第2話

 一日の仕事を終え、私は駅前の本屋へと急いでいた。手にはたくさんのパンが入った袋を下げていた。日中降った雨のせいで、客足が遠のき、パンが売れ残ってしまったのだ。一人で食べるには多いが、パン好きな私としては有り難く、冷凍しておけば大丈夫かななどと考えつつ、歩みを進める。


 パンが入った袋は少し重かったが、どうしても今日中に買いたい本があり、その足で本屋に向かっていた。昼間降っていた雨はもう、すっかり上がっており、路面にポツポツと水溜りを残しているだけだった。



 本屋に辿り着いた私は、まっすぐ小説の新刊コーナーに向かう。私の大好きな作家の本が、今日発売されるのだ。—— 犀川秋先生の新刊だ。平積みにされた、淡い色の表紙を手に取る。優しげな色のそれは、先生のどこか儚い印象が多い、恋愛小説の作風によく合っていた。


 今回はどんな物語になるのだろうと、胸を躍らせていると、ふと隣の本が目に入った。早乙女春先生の新刊だった。早乙女先生もまた、恋愛小説を得意としており、きゅんとする甘酸っぱい展開が人気だった。かく言う私も、早乙女先生の本が好きだった。


 恋愛小説が人気な二人は、雑誌でも特集を組まれるなど、何かと比べられることが多かった。ネットでは秋派か、春派かと論争が起きていたが、私は両方とも好きだったので、二冊を手に取り、レジへと向かった。



 好きな作家の本が二冊も手に入った私は、スキップしたい気持ちを抑えつつ、本屋を後にした。駅前の広場を横切り家路を急ぐ。するとそこに、見知った人影を見つけた。いつもと変わらない服装と雰囲気に、それがうちのパン屋によく来てくれる、彼だと分かった。


 手には私と同じ本屋の袋を持っており、本好きとして話しかけたい衝動に駆られる。自然と彼の方に足が向いてしまうが、やはり店外でお客さんに声をかけるのは憚られた。彼がこちらに気づいてくれたら声をかけようと、彼の前をゆっくり通り過ぎた。

 

 俯き加減でぼんやりした様子の彼は、こちらに気づくことはなく、そのまま彼の前を通り過ぎる。近くで見る彼の顔はいつもより疲れて見えて、どこか悲しげだった。一度は彼の前を通り過ぎ、このまま家に帰ろうかと考えたが、どうしても彼の悲しそうな顔が頭から離れず、気づいたら彼の前まで引き返していた。



「こんばんは」

「…… ?こんばんは。…… あっ、パン屋さんの」

 突然声をかけられた彼は、少し戸惑っているようだったが、私に気づいてくれたようだった。

「すみません、突然。お見かけしたのが嬉しくて、つい声をかかちゃいました」

「いえ、全然。街中でお会いするなんて偶然ですね。お仕事の帰りですか?」

 いつもの柔らかい表情に戻った彼だったが、目元のクマが目立つ。

「はい。あと、欲しい本があったので、本屋に寄ってました」

 私は、手に持っていた本屋の袋を持ち上げて見せた。

「ああ、そうだったんですね」

 そう言いつつ、彼は自分の手元にあった本屋の袋を、ぎゅっと引き寄せ隠すようにもった。私の視線に気づいた彼は、ぎこちなく目をそらした。

「僕も気になる本があったので…… 」

 また彼の顔に疲れが滲み、表情に影が差した。


「そっちの大きな袋には何が入っているんですか?」

 彼がどうしてそんな顔をするのか考えていると、彼の方から声をかけられた。

「これですか?今日お店で売れ残っちゃったパンです」 

 袋の口を拡げて見せると、彼は興味深そうに覗き込んだ。疲れが見え隠れする彼の顔に、私は自然と声をかけていた。

「夜ご飯って、もう食べました?もしまだだったら、一緒にこのパン食べてくれませんか?一人じゃ食べきれなくて」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る