に死ねるよ、やってみようよ」

 アレの声が掠れているのは首を吊ったからなのだろうか。そんなことを考えてしまい恐怖が頂点に達する。首吊り。後ろを振り返る勇気はなかったので前を向いたまま震えていると、例の桜の木に五人ほど人間がぶら下がっているのが見えた。誰もが首が伸びていて、顔はこちらを向いている。


 ミシミシと木と縄が擦れる音が耳元で聞こえる。その瞬間、脚が自由になった。やった!と思い駆け出して家へ帰る。


 自宅の鍵を開け、テレビをつけてからワンルームの部屋のベッドに入った。

 テレビからはニュース番組の音声が流れてきて一安心する。

 なるほど「○×公園の桜の木を凝視してはいけない」理由がわかった。アレが現れて首吊りを促すからなのだ。しかしアレは一体――


「首吊り、た、の、し、い、よ」


「……!」

 天井から逆さまに生えるようにアレがいた。口から垂れる涎がポタポタと布団を濡らす。

 警察に通報しなくては。

 しかし、到着まで無事でいられるだろうか?今の所、こちらに首吊りを促すだけで危害を加えてはこないが……。

 ……警察より近所に住んでいる友人に連絡を取って、そこに泊まらせてもらおう。そして明日お祓いに行こう。

 天上からぶら下がっているアレをなるべく見ないようにして、ポケットのスマホを取り出し、友人へ連絡する。

 呼び出し音が焦れったい。ポタッポタッとアレの涎が布団に落ちる音と、ボソボソと「首吊り……たのしいのに……首吊り……」とアレが話す音で発狂しそうになる。

 気がおかしくなる手前でようやく友人が電話に出た。

「ばんわ〜!何?どしたん?」

「とにかく今からそっちに泊めてほしい」

「へ?今から?別にいいけど散らかってるぞ?」

「いいから!もうそっち向かうから!」

「?はいはい〜気をつけてな」

 私は鍵と鞄をひっつかんで友人宅へ向かった。玄関で後ろを振り返るか迷ったが、やめた。万が一こちらを見ていたら腰を抜かしてしまうと思ったからだ。

 友人宅に着くと部屋着の友人が出迎えてくれた。


「なんだよ〜首吊りしたいなら言ってくれればいいのに」


「は?」

 耳を疑う。

「だから、首吊りしたいなら言えっての。一応、もう準備はできてるけどさ〜」

「お前、何言って――」

 テーブルを見ると荒縄が二巻用意してあった。


 私と友人は首を吊った。

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